第52話 麦踏み

「ねえ、ハシラ。麦を植えてもいいかしら?」


 マンドレイクの畑を作ったことを周知させた後、リーディアが尋ねてきた。


「麦? 前にクレアが持ってきた作物の中にはなかったはずだが?」


 クレアに頼んだ時に、麦は持ってくるように頼んでいなかった。


 理由は乾燥させたり、脱穀したりと手間がかかるからだ。


 前世のように機械で一気にやれるのであればいいが、その時は人手が四人とレント一人だ。


 主食としての役割を果たせるモチモチの実があったこともあり、人手が足りないので頼まなかったのである。


「セシリアが持ってきてくれたのよ」


「ええ、食料の足しになるかと思いまして」


 傍にいるセシリアが腕を組みながらどこか自慢げに言う。


 なるほど、食料品として自前で持ってきてくれたのか。


「人手も増えたことですし、育ててもいいのではないかと」


「それもそうだな。じゃあ、セシリア。いくつか麦を分けてもらえるか?」


「ええ、構いませんわ。ライ麦などもありますので、そちらもどうぞ」


 セシリアが鷹揚に頷くと、後ろにいた従者が家に走っていった。


「おお、麦が育つということはパンも食べられるようになるのだな!」


「モチモチの実にすっかり慣れちゃったけど、主食が増える分には困らないしね」


 確かに。モチモチの実があるとはいえ、パンだって食べたいし、ご飯だって食べたい。主食が多いと料理も豊かになるのでいいことだ。


「新しく耕した畑を使ってもいいかしら?」


「ああ、大丈夫だ」


 そう頷くと、リーディアをはじめとするエルフたちが麦の種蒔きにとりかかる。


「なあ、ハシラ」


 呼びかけられたので振り返るとドルバノとゾールがいた。


「工房や炉を作るための材料を採りに行きたい。護衛としてガイアノートとそこの転移魔法の使える魔族を連れていってもいいかの?」


「そうだな。石材とかはかなり重いし、セシリアが今後転移できるようになっておいた方が便利だしな」


 転移魔法をその場所に行ったことがある、もしくは視認できないと使えないと魔王から聞いた。今後セシリアが動き回るためにも、色々な場所に転移ができるようにしておいた方がいいだろう。


