第八幕


 第八幕



 ナイフを入れられた事によって表面を覆う膜が破れた卵黄の中身が、生の牛挽肉で成型されたタルタルステーキの上にどろりと垂れた。

「あれは、とある初夏の早朝だったと記憶している。その日、ワルシャワ・ゲットーの至る所でナチ党の親衛隊員達がけたたましく笛を吹き鳴らし、そこに住む全てのユダヤ人にゲットー内の市場に集まるよう命令した。勿論、私と私の家族もまた例外ではない。そして着の身着のまま、鞄一つ分だけの手荷物の所持と携帯を許可された我々が市場に集合すると、親衛隊員達はまず初めに全ての家屋を一軒一軒家捜しし始めた。命令に従わず、こそこそとベッドの下や箪笥の陰、それに地下室や屋根裏部屋に隠れている臆病者を炙り出すためだ」

 イーライが切り分けたタルタルステーキは、血が滴るように赤い。

「命令に反して身を隠していたユダヤ人は、親衛隊員に発見されたが最後、その場で即座に射殺された。たとえそれが女子供だろうと、そもそも命令に従って市場に集合する事が出来ない寝たきりの老人や病人だろうと関係無く、一人の例外も無く平等に射殺されたのだよ」

 彼の話に聞き入るエマが、ごくりと唾を飲む。

「市場に集められたワルシャワ・ゲットーの住人達は五列縦隊で並ばされ、ナチ党の親衛隊員達に監視されながら最寄りの駅まで徒歩で移動し、そこに待機していた貨物列車に乗り込む事を強要された。私と私の家族が乗せられたのは家畜を運搬するための粗末な貨車だったので、豚か何かの排泄物の匂いが狭い車内にもうもうと充満しており、鼻がひん曲がるほど臭かった事をよく覚えている。そして駅まで歩く事が出来なかった者や、貨車に乗る事に抗議した者や拒否した者は、やはりその場で射殺された。一部例外として、ゲットーのユダヤ人評議会のメンバーとその家族は移送を免除される場合もあったが、彼らの大半も最終的には殺されたよ。ところでキミ、親衛隊の連中がどうやってユダヤ人を射殺するか、その手順をご存知かね?」

「さあて、知らねえな。ただしあたしが殺すとしたら、確実に死ぬように、拳銃で脳天をぶち抜いてやるがね」

 拳銃を模した右手でこめかみを撃ち抜くジェスチャーと共に、バーバラはイーライの問いに答えた。

「ふむ、残念ながら不正解だ。彼らはユダヤ人を殺す時には、背後から首を撃つ。拳銃を使う場合もあるが、それは将校だけで、一般の親衛隊員は各自に支給されたKar98k小銃を使った。小銃の先端に銃剣を装着し、立たせるか寝かせるかしたユダヤ人の背後からその小銃を構え、銃剣の切っ先を少しだけ首の後ろに刺す事によって狙いを定める。そして一発で確実に頚椎を破壊して、ユダヤ人を即死させるのだ」

「なるほどね。それじゃあ今度ユダヤ人を殺す機会があったら、その方法を試してみようか」

 皮肉、もしくは嫌味交じりのバーバラの言葉に、イーライは眉をひそめる。

「駅に到着した我々を貨車に乗せ終わると、新鋭隊員達はその貨車の出入り口を分厚い木の板で塞ぎ、移送途中で逃げられないように頑丈な鋼鉄製の鎖と南京錠でもって外から施錠した。明かり取りと換気のための小さな窓にも鉄条網が張り巡らされ、こちらから逃げ出す事も出来ない。狭い車内は文字通り鮨詰めで、寝る事は勿論座る事も出来ず、全てのユダヤ人が身体を密着させ合いながら立ったまま移送された。ワルシャワからトレブリンカまでは直線距離にして百㎞にも満たないが、それでも当時の蒸気機関車の速度では、到着するまでに二時間から三時間程度の時間を要する」

 そう言いながら、時間の経過を意味するように、イーライは左手首に巻かれた腕時計の文字盤上を指でなぞった。

「線路の上を走り続ける貨車の車内は猛烈な匂いと人いきれでもってまともに呼吸する事もままならず、酸欠と疲労によって、トレブリンカに到着する頃には多くの老人や子供と言った肉体的弱者が命を落としてしまっていた。まあ、どのみちトレブリンカに到着すれば彼らは殺される運命だったのだから、天国に行くのがほんの数時間だけ早まったに過ぎないがね」

 オリーブオイルと香辛料で味付けされたタルタルステーキを口に運びながら、イーライは苦笑する。

「やがて貨物列車は、ブク河沿いの森林地帯の一角である、トレブリンカに到着した。当時のトレブリンカ絶滅収容所は完成したばかりのまっさらな施設で、周囲に町や村と言った地元住民の居住区は無く、針葉樹に囲まれた原野の中央に、背の高い板塀と鉄条網に囲まれた収容所と鉄道の引き込み線だけがぽつんと存在していた。私は彼の地を再訪した事は無いが、今では収容所は跡形も無く破壊され、戦後に復元された施設を除けば当時の面影を残している物は何一つ存在しないらしい」

 そう言ったイーライは、昔を懐かしむように眼を細めた。

「土を盛っただけの間に合わせのプラットフォームに降り立ち、収容所の門を潜った我々は五十m四方くらいの広場に移動すると、ドイツ人の親衛隊員とウクライナ人の監視兵の指示によって二列に並ばされた。男は右の列、女と子供は左の列だ。そしてその広場で全裸になり、脱いだ靴は靴紐でもって結わえて二足を一纏めにしろと命じられたので、殆どのユダヤ人は恥辱に耐えながら従ったよ。従わなければ射殺されるだけだと言う事を、嫌と言うほど学習させられていたからね。だがしかし、列の前の方に並んでいた一人のユダヤ人の紳士が、服を脱ぐ事を頑なに拒否した。人前で裸になるくらいなら、死んだ方がマシだと言うのだ。すると親衛隊員は紳士を地面に蹴り倒したかと思えば、彼の頭を小銃の銃床でもって何度も何度も執拗に殴りつけ、遂には割れた頭蓋骨から脳味噌が飛び出してしまった。そう、それはちょうど、このタルタルステーキの様だったよ」

 イーライはナイフとフォークの先端で、眼の前の白磁の皿の上に盛られたどろどろの卵黄まみれの生の牛挽肉を弄んだ。その光景を見たエマは、自分の皿に盛られたタルタルステーキから思わず顔を背ける。

「勿論私も死にたくないから、命令に従って服を脱ごうとした。すると一人の親衛隊員がこちらに近付いて来るなり、私だけは服を着たままその場に残れと言う。理由は、すぐに分かった。私を含めた数人の若い男達はその場に残され、全裸になったユダヤ人達が広場から続く通路を通って収容所の奥の建物へと移動させられた後に、広場に残された服や靴や荷物を回収及び運搬するように命じられたのだ。何の事は無い、親衛隊には雑用係としての人手が必要だったと言う事だよ」

