第74話 そして、従者が拗ねる

「酷いと思わないか? 魔国に戻って休みがとれるチャンスなのに自分一人だけ転移で帰るだなんて」


 などとやるせない様子で語っているのはセシリアの従者であり、魔族のバルターだ。紫色の髪に整った顔立ちが特徴的。


 セシリアがマンドレイクを魔国に持ち帰った翌日。


 一人でどこかいじけた様子の彼を見て、声をかけた次第だ。


「お嬢様が小さな頃からお仕えしているのにこんな扱いだなんて!」


「まあまあ、セシリア様もマンドレイクを早く持ち帰ることでいっぱいだったんですよ」


 愚痴を吐いているバルターを宥めたのは、セシリアの部下の一人のエルトン。


 羊のような角に柔和な顔立ちをしている魔族だ。


 こちらはバルターとは違って、置いていかれたことを気にしている様子はないようだ。


 バルターのような従者ではなく、部下として一線を引いているので気にしていないのかもしれないな。あるいはこういう事に慣れているのか。


 どちらにせよ二人分、宥める必要がなくて安心だ。


「魔王が収穫できたらすぐに持ってくるように言っていたからな」


「魔王様がそう仰っていたのであれば仕方がないのかもしれないな」


「なにせ魔王様の命ですからね」


 魔王の命というのは中々に重要らしく、これにはバルターもどこか納得しているような雰囲気だ。


 思えば、魔王って魔国の中で一番偉い奴だからな。そんな奴の命令を真っ先に優先し、遂行したんだ。多少、漏れがあっても仕方がないだろう。


「魔国で休暇を送れなくても、セシリア様がいない分こっちでゆっくり過ごせるじゃないですか」


「まあ、それもそうだな。お嬢様と一緒に帰っていたら、何かと雑用を押し付けられる。お嬢様が家にいないと物で散らからないし掃除も捗る。それに凝った料理を作らされずに済むし……」


