10
1週間後の実習がある、火曜日。
この日の私には、実習に関してかなり自信があった。
何時間もかけ、何冊もの本を参考にして、調べた。何度も何度も確認したわ。
でも、前よりも準備をしてきたからといって、気は抜けない。今日は、ショアさんに怒られないようにしないと。
しかし、ベッドの所に行くと、ショアさんは相変わらず私のことを睨んできていた。やはり気に食わないみたいね。
ヴェス王子も頑張っていたら、認めてくれるって言ってたわ。彼の言葉を信じて、やってみようじゃない。
因みにこの日の授業内容は「バイタルサイン」。これも看護に置いて、基礎の基礎だ。
バイタルサインは、生命維持の徴候(サイン)を示しており、意識、呼吸、血圧、体温などの観察を行う。
それぞれの項目には正常値が決められており、測定した値が異常値であれば、身体に何らかの異常があるということを指している。もちろん、それぞれの正常値は、頭に入れてきた。
授業では、1人が患者役、1人が看護師役となって、練習を行った。
最初は、ショアさん、次に、フリッドさん、最後に私。
その順番で看護師役をすることになった。
私が看護師役の時の患者役は、ショアさん。
ううぅ………また怒られそうで怖いけど、事前学習はかなりしてきたし、大丈夫なはず。
患者役の人は、ベッドに寝転がってもらう。看護師役は、ベッドサイドに丸椅子を置き、練習を行った。
私は、体温、脈拍数、呼吸数、血圧の順に測定していく。
全て測り終えると、ショアさんは上体を起こし、ハァと重い溜息をついた。
な、何か気に障ったことでもあったかな??
黙ってじっとショアさんの方を見ていると、彼女はこちらにキリッとした瞳を向けてきた。怒っていることは明白だった。彼女はぶっきらぼうな声で言ってきた。
「とりあえずやっておけばいい、正常値が取れればいい、とか思ってるでしょ??」
そんなことは思ってない。
そう言おうとした時、ショアさんが先に口を開いた。
「病棟でバイタルサインを取るとき、患者さんの正常値が、いつも教科書に示されているような正常値とは限らないの。今、患者役をしているのは、健康体な私たちだから正常値が取れるだけ。疾患を持つ患者さんによっては異なるの」
そうだったんだ………全然知らなかった。
「それに、患者さんの気持ちを配慮して行ってる?? 聴診器のチェストピースをそのまま当ててきたけど、ちょっと冷たかったのよ??」
ショアさんは、冷たいと血圧の値も変わるの、と付け加える。自分で皮膚に当てる部分である、聴診器のチェストピースを触ってみる。確かに冷たく感じた。
「もうちょっと考えてきてよ、患者さんのこと」
彼女は呆れ顔をし、冷たい声で言った。
ショアさんに認めてもらえるためだけを考えていた私は、何も言うことはできなかった。
★★★★★★★★
また、ショアさんに怒られた後の昼休み。
さっさと昼食を済ませると、解剖の本を借りに図書館へ行った。
いい本がないかなと探していると、私の名前を呼ぶ声が、隣から聞こえてきた。
「ルナメアさん」
「わっ!! 殿下っ!?」
「しー。ここ、図書館だから静かにしないと」
突然現れたヴェス王子。いつの間にか私の隣に立っていた彼は、口元に人差し指を置く。私は、分かったと言わんばかりに頷いた。
小さな声でヴェス王子に話しかける。
「殿下はどのようなご用事でここに??」
「ちょっと論文を読みたくてね。見つけたときにルナメアさんが図書館に入ってくるのが見えたんだ。ルナメアさんは、何を探しにきたの??」
「分かりやすい解剖の本がないかなと参りました」
ヴェス王子はニコリと笑う。
「そっか。それなら、こっちにいいのがあるよ。解剖の本はみんな使うから、結構貸出されっぱなしのことが多いけど………」
ヴェス王子について行くと、図書館2階のある小さな部屋についた。部屋にあった本棚には、たくさんの本。
「ここにいい本が揃っていることはあんまり知られていなんだ」
「そうなんですか??」
ヴェス王子が紹介してくれた本棚には最新のものから、古びたものまで、様々な本が置いてあった。
「他の所にも置いてあるものなんだけど、人気だからすぐに借りられる。だから、僕と、ノエル、そして、クラスメイトの何人で勝手に作った部屋なんだ。秘密の部屋だね」