「なるほど、つまり鼻デカ爺さん、あんたは特別労務班員ゾンダーコマンドに選ばれたって事か。そうだろう?」

 バーバラがタルタルステーキを咀嚼しながらそう言うと、イーライが感嘆する。どうやら彼女が特別労務班員ゾンダーコマンドと言う単語とその意味を知っていた事が、あまりにも予想外の出来事だったらしい。

「ほう、根無し草の無学な若者にしてはよく知っている。まさに私は親衛隊の使い走りである特別労務班員ゾンダーコマンドに選ばれたおかげで、一命を取り留めたと言う訳だ。そして選ばれなかった私の両親と兄、それに二人の妹達とその他の殆ど全てのユダヤ人達は、二度と広場に戻って来る事はなかった。全裸の彼らが姿を消した収容所の奥の建物はシャワー室に偽装したガス室であり、そのガス室内でディーゼルエンジンから排出される一酸化炭素でもって、中毒死させられてしまったからだ」

 ガス室と言う言葉を耳にしたクンツが何か言いたげに唇を動かしたが、すぐに思い直して口を噤んだ。

「トレブリンカ絶滅収容所の特別労務班員ゾンダーコマンドとなった私は、憎むべきナチ党の親衛隊員達が下す命令に従い、定期的に収容所に移送されて来るユダヤ人同胞のガス室への誘導や彼らの衣服や所持品の回収と運搬、それにガス殺された後の遺体処理を行う事によって生き永らえた。その屈辱と悔恨の念にまみれた呪わしき日々の苦悩を思えば、愛する家族と一緒にとっととガス室で殺されてしまっていた方が、未だ幾らかでも心穏やかに死ねたに違いない」

 イーライはそう言って深い溜息を漏らすと、タルタルステーキの最後の一口を咀嚼しながら、静かに眼を瞑る。堅く閉じられた彼の瞼の裏に、ガス室に送られた家族の姿が思い出されている事は容易に想像された。

「収容所の広場に残された、これからガス殺されるユダヤ人同胞の衣服や所持品の中から時計や万年筆と言った換金可能な貴重品を回収するのは、たとえそれが唾棄すべき行為とは言え、未だ理解出来る。理解出来ないのは、金品に代える事が出来ないであろうシラミまみれの下着や、一つ一つ度が異なる眼鏡や入れ歯まで回収した事だ。あれを回収する事に、一体何の意味があったのだろう。事実、今は博物館となったアウシュヴィッツ・ビルケナウ絶滅収容所の跡地に行くと、当時回収されたユダヤ人同胞の眼鏡の山が展示されている。つまり、回収したはいいものの換金も再利用もされず、何ら有効活用せずに放置したと言う事だ。まあ要するに、収容所へと移送されて来たユダヤ人同胞に屈辱感と敗北感を植え付け、自分達は優越感と多幸感に浸りながらガス殺する事そのものが目的だったのだろう。まったくもってナチ党の親衛隊らしい、下卑た発想だ」

 やがてタルタルステーキを食べ終えたイーライは、やはり遠い眼でもって虚空を見つめる。

「お嬢さん、一酸化炭素によってガス殺された後の遺体がどのように処理されたか、ご存知かね?」

「え? いえ、その……」

 突然問い掛けられたエマは、銀食器のナイフとフォークを手にしたまま口篭った。だがそんな彼女の返答を待たずに、イーライは訥々と語り続ける。

「収容所の敷地内に、深さが四mにも五mにも達する『野戦病院ラツァレット』と呼ばれる深く長大な穴を掘り、そこで遺体を焼いたのだ。勿論穴を掘るのもガス室からそこまで裸の遺体を運ぶのも、全て我々ユダヤ人の特別労務班員ゾンダーコマンドがやらされた。一酸化炭素によって中毒死した遺体の肌は鮮やかなピンク色に染まり、まるで健康な人間が単に眠っているだけのようにやたらと血色が良かった事を、終戦から七十年以上が経過した今になっても鮮明に覚えている。そして大穴に投げ込んだ遺体の山にナチ党の親衛隊員がマッチを摺って火を点けるのだが、どの遺体も満足な食事が与えられなかったおかげですっかり痩せ細ってしまっているので、これがなかなか燃えない。しかしそれでも無理矢理焼いている内に、骨と皮だけのがりがりの身体に僅かに残っていた脂肪が熱で溶けてじわじわと皮膚から滲み出て来るのだから、不思議なものだ。思い出すに、その溶けた液状の脂肪がこびり付いたおかげで、大穴の内側はまるでニスを塗ったばかりの高級家具の様にぴかぴかに光り輝いていたよ」

 そう言ったイーライは、空の白磁の皿に残ったオリーブオイルを溶けた脂肪に見立てて指で掬い取ると、その指をテーブルナプキンで拭った。そして彼の合図でもって、給仕が次の一皿を配膳する。

「ここでメインの肉料理の前に、口直しとしてソルベを楽しむのがフランス式のフルコースのセオリーだ。しかし何度も言うように私は敬虔なユダヤ教徒なので、食に関する戒律であるカシュルートに従い、肉と乳製品を一緒に食べる事が出来ない。そこで今回は牛乳を含まず果汁を凍らせただけの、レモンのソルベを用意させてもらった。乳脂肪分や糖分が豊富な今時の氷菓を食べ慣れている若者には少々物足りないかもしれないが、まあ、我慢してくれたまえ」

 丸テーブルを囲む四人の前に配膳されたのは、繊細な彫刻が施されたガラスの器に盛られてミントの葉が添えられただけの、簡素なソルベであった。

「確かにこれは、食った気がしねえなあ」

 ソルベ、つまりアメリカ英語で言うところのシャーベットを一口食べたバーバラが不平を漏らすと、イーライは渋い顔をする。

「そう言うな。これでも調理に使用するレモンは、高級な品種を選ばせている。それに食べたくないのなら、食べなくてもよろしい」

 顔色一つ変えずに、イーライはそう言った。するとバーバラはそんなイーライの反応を事前に予知していたかのようにほくそ笑みながら、味気無いソルベを淡々と口に運ぶ。

「トレブリンカ絶滅収容所での二度目の地獄は、およそ一年ばかり続いた。そして移送された翌年の1943年八月二日に、有名なトレブリンカ叛乱が勃発する。この日の夕刻、私が所属していた特別労務班員ゾンダーコマンドが中心となって収容所内の各所に放火し、隠し持っていた銃やナイフを手に手に一斉に武装蜂起したのだ。この武装蜂起によって多くの仲間達が自由を求めて鉄条網を乗り越え、その大半が脱走に成功したが、残念ながら私自身はそれらの運が良かった者達に含まれてはいない。蜂起の数日前から重度の赤痢を患い、ユダヤ人の医師が常駐する診療所の薄汚いベッドの上で、糞尿を垂れ流しながら生死の境を彷徨っていたからだ」

