第一章 異形

1

 目を開けると、見慣れない天井があった。

 いつも眼鏡を置いている筈のベッドサイドテーブルに手が届かない。テーブルそのものがない。少年──茅野かやのはゆっくりと起き上がり、部屋を見渡した。

 白と黒を基調とした、無機質で生活感の無い部屋。広くはないが、家具が少ないのもあって狭苦しさは感じさせない。眼鏡はベッドから少し離れたローテーブルに乗っていた。立ち上がって手に取り、いつも通りにかける。クリアになった視界でも、ここが知らない場所だということしか分からなかった。時計はないが、窓からの光で少なくとも日が出ている時間帯なのだろうと思い至る。

「やあ。よく眠れたかな」

 音もなくスライドした扉から男が現れる。金の髪に覚えはないが、その青い目を見た瞬間、ど、と嫌な汗が噴き出した。昨日──かどうか定かではないが、自分はこの男の前に倒れた。殺されると思った。しかし、自分はまだ生きている。理由は分からないが、まだ生かされている。

 勝手知ったるといった態度から、この部屋は男にとって使い慣れたようであると察した。殺害が目的でないのなら他に可能性は、と茅野は思考を巡らす。

「……身代金とか、用意できるほどうちは金持ちじゃない。あったとしても俺のために用意するとは思えない」

 誘拐。それくらいしか思い浮かばないが、言った瞬間、男は心底可笑しそうに笑った。茅野は身構えながら、男の言葉を待つ。

「あー、はは……いや、失礼。そうじゃなくてね……そうか、ふふ、そう思われちゃったかあー」

 いまいち要領を得ない。視線で先を促した。ようやく息が整ったらしい男は、咳払いをひとつ落として続ける。

「言ったでしょ、『友達になりたい』って。僕は君と仲良くなりたいんだよ。茅野美鶴かやのみつるくん」

 そういえば、男は茅野の名前を知っていた。茅野の記憶では、面識はないはずだった。どこかで会っていたのか、だとしても名前を知られているのは何故か。友達になりたいとはどういうことか。考えて、茅野が出した結論は。

「意味が分からない」

「だろうね。だから、話をしようと思って。ついてきて。もう少しちゃんとしたとこで話そう」

 言いたいことだけを言って部屋を出ようとする男は、茅野を振り返り「コーヒーがいい? それとも紅茶派かな? ミルクは? 砂糖はいる?」と畳み掛ける。何にしろ、すぐに襲われるだとか、危険が及ぶことはなさそうだと判断する。毒でも仕込まれたら別だが、と、茅野はブラックコーヒーを要求した。




 先のものより小さな部屋に案内され、奥の椅子に座るよう促される。飲み物を取りに行ったらしい男が戻ってくるまでに、茅野はぼんやりと部屋を見回した。長机に置かれた時計は、2124年5月14日午前9時を示している。公園での出来事は、やはり昨日のことであった。

「さて。僕が一方的に話すより、君の質問を聞くほうが先かなと思うんだけど」

 男は手にした二つのマグカップの一方を茅野に差し出し、向かい合う位置に腰掛ける。男がマグカップを傾けたのを見て、茅野も手渡されたコーヒーを恐る恐る口に含んだ。ごく普通の、飲み慣れたインスタントの味がした。

 男は微笑んだまま茅野を見る。話せ、ということらしい。

「……ここは」

暎和えいわ出版のオフィスビル。さっきまで君がいたのが仮眠室で、ここが会議室だね」

 出版社が自分に何の用があるというのだろう。心当たりなど全くない。そもそも。

「あんた、誰」

「ああ失礼。自己紹介がまだだったね」

 悪びれることもなく言って男は立ち上がり、ジャケットの内ポケットから何かを取り出した。そこから更に一枚の小さな紙を手に取り、茅野に差し出す。

「暎和出版社長、東堂慎とうどうまことと申します。よろしくお願いいたします」

 会釈をしながら渡された名刺を受け取る。確かに、男──東堂の言う通りの名前と肩書きが記されていた。茅野が確認した名刺を机に置いたのを見て、東堂は再度椅子に腰掛け「他に聞きたいことは?」とにこやかに言った。東堂の様子を見る限り、真偽は別として質問には素直に答えてくれるらしい。

