第四幕


 第四幕



 ガラタ橋を窓から臨むアパートメントの最上階のリビングで、革張りのソファに腰を下ろしたバーバラとエマとアデーレ、それに額に大きな絆創膏を張ったクンツの計四人の男女は、頑丈なオーク材で出来たローテーブルを囲んでいた。クンツがこのアパートメントに姿を現してから、既に一時間ばかりが経過している。そしてローテーブルの上には殆ど空になった宅配ピザの紙箱が並べられており、ペプシコーラの空き缶と並んで、バーバラが飲み干したエフェスビールの空き瓶も転がっていた。

「さてと、それじゃあ腹も膨れたところで、もう一度聞こう。クンツ、お前は何者だ?」

 バーバラが乱暴な英語で尋ねると、トルコ語が理解出来ないクンツはドイツ訛りの丁寧な英語でもって答える。

「私の名前は、クンツ・エルメンライヒ。ここに居るアデーレの父親で、ドイツで生まれ育ってから最近になってアルゼンチンに移住し、今はかの地で小規模な事業を営んでいます」

「へえ、名字に『帝国ライヒ』が含まれているなんて、お前の先祖はどこぞの貴族様か何かか?」

 バーバラがほくそ笑みながら、皮肉混じりに尋ねた。しかし頭が固い性分らしいクンツは、真面目に答える。

「いえ、残念ながら私の先祖は貴族ではありません。しかし、庶民よりは多少なりとも裕福ではあったそうです。まあそれも、プロイセン王国がドイツ帝国に飲み込まれる以前の昔の話ですが」

 そう言うと、クンツは苦笑した。タートルネックのセーターの上からウールのジャケットを着た彼は痩せ型の白人男性で、年齢的にはバーバラとだいたい同世代、つまり二十代後半からせいぜい三十歳くらいに見受けられる。

「そのドイツ出身のアルゼンチン人の娘が、何故トルコに?」

「はい、実は今から五年前、未だドイツに住んでいた頃に、私は妻と離婚しました。協議離婚です。そして一人娘であるアデーレの親権は経済的な理由で私が獲得し、彼女を引き取って、アルゼンチンに移住しました。しかし別れた妻はその点にひどく不満を抱いているらしく、この五年間、アデーレをドイツに連れ戻して自分に親権を移譲するように、再三に渡って要求し続けていたのです」

「なるほど、それでお前は、その別れた妻とやらの要求を拒み続けたと言う訳か」

「そうです。不当な要求に屈する訳には行きません。しかしその結果、遂に前妻は、実力行使に及んだのです。どこかのならず者達を金で雇い、アルゼンチンの私の屋敷を襲撃させ、アデーレを力尽くで誘拐しました。そして彼女を連れたならず者達が前妻の待つドイツに船便で向かう途中で、ここトルコに立ち寄ったところを、こうして私自らが助けに来たのです」

「確かに、船の方が飛行機よりも密入国し易いし、誘拐した子供を積荷の中に隠すのも簡単だ。しかし地中海を経由してドイツに向かうなら、フランスかイタリア辺りで上陸した方が手っ取り早くないか?」

 エフェスビールを飲みながら、バーバラがクンツに尋ねた。

「ええ、確かにそうですね。しかしアデーレとならず者達を乗せた船はそれらの国ではなく、何故かは分かりませんが、ここトルコのイスタンブールに上陸したのです。きっと地中海から黒海を抜け、ロシアかウクライナの港に向かうコンテナ船かタンカーを、密入国に利用したのでしょう。まあ、これはあくまでも私の憶測に過ぎませんが」

 そう言って肩を竦めるクンツに、バーバラは一番肝心な点を尋ねる。

「それで、どうしてお前はこの場所にアデーレが居る事を知った? このあたしのねぐらの場所を知っている奴なんて、数えるほどしか存在しない筈だぞ?」

「これです」

 クンツはそう言うと、隣に座るアデーレの胸元に安全ピンで縫い留められた、小さな兎のぬいぐるみのヴォーパルを指差した。

「このぬいぐるみの中には、超小型のGPS発信機が入っています。今回の様な万が一の事態に備えて私がアデーレに与え、肌身離さず持ち歩くように言い聞かせておきました。そしてここから発信された信号を頼りに、私がこの場所、つまりええと……あなたのねぐらですか? まあ、それを探り当てたと言う訳です」