 やはり顔色一つ変えずに、イーライは冷たく甘酸っぱいレモンのソルベを自らの口に運んだ。ソルベの味は、可も無く不可も無くと言った塩梅らしい。

「武装蜂起から数週間後、私は赤痢から回復した。極度の栄養失調のまま満足な食事も与えられず、抗生物質などによる科学的な治療も施されずに診療所のベッドの上に放置されていただけだったのだから、自然治癒力のみでもって健康体を取り戻した事はまさに奇跡と言って良い。そしてちょうどその頃、武装蜂起に参加した特別労務班員ゾンダーコマンドや強制労働に従事させられていた囚人達が、続々と収容所に連れ戻されていた。彼らは脱走に成功したまでは良いものの、その後どうするかと言った具体的な計画は立てておらず、結局は近隣の農家の納屋などに潜伏していたところを、ナチ党の親衛隊や行動部隊アインザッツグルッペンや警察予備大隊などに捕らえられてしまったのだ」

 かつての仲間達の無計画ぶりを嘆く、もしくは嘲笑するかのように、イーライはかぶりを振った。

「この特別労務班員ゾンダーコマンドによる武装蜂起、それに東部戦線における独ソ戦の戦況が芳しくなくなった事により、トレブリンカ絶滅収容所の閉鎖及び解体と、ユダヤ人同胞達の内陸部への移送が決定された。だがナチ党には、移送の前にやっておかなければならない事があった。証拠隠滅だ。親衛隊員達は一度は埋めた大穴を当時としては貴重な重機を使って掘り返し、ちょうど夏だったのでどろどろに腐敗して猛烈な悪臭を放つ大量のユダヤ人の遺体の上にガソリンをぶち撒けて火を点け、骨も残らず焼き尽くそうと試みた。しかしこれが、思ったようには上手く行かない。山積みにされた腐敗した遺体の表面だけは焼けるのだが、中の方は酸素が不足しているために、いつまで経っても生焼けのままなのだ。そこで仕方無く、親衛隊員達は鋼鉄製の棒を格子状に組んで溶接し、巨大な焼き網を作って、この上でもって手足がばらばらになった遺体を焼き始めた。時間が掛かったが、これは上手く行ったよ。おかげでトレブリンカでガス殺されたユダヤ人同胞の遺体は殆ど残っておらず、これを根拠に絶滅収容所などと言う物は存在しなかったと主張するホロコースト否定論者が存在するくらいだから、笑えない」

 そう言ったイーライは、銀食器のスプーンでソルベを掬っては口に運び続けながら、苦笑する。

「やがて収容所を囲む板塀や鉄条網や囚人の宿舎が解体され始めるのと同時に、我々ユダヤ人同胞の移送もまた始まった。移送先はトレブリンカから同じポーランドの内陸部に向かって、直線距離でおよそ三百㎞ばかりも離れたオシフィエンチム市に存在する、悪名高きアウシュヴィッツ・ビルケナウ絶滅収容所だ。勿論、戦況も財政も逼迫していた当時のナチ党はユダヤ人を移送するのにバスやトラックと言った車輌など用意せず、我々は目的地に到着するまで、着の身着のまま不眠不休で歩き続ける事を強要された。しかもこの間、満足な食糧は配給されず、途中で力尽きて歩けなくなった者はナチ党の親衛隊員や真っ黒な制服に身を包んだウクライナ人の監視兵によって、その場で有無を言わさず射殺されたよ」

 ガラスの器に盛られたレモンのソルベの最後の一口が嚥下され、イーライの胃の中へと消えた。

「だがしかし、それでもトレブリンカからオシフィエンチムまでの移送は季節が秋だった分だけ、後々に行われた真冬の『死の行進』に比べれば多少はマシだったと言えよう。その『死の行進』を身をもって体験した私は、こうして冷たい氷菓を口にする度にあの時の寒さとひもじさとが脳裏に蘇って来て、当時も今も文字通りの意味でもって背筋がゾッとしてならない。そしてもう一つゾッとしたのが、青と白の縞模様のぼろぼろの囚人服だけを身に纏って徒歩で移送される我々ユダヤ人を遠巻きに見つめていた民衆の、恐れおののくような冷たい眼差しだ。それはまるで、おどろおどろしい悪夢の中で這い回る餓鬼に向けるような、この世のものではない異物に対する畏怖と軽蔑の眼差しでもあった。つまり、彼らポーランドの一般市民達は、町からほんの数㎞しか離れていない絶滅収容所で一体何が行われているのか全く知らなかったのだよ。いや、むしろ、知ろうとしなかったと言った方が正しいのかもしれない。とにかく彼らは口を揃えて、自分達は何も知らなかったと言ってはばからない。当時も、そして今現在もだ」

 意味深にそう言い終えたイーライがスプーンを置いたその頃には、イスラエル総領事館の晩餐室の丸テーブルを囲む四人全員が各自のレモンのソルベが盛られたガラスの器を空にし、真っ白なテーブルナプキンでもって口元を拭う。そして間断無く、給仕の手によって次の一皿が配膳された。

「本日のメインの肉料理は、鴨肉のローストの赤ワインソース添えだ。栄養豊富な有機飼料のみを与え、可能な限り自然に近い環境で育てた、最高級の雌鴨の胸肉だ。滅多に食べられない高級食材なので、是非ともゆっくりと味わって行ってほしい」

 イーライに促されるがままに、バーバラとエマ、それにクンツの三人は鴨肉のローストの赤ワインソース添えにナイフを入れて切り分け、フォークでもって口に運ぶ。様々な香辛料や香草と共にじっくりと煮詰められた芳醇な赤ワインは仄かに甘酸っぱく、脂肪分が少なく淡白な味わいの鴨の胸肉の旨味を存分に引き立たせて止まない。

「あの頃は、こうして生きて自由の身となっただけでなく、フランス式のフルコースを堪能出来るような地位に就けるとは思ってもみなかったよ。なにせ絶滅収容所で配給される食事ときたら、朝は『コーヒー』と呼ばれる本物のコーヒーではない何かを煎じた茶褐色の液体を飲まされ、昼と夜は僅かな不味い黒パンと、やはり僅かなキャベツの芯やジャガイモの皮と言った野菜屑が浮かんでいるだけの薄いスープを与えられるだけだったのだからな」

