09 なんでアンタが

 渚の母は、葵を見ると決まって嬉しそうに、家に入るよう誘う。これは昔から変わらない。


「何その荷物……もしかして!また野球、始めたの?」


 丸い眼鏡の下で、目を輝かせながら言われた言葉に、葵は反射的に返事をした。


「ああ、これ……。またやりたくなって……」


 まさか渚の一言がきっかけで。とは思ってもいないだろう。葵の言葉にさらに嬉しそうに反応する渚の母には、なぜか言えなかった。


「そっかあ〜。またアオちゃんのこと応援できるのね〜。さ、上がって上がって。」



 葵は、招かれるがままに家に入ると、いつも必ず一番最初にすることがある。


 和室にある仏壇の前に腰を下ろすと、そこにある写真をただじっと見つめる。



「……また野球、始めたよ。」



 一通り終えた後に、渚の母が餡子の入った和菓子を持ってきた。これは葵の大好物なのだ。



 それを受け取り、食べようとした途端、玄関のドアが開いた。


「ただいま〜。」


 その声の主は、渚だった。自主練を終えて帰ってきたのだろう。先程までのユニフォーム姿ではなく、ジャージに着替えていた。渚は、葵の顔を見るや否や、とても不機嫌そうな顔をする。


「なんでアンタがいるのよ!」


 これも葵にとっては、聞き慣れた言葉だ。その言葉は心の底から、本気で口にしていることではないと理解したのは、葵が中学三年に上がってすぐの頃であった。


「お菓子食べにきた。」


「じゃあ、食べたらすぐ帰ってよね。」


「へいへい、お邪魔しました。」



 まだ食べ終えていなかったが、荷物を持ち、家を後にする準備をする葵に、渚が珍しく自分から、話しかけた。その目は先程見せた不快なものとは、変化していた。


「……まだ、さっちゃんのトレーニング、続けてたんだ。」


「まあな。でも別に野球するために続けてたわけじゃねえよ。あれがいつの間にか、日課になってたんだ。」


「でも、あの球じゃ甲子園には行けないわよ。」



「行けるさ。そのうちな。でもまた野球をやろうって思ったのはお前のおかげだ。この前はありがとう。」


「アンタにありがとうって言われると、なんか寒気するんだよね。」


「じゃあ、今日は腹出して寝るなよ。」




 そうして葵はその場を後にした。家を出て、靴を履き直し、少し離れた自宅へ向かい、走り出す。

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