「そ、そんなことして怒られません??」
「『バレなきゃ大丈夫。バレても、お前がいるからきっと大丈夫』ってノエルが言ってたから、きっと大丈夫」
ノエル、そんなこと言ってたの。
うーん………兄のイメージがどんどん変わっていく。
「それに、僕たちはたまに図書館の掃除をしたり、本の整理をして手伝っていたりしているから許されているのかもね」
ああ。その理由の方が納得。
ヴェス王子は、本棚から一冊の本を手に取る。それを私に渡してきた。
「解剖の本なら、僕はこれがいいと思うよ」
「ありがとうございます」
「どういたしまして。医療の世界は、入学すれば、競争の世界はなくなる。研究分野は違うかもしれないけど。でも、みんな苦しんでいる患者さんのため、患者さんが望む生活を送れるようにするという一緒の目標がある。だから、協力することは当然さ。また、困ったことがあったら言って」
「はい」
その瞬間、カチャという扉が開く音がした。扉の方を見たが、誰か入ってきたようでもなかった。
「誰か、来たのかな??」
「さぁ………わかりません」
私は、ヴェス王子の問いかけに首を傾げる。
もしかして、貴族の私たちを察して、入ってこなかった?? 別にそんなことする必要はないのに。
「そういや、本を探しているときのルナメアさん、浮かない顔をしていたけど、どうしたの??」
「それは………また怒られちゃいまして」
「また??」
「前に話した、私が気に食わない、貴族を嫌っている方です。でも、彼女の言っていることも最もでして………」
私は、ヴェス王子に午前中にあった実習のことを説明した。彼は、ふーむと唸った後、こう言った。
「彼女の言っていることは、最もだね」
「ですよね………」
私はガックリと肩を落とす。分かってたことよ、ダメージなんてないわ。
そんな私を見て、ヴェス王子は優しく微笑んでくれた。
「でも、言い方がキツいだけで、彼女の言っていることは、アドバイスに聞こえなくもなくないかい??」
「確かに」
「僕は、彼女はいいクラスメイトだと思うよ。だから、めげずに頑張ってみよう、ね??」
ヴェス王子は、私の頭をそっと撫でる。その撫でる手は、とても柔らかく優しかった。
「おい、何してるんだ」
背後から聞こえた声。振り返るとノエルが立っていた。彼は、訝し気な目でこちらを見ている。
「ルナメアさんの頭を撫でてるだけだけど??」
「ふーん………そうか」
兄は、いつにもまして冷たい態度だった。久しぶりに見たかも、こんなノエル。
ヴェス王子は、ノエルに向かってニコリと笑みを見える。
「ノエル、何か言いたそうだけど、どうしたの??」
「いや、お前が俺の妹を取って食う気じゃないかと思ってな」
え?? 取って食う??
ノエルの衝撃発言を耳にした私は、枯れた声でアハハと笑う。
「お兄様、そんなこと絶対起こりありませんわ。こんな地味な私ですよ?? 美しい子はたくさんいます。殿下が私なんかを思うはずがありません」
「………」
私の方が、イケメンのヴェス王子を取って食べそうだもの。
ヴェス王子は、笑みを浮かべたまま、だんまり。やっぱり、図星なんだわ。
「ルナメア、それ本気で言っているのか?? お前は、美人だぞ。気品もあって、真面目だし…」
「まぁ、お兄様。ありがとうございます。偽りの言葉であっても、嬉しいですわ」
「ルナメアさん、君は、優しい。そして、美しい人だよ」
「殿下まで…ありがとうございます」
どうせお世辞でしょ。分かってるわよ。
分かっているけど、気持ちのどこかでイラついていた。学園に通っていたころは、お世辞なんて聞き飽きるほど聞いていたのに。なんでイライラすんだろう??
頬をプクーと膨らませた私は、颯爽と部屋を出ていく。
「ルナメア、嘘じゃないぞ」などと言って、後ろからオロオロしたノエルがついて来ていたが、無視。お世辞言葉しか並べない兄は、無視よ。
「僕は、偽りの言葉なんか言ってないけどね」
部屋を出る瞬間、ヴェス王子が何か言っていたようだったけど、それが私の耳に入ることはなかった。
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