 そう言ったイーライもまた、鴨肉のローストの赤ワインソース添えを口に運んだ。そしてやはり虚空を見つめたまま、訥々と語り続ける。

「やがて数え切れないほどの多くの同胞を失った末に、我々ユダヤ人はオシフィエンチム市のヴィスワ河とソワ河の合流地点の近くに建つ、アウシュヴィッツ・ビルケナウ絶滅収容所へと辿り着いた。収容所は高圧電流が流れる二重の鉄条網に囲まれた堅牢かつ広大な施設で、出入り口である鋼鉄製の門の上にはドイツ語でもって『ARBEIT MACHT FREI《アルバイト・マハト・フライ》』、つまり「働けば自由になれる」と書かれていた。まったく、とんだ欺瞞だ。幾ら働いたところで自由にする気などこれっぽっちも無いくせに、ドイツのナチ党員どもは、平気で嘘を吐く」

 イーライはそう言うと同時に、ドイツ系アルゼンチン人であると同時に親衛隊員を自称するクンツを、じろりと睨み据えた。祖先の過ちを問い詰められる格好になったクンツは、思わず眼を逸らす。

「収容所に到着した我々は長旅の疲れを癒やす暇も与えられず、やたらと吠えるシェパードを連れた親衛隊員とクロアチア人兵士の監視の下で、まずは二列に並ぶように指示された。トレブリンカの時と同じように、やはり男は右の列、女と子供は左の列だ。そして列の先頭に立っていたドイツ人の医師、たぶん悪名高きヨーゼフ・メンゲレ博士だったと思うのだが、とにかくその医師が我々を労働可能な者とそれ以外とに選別していたのだよ。続々と移送されて来るユダヤ人同胞達を指差しながら、その体格や健康状態を基準に「お前はレヒツ! お前はリンクス!」と言った具合でだ。まあ、どちらの列に並ばされようと、その後の運命に大差は無かったがね」

 その時不意に、ナイフとフォークを持つイーライの手が止まった。

「これは余談なのだが、アウシュヴィッツ・ビルケナウ絶滅収容所の第二十四棟はナチ党の親衛隊員のための売春宿だった筈だ。収容所がソ連軍によって解放された後に、当時の新鋭隊員の中にはこの点を頑なに否定する者も少なくないが、私自身が窓から手を振る娼婦達の姿をこの眼ではっきりと見届けているのだから、間違い無い」

「ユダヤ人をガス室送りにする絶滅収容所でも、女とセックスする事だけは忘れないってか? 本当に、男って奴は金玉に脳味噌を支配された性欲の奴隷だな。あたしも昔、試しに何度か男と寝てみた事があるが、あいつらは自分の性的欲求を満たすために女の股の上で腰を振り続けるしか能の無い無様で醜いサカりのついた猿だ。まあ所詮、男のちんこなんて物は、女のまんこの足元にも及ばないのさ」

 バーバラがげらげらと笑いながらそう言うと、イーライは眉根を寄せて顔をしかめる。どうやら彼女が口にした下品な単語の数々が、老齢のイーライにはひどく耳障りに聞こえたらしい。

「いい歳をした大人の女性が、そんな口を利くもんじゃない」

「おっと、気に障ったかい、鼻デカ爺さん? あいにくとあたしは育ちの悪い、どこの誰とも知れない根無し草なもんでね」

 当て付けるような口調のバーバラを無視すると、イーライは鴨肉のローストを口に運びながら話を元に戻す。

「選別によって労働可能と判断された者は、収容所の近くのモノヴィッツに建設されたIGファルベン社の合成ゴム工場などでの強制労働に従事させられ、そうでない者達はそのまま直接ガス室送りだ。そして幸いにもと言うか不幸にもと言うか、若く比較的健康であった私はドイツ人医師によって、労働可能と判断された。それもトレブリンカ絶滅収容所の時に続き、今回もまた特別労務班員ゾンダーコマンドに選ばれてしまったよ。そして親衛隊員達の命令に従って全裸になった我々はツェントラールサウナと呼ばれる煉瓦造りの大きな建物でもって衣類と共に消毒されると、ガス室ではない本物のシャワー室でシャワーを浴び、更に左腕に五桁の囚人番号を彫られてから全身の毛を全て刈り取られた。これが、その時彫られた私の囚人番号だ」

 そう言いながらダークスーツとワイシャツの袖を捲くり上げたイーライの左腕には、時間の経過と共に若干ながら薄くなってしまったとは言え、それでも五桁の囚人番号の刺青が確認出来た。

「皮肉にも再び特別労務班員ゾンダーコマンドに選ばれた我々に与えられた仕事は、俗に『クレマトリウム』と呼ばれる、ガス室と焼却炉とが一つになった複合施設で働く事だった。もう少し具体的に説明すると、各地の収容所やゲットーから続々と移送されて来るユダヤ人同胞の内の労働不能と判断された者達をクレマトリウムへと案内し、シャワー室に偽装されたガス室でガス殺されるのを見届けた後に、彼らの遺体を焼却炉で焼いてから残った遺灰を近くの河に捨てるのだよ」

 イーライはクレマトリウムでガス殺された上に焼却されたユダヤ人同胞達の遺骨と遺灰に見立ててか、鴨肉のローストに付随する鴨の肋骨を、ナイフとフォークの先端でもってこつこつと小突く。

「今でも毎夜ベッドの中で眼を閉じる度に、私は言い知れぬ罪悪感に苛まれる。あの時、私は一人の特別労務班員ゾンダーコマンドとしてユダヤ人同胞をシャワー室に偽装されたガス室へといざない、あまつさえ彼らの不安を払拭させるために虚偽の説明を繰り返したのだ。曰く、シャワーを浴びて身体を綺麗にするだけだから、何の不安も無いと。曰く、錆びたり落としたりするといけないから指輪やネックレスなどの貴重品は脱衣所に置いて行けだのと言った、見え透いた嘘の数々だ。もしあそこで同胞達に向かって真実を告げていたら、少しは事態が好転していたかもしれないと思うと、いたたまれない」

 そう言ったイーライは、忌々しそうに歯噛みした。

「そして脱衣所で全裸になったユダヤ人同胞達がクレマトリウムの半地下のガス室へと移動すると、そこに待機していたナチ党の親衛隊員が、分厚い鉄扉を閉めて外から施錠する。知っているかね? アウシュヴィッツ・ビルケナウ絶滅収容所のクレマトリウムのガス室の扉は、全て外開きだ。これはかつて、移動式のガス・トラックでもってガス殺を行っていた際に、逃げ出そうとした障害者やユダヤ人の死体が内開きの扉を塞いで開かなくなってしまったと言う教訓から改善されたものなのだよ。まったくドイツ人と言う人種は往々にして、そう言った些細な点にばかりは、よく気が付く」

