女性の嫉妬は怖いのです

 シヴァに菓子を持っていけ―――

 アスヴィルにそう告げられ、綺麗にラッピングされたクッキーを持たされて、再びライムミントのドレスに着替えさせられた沙良さらは一人大きな扉の前に立っていた。

 問答無用で、アスヴィルにこの扉の前まで空間移動で飛ばされたのだ。

 沙良は大きな扉を見上げて、ゆっくりと深呼吸を繰り返すと、恐る恐る扉をノックした。

 コンコン、という音は小さかったが、ややあって「誰だ」と誰何すいかする声が聞こえた。

 その声が不機嫌そうで、沙良は回れ右をして帰りたくなった。

 それでも帰らなかったのは、「クッキーを渡したら迎えに行く」と言っていたアスヴィルの言葉があったからだ。

 つまり、渡さなければ迎えに来てくれないのだろう。

(うう……、何の罰ゲームですか……)

 沙良は泣きたくなった。

 せっかく生贄いけにえの執行が延期されたようなのに、自分から火の中に飛び込んでいるようなものだ。

 沙良は今にも消え入りそうなほどの小声で「沙良です」と答えた。

 扉の向こうに沈黙が落ちた。

 少しして、かすかな物音が聞こえたあと、そっと目の前の扉があけられる。

 昨日と同じ、冷たい顔のシヴァが立っていた。

 ―――怖い。

 シヴァの姿を見るだけで怖かった。

 それでも、ミリーとアスヴィルの待つ部屋に戻るため、沙良は手に持っていたクッキーを差し出して頭を下げた。

「クッキーです!」

「………」

 その沈黙が怖かった。

 なかなかクッキーを受け取ってもらえず、恐る恐る顔を上げた沙良に、シヴァは短く告げた。

「入れ」

 沙良を招き入れるためか、部屋の扉が大きく開かれる。

 帰れ、ではなく、入れ、と言われたことに沙良は内心びっくりした。

 沙良はビクビクしながら従った。

「お、おじゃまします……」

 肉食獣の巣穴に入るときはこんな気持ちだろうか―――

 恐々と部屋の中に足を踏み入れた沙良は、「座れ」と言われて、五人は座れるのではないかというほど大きな皮張りの黒いソファに腰を下ろす。

 シヴァが当然のように隣に座って、沙良は落ち着かなげに視線を落とした。

 両手に大事そうに抱え持っているクッキーの包みを、手を伸ばしたシヴァがひょいと取り上げていく。

「これはどうした」

「つ、作りました……」

「どこで」

「アスヴィル様のお部屋で……」

「アスヴィルに会ったのか?」

 シヴァが少しだけ目を丸くした。驚いているようだった。

 だが、沙良は短くともこうしてシヴァと会話が成立していることの方に驚いた。

「ア、アスヴィル様が、シヴァ様に、持って行けって……」

「余計なことを」

 ちっと小さな舌打ちが聞こえて、沙良は首をすくませる。

(やっぱり、ダメだったんじゃぁ……)

 プロが作ったものならいざ知らず、アスヴィルに教えてもらったとはいえ、作ったのは沙良だ。

きれいにできたものを選んだが、それでもところどころ形はいびつだし、こんなものを持ってきて、と怒られるのではないだろうか。

 だが、心配する沙良の目の前で、シヴァは濃いピンクのリボンの結び目をほどいて、クッキーの包みを開いた。

 シヴァはその中身をじっと見つめたあとで、一枚手に取ると、無造作に口の中に入れた。

(食べた……!)

