お菓子作りは奥が深いのです?

 沙良さらは無言で、背の高い男性を見上げた。

 顔立ちは、整っているが、いかつい。

 身長はシヴァと同じくらいだろうか?

 だが、シヴァよりも筋肉質だ。

 短めのツンツンしたシルバーグレーの髪に、青灰色の瞳。

外見の年齢は二十代半ばくらいだろうか。

お菓子作りの適任、とミリーに紹介された男は、どこからどう見ても甘いお菓子とはかけ離れていた。

だが、これだけ厳つい顔立ちの男なのに怖くないのは、彼が片腕にミリーを抱き上げているからだろう。

「この人はぁ、七侯ななこうの一人の、アスヴィルですぅ」

 聞きなれない単語が出てきて、沙良はミリーに視線を移した。

「七侯?」

「七侯っていうのはですねぇ、この世界には、七つの領地があって、そこにそれぞれ王様みたいな人がいるんですぅ。その王様たちを、魔王様とは区別して、七侯と呼びます。あ、一番偉いのは魔王様ですけど、一応この人たちも偉いんですよぉ」

 偉いという割には全然敬ってはいない様子で、ミリーはアスヴィルのツンツンした頭をぺしぺしと叩いた。

 叩かれでもアスヴィルは表情一つ変えない。

 ここは、城の中にある一室である。

 ミリー曰く、アスヴィルがシヴァにもらっている一室らしいのだが、その部屋は二つの部屋が続きになっていて、そのうちの寝室ではない方の部屋に沙良はいた。

 なんというか、部屋の中は、ちょっと異様である。

 深緑のカーテン、同じ色のソファと焦げ茶色のテーブル。このあたりは別段おかしなところは何もない。

 問題は、このシックな部屋の中に、ピカピカに磨き上げられたキッチンが存在していることだ。

 大理石だろうか。真っ白なキッチンは、どでん、と部屋のほぼ中央に鎮座していて、このキッチンのためだけの部屋ではないだろうかと思わせる。

 いろいろ言いたいことがあるが、何を言っていいのかわからずに、沙良の眉は八の字になった。

 ミリーとアスヴィルは旧知の仲なのか、仲がよさそう―――ほぼ無表情なアスヴィルには少しばかり疑問は残るが―――に見える。

 ぺしぺしと頭を叩かれ続けて嫌になったのか、アスヴィルは無言でミリーを下におろした。

「菓子作りをしたい……と?」

「は、はいっ」

 ずっと無言だったアスヴィルが言葉を発して、沙良は無意識に姿勢を正した。

 沙良の隣に来たミリーが「そんなかしこまる必要なんてないんですよぉ」と茶化しているが、どうしたって、この厳つい顔には緊張せざるを得ない。

 アスヴィルはミリーに一瞥を投げたあとで、何か言いたそうに口を開いたが、結局何も言わずに口を閉ざした。

 かわりに、アスヴィルは沙良に視線をやると、ふぅと嘆息した。

「そんな無駄に布面積の多い服で、菓子を作る、と?」

 これには、ミリーが頬を膨らませて反論した。

「文句あるんですかぁ? 可愛いじゃないですか! なんですかぁ? わたしの趣味にケチをつけると?」

「……そういうことを言っているんじゃないんだが」

「じゃあなんですか!」

 噛みつかんばかりの勢いでミリーが言えば、アスヴィルは少し困ったのか、眉間にしわを寄せた。

「お前はまったく料理をしないからわからないだろうが……」

「はあああ? 喧嘩ですかぁ? 喧嘩売ってるんですかぁ?」

 アスヴィルに対して、ミリーはずいぶんと強気だ。

 アスヴィルのことを七侯の一人で、偉いと言っていたが、ミリーの方が偉そうである。

「そうじゃない」

 アスヴィルは、ゆっくりとした動作で沙良の袖を指した。

「これでは料理がしづらいと言ったんだ。この服を着せたいなら、あとにしろ。動きやすい服はほかにないのか? できれば、袖が邪魔にならないような」

「お菓子作りって袖関係あるんですかぁ」

 めんどくさいなぁという言葉が聞こえてきそうなほどの声で、ミリーは渋々頷いた。

「仕方ありませんねぇ。ちょっと待っててくださいよぉ。服とってきますから。あ、わたしがいないうちに沙良様に変なことしたら、―――殺しますよ」