 苦笑するイーライに、残る三人は特に同調はしない。

「外開きの鉄扉が閉められると、ナチ党の親衛隊員が天井に開いた穴からガス室の中に向かって、害虫の駆除などにも使われた猛毒のシアン化合物であるツィクロンBの顆粒を大量に流し込む。流し込まれた顆粒は空気中の水分と反応して見る間に気化し、ガス室が毒ガスで満たされると、もう逃げ場は無い。だがそれでも、鉄扉を内側からどんどんと叩きながら「出してくれ! 助けてくれ!」と叫ぶ同胞達の悲鳴を聞くまいと、我々は皆、耳を塞いでその場にしゃがみ込んでいたものだ。そしてガス室からの脱出が不可能だと悟った室内のユダヤ人同胞達は新鮮な空気を求めて施錠された鉄扉や天井の穴に殺到するが、その結果として数分後に鉄扉が開けられた際には、自分だけでも助かろうとした同胞達は幾重にも折り重なった遺体の山となって死に絶えていたよ。まったくもって、その惨状たるや、筆舌に尽くし難い」

 碌に学校に通っていないために歴史に疎いエマは、イーライの生々しい証言に熱心に耳を傾ける。彼女ら二人は一時だけ、まるで出来の悪い落第生と、それに叡智を与えようと試みる老教師の姿にも見えた。

「だがしかし、我々の様な特別労務班員ゾンダーコマンドにとっての本当の地獄は、むしろここからだ。天井に取り付けられた大型換気扇によって充分に換気されたガス室内に足を踏み入れ、文字通り山積みになった全裸のユダヤ人同胞達の遺体の首に杖を引っ掛けて室外へと引き摺り出すと、まずは『歯医者』と呼ばれる班員が口を抉じ開けてペンチで金歯を抜く。そして『歯医者』に次いで『理髪師』が女性の長い頭髪を鋏で切って回収したら、遺体をクレマトリウムの二階へと続く電動式のエレベーターの上に乗せなければならないのだが、これがまた大変な重労働でね。それにツィクロンBから発生した毒ガスによって死に至った遺体は皮膚が溶けて全身から出血し、眼窩から眼球が飛び出したり排泄物を漏らしていたりと言った酷い有様で、見るに耐えなかったよ」

 イーライはそう言いながら、ガス殺された遺体の溶けた皮膚から滲み出た鮮血の様な赤いワインソースに濡れた鴨の胸肉のローストを、銀食器のナイフとフォークの先端でもって弄ぶ。

「ユダヤ人同胞達の遺体はおよそ七人から十人毎にエレベーターでもってクレマトリウムの二階へと運ばれ、そこに並ぶ複数の焼却炉でもって焼かれてしまい、後には真っ白な灰と骨しか残らない。煉瓦で出来た焼却炉の内壁は溶けた人間の脂肪がこびりつき、いつ見てもぴかぴかだった。そして燃え残った骨もまたクレマトリウムの裏の空き地で粉々に砕かれた末に、灰と一緒にトラックの荷台に積み込まれると、最終的には収容所の近くを流れるヴィスワ河かソワ河に捨てられた。鎮魂のための墓標も祈りも何も無く、まるで厨房の隅に置かれたポリバケツの中の腐った生ゴミか、もしくは便器にひり出された排泄物の様な扱いだ。幾らナチ党の連中がヒトラーが主導する反ユダヤ主義に染まっていたとは言え、とてもじゃないが、まともな人間の所業ではない」

 そう言ってかぶりを振ると、イーライは鴨肉のローストの最後の一切れをごくりと嚥下した。苦み走るような表情を隠しもしない彼の胸中は、同じ丸テーブルを囲む他の三人には察して余りある。

「毎日毎日、次から次へと収容所に移送されて来るユダヤ人同胞達をガス殺してはその遺体を焼いて捨てると言う呪われた仕事は、およそ一年半ばかりも続いた。それは本当に本当に、この歳になっても思い出すだに吐き気をもよおす、まさに地獄の様な恥辱と屈辱の日々だったよ。しかしそんな地獄同然の日々にも、ある日突然、終止符が打たれる。東部戦線における独ソ戦の戦況が悪化の一途を辿り、遂には首都ベルリンを目指すソ連軍がドイツ占領下のポーランドとの国境を越えた事に危機感を覚えたナチ党は、アウシュヴィッツ・ビルケナウ絶滅収容所からの囚人の移送を決定したのだ。そして1945年一月中旬、私を含めた囚人の一団はオシフィエンチム市を出発し、ドイツ共和国のプロイセン州のベルゲン・ベルゼン強制収容所へと旅立つ。これこそ後世になってから『死の行進』と呼ばれる事になる強制移送の一端であり、直線距離にしておよそ六百㎞ほどの、過酷な真冬の旅路だ」

 メインの肉料理を食べ終えたイーライは、口直しの水を一杯飲むと、テーブルナプキンでもって口元を拭った。

「我々ユダヤ人はナチ党の親衛隊員に監視されながら、五列縦隊になって、凍れる大地をひたすら歩き続けた。勿論トレブリンカからオシフィエンチムへと移送されて来た時と同様に満足な食料は配給されず、睡眠も休養も制限され、その上今回は真冬の行進だ。満足な防寒着も無いために凍死する者や凍傷で歩けなくなる者が続出し、少しでも隊伍から脱落すれば、最後尾を歩く親衛隊員によって有無を言わさず射殺されてしまう。そのため目的地であるベルゲン・ベルゼン強制収容所へと辿り着いた時には囚人の数が半分以下にまで減っていたのだから、その過酷さもうかがい知れようと言うものだ」

 やはり鴨肉のローストに添えられたワインソースが、口元を拭ったテーブルナプキンに鮮血の様な小さな赤い染みを作る。

「何はともあれ、私は『死の行進』を生き延びた。そして強制移送が開始されてからおよそ三ヵ月後の1945年四月十五日、ベルゲン・ベルゼン強制収容所はドイツ本国へと進攻して来たイギリス軍によって解放されるに至り、ナチ党の親衛隊員達は尻尾を巻いてベルリンへ逃げ帰って行ったよ」

 回想の中の彼は自由の身になったと言うのに、イーライの顔色は優れない。

「しかし親衛隊員達が姿を消したからと言って、それだけでもって諸手を挙げて万々歳とは行かなかった。むしろ皮肉にも、最低限度の施設の維持管理を担っていた彼らを失ったがために、無力な囚人だけが取り残された収容所内はより一層の混迷の様相を呈する。倉庫の片隅に残されていた僅かな食料を奪い合って、本来ならば相互扶助すべきユダヤ人同士の抗争が殺人にまで発展し、それらを食い尽くすと今度は餓死者の死肉を貪る人肉食が蔓延はびこった。また平時は囚人を監督していた『カポ』と呼ばれる囚人頭に対する報復としての私刑リンチも横行し、もはや誰が敵で誰が味方なのか、当の囚人達自身ですら分からない有様だ。しかも所内の衛生状態はどこもかしこも極めて劣悪で、赤痢やチフスや肺結核と言った伝染病によって数百人規模の囚人達が毎日の様に命を落としていたのだから、まったくもって言葉も無い」