 沙良は、目の前で奇跡が起こったかのように驚いた。

 シヴァは咀嚼しながら、パチンと指を鳴らす。

 一瞬後、目の前のテーブルの上に紅茶の入ったカップが登場した。

「―――!」

 沙良は思わず飛び上がりそうになった。

 紅茶は二つあって、一つはご丁寧に沙良の目の前にある。

 飲めと言うことだろうか、とシヴァの顔を伺いながら、そっとカップに手を伸ばした。

「あ、ありがとう、ございます……」

「ん」

 まだ口の中にクッキーがあるのか、短く返事をされる。

 シヴァは紅茶で口の中を潤しながら、二枚目のクッキーに手を伸ばした。

(食べてる……)

 なんだか、肉食獣の餌付けに成功したような気さえしてくる。

 アスヴィルがシヴァはチョコチップクッキーが好きだと言っていたが、本当だったようだ。

 ある種の奇跡体験をしたかのように感動して、沙良がシヴァを見つめていると、シヴァの目がこちらを向いた。

「どうした。何かついているのか?」

「い、いえ。なにも。……あ、あの」

「なんだ」

「チョコチップクッキー、お好きなんですね……」

 ぴたり、とシヴァの動きが止まった。

 だが、シヴァが沙良を睨みつけるより先に、沙良が、

「また、作ります……」

 と言ったから、シヴァは沙良を睨みつけるタイミングを見失った。

「アスヴィル様が、いつでも作りに来ていいって、言ってくださったから。また、作ります。持ってきてもいいですか……?」

 シヴァはじっと沙良を見下ろしたのち、無言で三枚目のクッキーを口に入れた。

 もぐもぐと咀嚼しながら、

「好きにしろ」

 こう、短く答える。

 沙良は少しだけ嬉しくなって笑った。

「はい、また持ってきます」



 結局そのあとは、会話らしい会話は成立しなかったが、沙良は少しだけ幸せな気持ちになって、シヴァの部屋をあとにしたのだった。



     ※     ※     ※

 


 とてとて、と沙良は城の広い廊下を歩く。

 廊下の真ん中には真っ赤な絨毯が敷かれていて、歩くと足元がふわふわする。

 ライムミントのドレスは裾がすごく広がっているので、少し歩きづらい。

 アスヴィルが迎えに来ると言っていたが、シヴァの部屋の前で立ち尽くしているのも目立つので、どこか目立たないところを探して沙良は歩き回っていた。

 ―――そのとき。

「ちょっと、そこのあなた」

 背後から話しかけられて、沙良は後ろを振り返った。

 沙良の背後には、金色のゴージャスな巻き髪に、真っ赤なドレスを着こんだ、きつい顔立ちの美人が立っていた、

 折れんばかりの細い腰に両手をおいて、頭一つ分は低い沙良をじっと見下ろしている。

 沙良を頭から足元までじっくり見渡して、ふっと真っ赤な唇をつり上げた。

「あなた、新しいメイドかしら? さっきシヴァ様のお部屋から出てきたわよね?」

「え、あの……」

 この美女の顔は知らないが、この髪型で真っ赤なドレスを着た女性の姿は見覚えがあった。朝、部屋の窓から庭を見下ろしていたときに、シヴァの周りにいた女性のうちの一人だ。

(シヴァ様の、愛人……? 奥さん?)

 ミリーの言葉を借りるなら、「奥さん気取りの愛人」だ。

 結局のところ愛人なんだか妻なんだかよくわからないが、シヴァと親密な関係の女性なのだろう。

「ちょっと、ねえ、聞いてるの?」

 彼女はイライラと言った。

「ねえ、なんでメイドのあなたが、シヴァ様のお部屋から出てくるのよ? どうやって取り入ったの? あの方のお部屋には、わたくしだって入れてもらったことはないのよ?」

 沙良はメイドではなく生贄だが、沙良はそこよりも別のところに驚いた。

(お部屋に、入れてもらえない……?)

