第8話 燻製小屋
異世界に転移して三日目の朝。
俺は今朝から焼き肉を食べるという贅沢をしていた。
前世では朝といえば、忙しく出勤して満員電車に揉まれ、適当なおにぎりやパンなんかで済ますことがほとんどだった。
それが異世界にくると、朝からゆっくりと焼き肉だなんて環境が変われば、生活も大きく変わるものだな。
しみじみと思いながら昨夜と同じように鹿の背ロースを味わう。
だけど、やっぱり一人で食べるには多すぎるな。
ほんの一部だけに過ぎない背ロースだけでもかなりの量がある。
チマチマと食べていたらあっという間に他の肉が傷んでしまう。塩があれば塩漬けにして保存できるのだが、ないものは仕方があるまい。
全部食べ切れないのは決定事項だろうが、せめて鹿のためにも無駄が出ないように食べよう。
背ロースを食べながら鍋で湯を沸かして、その中にクビ肉やモモ肉をいくつか投入。
こうやって火を通しておけば生よりもずっと傷みにくいだろう。
しかし、それでも肉は大量に余る。俺一人に対して肉が多すぎるのだ。
「なら、残りは燻製にするか」
猟師のおじさんの家の傍にも燻製小屋はあった。
俺の力を使えば簡単に燻製小屋を建てることができるし、香木も生やすことができる。
それなら燻製するのが一番だろう。
そうと決まれば早速に行動だ。朝食を食べ終わると俺は家の裏に回る。
解体小屋から少し離れた場所に木を生やして燻製小屋を作る。
簡単なスペースの小屋なのであっという間に作れた。
とはいえ、中心部分では火を使うためにすべてが木材というのも怖い。
「ちょっと石を取ってきてくれる?」
俺がそう頼むと、ゴーレムは昨日切り出した石材を持ってきてくれた。
火の場所を囲うようにして石材を置いていく。
これならもし、火が大きくなっても引火を防いでくれるだろう。
さて、通常ならば本棚のように段差をつくって網を敷いていくところであるが、そんな便利なものはないので、天井から吊るすタイプにしよう。
上から丈夫な蔓を生やして、鹿肉に括り付けてぶら下げる。
そして、中心分の床に香木を生やしてみる。
どうやら広葉樹の一種でさくらのような香りの強いもののようだ。
神具を鉈に変形させて、香木を割ってスモークチップにしていく。
俺は鉈を使わないと割れないけど、ゴーレムは普通に指で握り潰して小さくしていた
本当に君の力は頼りになるよ。なり過ぎて俺がヒモになってしまいそうだ。
ほどなくしてスモークチップが完成すると、囲炉裏のように小屋が燃えないようにして火をつけた。
今回は塩漬けをしていないので風乾もしない。後は半日ほど燻せばいいだけだ。
とはいえ、手作りの燻製小屋だけあってか引火するのが怖い。
「しばらくこの小屋を見張っていてくれるか? 小屋に火がついたりしたら、すぐに教えてくれ」
念のために燻製小屋をゴーレムに見張ってもらうことにした。
燻製小屋の方はゴーレムに任せて、俺は畑に移動する。
加護の力を使ったせいか、畑の作物の成長は目に見えて早い。
それと共に雑草なんかも生えてきているようなので、それを抜くことにする。
畑仕事の地味な作業といえば雑草抜き。長時間、腰を曲げて小さな雑草を抜いていくのは退屈で辛い。
しかし、今の俺には植物神の加護がある。
植物に干渉できるので相手が同じ植物であればちょちょいのちょいだ。
俺は杖が杖を振るって念じると、畑に生えていた雑草がにゅるにゅるっと押し出されて抜けた。
後はそれを籠に回収して捨ててあげるだけ。地味で時間のかかる作業があっという間だ。
雑草の除去が終わると、育てている作物の確認だ。
グラべリンゴとピンクチェリーは長い年月がかかるものだからか成長が微かだな。
でも、たった一日でも成長が見えるのは加護が凄いのだろう。
ウド、ウルイ、フキ、コゴミ、ゼンマイなんかの山菜は成長が目に見えてわかるな。