 右手を挙げて合図を送ったイーライは、給仕の手によって次の一皿が運ばれて来るまでに、その後の経緯を語り続ける。

「結局、トレブリンカに続いて二度目の赤痢を患った私がハノーファー市内の病院へと移送されて一命を取り留めたのは、五月も中旬になってからだった。仮にあと一日でも移送と治療が遅れていたならば、私はベルゲン・ベルゼン強制収容所の暗く冷たい土の上で糞尿にまみれながら野垂れ死に、名も無きユダヤ人の一人として共同墓地に埋葬されていたに違いない。だがしかし、私はこうして、死ぬ事無く生き延びた。延べ六百万人にも及ぶ同胞を死に至らしめたホロコーストから生還した、数少ない歴史の生き証人なのだ。だからこそ私の口から発される言葉の一つ一つは意味深長で意義深く、キミ達の様な若造の発するそれとは重みが違う」

 イーライはそう言いながら、バーバラとエマ、それにクンツの三人をじろりと睨め回した。それはまるで、自分は神か何かによって選ばれた特別な存在だとでも言いたげな、ある意味では傲岸不遜とも受け取られかねない態度と口調である。

「言いたい事はそれだけか、鼻デカ爺さん?」

 バーバラが不快感を隠しもせずに、イーライに尋ねた。すると彼は、やはり尊大な態度でもって答える。

「そう急かすな、根無し草。未だ全ての料理を食べ終えてはいない。この後もサラダとデザートと果物、それに食後のコーヒーが残っている」

 彼の言葉通り、やがてフランス式のフルコースの名脇役となる生野菜のサラダが盛られた皿が、丸テーブルを囲む四人それぞれに配膳された。サラダはメインの肉料理の油でもたれた胃と口をリフレッシュさせ、摂取する栄養のバランスを保つ意味でも重要な一皿である。

「サラダは、アボカドとブラックオリーブと豆腐のサラダだ。これも本来ならば牛か山羊のチーズを使うべき料理なのだが、私が肉と乳製品を一緒には食べられないので、見た目と食感が似ている豆腐で代用させてもらった。チーズよりも味は淡白だが、その分だけ脂肪分が少なく、胃腸には優しい一皿となっている。そちらのお嬢さんは、アジアの豆腐を食べた事はあるかね?」

「え? あ、はい、日本料理の店で何度か食べました」

 イーライに尋ねられたエマが、記憶の糸を辿りながら答えた。

「そうか。ならばこのサラダを食べながら、アドルフ・ヒトラーと言う一人の男と、彼が党首を務めたナチ党に関する私の考察に耳を傾けてほしい」

 香辛料とオリーブオイルでもって味付けされたサラダを口に運びながら、イーライは自論を語り始める。

「アドルフ・ヒトラーは少量ならば肉や卵も食べていたようだが、基本的には酒も煙草も飲まないほぼ完全な菜食主義者だった。最近流行りのヴィーガンとか言う完全菜食主義を謳う連中に眼を向けると、彼らはやれ「肉を食べると攻撃的になる」だの「菜食主義者は命を尊重している」だのと言って自分達の主義主張の正当性を喧伝するが、それでは同じ菜食主義者であった筈のヒトラーの、ユダヤ人や障害者や共産主義者などに対する非人道的な思想や行為の説明がつかない。つまりヴィーガンの連中の言う事が世迷い事だとしても、ユダヤ人の大量虐殺を指示したのと同じ口で「死を連想させるのが我慢ならない」などと言って食卓に肉を上げさせなかった点もまた、先に語ったヒトラーが併せ持つ奇妙な二面性の証左と言えよう」

「なるほど、ヴィーガンか。あの連中は独善的な事ばっかり言いやがるんで、あたしも嫌いだ。そもそも人間は雑食性なんだから、肉も卵も食わないだなんて言うのは自然の摂理に反する」

 珍しく、バーバラが同意した。血気盛んな彼女にとって、一切の肉を食べない無味乾燥な食生活など考えられない。

「二面性の有無と同時に先に述べたのが、アドルフ・ヒトラーは自らの主義主張を実践するためのロードマップを最初から思い描いていた訳ではなく、その時その時で場当たり的に状況を処理しようとしていたようにも見受けられる点だ。これら二つの要素が同時に発露した事象としては、ヒトラーは多くの重要な決定を口頭のみで指示し、物理的な証拠となる得る書面での記録を残さない事によって、意図的に責任を回避しようとしていたと言う疑惑が挙げられる。つまり、場当たり的でありながら、また同時に狡猾で計画的でもある。とてもじゃないが、後世の歴史家から『ボヘミアの上等兵』と揶揄されるような男の所業ではない」

 アボカドとブラックオリーブと豆腐のサラダを口に運びながら、イーライが論じた。ちなみに『ボヘミアの上等兵』とは、第一次世界大戦で従軍した際のヒトラーが将校どころか下士官にすら推挙されず、軍人としての階級は上等兵止まりであった事を揶揄する蔑称である。

「総統閣下を愚弄するな! 幾らあなたがご老体で、ホロコーストの生き残りとは言えども、その名でもって総統閣下を呼ぶ事は断じて認められない!」

 敬愛する指導者の蔑称を耳にしたクンツが文脈も読まずに反射的に立ち上がり、抗議の声を上げた。するとイーライの背後に控えていたベレルマン大佐が無言のままクンツの眼前へと歩み寄り、獲物を前にした猛禽類の様な冷酷無比な眼差しでもって、彼を睨み据える。こうなってしまっては、一人のひ弱な坊やに過ぎないクンツは恐怖で立ち竦み、何も言えない。

「あ……えっと……」

 次の瞬間、口篭るクンツの無防備な顔面を、ベレルマン大佐はタボール散弾銃の銃床でもってしたたかに殴打した。殴打されたクンツの頭蓋骨に衝撃が走るごきんと言う鈍い音が晩餐室内に反響し、丸テーブルに敷かれた真っ白なテーブルクロスに鮮血が飛び散って、小さな赤い染みを作る。

「黙って座ってろ、このヒトラーの走狗が!」

 体格に勝るベレルマン大佐に怒鳴りつけられたクンツに抗う術は無く、鮮血が噴き出す鼻を手で押さえながら口を噤み、大人しく自分の席に戻る事しか出来ない。

「やめておけ、大佐。絨毯が汚れる」

 眉一つ動かさず、まるで道端を這い回る蟻かゴキブリを踏み潰す子供を叱る親の様な冷淡な口調でもって、イーライがベレルマン大佐をたしなめた。彼の口ぶりからすると、あくまでも晩餐室の床に敷かれた高価なペルシャ絨毯やテーブルクロスが汚れる事を危惧しているだけであり、苦痛に喘ぎながら鼻血を滴らせるクンツの身を案じている様子はまるで無い。

