トウノ店長って

 「コウちゃん……なんで泣いてるの?」


ハッとして頬を手で拭うと、左側が濡れていた。


ほろり


今度は右側。


「コウ……ちゃん?」


心配そうに見つめてくるトウノ店長。


そうか、この人は知らないんだ。


知らなくていいんだよ。


「すいません、新メニューに採用された嬉しさが後から感じて……つい」


僕は笑いながら両手で無理矢理拭ってみせる。


「ごめん! げんこつ痛かった?」


「大丈夫です。愛の鉄拳なんですよね」


拭っても拭っても溢れる涙に戸惑いながらも、心配かけたくなくて力が強くなる。


大丈夫。


僕はもう大丈夫だから。



 「コウちゃん!」


叫び声にびっくりしたと同時に温かいものが身体にじんわりと染みてくる。


抱きしめられていると気付くのに15秒かかったんだ。


「ぼくは君が勤めている職場の上司だ。だから、君がトレーネにいる間に何かあればぼくが責任をとらなければならないんだよ」


「すいません、ご迷惑をおかけしました」


「大丈夫、迷惑ならたくさんかけてちょうだい! 君はぼくの部下だから当たり前だよ」


すいませんじゃなくてありがとうって言って、と優しく言うから、ありがとうございますと返す僕。


いい子、いい子と頭をポンポンとしてくれるトウノ店長に気を許してしまいそうになった。


「今日、コウちゃんちょっと変だから心配だな。家まで送っていくよ」


その言葉を聞いて、僕の人間不信スイッチが入り直す。


「もう31ですよ……スーパーにも寄んなきゃいけないんで」


信じるわけにはいかないと改めて気持ちを締めて、トウノ店長を引き剥がし、素早く表のドアから外に出た。


「それなら尚更さ、もう真っ暗だよ?」


追いかけるようにドアから外に出たトウノ店長は引き下がらない。


「10年働いていたら目をつぶっていても帰れるくらいは慣れてますから。このくらいの暗さで怯えるなんて……なめないでくださいよ」


カギをかけているトウノ店長に僕は吐き捨てた。


「それでもぼくは心配なんだ……ぼくにとって大切な人だからさ」


トウノ店長はドアノブをガチャガチャと動かしてカギがかかったか確認した後、僕のことを真っ直ぐ見つめてきた。


あまりにも綺麗な眼差しに若干胸が痛んだ。




 「本当に1人で大丈夫? スーパーまででもいいし、荷物持ちだってするし。なんなら、相談にも乗るからさ」


リュックの小さいポケットにカギをしまいながら、眉を下げてついてくるトウノ店長。


ここまで来ると、本当に優しい人なんだと思うけど……だからこそ1人にして欲しい。


「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫です。トウノ店長こそ、早く帰らないとルームメイトが心配しますよ?」


詳しくは知らないけど、安いという理由で借りたところがシェアハウスらしい。


噂では気性が荒い人がいるみたいで怒鳴られてばっかりだとか。


僕が作り笑いをしてトウノ店長の方を向くと、でも……と納得しない様子。


すると、トウノ店長のパンツのポケットから呼び出し音が聞こえてきたから、これはチャンスだと僕は思った。


「では、また明日よろしくお願いいたします。お疲れ様でした」


早口で言って、走って逃げる。


「気をつけて帰るんだよ! 何かあったらすぐに連絡……報連相だからね!!」


着信に出なきゃと慌てているくせに、店長らしいことを叫ぶトウノ店長。


ちょっと面白くて振り返ると、大きく手を振っていたから、小さく手を振り返してあげた。


「本当にトウノ店長って……バカみたい」


僕は心から少し笑って、家路を急いだんだ。



だから思いもしなかったんだ。


着信が切れたのに、僕が見えなくなるまで手を振っていたこと。


その後、逆方向の駐輪場に向かいながらぽつりと言っていた言葉も……その意味さえも。


「さぁ、明日が楽しみやなぁ……まぁ、死人に口無やけどな」




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