「なんで俺がここに」

「美鶴くんに、うちの社員になって欲しくて」

「社員……? どうして、俺、……なんですか」

 相手が会社の社長と知った以上、敬語を使うべきなのだろう。しかし、社長直々のスカウトにしては、昨日のことは乱暴すぎやしないだろうかと、茅野は東堂を睨む。

「君のことが気になってね。一目惚れ、ってやつかな」

「…………は?」

「ああいや、変な意味じゃないよ」

 固まる茅野をよそに東堂は軽快に笑って、打ち消すように手を振る。茅野はますます意味が分からなくなった。どういう意図であれ、接点などなかったはずの東堂が、何故。

「正確に言えば、君の能力に興味を持ったんだ。昨日の君を見て、絶対にうちに来てもらおうと決意した」

 能力。そう聞いた瞬間、茅野は不信感と同時に高揚感を覚えた。知らず強く握り締めた拳が汗ばむ。東堂は知っているのか。一年もの間自分を悩ませた、この能力症状について。

「……そのあたり、説明をさせて欲しいな。少し時間を貰っても?」

 東堂の言葉に茅野は頷いた。家に居たって、部屋に引き籠もり寝転がるくらいしかしていなかったのだ。時間などいくら使おうが使われようが構わない。何より、能力とやらについて知りたい。警戒は解かぬまま、東堂を見る。

 東堂はゆったりとマグカップを傾けて喉を潤す。茅野もそれに倣い、ぬるくなったコーヒーを飲み下した。


「どこから説明しようか。……そうだな。この世界は、一見平和だ」

 世界ときた。いきなりスケールの大きすぎる話を切り出され、茅野は眉を顰める。

「生体安全保証システムのおかげで嫌な仕事なんてしなくてもよくなった。理由がないから、戦争なんてものとは無縁になった。大抵の人間は」

 含みのある言い方だ。全ての人間と言わないあたり、

「例外がある、ということですか」

 瞬間、東堂の表情がぱっと明るくなった。上機嫌に拍手までしている。

「話が早くて助かるなあ。さては美鶴くん、賢いね?」

「い、いや……成績そんな良くなかったし。高校も……」

 卒業は、していない。能力と呼ばれるらしいそれが現れてから、学校を含めあまり外に出掛けなくなった。わざわざ化け物と罵られる為に外出する人間などいまい。かつての同級生の視線を思い出し、茅野は俯いた。

 東堂は微笑んだまま、茅野が落ち着くのを待って、再び口を開く。

「そんな平和の中、水面下で戦争をしている集団がある。結論から言おう。我々もそのうちのひとつだ」

「え、」

「出版社はただのカムフラージュ。能力を持つ人達……能力者と呼んでいる。彼らを仲間にして、時々現れる異形や他の能力者と戦うのが、僕達の本当のお仕事」

「ちょ、ちょっと待ってください」

 話に追いつけずにいる茅野が頭を抱える。東堂は困ったように笑った。

「このあたりの話は、たぶん実際に見てもらった方が早いと思うな。能力が発現した以上、遅かれ早かれ他の能力者に会うことになるだろうし」

 異形にもね、と付け足された言葉に、茅野はただ呆然とするしかなかった。

 東堂はコーヒーを淹れ直すため席を立った。一人でいられるうちに頭の中を整理しようと試みるも、上手くいかない。数分の後、熱いコーヒーが目の前に置かれたところで思考を放棄する。考えても分からないことで悩むのは、気力、体力を消耗するだけだと、茅野は知っていた。


「能力者がいつから現れたのか、それには色んな説があるんだけど……能力者達は、普通の人間にはおよそ扱い切れない、超常的な力を使えた。身体能力も大きく向上した。これは、もしかしたら美鶴くんにも覚えがあるんじゃないかな」