「世紀の独裁者として名高いアドルフ・ヒトラーが大戦に踏み切った真の目的とは、果たして何だったのだろうか。私は個人的に、それはきっと、第一次世界大戦での祖国ドイツの屈辱的な敗北と言うトラウマを乗り越える事だったのではないかと考えている。その根拠として、どうやら彼はパーゼヴァルクの野戦病院のベッドの上で敗戦を知って以来、俗に『背後からの一突き』と呼ばれるデマゴーグを信じていた節がある点を挙げたい。つまり、第一次世界大戦におけるドイツは前線での戦闘では敵軍を圧倒していたにもかかわらず、国内に巣食う共産主義者やユダヤ人の姑息な裏切り行為によって内部から崩壊したと言うのだ。仮にこのデマゴーグを信じていたとすれば、ヒトラーが執拗に共産主義者やユダヤ人を迫害したとしても不思議ではないし、それらを排除しさえすれば戦争に勝てる筈だと信じ切ってもいたのだろう」

「悪いが鼻デカ爺さん、もう少し端的に一言で纏めちゃくれないか? なにせあたしはご覧の通り、ヒトラーと同じく小学校しか卒業してない無知蒙昧の教養無しなもんでね」

 バーバラがそう要請すると、イーライは一度だけ深く嘆息した後に、彼女の要請に応えて端的に論じる。

「つまり、ナチ党とドイツ国民によるホロコーストを幇助したのは社会ダーウィニズムに裏打ちされた差別主義思想レイシズムと反ユダヤ主義であり、彼自身が身をもって体験した第一次世界大戦での敗北と言う負の歴史からの構造的脱却こそが、アドルフ・ヒトラーの行動原理だったと私は論じたいのだ」

 そう言って自論を展開し終えるのとほぼ同時に、イーライは皿の上にナイフとフォークを置いた。丸テーブルを囲む四人全員の皿は既にどれも空になっていたので、彼は手を挙げて合図を送り、給仕に次の一皿を配膳させる。

「デザートは、バニラアイスのクレープブリュレのベリーソース添えだ。こちらも肉と一緒に乳製品が食べられない私の信仰上の事情により、バニラアイスやホイップクリームに使われる牛乳を、大豆を搾った豆乳で代用させている。脂肪分が少ない分だけ本物の牛乳に比べると味気無いかもしれないが、その点に関しては私の顔を立てると思って、我慢してほしい」

 言葉とは裏腹に、遺憾の念などまるで感じさせない冷淡な口調でもってそう言ったイーライは、白磁の皿に盛られたクレープブリュレにナイフを入れた。バニラアイスとベリーソースの微かに苦味を含んだ甘酸っぱい香りが晩餐室の部屋一杯に広がり、丸テーブルを囲む四人の鼻腔をくすぐる。

「ヒトラーがベルリンで自害し、ナチ党が解党され、ドイツ共和国の敗北でもって第二次世界大戦が終結すると、遂に私は真の意味での自由の身となった。それはこのデザートの様に甘美で極上の、天にも昇るような歓喜と悦楽の瞬間であった事を、今でもよく覚えている。そう、まさに愉悦の時間だ」

 イーライは甘いクレープブリュレに香り高いバニラアイスと芳醇なベリーソースを乗せると、それを口一杯に頬張った。

「やがて病院のベッドの上で一年ばかりも静養し、病状を回復させると同時に社会復帰に必要な体力と知識を身に付けた私は、後のイスラエル国防軍となるハガナーの代理人から声を掛けられた。つまり、当時は未だイギリスの委任統治領であったパレスチナへの移住と、彼の地にユダヤ人国家を樹立させるためのシオニズム運動に協力しないかと打診されたのだ。大戦の混乱とホロコーストで全ての親類縁者を失い、浮き雲同然の天涯孤独の身の上であった私が、この話に一も二も無く飛びついたのは言うまでもない。もう我々ユダヤ人を助けてくれなかったポーランドと言う生まれ故郷にもヨーロッパにも、何の未練も無かったからな。そしてハガナーが調達した輸送船でパレスチナへと移住した私は、入植地であるガザ地区に居を構え、後の初代首相となるダヴィド・ベン・グリオンが発布したイスラエル独立宣言をもって正式なイスラエル国民となった。忘れもしない1948年五月十四日、私がちょうど二十歳の時の事だ」

 回顧談を語り始めてからずっと仏頂面だったイーライの口端に、僅かながらも微笑みの色が浮かぶ。

「晴れてイスラエル国民となった私は設立間も無いIDF《イスラエル国防軍》に自ら志願すると、そのまま機関銃兵の任を帯びて最前線に立ち、独立宣言の翌日から始まった第一次中東戦争を果敢に戦い抜いた。一人のユダヤ人としてこの世に生まれ出でて以来、初めて忠誠を誓うべき偉大な国家と愛すべき同胞たる国民のために命を賭して戦える喜びに、私の心と身体は打ち震えたよ」

 薄ら笑いを浮かべながらそう言ったイーライは、まるで武者震いに襲われる兵士さながらに、比喩ではなく実際にぶるぶると背筋を震わせた。そんな彼の姿を見て、祖国のために身命を投げ打つと言った自己犠牲や利他主義的の精神が未だ理解出来ないエマは、別の意味でもって背筋をゾッと震わせる。

「やがて第二次中東戦争にも従軍した私は戦時中の功績が高く評価され、イスラエル諜報特務庁、いわゆるモサドの工作員となった。アメリカ合衆国の想定外の介入により、失意の内にエジプト・アラブ共和国の支配地域からイスラエル国防軍が撤退した、1957年の春の事だ。またその年、偶然にも、かつてホロコーストを主導したナチ党の幹部の一人であるアドルフ・アイヒマンが南米アルゼンチンに潜伏していると言う一報がモサドにもたらされたのは記憶に新しい。そしてその一報を耳にした私は俄然色めき立ち、血気に逸る心を必死で宥めながらアイヒマンの拉致と断罪とを最終目的とした特殊作戦チームへの参加を願い出ると、幸いにもこれが受理された。それ以来私は一匹の狩猟犬として憂き身を窶しながら、世界各地に散り散りになって敗走したナチ党の戦犯どもの居所を突き止め、彼らに法の裁きの鉄槌を下す事を生き甲斐としたのだ」

 そう言い終えたイーライはナイフとフォークを置くと、静かに右手を挙げ、給仕に合図を送った。すると給仕は丸テーブルを囲む四人に、フランス式のフルコースでは最後の料理となる締めの一皿、つまり新鮮な旬のフルーツを配膳する。配膳された本日のフルーツは、球形に刳り貫かれた二種類のメロンであった。

「フルーツは、二色のメロンの盛り合わせだ。鮮やかなオレンジ色のクインシー種と、淡い緑色のデリシー種とを用意させた。舌に自信があるならば、二つの種類の繊細な味の違いを楽しんで行ってほしい」

 イーライに促されたバーバラら三人は、皿に盛られた球形のメロンをスプーンで掬って口へと運ぶ。オレンジ色のクインシー種と緑色のデリシー種、どちらのメロンも瑞々しくて美味しいが、その味と違いが判別出来るほど彼女らはグルメではない。

