4

「……と、いうわけでして」

「ややこしい真似してんなよクソバカ夏生!」

 仁王立ちの暮が見下す先、正座した鵜ノ沢が申し訳なさそうに眉尻を下げた。暮に蹴り起こされた鵜ノ沢のカットソーには、靴底の跡がくっきりと残っていた。

「仕方ねえだろ、連戦だったんだし」

「反省してないなおまえ!?」

「まあまあ……その、僕も同罪だから……ごめんね」

 叫ぶ暮を、同じく正座した風早が制す。暮は風早をも睨みつけ、溜息を吐いた。後ろから様子を見ていた鷹野が口を開く。

「所長。何かあったか?」

「うん。Ⅲ型の学習を見たよ。あと仲間を庇うような様子も。追悼するような動作も確認した」

「そうか。こっちは第一研究所産のを見た。結局は再現だがな」

「そっか。その辺りは鷹野くんのほうが詳しいし、帰ったら纏めておいてくれると助かるな」

 頷いた鷹野に満足げに微笑んだ風早は、足についた埃を払い立ち上がる。

「それだけ!?」

「白いの。お前、忘れているかもしれないがここは異境だぞ。一応、今は緊急事態と言ってもいいんだ。分かるか?」

 暮が、固まった。

「……白いのって俺のことですかねぇ。ちゃんと自己紹介したはずなんですけどぉ」

「お前は『白いの』で充分だ」

「なんなのほんとこの人!」

 叫ぶ暮と、暮を鼻で笑う鷹野を茅野が宥める。鷹野が放った「こいつの方がずっと大人だな」の言葉に、暮は頬を膨らませてそっぽを向いた。

「あいつ、なんであんなに荒れてんだ……?」

 未だ不機嫌をあらわにする暮を見て呟いた鵜ノ沢に、茅野はただ小さく首を振った。鵜ノ沢は首を捻りながら、ジャケットを羽織り直す。

 鷹野が小さく息を吐いた。

「今はひとまず生きていたことが分かったのと情報共有が出来るだけで充分だ。言いたいことは山ほどあるが、帰ってからじっくり話せば良い」

 鷹野の冷たい目が、風早を射抜いた。

「なあ、所長」

 美しく歪んだ唇。風早は、体の震えを隠せずにいた。


 研究室らしき部屋に荒れた様子はなく、机の下には使えそうな椅子が仕舞われていた。各々椅子を持ち出し、円形に向かい合って腰掛ける。

「で、だ。そのⅢ型はどう動いてた」

「それは俺が。実際やり合ったのは俺なんで」

 鷹野の問いに、鵜ノ沢が軽く手を挙げる。

「二体同時に相手したんですけど、片方を叩くともう片方が邪魔してくる、って感じでした。連携を取れてるとまでは言えない」

 鵜ノ沢の答えを聞き考え込んだ鷹野は眉根を寄せ、咥えた煙草に火をつけた。

「片方倒したら、もう片方がその死体に寄って行って。揺すって起こそうとしてるように見えました。その後は、下に落とされたんで何も」

「何か喋っていたか?」

「仲間、大事、と。そう言ってました」

「仲間……家族の真似事か」

 鵜ノ沢は首を傾げた。

「異形にも血が繋がってるとかあるんすか?」

「赤いの。お前も何にも知らねえのか」

 鷹野に睨まれた鵜ノ沢は、しかし反論することなく頭を垂れた。

「……はい。俺、異形がどうして生まれたかとか、どういう習性かとか、考えたことも無かった。ただ倒せばいいって思ってた」

 鵜ノ沢は鷹野に視線を戻した。

「教えてください。俺は、俺らは何も知らない」

 鷹野は深く紫煙を吐く。

「……お前。鵜ノ沢だっけか」

「え? ええ、そうっす」

「あの白いくりんくりんよりはまともだな。良いだろう」

 暮が今にも鷹野に飛び掛かろうとしたのを、茅野が慌てて取り抑えた。


「異形がどうして生まれたかの詳細は知らん。如何せんまともな資料が残ってねえ。ただ、分かってることもある。奴らは人の真似事をする」

「人の……」

「そうだ。分類だのされてる訳じゃねえが、異形にも個性ってのがある。この巣の統率は、恐らくⅢ型以下を自分の家族……弟妹や子供と見て動いてんだろうな」

「弟、妹」

 鵜ノ沢の表情に影が差す。

「じゃあ、あいつらから見た俺らは、家族の団欒を邪魔する侵入者ってことですか」

「そういうことになるな。奴らは人間を観察して真似する。人間にとって一番馴染み深くて、どんな形であれだいたいの奴が持ってるグループが家族だ。奴らからしたら参考にしやすいだろうよ。何せサンプルは腐るほどある」