少しずつ株が増えているのがわかり、小さな芽が出ている。
これをたくさん増やしていけば、遠慮なく採取することができそうだ。
オリーブの実も芽だったものが、それなりに葉を生やしている。
このまま成長すれば実をつけるのも遠くはないだろう。
作物の確認が終わると、俺は新しく畑を耕すことにした。
今後も樹海で探索をして山菜や木の実の苗を持ち帰るだろうからな。今のうちに準備をしておけばすぐに植えることができる。
前回と同じように五メートル×五メートルの地点に木を生やし、神具を鍬へと変形させて耕していく。
そうやって畑を耕しているとお腹が空いてきた。
ゴーレムの見張っている燻製小屋は問題ないだろうか。
作業を中断して燻製小屋の方に行ってみると、ゴーレムが小屋をジーッと見つめていた。
俺の言ったことを忠実に守ってくれているらしい。
燻製小屋は今のところ問題なく稼働しているようだ。
◆
昼食を食べ終わると、畑の開墾を再開。
ひとりで黙々と鍬を振るって、土を柔らかくしていく作業をひたすらする。
一人で畑を耕していると、前回のどれだけゴーレムが頑張ってくれたのかよくわかるな。
二人でやると半日もかからなかったのに、一人でやるとほぼ一日が潰れた。
「さて、燻製の方はどうだろうな」
無事に新しい畝ができたので、俺はゴーレムのいる燻製小屋に移動する。
朝から燻しているので、もういい感じになっているのではないだろうか。
「見張りありがとう。ちょっと扉を開けるね」
そう言って燻製小屋の扉を開けると、中から熱気と煙が出てきた。
香木の匂いと燻された肉の匂いが漂う。
しばらく扉を開けっぱなしにして熱が逃げきってから中に入ってみる。
室内は見事に燻製の匂いだ。吊るされた鹿の肉は燻されて茶色くなっている。
しっかりと時間をかけて温燻させただけのことはある、
少し煙臭さが残っているが乾燥させることで落ち着くだろう。
室内の火をきちんと消して、ゴーレムと共に燻製された肉を家に運ぶ。
燻された肉は日陰に置いておく。こうすることで燻製の味がより馴染み、香りも落ち着くのだ。
一晩も乾燥させておけば明日には美味しく食べられるようになっているだろうな。
「ちょっと煙臭いな」
燻製小屋に入って作業をしていたせいか、服や身体が煙臭くなっていた。
畑を耕したことで汗もいっぱいかいており肌もべたついている。
異世界にきて三日目。生活基盤を整えることに必死でロクにお風呂に入っていない俺は、猛烈な不快感に苛まれていた。
「よし、風呂に入ろう!」
だからといって、家にある風呂を使うのは現実的ではない。
ゴーレムの力を借りれば、日が暮れるまでに水を貯めることができそうであるが非常に手間で時間もかかる。
なので、こちらから湖に出向くことにした。
加護の力を使えば、即席の湯舟を作りだすこともできるし水をすくって満たすのも簡単だ。
後は水の中に熱した石でも入れれば、いい感じにお湯になってくれるだろう。
そういう計画を立てた俺は、すぐにゴーレムを連れて湖に向かう。
途中に山菜や木の実が視界に入るが、今はそれよりも風呂が先だ。
寄り道することなく真っすぐに歩くと、十五分ほどで湖に到着した。
今日の湖も非常に静かだ。
周囲を見渡す限り、魔物や獣も見えないので早速俺は湯船を作っていく。
木材で組まれた湯船をあっという間に完成させると、バケツを用意してゴーレムと一緒に湖の水を入れていく。
ゆったりと浸かれるように広めにしたので必要な水も多いが、心身の疲労をとるためなら仕方があるまい。
ゴーレムがバシャバシャと水を入れているのをしり目に、俺は火起こしにチャレンジ。
いつもゴーレムにつけてもらっているからな。いい加減一人でつけられるようになりたい。
そう思って俺は必死に火起こしにチャレンジ。