「くだらない心配をしていないで、さっさと行け」

 ふんっ、とミリーは鼻を鳴らして「待っててくださいねぇ、沙良様」と言い残し、ぽんっと消えた。

 文字通り、その場から消えたのだ。

「……え?」

 沙良は目を丸くした。

 思わずきょろきょろと部屋の中に視線を彷徨わせると、アスヴィルが、

「空間を移動しただけだ。すぐ戻る」

 何でもないことのようにそう告げる。

(これも魔法!?)

 沙良が茫然としているうちに、再びぽんっとミリーが戻ってくる。

 その手には、沙良が朝待ち望んだようなシンプルな白いワンピースがあった。

「はいはーい。仕方ないから、沙良様、着替えますよぉ。アスヴィル様ぁ、隣の部屋借りますからねぇ。覗かないでくださいねぇ」

「覗くか」

「ならいいんですぅ。さ、行きましょぅ」

 沙良はミリーに背中を押されて、続きの部屋に入って行く。

 ライムミントのドレスを脱がされて、膝丈の白のワンピースに着替えた沙良は、キッチンのある部屋に戻る前にミリーに訊いてみた。

「あの、ミリー。アスヴィル様って、本当に、お菓子作り教えてくれるんでしょうか……?」

 アスヴィルは、お菓子作りではなく、人の殺し方を教えます、と言われた方がしっくりくるような外見である。

 ミリーはカラカラと笑った。

「大丈夫ですよぉ。ああ見えて、かなりのオトメンですよ、あれはぁ」



 オトメン。

 再び出てきた聞いたことのない単語に、沙良は小さく首をかしげたのだった。



     ※     ※     ※



 白のワンピースに着替えて部屋を出た沙良さらは、待ち構えていたアスヴィルの姿にカチンコチンに固まった。

「………」

「ね? 言ったでしょう。オトメンって」

 なぜだかミリーが勝ち誇ったように言う。

 だが、想像をはるかに超える光景に硬直した沙良には、その声は届かなかった。

 フリフリである。

 フリフリのエプロンである

 部屋から出た沙良の視界に飛び込んだのは、シンプルな黒い上下の服の上に、フリフリの待つ白いエプロンを着込んだ、いかつい顔をしたアスヴィルの姿だった。

「いやぁ、いつ見ても半端ない破壊力ですよねぇ」

 楽しそうにケラケラ笑いながら、ミリーは、どこから取り出したのか、同じくフリフリの白いエプロンを沙良に着させる。

「さ、心行くまでお菓子作りしちゃってくださいなぁ」

 ミリーはさらにエプロンを着させ終わると、深緑のソファにごろんと横になった。

 手伝う気は、サラサラなさそうである。

 アスヴィルの目の前に取り残された沙良は、おろおろと目を泳がせた。

 見てはいけないものを見ている気がする。

 しかしアスヴィルは、自分の今の格好が周囲を凍り付かせるほどの破壊力を持っていると認識していないのか、何事もなかったかのような顔でキッチンに立った。

「まったくの素人だと聞いているが、本当か?」

 淡々とした声で訊ねられて、沙良は慌ててアスヴィルの隣に、人二人分くらいの隙間を開けて立った。

「は、はい! はじめてです!」

「そうか。では、比較的簡単なクッキーやバターケーキにしようか」

「は、はい! よろしくお願いしますっ」

「沙良様ぁ、そんなに緊張しなくても、取って食われたりしませんよぉ」

 ソファでごろごろしながらミリーが茶々を入れると、アスヴィルは彼女を振り返った。

「たまにはお前も……」

「しません」

 言葉半分ですぱっと拒否されて、心なしかアスヴィルは残念そうだ。

 気を取り直したように沙良に向き直って、彼は言った。

「それでは、はじめようか」

 ―――沙良は少しだけ不安になったが、それは口には出さなかった。




 卵をかき混ぜながら、沙良さらは隣で小麦粉をふるいにかけているアスヴィルを見上げた。

 眉間にうっすらと皺を刻んだ厳つい顔に、フリフリエプロンのあり得ない組み合わせにはまだ慣れないが、それでも見た目ほど怖くない人だとわかったからか、沙良の緊張は少し溶けた。