 吐き出された紫煙が揺れる。鷹野に言葉を返したのは、茅野だった。

「でも、あいつらがやったことを許していいわけじゃない」

 茅野の拳が強く握り締められたのを、鵜ノ沢は見逃さなかった。目を伏せる鵜ノ沢の脳裏には、未だはっきりと残っていた。身に着けていたエプロンごと腹を食い破られた、女の死体。

「……どちらにしろ、異境化した巣から脱出するには統率を叩いてしまうのが手っ取り早い。ある程度休憩したら、Ⅳ型を探そう」

 四人は風早の言葉に首肯を返した。


 風早と鷹野が異形や異境の詳細を報告し合う。少し離れて、茅野と鵜ノ沢、暮の三人は顔を寄せていた。風早、鷹野の注意が自分達に向いていないことを確認し、暮が口を開いた。

「美鶴。一応、俺の能力について軽く話しとくね。詳しい説明は帰ってからするけど、とりあえずテレパシーみたいなものと思ってくれたらいいかな」

 茅野はカーディガンの裾を摘み、捻った。

「それって、俺の心が読めたり、とか」

「ざっくり言うとね。相手の考えを知るとか、逆に俺の考えを伝えるとか。普通は違和感なく伝えることもできるんだけど、警戒されてると伝わりにくかったり、美鶴みたく能力で防がれるとバレたりもする」

 二度の不自然な思考に対し抱いていた疑問が、すとんと落ちた。能力を使い続けている自覚は無かったが、他人への警戒がそのまま能力の発現に至っていたらしい。茅野は意図せず、暮の能力を防いでいた。

「だからこいつは戦闘じゃ役に立たねえんだ。精神干渉しかできないから」

 眉を顰めた鵜ノ沢を、暮は鼻で笑う。

「しょうがないよ。精神干渉は扱いが繊細だからね、夏生みたいな脳筋バカには使いこなせない」

「んだとテメー!」

「お前らはどうしても仲間割れしたいようだな?」

 話を終えたらしい鷹野が割り込む。呆れを隠さない表情の鷹野を睨み、暮はわざとらしく顔を背けた。

「そろそろ休憩もできた頃かなって。行けそうかな」

 風早に頷き、三人は立ち上がった。


 ──ミィ、ツケ、タ


 笑い声がする。何処から。

「夏生!」

「分かってる!」

 鵜ノ沢と鷹野が部屋を駆ける。暮は風早の前に立ち、茅野に結界の展開を指示した。

「鷹野さん、そっち!」

 三人から向かって右手に走った鵜ノ沢が声を張り上げた。鵜ノ沢が指差した先、鷹野は腕を振りかぶる。机が真っ二つに割れ、置かれていた棚が落下する。に飲み込まれた薬瓶、破片の隙間から小さな影が飛び出した。

 ──キャハ、アハハハハッ

「クソッ、ちょこまかと……!」

 多くの机や棚に阻まれ、蛍光灯は部屋を十分に照らすに至らず視界良好とは言えない。鵜ノ沢の発する声に、苛立ちの色が強まった。

 鷹野が背後に気配を察し蹴り上げる。鈍い感触。ハイヒールの爪先に異形の赤黒い体液が付着していた。手応えは薄い。

「……ッ、仕留め損ねた! 鵜ノ沢!」

「あとは俺が!」

 駆け出した鵜ノ沢がはたと止まる。

 鵜ノ沢が舌打ちを漏らし、再度走り出す。

「面倒くせえこと抜かしやがって!」

 足跡のように細く続く体液を追う。机上から薬瓶を手にし、姿勢を低く。床に手をつきバランスを保ちながら、机の下に瓶を投げ込んでいく。逃げ回る異形を掠めることも無く、派手な音を発しながら、薬瓶が割れていく。