 エルトンがそのように言うと、バルターの口から日常生活での不満が出てくる。


 まるで子育てをしている母親のようだと思ってしまうが、セシリアの世話をするのも従者の役目なので母親のような事をしているのだろうな。


 気品はあり、しっかりとしているようであるが、家では意外とだらしがないようだ。


 ここで聞いたことをうっかりと喋ってしまうと、バルターがチクったとバレるので記憶の奥に封印しておこう。


「わかりますわかります。それに食事もこっちの方が美味しいですからね」


「嬉しいことを聞いたな。魔国で食べるものよりも、こっちでの食事の方が美味いのか?」


 死の樹海から一度も出たことがないので、外の食事がどれだけ美味しいのかわからなかったので感想には興味がある。


「魔王様のような高貴なお方の召し上がる料理はわかりませんが、私が普段魔国で口するものよりも、こちらの食事の方が何倍も美味しいですね」


「それについては同感だ。屋敷で食べる賄いよりもここの食材を使った料理の方が美味い」


 エルトンだけでなくバルターまでもハッキリと言ってのけた。


 セシリアは貴族なので、屋敷で食べる賄いもそこらの庶民の料理よりも美味しいはずだが、それよりも上だと断言してくれている。食材の味が違うと。


「そうか。それは嬉しいな」


 ここまでハッキリと言われると、農家としても誇らしく嬉しいな。


 自分たちの育てた作物を食べてそんな風に言ってもらえるとは。これだから農業生活はやめられないな。


 感慨深く思っていると空が少し暗くなってきた事に気付いた。見上げると青い空を覆い隠すように灰色の雲が出てきている。


 樹海の天気は変わりやすい。


 こういった風に急に雲が出てきてしまった時は、経験上大抵雨が降ってくる。


「すまない、雨が降りそうだから干している稲を屋内に避難させに行く」


「ああ、それだったらオレも手伝うぞ。どうせ暇だからな」


「私もお手伝いします」


 どこか自虐的な笑みを浮かべるバルターと、穏やかな笑みを浮かべるエルトン。


 エルトンと共に宥めてみたが、まだ心に引っかかる部分があるようだ。


 だけど、今それを宥める時間はない。今すぐってことはないだろうが、ゆっくりしていると降られてしまう。


 せっかく乾かしているのだ。ここで濡らしてしまってご飯を食べるのを遠ざけたくない。


 バルターとエルトンだけでなく周囲で警備していたレント、レン次郎、レン三郎にも協力してもらって天日干ししていた稲を臨時で作った小屋に運び込む。


 乾燥させている間にこういった悪天候も予想して、稲を避難させる小屋を作ったのだ。


 俺たちでせっせと稲を避難させていると、周囲で仕事をしていたエルフや獣人たちも察してくれたのか手伝ってくれた。大変ありがたい。


 そんな協力もあってか天日干しされていた稲は、すべて小屋へと避難させることできた。


「……まだ稲は乾いていないな」


 稲を触りながらそれぞれの乾燥具合を確かめる。加護のお陰で大体の水分量がわかる。


 まだ脱穀作業に移るのは早い。


 乾きにムラが出ないように、束ねた稲の間隔を指で開けて微調整しておく。


「ハシラはここにいるか?」


 小屋にある稲をいじっていると聞き覚えのある声を投げられた。


 振り向くとそこには魔国にいるはずの魔王とセシリアがいた。


「魔王とセシリアじゃないか。急にどうしたんだ?」


 魔王がフラッと転移でやってくる事は多いのでそこまで気にしないが、実家で休暇を満喫していると思っていたセシリアまでいるのは意外だ。


「先にお前の用事から済ませるといい」


「では、失礼しまして。ごめんなさい、バルター。マンドレイクを一刻も早く魔国に持ち帰ることで頭がいっぱいで貴方を置いていってしまって」


「お嬢様! わざわざオレのために迎えにきてくれて……っ!」


 セシリアが謝るとバルターは感激の表情を浮かべていた。


 仕えている主人にほったらかしにされていた事で拗ねていたからな。そんな主人がわざわざ自分のために迎えにきてくれたとあって嬉しいのだろう。


 俺とエルトンの慰めは無駄であったが、バルターがそれで幸せなら文句は言うまい。


 感激した様子のバルターを見ると、セシリアはエルトンに向き直る。


「エルトンもいかがです? 魔王様から特別に休暇がもらえましたので、魔国で休むことができますわよ?」


「それならば、私はこちらでゆっくり過ごせればと」


 なんだかんだとエルトンも迎えに来られれば、魔国に戻ると思っていたのでこの返答が意外だった。


 セシリアも少し驚き、魔王は面白そうに口角を上げている。


「いいんですの? この機会を逃せば、またしばらくは魔国に戻れませんよ?」


「構いません。私には魔国に近しい家族もいませんので」


「……そうでしたか。貴方がそう決めたのであればそれで構いませんわ」


「お気遣いありがとうございます」


「それではお先に失礼いたしますわ」


 セシリアは優雅にスカートを摘まむと、バルターを伴って転移していった。


「エルトンはここの生活が気に入ったか?」


 すると、魔王がなんとも答えにくい直球な質問をする。


 エルトンは城で働く魔族だ。言えば、魔王は会社の社長に等しい。


 そんな人物から他所の方がいいのか? などと言われて首を縦に振れるものだろうか。


「はい、とても気に入りました。仕事が落ち着けば、魔国にある家を売り払って完全に移り住もうかと思っております」


「フハハハハ! 我を前にしてそこまで正直に言うとはな! まあ、ここは面倒なしがらみもなくて飯も美味いから仕方がない!」


 臆することなく言い切ったエルトンを前に、魔王は楽しそうに笑った。


 うん、魔王はそんなことで怒るような奴ではないしな。何となくこんな風に笑い飛ばすんじゃないかと思っていた。


「それでは私はお先に失礼しますね」


「ああ、手伝ってくれてありがとう」


 魔王がひとしきり笑うと、エルトンは空気を読んだのか小屋から出ていってくれた。


「おいおい、我は魔王だぞ? あんなにハッキリと他所がいいって言うものか?」


 エルトンがいなくなると魔王は驚いたとばかりの、どこか素の混じった声で小さく言う。


 そう聞いたのは魔王じゃないか。


 まあ、なあなあで受け流さず、真正面から答えたエルトンもエルトンだけどな。


「それより今日はどうしたんだ?」


「ああ、早速届けてくれたマンドレイクの礼を伝えにな」


「セシリアから少し聞いたが、薬にするのに問題はないか?」


「ああ、どれも見た事がないほどに鮮度が高く、お陰で十分な数の治療薬が作れる。これもハシラのお陰だ。どう礼をしたらいいものか」


「お礼は次の交易で大きく色をつけてくれればいい。あるいは珍しくて美味しい作物を持ってきてくれるとかな」


 育てられる食材が増えたとはいえ、まだまだ食べ物の種類は十分とはいえないからな。


 マンドレイクのような植物も面白いが、次は食べられる希少品を育ててみたい。


「わかった。いくつか思い当たるものがある。次回の交易までに取り揃えておこう」


 どうやら心当たりがあるようなので次の交易を楽しみにしておこう。


「しかし、ここに干しているのは雑穀だと聞いたが、もう実ったのか?」


「ああ、ゼノンマンティスの魔石を肥料にしたらたった一日半で収穫することになった」


「もう色々とぶっ飛びすぎてどこから突っ込んでいいのかわからんぞ?」


 魔王からすればゼノンマンティスの魔石を使ったこともそうだし、一日半で収穫までいったことも突っ込みたいのだろうな。


「ここからハシラの言っていた米とやらになるのか?」


「ああ、ここから加工して最終的にはきちんと食べられる食材にする」


「それはいつ頃できるのだ?」


「雨が長く続かなければ一週間後くらいだな」


 雨が三日や五日も続けば延びるが、一日しか降らなければそれくらいで乾燥が終わる。


「それなら一週間後に食べにこよう! 雑穀がどのように変わるか興味がある!」


「そう言うと思った」


 わざわざそのためにやってくるとは、相変わらずフットワークの軽い魔王であった。






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