「あのぅ、ここの方たちって魔法が使えるんですよね?」

 アスヴィルは手を動かしながら答える。

「そうだな」

「アスヴィル様も、魔法仕えるんですよね?」

「ああ」

「ちょっと気になったんですけど、お菓子って魔法で作ったりはしないんですか?」

 もちろん沙良は自分の手でお菓子を作りたい。

 だが、魔法が使える人たちが、わざわざ手を動かしてお菓子作りをする必要性はどこにもないのかもしれない、と沙良は思った。

 アスヴィルは手を止めて沙良を見下ろした。

「菓子作りは奥が深い」

「……はい?」

 突然何を言い出すのかと、沙良は首をひねる。

 アスヴィルは真剣な目をして続けた。

「いいか? 魔法は確かに便利だ。もちろん魔法で菓子は作れる。だが、菓子作りは非常に繊細なんだ。混ぜ方、温度、材料の鮮度、微妙な加減で全然味が変わる! そんな繊細な作業を魔法で代用はできない。だから、魔法で作った菓子は、大雑把な味で全く駄目なんだ。菓子は魔法は使わず、己の手で、目で、行わなくてはならない!」

 いきなり熱弁をはじめたアスヴィルに、沙良は目を丸くした。

「あー、相手にしなくていいですよぉ。長いですからぁ」

 この人たまにアホなんですよねぇ、とミリーがソファーでチョコを頬張りながら言った。

 アスヴィルはじろりとミリーを睨んだ。

「人が作ったチョコレートを食べながら何を言う」

「うんうん、お菓子は美味しいですよぉ? 明日はチョコケーキが食べたいですねぇ。今日はあとは今作ってるクッキーでいいですぅ」

「そうか、わかった」

(……ん?)

 もしかして、アスヴィルは毎日お菓子を作っているのだろうか。

 それを、毎日のようにミリーに献上している?

 だが、七侯ななこうの一人で偉いはずのアスヴィルは、それがさも当然と言うように頷いている。

(ミリーって、もしかして、すごいんじゃ……)

