第65話 黒兎族の魔法

 魔国との交易が決まったので、輸出することになった作物を一斉に収穫することになった。


 セシリアがリストにあるものを読み上げて、リーディアやエルフ、獣人たちが収穫にとりかかる。


 いきなりの大作業に獣人たちは驚いていたようだが、収穫するのは楽しいらしく無邪気にやってくれる。


 見慣れない作物の場合はエルフが一緒に付き添って、作物の収穫方法を丁寧に教えていた。


 突然であったが、農業の楽しさと知識を一気に吸収できるので悪くはないだろう。


 収穫したものは次々と木箱に積み込まれていき、それをクレアが整理していく。


 後は規定量に達したらセシリアが転移で魔国に送ってしまうだけだ。


 魔王はこちらへの輸出品を準備するために転移で魔国に戻った。


 あちらも準備が整い次第、交易品を送ってくれることだろう。


「本当に転移魔法というのは便利だな」


 行ったことのある場所であれば、瞬時に移動できるなんて便利過ぎる。


「うわっ! 大きな蜂!?」


 収穫作業を手伝いながらそんなことを考えていると、近くで作業していたイリスが飛び跳ねた。


 黒兎族だからだろうか。跳躍距離が凄まじく、一瞬にして二メートルも後退していた。


「大丈夫。これはヘルホーネットの女王で一緒に暮らしているんだ」


「ハシラ様の庇護下に入っております。皆様に危害を加えることはありませんのでご安心を」


「そ、そうなんですね」


 ヘルホーネットがぺこりと頭を下げて挨拶をすると、イリスは引きつった顔で相槌を打った。


 ヘルホーネットの存在を周知はしていたが、テンタクルスやマザープラントたちと違って、人目につかない場所にいたので初めて目にして驚いたのだろう。


「……大きな蜂。それに喋ってる」


「君は驚かないんだね」


 イリスと違って、眠たげな瞳をしている黒兎族の末っ子は、驚くことなくぼんやりと見つめていた。


「……クルス」


 これは名前で呼んでほしいという意味だろうか。表情があまり動かないので少し読み取りづらい。


「クルスは平気なんだ」


「……このレベルの魔物に、接近された時点で終わりだから抵抗しても無駄」


 どうやら幼い見た目以上に冷静というか、達観した感性をお持ちのようだ。


 彼女の力量を知らないので何ともいえないが、冷静に考えればそうなのかもしれないな。


「それでどうしたんだ?」


 ヘルホーネットの女王が巣から出てくることは、あまりないので何か用件があるのだろう。


「収穫するのに十分な蜜ができましたので、それをお知らせにきました」


「おお、遂に蜜が採れるようになったのか!」


「はい。ハシラ様の庇護に入ってから外敵に怯える必要もなく、悠々と蜜を採取できるので想像よりも早く巣を作ることができました」


 快適な環境で過ごすことができて、作業効率が上がったと捉えていいのだろうか。


 何にせよ、ヘルホーネットたちは快適に過ごせているし、蜂蜜も速く作れるのでいいこと尽くめだな。


「そうか。それじゃあ、早速蜂蜜を採取しないとな」


「蜂蜜……」


「……美味しそう」


 俺たちの会話を聞いていたのか、イリスとクルスが付いていきたそうな顔をしている。


 樹海では滅多に口にすることのできない甘味だ。彼女たちも手伝いと称して相伴に預かりたいと思うのも当然か。


 どっちにしろ一人で収穫するのは大変なので人手はいる。


「イリスとクルスも手伝ってくれるか?」


「「喜んで」」


 俺が小さく囁いて頼むと姉妹の控えめな声が綺麗に揃った。


 収穫作業をこっそりと抜け出し、イリスとクルスを連れてヘルホーネットの巣箱に向かう。


「巣箱に向かうのにバレないようにしないとな」


「どうしてです?」


「……そんなの皆が蜂蜜大好きだからに決まってる。蜂蜜の採取をするとなれば、誰もがやりたいと言い出す」


「クルスの言う通りだ。特にリーディアやクレアには見つからないようにしないといけない」


 しかし、あの二人は収穫作業の中心にいてよく周りを見ている。あの中を違和感なく潜り抜けるのは中々に難しい。


「それならいい魔法があります!」


 イリスはそう言うと、ブツブツと呪文を唱え始めた。


 すると、黒い魔力がイリスの身体を包み込んだと思ったら、目の前にいた彼女が消えた。


「イリスはどこに?」


「……目の前にいるよ。闇魔法でいないように錯覚させているだけ」


 傍にいたクルスに言われると、突如目の前にイリスが姿を現したように見えた。


「消えて、また現れた?」


「……私の言葉を聞いて、イリスがそこにいるという認識を持てたから見つけることができた」


「これが私たち黒兎族の得意な魔法なんです」


 なるほど。そこにいるという認識や確信がなければ、視認することができないのか。凄まじい隠密能力だ。黒兎族が諜報活動や暗殺者として利用されるのも納得できるような気がした。


「二人がいれば、蜂蜜も採り放題だな」


「ふふ、私たちの応力を目にしてそんなことを言う人間は初めてよ」


「……ハシラはいい人」


 そんな風に言われると恥ずかしい。


 別に俺はそんなことをして欲しいと思わないだけだ。ここは人の関りがほとんどない樹海の中だからな。


「ハシラさんとヘルホーネットさんにもかけますね」


「ああ、頼む」


 イリスとクルスに闇魔法をかけてもらう。


 黒い魔力が身体を一瞬包み込んだ感じがしたが、それだけでいたって自分の身体は普通だ。


「このまま目の前を通り過ぎても大丈夫なのか?」


「少し離れていれば大丈夫です。そこにいると勘付かせるようなことをしなければ」


 イリスの助言に従って、収穫しているアルテやリーディアの近くを通り過ぎてみる。


 が、闇魔法のお陰でこちらを認識することができず、まるで存在に気付いていないようだった。


 収穫した作物を取り仕切っているクレアも同じで、視界に入る範囲を通っていこうが何ら気付いた様子はない。


 まるで透明人間になったような気分だ。ちょっと悪戯したくもあるが、ちょっかいをかければそこに何かがいるという確信を持たれてしまうので効力は消えてしまうだろう。少し残念だ。


「うん?」


「どうかしましたかお嬢様?」


「いや、何か妙な違和感がしてな……何でもない。気のせいだ」


 どうやらカーミラはギリギリ俺たちの存在に気付いていないよう。


 しかし、これ以上違和感を抱かれると気付かれてしまう可能性があるので、俺たちはそそくさと家の裏に回る。


「ふう、ここまでくれば滅多に人がこないから安心だな。それにしても、一瞬カーミラに気付かれそうじゃなかったか?」


「たまにいるんです。ああやって動物的な勘が鋭い人が……」


 まあ、カーミラは野性的な勘が鋭いところがあるからな。何となくイリスの言い分に納得できた。


「……すごく驚いた」


 そう言う割にはクルスの表情はまったく変わっていないのだが……相変わらず表情が読みにくい子だ。


 それはともかく、こうして誰にも見つかる事もなくヘルホーネットの巣にたどり着くことができた。


「よし、早速蜜の採取をするか」


「はい!」


「うむ、我も楽しみだ!」


 イリスとクルスの元気な返事と、聞き覚えのある男の声が追加で響いた。

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