2018年9月20日

 「コウちゃ~ん!!」


ハルと全く違う声で呼ばれて、僕はハッとした。


目の前にはフライパンがあり、豚のこま肉と賽の目に切ったニンジン、ピーマン、じゃがいもが黄色い汁でジューと炒められていた。


三口コンロや銀色の収納棚、綺麗に並べられた調理道具とさっきまで病室にいた雰囲気が微塵も感じられない。



 「コウちゃん? 大丈夫?」


状況が掴めない僕の肩をトントンと誰かが叩くから、思わず身体を震わせる。


一応、安全のために火を止めてから、恐る恐る振り向いた。


「……あっ、トウノ店長でしたか」


茶色の短髪に縁の大きい黒の眼鏡をかけた燈野とうの……トウノ店長を見て、ここが創作洋食料理店『トレーネ』の調理場だということがわかった。


そして、さっきまでの出来事は2年前だということも思い知らされたんだ。


でも、愕然としたままではいられない。


ここは仕事場。


それに、上司の前だ。


何も知らないムードメーカーの上司が陰気な僕にわざわざ声を掛けてくれている。


それなら、調子を合わせるのが大人の流儀。


僕は無理矢理口角を上げ、ふふふと明るめの声を出す。


「なっ、なに笑ってるの?」


「相変わらずふざけてますね……トウノ店長」


「えっ、どこが!?」


僕の指摘に慌てたように顔や身体を触り出すトウノ店長。


「眼鏡っすよ」


「メ、ガネ……?」


トウノ店長はきょとんとした顔をしながら眼鏡を外し、首を傾げた。


「絶対、度が入ってないっすもん」


「ちゃんと入ってます~失礼な!」


頬を膨らませながら眼鏡を掛けるトウノ店長。


「たぶん掛けたら知的に見えるからっていう不純な理由でそうなんすよね」


「そ、そんなこと……ないよ」


声が小さくなりながら鼻の上の黒い縁を中指で押さえて上げる。


「上げ方、伊達眼鏡の人っすよ」


「もう! おちょくらんといてよ!!」


「弄られんの好きなくせに」


僕がニヤついて言うと、顔を赤らめて俯くから、僕は明るく笑った。



 良い関係に見えるでしょ?


何でも言い合える感じ、気を許しているみたいに。


でも、これはあくまで社交辞令。


一ミリも気を許してなんかいない。


もう、大切な人を失いたくないから。


 「そういえば、今日は何を作ったの?」


僕は火を止めたかを今一度確認し、白い平皿をフライパンに近づけてから、その問いかけに淡々と答える。


「豚こま肉のソテー~彩り野菜とともに~ですかね……和食でいうと、豚こま肉のマヨ醤油炒めになりますが」


銀色のトングで豚こま肉を掴み、軽く捻るようにして皿の中央に乗せていく僕。


「無理しちゃダメだからね」


心配そうに言うトウノ店長に僕は心の中でため息を吐いた。


創作洋食料理店『トレーネ』の正規の従業員は現在3人……僕とトウノ店長、そしてここのオーナーの甥であるもう1人だけ。


それにトウノ店長は調理師免許は持っていないから、料理人は僕とあと1人のみ……まぁ、昔はもう1人いたんだけど。


だから、倒れられたら店が成り立たなくて困るということだろう。


トウノ店長の単なる口癖だ。


「大丈夫ですよ、好きでやってますから」


僕はトングの先で豚肉の盛り具合を整えてから、おたまに道具を持ち替える。


「それなら良いんだけど……ハイペースに作ってくれるから」


週に3回、いやほぼ毎日試作品を作っている。


給料の半分は料理研究に当ててるから無理もない。


まぁ、それしかやることがないから。


「迷惑ですか?」


ニンジン、ピーマン、じゃがいもの配分が均一になるように掬って、豚肉の上から滝のようにかけながらトウノ店長に聞いた。


「ううん、そうじゃないよ。むしろ、嬉しい……コウちゃんにもソラヤくんにも自由にやってほしいと思っているからさ」


なんてカッコつけて言ったからちらっと顔を見てみると、トウノ店長の顔は真っ赤に染まっていた。


「恥ずかしいなら、かっこつけなくていいっすよ」


「だって……だってぼく、店長だもん!」


ちょっと弄るのが楽しいのは嘘じゃないんだ。


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