「まさか大事な友達だと思っていたぬいぐるみが、実はGPS発信機入りのスパイごっこの玩具おもちゃだったとはね。そりゃ確かに、父親が娘に「いつでも一緒に居なさい」って言って与えたのも当然だな」

 呆れたようにそう言ったバーバラの斜向かいで、クンツの説明が理解し切れなかった未だ幼いアデーレは、兎のぬいぐるみのヴォーパルを不思議そうに弄んでいる。

「それじゃあ、わざわざ釘を刺してまで、警察に届け出る事を禁じたのは何故だ? お前が正当な親権を獲得した父親なら、どこの国の警察だろうと、お前ら親子の味方をしてくれる筈だろう? 違うか?」

「それは……」

 バーバラに問い詰められたクンツは眼を逸らし、口篭った。そして暫し逡巡してから、慎重に言葉を選びつつ答える。

「たとえ離婚したとは言え、前妻は、かつて私が愛した女性です。そんな彼女を、出来る事ならば犯罪者として警察の手に引き渡したくはありません。この点に関しては、きっと私達の娘であるアデーレもまた同意してくれるでしょう。ですから、警察へは通報するなと厳命しておいたのです」

「なるほど。一応、筋は通っている」

 バーバラは得心したが、全ての事象に対して合点が行っている訳ではない。

「しかし、その前妻とやらが何者なのかは知らないが、子供一人を誘拐するにしては随分と大胆な手段を選択したものだな。よほどの資産家でないと、ここまで大掛かりな誘拐作戦を実行に移せはしないぞ? それにイェニカプ港でアデーレを連れていた女が持っていた銃が、ベレッタM70だった点も気になる。今時あんな銃を所持させている組織は、あたしが知る限り、一つしか無い」

 そう言い終えたバーバラは、無言のままクンツの眼をジッと睨み据えた。すると睨まれたクンツは再び眼を逸らし、何か隠し事でもしているのか、きょろきょろと視線を泳がせながら気不味そうに口篭る。

「……まあ、今更そんな事はどうでもいいか。その辺りは、敢えて深く追求しない事にしよう。何にせよ、こうしてアデーレの父親がわざわざイスタンブールくんだりまで彼女を連れ戻しに来たんだ。アルゼンチンだろうとブラジルだろうと地球の裏側の太平洋のど真ん中だろうと、さっさとアデーレを連れ帰ってくれ」

 バーバラはそう言いながらクンツとアデーレの二人に身振りでもって退出を促すが、彼女がちらりと一瞬だけエマに視線を向けた事を、当のエマ本人は見逃さない。

「さてと、申し訳ありませんが、私達はそろそろおいとまさせて頂きたいと思います。幾ら感謝してもし切れるものではありませんが、この度は大事な一人娘を助けて頂きまして、本当にありがとうございました。ほら、アデーレもちゃんとお礼を言いなさい」

「バーバラ、エマ、助けてくれてありがとうございました」

 クンツに促されたアデーレは感謝の言葉と共に、バーバラとエマの二人に向かって恭しく頭を下げた。未だ幼い子供でしかない彼女が、自分自身の立場や事情を百パーセント理解しているとは考え難い。

「さあアデーレ、私と一緒にお家に帰ろう」

 そんな小さなアデーレと手を繋ぎ、リビングのソファから腰を上げたクンツは、アパートメントの玄関へと足を向ける。

「おい、クンツ」

 立ち去ろうとするクンツを、バーバラが呼び止めた。

「ほら、忘れ物だぞ」

 無愛想にそう言ったバーバラは、クンツがアパートメントに侵入しようとした際に奪い取ったルガー拳銃を彼に手渡すと、深い溜息を漏らす。どうやらクンツは、拳銃を奪い取られた事などすっかり忘れてしまっていたらしい。