「リカルド・クレメントと言う偽名を使ってアルゼンチンに潜伏していたアドルフ・アイヒマンは、実に三年近くにも渡ってのらりくらりと巧妙に正体を隠蔽し続け、尻尾を掴ませなかった。しかしそれでも、我々モサドの十三人の工作員からなる特殊作戦チームは辛抱強く内偵を繰り返し、遂に1960年五月十一日の午後八時過ぎにブエノスアイレスのオリボス地区において、勤務先であるメルセデスベンツの組み立て工場からの帰宅の途にあった彼を拘束したのだ。アイヒマン拘束の一報を耳にした私はチームのリーダーを務めていたラファエル・エイタンと共に作戦の成功を喜び合い、涙を流しながら互いの頬にキスし合ったその瞬間を、まるで昨日の事の様に鮮明に覚えているよ。あれこそまさに、私の人生における、至上で至福の絶頂期であったと言っても過言ではない」

 そう言いながら、イーライもまた二種類のメロンを交互に口へと運んだ。

「拘束されたアイヒマンは睡眠薬を投与されると、十日後のアルゼンチン独立記念式典に出席するために来亜した政府高官のチャーター機に乗せられ、極秘裏の内にイスラエルへと移送される事になった。万が一にでも空港の税関職員に見咎められれば、親ナチ派の国会議員や財界の有力者も少なくないアルゼンチンの警察によって彼を奪還されかねなかったので、肝が冷えたよ」

 イーライは尚も語り続けながら、メロンを口に運ぶ手を休めない。

「しかし我々モサドの特殊作戦チームは、アルゼンチンのエセイサ国際空港の税関職員と警察の眼を最後まで欺き通し、まんまとアイヒマンを連れたままイスラエルへと逃げおおせた。そして首都テルアビブから程近いロッド国際空港で待機していた司法当局に彼を引き渡すと、チームは解散され、その後のアイヒマンの動向はテレビや新聞と言ったメディアの発表を通して知る事となる」

「つまり、いわゆるアイヒマン裁判って奴か」

 二種類のメロンを食べながらそう言って相槌を打つバーバラに、イーライは感嘆とも受け取れる、ややもすれば意外そうな視線を向ける。

「ああ、その通りだとも。未だキミ達が生まれる前の出来事だと言うのに、良く知っているな、根無し草」

「馬鹿にするなよ、鼻デカ爺さん。あたしだって元は諜報機関の人間だ。学校にこそ通ってはいないが、その程度の事は訓練の一環として教えられている」

「なるほど、ただの無学無教養で無知蒙昧な根無し草ではないらしい」

 バーバラに対する評価を再検討するかのように、イーライは口端に薄気味の悪い笑みを浮かべた。そして彼の回顧談は、いよいよクライマックスに差し掛かる。

「ナチ党時代のアイヒマンが犯した戦争犯罪の数々を裁く様子はイスラエル中に生中継され、我々は仕事そっちのけで、職場のテレビに釘付けになった。白黒のブラウン管越しにエルサレムの法廷に立たされたアイヒマンは頭の禿げ上がった痩せた眼鏡の老人で、とてもじゃないが六百万人ものユダヤ人同胞を虐殺したホロコーストの主導者には見えなかった事を、今もよく覚えている」

 そう言うと同時に、球形に刳り貫かれたメロンの最後の一つが、イーライの口の中へと消えた。

「法廷で次々とホロコーストの真実が暴かれ、眼を覆い、耳を塞ぎたくなるような衝撃の事実の数々が白日の下に晒されるのと同時に、私はこの上無い充実感と高揚感とに見舞われた。なにせ私達の様な絶滅収容所からの数少ない生還者が、当時あそこで何が起きていたのかを幾ら証言しても、世間は「そんな非現実的な事は有り得ない、虚言だ」と言って耳を貸さず、にわかには信じてもらえなかったのだからな。それが今、正規の手続きを踏んだ裁判の証言台に立たされた加害者側が、その存在をはっきりと認めている! もう私は、誇大妄想に取り憑かれた嘘吐き呼ばわりされる事も、頭がいかれたキチガイ扱いされる事もない! そう思うと、ああ、あの地獄同然の日々を、砂を噛んで泥水を啜るような艱難辛苦を乗り越えて生き延びた甲斐があったと言うものだ!」

 イーライの言葉のボルテージは鰻上りで駆け上がり、加齢による深い皺が刻まれた顔を年甲斐も無く紅潮させ、興奮を隠そうともしない。

「そして裁判で全ての起訴事実を認めたアイヒマンには死刑判決が下され、アルゼンチンで拘束されてから二年後の1962年の五月三十一日の深夜に、エルサレムのラムラ刑務所で絞首刑に処された。翌六月一日の朝のニュースで処刑の模様を伝え聞いた私は、文字通り飛び上がらんばかりに拳を振り上げながら、人目も憚らずに歓喜の雄叫びを上げたものだよ。あんなにも清々しい気分で朝を迎えたのは、私の長く険しく波乱に満ちた人生の中においても、あの一度きりだ」

 虚空を見つめながらそう言ったイーライの皺だらけの顔には、性的絶頂を迎えたかのような恍惚の表情が浮かぶ。

「おいおい、そこの鼻デカ爺さんよ。いい歳してそんなに興奮してっと、脳の血管がぶち切れておっ死ぬぞ」

 バーバラに指摘されたイーライはハッと我に返ると、一旦咳払いをしてから背筋を伸ばし、ダークスーツの襟と居住まいを正した。

「とにかく私はホロコーストを生き延び、戦後はモサドの工作員となって、かつてのナチ党の幹部や将校連中に裁きの鉄槌を下す事に血道を上げて来た。これまでに拘束した戦犯どもの数は、公式に発表された者だけでなく内々に処理された者も含めれば、枚挙に暇が無い。そして気付けば月日は流れ、職務に邁進し続けた結果として副長官の地位にまで上り詰めた私も、こうして独り身のまますっかり年老いてしまったよ」

 少しばかり寂しげな、歳相応の哀愁が漂う面持ちのイーライが右手を挙げて合図を送ると、音も無く歩み寄った給仕が全ての膳を下げる。そしてフランス式のフルコースの最後の一品として、鮮やかな金細工も美しいマイセン窯のカップに注がれたコーヒーが、晩餐質の丸テーブルの上に並べられた。

「食後のコーヒーは、ここトルコ共和国の文化と歴史に敬意を払って、名物であるトルココーヒーを淹れさせた。キミ達にとっても、飲み慣れた味だろう。モサドの副長官となった今の私が直面する問題と、それにまつわる諸々の話を聞きながら、ゆっくりと味わって行ってほしい」

 そう言うと、イーライは熱いトルココーヒーが注がれたカップに口をつける。

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