 沙良は思い出してみたが、結構あっさり入れてもらった気がする。というよりも、沙良が入りたかったのではなくて、シヴァが「入れ」と言ったのだ。

 沙良はちょっと考えて、目の前のキツそうな美人に答えた。何か答えないと怖そうだからだ。

「あのぅ、それは、たぶん、わたしが『生贄』だからだと思います」

「はあああ?」

 何か間違えたのだろうか。

 彼女は素っ頓狂な声を上げて、そのあとキッと沙良を睨みつけた。

「なにふざけたこと言ってるのよ? 生贄? シヴァ様の? そんな羨ましそうな立場に、どうしてあなたみたいな貧相な子供が選ばれるのよ!」

 生贄が、うらやましいのだろうか……。

(しかも、また貧相って言われた……)

 確かに沙良は前と後ろの差もわからないほど薄っぺらい体をしているかもしれない。

 この目の前のゴージャス美女に比べたら、いろいろ足りなさすぎて悲しくなる。

 だけど、シヴァにしてもこの美女にしても、無神経すぎる気がする。

 いろいろ突っ込みたかったが、きーっと叫んで地団太を踏みはじめた美女を前に、沙良は言葉を発する勇気を持たなかった。

 美女は、がしっと沙良の右手首をつかんだ。

「ちょっと来なさい!」

「え?」

 そのまま有無を言わさず引きずられて、沙良は転ばないよう小走りで彼女についていく羽目になった。




 ギイィ……

 軋んだ音を立てて目の前の鉄格子が閉まっていく。

 ガシャン、としまった扉を、沙良は茫然と見上げた。

 鍵の束を指先でくるくると回転させながら、金髪巻き髪ゴージャス美女は、ふふん、と勝ち誇ったような笑顔を浮かべた。

「あなたみたいな貧相な子供がシヴァ様の生贄なんて千年早いわよ。シヴァ様のお手にかかって死ねるなんて、うらやましすぎて八つ裂きにしたくなるわっ。甚振いたぶられないだけ感謝しなさい!」

 生贄が八つ裂きにしたくなるほど羨ましい、という彼女の感性はどうかと思うが、どうやら地下牢らしいところに閉じ込められて、沙良は途方に暮れた。

「あなたなんて、ここで干からびて死ぬのがお似合いよ!」

 くすくすと笑いながら、彼女は鍵の束を持ったまま地下牢を出ていこうとする。

 ふと、思い出したように出口で振り返って、

「言っておくけど、ここは魔法なんてきかないから、誰も助けに来ないわよ。残念ね」

 じゃあね、と手を振って彼女が地下牢を出ていくと、沙良は鉄格子に手をかけて軽く引っ張ってみた。

 ガシャ、と乾いた音が響く。

(どうしよう……)

 魔法がきかないと言っていた。

 ということは、迎えに来ると言ってくれたアスヴィルも気がつかないということだろうか。

 生贄も怖いが、ここで干からびて死ぬのも怖い。

 かろうじて入り口のところで松明たいまつが燃えているが、それが消えればここは真っ暗になるだろう。

 地下牢だからか、とてもひんやりしていて、どこからか隙間風が舞い込むのか、とても寒い。

 ここにいたら、干からびるより先に凍死するのではないかと思う。

 沙良は鉄格子から両手を離し、ドレスのスカートをぎゅっと握りしめた。

 ―――誰も助けに来ないと言っていた。

 じんわり、と沙良の目に涙が浮かぶ。

 彼女の言う通り、たとえ助けられたとしても、沙良を助けてくれる人なんて、きっといない。

(生贄が羨ましいとか、意味わかんない……)

 沙良はきゅっと唇をかんだ。羨ましいならいくらでもかわってあげるのに。

 生贄なんてなりたくないのに、それが羨ましいと言って地下牢に閉じ込めるなんてあんまりだ。

 沙良は膝を抱えて丸くなった。

 助は来ないと言っていたが、来てくれるとしても、誰の名前を呼んだらいいのかわからない。

 ミリー、アスヴィル、と二人の顔を思い出して、最後にシヴァの姿を思い描いた。

 シヴァは怖いけれど、クッキーを食べていたシヴァは、あんまり怖くなかった。

(また持って行くって、約束したのに……)

 自分が作ったものを誰かに食べてもらうのははじめてだった。

 美味しいとは言われなかったが、作ったクッキーを何枚も口に運んでくれたのは、とても嬉しかったのに。



「シヴァ様……」



 ぽつん、と沙良はつぶやいた。

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