「おお! 火がついた!」
ゴーレムの火起こしを観察しているお陰か、今回は割とすぐについた。
「なんだ。案外簡単じゃないか」
しっかりと摩擦が伝わっていれば簡単につくものなんだな。
俺が達成感に満ち溢れていると、湯船には十分な量の水が溜まっていた。
相変わらずうちのゴーレムの仕事が早い。
俺はその辺に落ちている手ごろな石を拾って、それを火で炙る。
十分に熱が通ったらそれを湯船に沈めた。
ジュウウウッと大きな音が鳴ってビビるが、それでも追加して熱した石を入れていく。
おそるおそる指を入れて温度を測ってみると、お湯の温度になっていた。
少し熱すぎるので水を足すと、ちょうどよくなった。
間違って熱した石に触れてしまわないように板を敷いたら、即席異世界風呂の完成だ。
ゴーレムに周囲を見張るように頼んで、急いで衣服を脱ぎ捨てる。
大自然に囲まれた場所で裸になると、いつもより爽快感が違った。
いや、そんな風に言うと誤解を与えてしまうな。決して俺は露出魔ではない。
木で桶を作ると、お湯をすくってかけ湯をする。
三日ぶりのお湯がとても気持ちがいい。肌に張り付いていた汗や汚れを洗い流してくれるようだ。
入念にかけ湯をすると、俺はゆっくりと湯船に浸かる。
「はぁ……気持ちいい」
身体の中からジーンと温まる。
畑仕事で疲労していた筋肉がほぐれ、全身にしっかりと血が巡っていくようだ。
やっぱり、どんなに忙しい時でも入浴をするのは大事だな。
ゆるりとした生活をおくるためにも心身の健康を保つのはとても重要だ。
これからはできれば毎日入浴することにしよう。
「…………」
そう心に決めて長風呂していると、ゴーレムがジーッとこちらを見つめているのに気が付いた。
周囲を警戒しているいつもとは違う妙な視線だ。
「……ひょっとしてお前も入りたいのか?」
俺がそう尋ねると、ゴーレムはこくりと頷いた。
ゴーレムって風呂に入るものなのだろうか。この世界のゴーレムの生態がわからない。
とりあえず入浴したがっていることは確かなので、十分に堪能した俺は湯船から上がった。
「待て待て。ちゃんとかけ湯してから入れ」
すぐに入ろうとするゴーレムをいさめる。
ゴーレムは身体が大きく、かけ湯をするにも大変そうだったので俺が手伝うことにした。
「ほら、背中を向けてくれ」
そういうと、素直に背中を見せたのでかけ湯をしてやる。
いつも色々と仕事を手伝ってくれているからな。これくらいの労いは必要だろう。
「よし、入っていいぞ」
大きな汚れを落とすと、ゴーレムはゆっくりと湯船に浸かった。
すると、ザザーッと湯船からお湯が流れ出る。
俺がゆったりと入れる程度の大きさしかないのでゴーレムの足がはみ出してしまっている。
それでもゴーレムは温かいお湯を堪能しているのか、どこか心地良さそうな表情をしていた。
「いつまでもゴーレムって呼ぶのは味気ないよな」
このゴーレムは俺の知っている空想上のゴーレムとは違う気がする。
しっかりと俺の言葉は理解してくれるし、小さな意思表示もする。
そしてなにより俺と一緒に暮らす家族だ。いつまでもゴーレムというのも違うような気がした。
「うーん、木太郎――ぶえっ!」
適当に思いついた名前を述べたら、湯船の水がはねた。
俺のセンスのなさに怒っているのだろうか。顔を見つめてみるもそこに変化はない。
なんだか木太郎はよくない気がするので別のものを考える。
「レントっていうのはどうだろう?」
創作物の中で、木をモチーフにした樹人や精霊なんかをトレントと呼んでいた。
その名前からとった名前である。
ゴーレムは気に入ったのかこくりと頷いた。
「改めてよろしくな、レント」
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