 東堂の言う通りだった。化け物と称されるに至ったきっかけが、茅野の脳裏に蘇る。教室に向かう途中で足を滑らせ、階段から転げ落ちた。茅野は来るだろう痛みと衝撃に強く目を瞑って、。自分がどうしてそんなことになったのかは知らないが、どうも異常な光景だったらしいことは、目撃者達の反応で嫌でも理解した。それから何度か似たようなことがあり、以降周囲の人間には物理的にも精神的にも距離を取られるようになった。そうして茅野は独りになった。

「……そんな能力者達は、自分の力を誇示するようになった。過ぎた玩具を与えられたらはしゃいでしまうのが人間だからね。それがやがて戦争となったんだけど、これも始まりは様々言われてる。もともと一つの組織だったのが内部で決壊しただとか、勝者に景品が用意されたとか。そんな感じで、今も続いてるんだ」

 漫画やゲームでよくある使い古された設定のようなそれが、現実のものとしてあると東堂は言う。自分の知らないところで、戦争は行われていた、らしい。

 東堂の話を噛み砕きながら、茅野に一つの疑問が浮かぶ。

「あの……」

「何かな?」

「さっき、他の能力者や、異形? に会うことになるって言ってましたけど……俺、そんなの見たことないです」

 茅野が覚えている限りでは、異変を感じたのがおよそ一年前だ。東堂の言う『遅かれ早かれ』がどの程度を指すのかは不明だが、一年もの間知らずに過ごしてきたことに、茅野は違和感を抱いた。

「これはあくまで僕の仮説、なんだけどね」

 そう言って東堂は立ち上がり、茅野に近づいた。一気に体が強張り、口が渇く。東堂は茅野を見遣り、満足げに微笑んだ。

「……うん。ちょうどいいね、そのまま僕が物理的に君に触れられないように念じていて。そうだな、だいたい三十センチくらい? ……の距離で、

 東堂の言葉を飲み込む前に、茅野に東堂の影が落ちる。咄嗟に『近づくな』と強く願った。しかし、それが叶わなかった昨晩のことが過ぎり、恐怖に固まった茅野は東堂から目を逸らせない。

 そして、東堂が茅野に触れることは、なかった。

「……っ、え?」

 東堂が言った通り三十センチほどの位置で、見えない壁に手をつくようにして止まっている。東堂は何かを確かめるように、在るらしいそれにぺたぺたと触れ、少しの間考え込むような素振りを見せると、元の笑みを湛えた。

「思った通りだ。分かったよ、ありがとう。もう大丈夫」

 東堂は、一人納得した様子で席に戻る。

「何、が……」

「君の能力が分かった。結界、あるいは防護壁と言ったほうがイメージしやすいかな?」

「…………」

 東堂は信用ならないが、目の前で起こった現実を否定できるほど逃避もできない。触れられることを防ぐ。これが自分の能力だというのだろうか。

「……でも、それと俺が今まで他の能力者を見なかったこと。どう関係があるんですか」

「ここからが僕の仮説。美鶴くんの能力は、物理的にも精神的にも作用する、と見ている。君は能力が発現してから、それを『知られたくない』と思っていたんじゃないかな? 能力は身体機能の一部みたいなものだと認識されている。君は本能的に、能力者であることを隠した……君自身を守るために。だから君は、周囲に知られずにいた」

 語り終えた東堂は、マグカップを傾けきる。茅野のカップが既に空であると知り、東堂は深く息を吐いて長机に肘を預けた。

「難しい話ばかりで疲れたでしょ。休憩も兼ねてこのビルの案内をしたいんだけど、どう?」

 言葉の意味は理解できても内容に追いつけずにいた茅野が休憩という単語に飛びつくのは、当然のことであった。変わらず東堂を睨みつけながらも、茅野は首を縦に振った。


「……あ、その前に」

「どうぞ。何でも聞いて」

「昨日、の……あんたが何かした、んですよね?」

 目眩。頭痛。未だ僅かに残るそれらをこめかみを押してごまかし、茅野は問う。東堂はただ、微笑んだ。

「あれは、君が自分でやったんだよ」

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