第66話 蜂蜜採取の役得

「ひゃっ!」


 突然現れた魔王を目にしてイリスが驚きの声を上げた。


「魔王、交易の準備のために国に戻ったんじゃないのか?」


「そうであったが、ハシラの欲している米とやらが、これで合っているのか確認をしたくてな」


 魔王はそう言って布袋に入ったものを渡してくる。


 袋を開けてみると、中にはもみ殻のついた茶色い米粒がたくさん入っていた。


 サラサラと手に取ってみるとわかる。間違いなくこれはお米だ。


「ああ、これで間違いない」


「そうか。それはともかく面白いことをしようとしているな?」


 確認がとれたので帰ってもらってくれて結構なのだが、魔王はすぐに帰るつもりはないようだ。俺たちの蜂蜜採取に混ざろうとしているらしい。


「……なんで私たちがいるとわかった?」


「そ、そうですよ。一体、どうして?」


「我は魔王だ! お前たちほどの適性はないが闇魔法にも精通しているのでな」


 どうやって気付いたかはわからないが、イリスとクルスの隠密を見抜いて付いてきたようだ。


「見破られるなんて悔しいです」


「……黒兎族として屈辱」


 隠密を他人に見破られるのは彼女たちからして悔しいことなのか。


 突出している能力があるからこそのプライドというやつか。


「俺たちを見破ることができてよかったな。さあ、もう楽しんだだろう? 交易を纏めるために帰ってくれ」


「待て待て。この流れでそのような冷たい事を言うでない! そっちがそのような態度であれば、こちらにも考えがあるぞ?」


「考えというのは?」


「クレアとリーディアにちくる」


 思いのほかやることが小さい魔王であった。でも、今の俺たちにはそれが一番何よりも恐ろしい。


「しょうがない。魔王も蜂蜜の採取を手伝わせてやろう」


「うむ、平和が一番だ」


 互いに争っても意味はない。蜂蜜のことを知ってしまった以上は仲間に引き込んでおくのがいい。


 しっかりと握手を交わして俺と魔王は平和協定を結んだ。


 問題がなくなったところで俺たちはヘルホーネットの巣箱に近付く。


「既に巣の中にいる個体は退避させています。遠慮なく巣を取ってください」


「そうか。それなら、遠慮なく採ってしまうか」


 唯一の懸念事項が解決されたので遠慮なく置き石をとって、上蓋を取り払う。


 すると、巣箱の中には大きな蜂の巣が何層にも重なっていた。


 付着している橙色の蜜がとろりと垂れている。


「ふわあ、美味しそうですね」


「……甘い香り」


「垂れ蜜の採取の前にせっかくだから少し食べることにしよう」


「うむ、我も賛成だ」


 採取も必要だが、その前に味見も必要だ。これはつまみ食いなどではなく、採取をする者のみ許された特権なのである。


 重箱の上段の一つを取って、そこにある巣を少し手で千切らせる。


 俺も自分の分を少し千切ると、巣の中に濃密な色をした蜂蜜が溜まっていた。


 そのまま口に入れると、蜂蜜の濃厚な甘さが口の中に広がる。


「最高の甘さだ」


 前に採取したものをちょいちょいと食べているが、やはり採れ立てのものは最高だな。


「美味しい!」


「……美味」


「疲労が吹き飛ぶような甘さだ」


 イリスとクルスは夢中になって食べ、魔王はジーンと感動するような面持ちだ。


 色々と仕事があって疲れているんだろうな。ここに遊びにくる回数も増えていたし。


 美味しい蜂蜜に全員が夢中になっているために会話はない。


 だけど、そうなってしまっても仕方がない美味しさだ。目の前の美味しいものに集中する。いいことだ。


 俺も味を噛みしめながらチビチビと蜂蜜を食べる。


「そういえば、ヘルホーネットの巣は食用なのか?」


 前世でも食べられる蜂の巣があったが、それはあくまで食用として育てられたものなどだ。


 普通の蜂の巣は食べることができないというのが一般的、あるいは食べても美味しくないものが多い。


 今のところ怖いので巣は避けて食べているが、どうなのだろう?


「ああ、巣も含めて美味しく食べられる珍味だ」


 そんな俺の疑問に答えながら、サクサクと巣を食べる魔王。


 まるで、クッキーのような軽快な食感がしており、一緒に食べると美味しそうだ。


 それを真似て巣ごと食べてみると、サクッとした食感と甘い蜜の味がする。巣にそれほど強い味はないが、一緒に食べると食感がとても面白くていいな。


「さて、ある程度食べたことだし採取に移ることにしよう」


「……もうちょっと食べちゃダメ?」


「我ももっと食べたいぞ」


「わ、私も食べたいです」


 幼いクルスに便乗して、魔王とイリスも頼み込んでくる。


 イリスとクルスは可愛らしいが、魔王は目をうるうるとさせても全然可愛らしくない。


 こういう時は無理矢理ダメというより、仕事の報酬として与える方がいい。


「垂れ蜜を採取した時に、取れてしまった巣なんかは食べるしかないな」


「よかろう! 我が巣に切れ込みを入れてやろう!」


 そう言って、垂れ蜜を採取するための木箱を生やすと、魔王が懐から立派な短剣を取り出して一番にやろうとする。


「ああ、魔王さんズルいです!」


「……私もやる」


 君たち、随分と仲がいいね? ついさっき初めて話した間柄だと思うんだけど。


 今となっては、まるで叔父さんと姪っ子のような気安さだな。


 まあ、仲がいいことは良いことだ。


 喧嘩しそうになっているイリスやクルスにも短剣を渡すと、大人しく巣に切れ込みを入れ始める。


 巣を三枚に下ろすように切れ込みを入れ、箱をひっくり返して下からも同じように巣に切れ込みを入れる。


 そうすることで。純度の高い蜂蜜だけが重力に従って箱の中に落ちるのだ。


 それが完了すると一日放置しておき、次の日に残った分の蜂蜜を圧搾する。


 これが一般的な蜂蜜採取の流れだ。


 切れ込みを入れる際に多少の巣や蜜が外れてしまうのはよくあることだ。それを黙認する形で三人はちょいちょいと蜂蜜を食べていた。


 俺も同じようにしながらシレッと蜂蜜を食べる。うん、やはりヘルホーネットの蜂蜜は最高だな。


 つまみ食い……じゃなくて味見しながら作業に没頭していると、不意に後方からブウウンという羽音が聞こえた。


 振り返ると、テンタクルスの背中に乗ったリーディア、クレア、カーミラ、アルテたちがいた。


 言わずと知れた、ここの住民の甘党たちである。


「ちょっと~~! なにあなたたちだけ割のいい仕事しちゃってるのよ!」


「父上もシレッと混ざってズルいのだ!」


「こちらは大変な取りまとめをしているのに納得できません」


 甘党たちの一斉のブーイングが巻き起こる。


「……バレないように気配を消していたのに」


「気配は消せても、その芳醇な蜂蜜の香りは誤魔化せないわよ!」


 イリスたちの魔法で気配を消して作業をしていたが、拡散する蜂蜜の香りは誤魔化せなかったようだ。


 というか、畑の方まで結構な距離が離れているというのに、どんな鋭敏な嗅覚をしているというんだ。




 結局、俺たちだけお楽しみをしているのがバレて、甘党たちに小一時間嫌味を言われたあげく、次の蜂蜜採取権を失うことになった。


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