「ええっ!? 本当に外に行くんですの!?」


 樹海の外が恐ろしいのかセシリアが驚愕する。


「お前さんは転移魔法が使えるからここに派遣されたと自慢げに言っていたではないか。だったら、それを使って役に立ってみせろ」


 ドルバノの台詞を聞いてセシリアが助けを求めるような顔を向ける。


「ここと国を行き来するだけじゃなく、できればそういう活躍もしてほしい」


「そ、そんなっ!?」


 残念ながら国とここを行ったり来たりするだけの駐在員はうちには不要だ。


 そういう契約をしているならまだしも、魔王は移住者と言っていたからな。こういう使い方をしても問題ないはずだ。


 ここに住む以上はセシリアもきっちりと働いて皆の役に立ってほしい。


「レン次郎とレン三郎を、この三人の護衛をしてあげてくれ」


 そう声をかけると、二体はこくりと頷いてくれた。


「ほれ、ハシラの許可もとれたことじゃし行くぞ」


「早く、工房を作って物を作らんと酒が造れんからの」


「ちょ、ちょっとお待ちになって! まだ心の準備がっ! く、クレアっ!」


 ドルバノが腕を掴んで引きずる中、セシリアが縋るような視線をクレアに向ける。


「行ってらっしゃいませ」


 助けを求められた本人はにっこりと笑みを浮かべて見送った。


「なんだかんだクレアを頼るんだな」


「そこがセシリアの可愛らしくて面白いところです」


 普通は嫌っている人を頼ったりしないしな。なんだかんだと仲がいいのだろう。






 ◆




 セシリアを見送った俺は、リーディアたちのいる畑に向かう。


 そこではエルフたちが並んで種を撒いているところだった。


 イトツムギアリの編んでくれたロープを引いて、そこに沿うように真っすぐに植えているようだ。


 パラパラと種を植え終えると、鍬で軽く土を被せていく。


 すると、エルフたちが水魔法を使って、軽く水を撒いていく。


 魔法が得意な種族だけあって当たり前のように魔法が使えるようだ。便利そうで羨ましい。


「土に魔石を撒いてくれる?」


「魔石ですか? それになんの意味が?」


 リーディアから魔石を渡されて、アルテが小首を傾げている。


 外ではここのように魔石が肥料にならないらしく、その反応が当たり前らしい。


「それを撒くと肥料になって育ちがよくなるのよ」


「は、はぁ……」


「いいからやってみて」


「わかりました」


 リーディアの説得もあって、アルテたちエルフはおずおずと魔石を麦畑に撒いていく。


「あ、あれ? 魔石が地中に埋まって……消えた?」


 撒かれた魔石が地中に埋まって驚くエルフたち。


「ハシラ、いつものお願い!」


「わかった」


 リーディアに頼まれて、俺はいつものように成長促進の力を使う。


 土が翡翠色に輝くと、そこから芽が出てきた。


「信じられません。もう芽が出てきました!」


「この力があれば、作物をすぐに育てることができますね」


「季節に関係のない作物は生えているのも納得です」


 植えた途端に芽が出てくる光景が不思議だったのかエルフたちから驚きの声が漏れていた。


 うちの畑には季節違いの作物もたくさん混ざっているからな。秋や冬に育てるべき作物がすくすくと育っていれば訝しむのも無理はない。


「これだけ育っていればもう麦踏みができそうだな」


「植えてすぐに麦踏みをするっておかしいわよね」


 リーディアがクスリと笑いながら言う。


 麦踏みというのは麦の苗を踏んで茎を折り、傷つけることで水分を吸い上げる力が弱まり、麦の内部の水分量が減って寒さや乾燥に強くさせることだ。


 今回は能力のお陰で季節に関係なく植えており、寒さに備えさせる必要はない。


 だが、麦踏みには根の成長や増加を促進する効果があったり、足で踏むことで盛り上がった土をしっかり押さえ、しっかりと土に根を張らせ、真っすぐ伸びる丈夫な麦を育てることができるのだ。やっておいて損はない。


 早速、麦踏みをすることになったので全員がぞれぞれの列について踏んでいく。


 小刻みに苗を踏みながら少しずつ前へ進んでいく。


 懐かしいな。前世の田舎でもこういう麦踏みの風景は季節の風物詩でもあったな。


 仲良く家族で麦を踏んだっけ。


「おおおおい!? ハシラ、リーディア!? オマエたち何をやっているのだ!?」


 呑気に麦踏みをしていると、違う畑の作業をしていたカーミラが血相変えた様子でやってきた。


 出てきた芽を踏んづけている俺たちの行動が信じられないのだろう。知識がないと驚いてしまうのも無理はない。


「これは麦踏みっていって、麦を強く育てるための方法だよ。決して遊んで麦を傷つけているわけじゃないさ」


「そうなのか? じゃあ、他の作物も踏んづけてやれば強く育つのか!?」


「いや、これは麦をはじめとする一部の作物だけの特性だから、他のものにはしないでくれ」


「そうか。それは残念だ。なんだか楽しそうだからアタシも混ざってもいいか?」


「ああ、おいで」


 麦畑は広いので人数が多いほど麦踏みも早く終わる。


 俺がそう言うと、カーミラはこちらにやってきて隣の列に陣取る。


 しかし、右足を踏み出そうとしてピタリと動きが止まった。


「どうした?」


「……いざやろうとしたら芽を踏むことに躊躇いがだな……」


「あー、その気持ちはわからなくもないな」


 大事にするべきものだからこそ傷つけたくないと思ってしまう。


「踏んで傷つけるというより、足で押して刺激を与える。マッサージみたいに考えればいいんじゃないか?」


「おお、父上の背中を足でマッサージするようなイメージだな!」


 カーミラの言葉に思わずほっこりとしてしまう。


 何かと物騒なイメージのある魔王一家であるが、普通に平和で家庭的な一面もあるんだな。


 カーミラは俺の考え方がしっくりときたのか、憂うことなく麦を足で踏んでいった。

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