 鵜ノ沢の向かい側、少し遅れて鷹野も机の下に物を投げ込む。地を踏み、足音を強く立てながら、奥へ。

「ッ、らああぁぁ!」

 鵜ノ沢が踏み抜いたのは、異形の腕。追い込まれた異形の醜い叫声と体液の腐臭が部屋に充満する。這いずり逃げる異形を、鵜ノ沢は見送った。

 振り向いた鵜ノ沢の視線に、四人が目で応える。傷ついた異形は鈍い。見失うことはまず無いが、仮にそうなったとしても体液が道標となる。

 ふう、と暮の吐く軽い息が聞こえた。

「……Ⅳ型見つけるには手っ取り早いでしょ。あいつ、助けを求めてⅣ型の、ところに行く、から」

 立ち上がった暮の足が縺れ、ぐらりと揺れた。咄嗟に、茅野が暮の体を支える。

「暮さん……?」

「ごめん、美鶴。ありがと」

 鵜ノ沢が目を見開く。その口が開かれる前に、暮は諦めたように溜息を吐いた。

「……そうだよ。あいつの頭ん中を読んだ。Ⅲ型って、思考、するんだね」

 暮の顔は青い。吐き気を堪えるように、口元を手で覆っている。暮の額に滲む汗を、風早がハンカチで拭った。息が荒い。体が、震えている。

「なんで、そんな無茶したんだ」

「なんでって」

 茅野と風早に支えられて、再び椅子に腰掛ける。呼吸は浅いまま、暮は眉根を寄せる。

「あいつが、Ⅳ型のとこ行くって、確証もなかったし……夏生、殺すしか、能ないし」

 風早が暮の背中をさする。茅野のカーディガンが肩にかけられると同時に、暮は目を閉じた。

 鷹野が腕を組んだ。

「そんなんじゃ、対Ⅳ型では役に立たないな」

 暮が小さく頷く。

「……だから、さっきみたいな感じで、やろうと思ってる。俺が指示、するから……夏生と、鷹野さんが……」

「Ⅳ型を叩くんだね。その間、僕と茅野くんはⅡ型以下を抑える」

 暮の言葉を継ぎ、風早は取り出した水筒から注いだ緑茶を手渡した。暮は少しずつ口に含み、飲み込む。

「Ⅲ型は、もし居たら、ごめんだけど半分ずつ、受け持ちってことで……あー……気持ち悪……」

「……暮」

 鷹野の声に、暮は顔を上げた。

「任せたぞ」

 一瞬の驚いた顔を見せた暮は、汗を拭って得意げに笑った。

「任せといてよ」




 鵜ノ沢が先導し、風早と茅野が暮を支えながら歩く。背後を警戒しつつ、鷹野が続く。片腕のⅢ型は必死に、前へ前へと這っていく。研究室の左奥、棚の陰に、砕け散り意味をなさないガラスの扉があった。Ⅲ型がそれを乗り越えるのを見届けて、一定の間隔を置き後を追う。

「……っ」

 躓いた暮を、茅野が支える。震えは少し治まったものの、未だその顔は青白い。

「大丈夫、ですか」

「乗り物酔いみたいなもん、だから、大丈夫だよ」

 暮は笑顔を作った。力の抜けていた脚を叩き、地を踏み直した。


 薄暗い、細い廊下。先頭を歩いていた鵜ノ沢が、足を止める。

「……見ろ。あれ」

 Ⅲ型の向かう先に、開けた空間が広がっていた。覗き込めば、淡い水色で塗装された壁にはおびただしい数の黒ずんだ手形が押され、傍に文字らしき記号が描かれている。

 部屋の隅に置かれた、ぬいぐるみに見えたもの。茅野が目を凝らすと、それは小型の異形だった。異形の頭に、Ⅲ型のものらしい腕が二本刺さっている。手首から先だけが刺さっているものもあった。

「……動物の人形にでも見立ててるつもりかね。趣味悪いったらないな」

 鷹野は、いつの間にか火をつけていたらしい短くなった煙草を、忌々しげに擦り潰した。


 ──ワタシノ、タイセツナ、カワイイコ。


 最奥。声の主たるⅣ型は、丸椅子に腰掛け、残った片腕でしがみつくⅢ型の頭をゆったりと撫でていた。そのかたちは、茅野が今までに見たどの異形よりもヒトに近い。Ⅲ型のものよりも細く、長く伸びた手足。指ははっきりと五本に分かれ、撫でる頭の形を愛おしげになぞっていた。肌にあたるべき体表は赤黒く、皮膚を引き剥がしたような色であることを除けば、遠目にはヒトと見紛う程に。


 ──キズツケタ、ノハ、ダァレ?


 ぐるん、と。人間にはおよそ有り得ない捻じ曲がりかたをして、異形の顔が鵜ノ沢達に向けられる。目は、あるべき場所に存在した。片側に、一つだけ。茅野にとって、この国の多くの人間にとって見慣れたそれ。眼球の白、焦茶色の虹彩に、黒い瞳孔。

「あいつ、……誰かしらの目をな」

 鵜ノ沢の言葉に応えるように、肯定するように、異形の口が弧を描く。茅野は明確に、異形の悪意を感じ取った。


 ──ユルサナイ。


 恐らくは、怒り。異形の肩が震え、その腕に力が込められる。許さないと繰り返しながら、愛おしげに撫でていたその手で、Ⅲ型の頭を、握り潰していた。


 ──ユルサナイ、アハ、アハハハハハハッ!


「あのⅢ型にとどめ刺したのはお前だってのに、理不尽極まりないな」

 鷹野の吐いた溜息を合図に、臨戦体勢を取る。立ち上がったⅣ型の手に握られていた頭が、ぶちぶちと音を立て、体から離れていく。けたたましい笑い声、Ⅳ型の周囲にぼとり、ぼとりと赤黒いものが降る。落ちてきた異形の数に息を飲んだ風早の肩を、暮が軽く叩く。言葉は無い。そして、敵の発する音は最早言葉とは呼べない。

 茅野は、ゆっくりと、深呼吸をした。大丈夫。化け物が化け物を殺すだけだ。何の問題も、躊躇いもない。


 鵜ノ沢と鷹野が、同時に、駆けた。

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