 思ったが、いろいろ突っ込んだことを聞くと怖そうなので、沙良は黙って手を動かした。

 アスヴィルは再び小麦粉をふるいにかけながら、ちらりと卵を混ぜている沙良の手元を見た。

「泡立てるなよ」

「は、はい!」

「ある程度ほぐれたら、そこにある砂糖を半分ほど入れろ」

「わかりましたっ」

「……シヴァ様に連れてこられたと聞いた」

 沙良はぴたりと動きを止めた。

 少しばかり心配そうに細められた双眸が、沙良の顔を見つめていた。

「あの方は、少し気難しいが、悪い方ではない」

「は、はい……?」

「大変かもしれないが、がんばれ」

「え?」

 何をがんばると言うのだろう。頑張って生贄いけにえになれと言うことだろうか。

 アスヴィルは小麦粉をふるい終わり、別のボウルでバターを混ぜはじめた。

「今日作るのはチョコチップクッキーだ」

 急に話が飛んだ。

「え?」

「ミリーが好きだからな」

「は、はい?」

「シヴァ様に持って行って差し上げれば、きっと喜ぶと思う」

「―――えっと……」

「ミリーとシヴァ様は、味覚が似ている」

「そう、なんですか……」

 よくわからないが、ミリーと味覚が似ているからシヴァもきっとチョコチップクッキーが好きで、持って行ってあげれば喜ぶから、完成したら差し入れろ、ということか。

 あの仏頂面でクッキーを食べるシヴァを想像しようとして、沙良の想像力は限界をきたした。

 無理だ。

 視線で人を射殺せそうな怖いあの顔で、クッキーを食べている姿は想像できない。

「何言ってるんですかぁ、シヴァ様にあげる分け前なんてありませんよぉ。そんなものがあるなら、全部わたしの胃袋の中ですぅ」

「そこに作りおきがあるから、お前はそれで我慢しろ」

 ソファテーブルの前のクッキーが入った皿を指してアスヴィルが言えば、ミリーが口を尖らせた。

「これ、チョコチップが入ってないじゃないですか」

「かわりに紅茶の茶葉を砕いて入れた」

「また無駄に細かいことをしましたねぇ」

 ミリーは紅茶の茶葉入りのクッキーに手を伸ばした。

「まあ、これはこれで美味しいですから、今日のところは我慢してあげますぅ」

 にこにこと幸せそうにクッキーを食べるミリーを見て、アスヴィルの顔が少しだけ優しそうになる。

「アスヴィル様とミリーは、仲良しさんなんですね」

 兄妹ってこんな感じなのかなと思いながら沙良が言えば、アスヴィルの目元が少しだけ赤くなった。

「あ、ああ、俺たちは……」

「昔からの顔なじみなんですよぉ!」

 ミリーがアスヴィルを遮った。

「……ああ」

 アスヴィルは頷いたが、沙良の目にはどことなく不満そうに見える。

 アスヴィルはため息をつくと、バターを混ぜてクリーム状にしたボウルを沙良に手渡した。

「ここに、卵を少しずつ入れて混ぜていけ」

「はい」

 意外だったが、アスヴィルの教え方は非常に丁寧だった。

 沙良の動作に合わせてくれているのだろう、ゆっくりと次の作業を指示してくれる。

 最後に小麦粉を混ぜ合わせて、薄く伸ばし、星やハートといったクッキー型でくりぬいてオーブンに入れた。

 焼き上がりを待つまで、ソファに座って、ミリーが煎れてくれた紅茶を飲む。

 アスヴィルがフリフリエプロンを脱いでくれたことに少しほっとしつつ、沙良は優雅に紅茶を口にアスヴィルを見やった。

「アスヴィル様は、シヴァ様とも仲良しなんですか?」

「そう、だな……。別に不仲ではない」

「あの、じゃあ、生贄って、どういう殺され方をするかご存じですか?」

「……生贄?」

 アスヴィルはぐっと眉を寄せた。

「なんだそれは」

 アスヴィルの疑問にはミリーが答えた。

「シヴァ様がぁ、沙良様を『生贄』として連れてきたそうですよぉ」

「……ばかな」

「ねー、おバカですよねぇ」

 アスヴィルは眉間に人差し指を当てて嘆息した。横目で沙良を見る。

「……殺され方、か?」

「はい」

「………、聞いて、どうするんだ?」

「心構えとか……?」

「………、それほど、ひどいことはされないと思うが」

「そ、それほど、痛くはないんでしょうか?」

「………………、そういうことは、本人に聞いてみるのがいいかと……」

 どうやら困らせてしまったようだ。

 厳つい顔をさらにしかめて、アスヴィルは助けを求めるようにミリーを見た。

 ミリーはひらひらと手を振った。

「大丈夫ですよぉ、ほら、ミリアム様がシヴァ様を追い払ったでしょ? しばらく手出しはしてこないはずですからぁ。それに、アスヴィル様はシヴァ様と違って、誰かを生贄とか呼ぶ趣味はないですから、聞いたって答えは出ないですよぉ」

「……趣味」

 趣味で片付けられるのだろうか。

 趣味で殺されてはたまらない。

 しょんぼりとうつむいていると、アスヴィルが武骨な手を伸ばして、沙良の頭を撫でた。

 びっくりして顔を上げると、双眸が優しそうに細められている。

「大丈夫だ」

「……はい」

 昨日ここにきて、いっぱい人のやさしさに触れた気がする。



 生贄は怖いけれど、優しくされるのは嬉しくて、沙良がちょっぴり泣きそうになったところで、チンッと軽やかなタイマーの音がして、クッキーが焼き上がった。

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