第9話 潮騒の方へ

 次はどこへ向かうべきなのか。メットンは村を出てから、岩に腰かけてしばらく頭を悩ませていた。

悩みに悩んだ末、今まで足を踏み入れたことのないところに行ってみようと決めたのは、ついさっきのことだ。

未だ行ったことのない場所……それはコンネたちの里までの道のり以外の森と、時折不思議な匂いと音の運ばれてくるところのどちらかしかない。

森へは今までたびたび足を踏み入れてきたためか自然と、不思議な匂いと音のする方へと足が向かっていた。


実は前々から気になっていたその方向は、なんだか大きな音が聞こえる日もあれば、聞こえない日もある不思議なところだった。ナコットなどには「まだ体が小さいうちは行くなよ」と止められているところではあったが——


「……ちょっと行ってみるくらい、いいよね? 」


少しは鍛えられて腕も脚も、そう言われた昔よりはたくましくなっている……はずだし。と、自分の腕をじっと見ながら強引に自分を納得させた。

止められているものの、だからこそあの音や匂いの出どころが気になる。要するに、好奇心に負けたのだった。


もしかしたらまたキミンやキワンがたくさんあるのかもしれない。そもそも、このざざん、ざぶん、という音や独特な匂いは何なのだろう。未知の世界は、気になるものであふれていた。

前のメットンであれば恐らく訪れたこともあるのだろうそこに、なにがあるのか。メットンはこの島の全てを、前のメットンが目にしたもの全てが知りたかった。


「絶対行くな、じゃなくて小さいうちはいくな、って言ってたんだもんね」


自分に危害が及ぶものではないだろう、と意を決し足を踏み出す。その道中にめぼしいキミンやキワンが見当たらないことに少々肩を落としながら歩いて行った。それに比例して耳にするその音が大きくなっているのに胸を躍らせる。

そしてついに視界が開けたその先に見えたのは大きな岩、まっ平に開けて何も見えない土地。今まで聞いたこともないくらい大きな音に、強い匂い。もしかして。


「もしかして、ここに何かいるのかな……⁉」


そう気が付いた途端、大きな岩にへばりつくようにして隠れた。もし、そのなにか——トコントか獣かはわからないが——に見つかってしまったら、どうなるのだろう。もし、その何かがいるから「体が小さいうちは行くな」と止められていたのだったら。この小さな体では太刀打ちできないんじゃないか。ナコットの顔が走馬灯のように思い出される。ナコット。ナコット。どうすればいい?

メットンは震えた。震えに震えて、しばらくの時間が経った。流石に「あれ? 」と思い、岩陰から恐る恐る出て、前方を探ると——


「わっ」


そこは切り立った崖だった。下方には打ち寄せては返す波、存分に水をたたえた海があった。

その崖の端に四つん這いになって風に耐えながら、海を眺める。

はじめはその崖の高さに驚いたが、徐々に眼下に見える海がどんなものなのか好奇心がまさってきた。


こんなに大量の水なんて、見たことがない! 手を加えていないのに流動するのはどうしてだろうか。恐怖心に一旦しぼんだ好奇心が、再びむくむくと膨らんできた。

無意識に下に降りられる場所はないかと目で探し、少々細いながらも下に降りられる石段が崖にへばりつくようにしてあるのを見つけた。じりじりと四つん這いで這いより、石段を下りていく。


一段、また一段と下りるごとに潮騒と潮の香りは強くなっていった。風にあおられながらも、メットンは夢中で下りる。

ようやく石段を下り終えると、そこはさらさらとした細かい砂浜が拡がっていた。足の裏に心地よい感触が伝わり、潮の匂いが充満している。風に包まれるようにしてしばらくの間、メットンは呆けていた。


しばらくすると、ここには何があるのかという興味が出てきた。あまりにさらさらと頼りない地面に足を取られ転びつつも歩いてまわる。

すこし探索するとこの砂浜は、崖に囲まれた僻地だということがわかった。場所もそう広くはなく、コットが作ったようなものも見当たらない。存外あっけなく、すぐに探検は終わってしまった。


「……なんで、ここには体の小さいうちは来ちゃいけないっていわれてるんだろ」


こんなにも綺麗で、風と音の心地よい場所なのに。陽の光に照らされきらきらと光る海面を眺めながら、メットンは呟いた。

ここなら、風に注意すれば見事な景色を見ることができる。風に包まれて、心地よく過ごすことができるじゃないか。


「それはなァ、コットのなかでもちっこいのは波に浚われちまうからだよ」

「ひ⁉ なに⁉ 」

「ここだよ、こーこー」


誰もいなかったはずの砂浜に、突然声が飛び込んできた。メットンが声のする方へと顔を向けると、そこには大きな黒黒とした体を並の間に横たえているものの姿がある。鋭い牙をびっしりと持ち、立派な背びれを持つ巨躯——ジッパ——は、メットンに恐怖を与えるには充分すぎるほどのものだった。


「…………な、なに、」

「おう。なぁんか珍しくちんまいのが来たなと思って、顔を見せてやったんだぜ。」


ジッパは「俺はそうだなァ、ま、ジッパって呼んでくれや」と歯をむきだしてにんまり笑った。

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