「銃の管理くらい、ちゃんとしておけ。もし暴発したら、死ぬのはお前だぞ」

 バーバラは呆れ果てながら、銃撃戦のプロフェッショナルとして忠告した。しかし手渡されたルガー拳銃を、ウールのジャケットの内ポケットに無造作に仕舞い込んだクンツが彼女の忠告をどの程度理解しているかは、甚だ疑問である。

「それではこれで、失礼させて頂きます。さようなら。お二人とも、どうかお元気で」

「バーバラ、エマ、さようなら。元気でね」

 手を振りながら別れを告げると、エプロンドレスに身を包んだアデーレは彼女の父親を名乗るクンツと共にアパートメントの階段を駆け下り、そのまま旧市街のエミニョニュ地区から立ち去った。後に残されたバーバラとエマの二人は、夜のイスタンブールの街へと姿を消すアデーレの小さな背中を眼で追いつつ、名残惜しそうに玄関に立ち尽くす。

「……ねえ、バーバラ」

「何だ、エマ?」

「これがアデーレにとって最良の結果だったと、本気で思ってるの?」

 今の今まで無言を貫いていたエマが、僅かに棘のある声でバーバラに尋ねた。不機嫌そうな彼女の手には、アデーレと共に記念写真を撮影し合ったスマートフォンが握られている。

「ああ、思ってるさ。そんな事、議論するまでもない。なにせ、わざわざ国境を越えてまで実の父親が迎えに来てくれたんだからな。たとえ片親だけだろうと、家族は一緒に居た方がいいに決まってる。違うか?」

 さも当然とでも言いたげな口調でもってバーバラが返答すると、一層不機嫌になったエマは踵を返し、そのままアパートメントの寝室へと姿を消した。そしてクイーンサイズのベッドに飛び込んだかと思えば、すっぽりと頭まで毛布に包まって、まるで母親から説教を食らった幼い子供の様に不貞寝を決め込む。

「エマ? おーい、エマ?」

 バーバラに何度呼ばれても、ベッドの上で毛布に包まったエマは一向に返事をしない。こうなってしまっては、ほとぼりが冷めるまで打つ手が無い事を熟知しているバーバラは早々に説得を諦め、深い溜息を吐きながら寝室も含めた全ての部屋の照明を落として回った。そして真っ暗なアパートメントのリビングのソファの上でごろりと横になると、黒い革のライダースジャケットを毛布代わりに、就寝の姿勢を取る。

「おやすみ、エマ」

 虚空に向かってそう言うと、バーバラはそっと眼を閉じた。食べ残しの冷めたピザから漂って来るチーズとトマトの匂いが鼻を突き、彼女の安眠を妨げる。


   ●


 カーテンの隙間から差し込んで来る朝陽の眩しさに、バーバラは眼を覚ました。そして大口を開けて豪快なあくびを漏らしながら床へと降り立ってみれば、硬いソファの上で一夜を明かしたためか、全身の関節が痛くて仕方が無い。

「エマ?」

 関節の痛みに耐えながらアパートメントの寝室を覗いてみると、ベッドの上は既にもぬけの殻だったので、バーバラはエマの姿を探して廊下を彷徨う。そしてバスルームの前まで差し掛かったところで、浴室の中からシャワーの水音が聞こえて来る事に気付いた。

「エマ、そこに居るのか?」

 バーバラの呼び掛けに対する返答は無いものの、脱衣所と浴室とを隔てるドアに嵌め込まれた磨りガラス越しにエマの姿がぼんやりと見て取れる事から、彼女がシャワーを浴びている事に異論を挟む余地は無い。そこでバーバラもまた脱衣所で全ての衣服を脱ぎ捨てるとドアを開け、さほど広くはないアパートメントの浴室の中へと足を踏み入れる。

「エマ?」

 果たして、もうもうと立ち上る湯気に煙る浴室の中では真っ白な柔肌とプラチナブロンドの髪を露にしたエマが熱いシャワーを浴びながら、全身に溜まった汗と埃とを洗い流していた。薄く色素が沈着した彼女の乳首と性器とを伝い落ちた熱湯が、タイル敷きの浴室の床をしとどに濡らし、一筋の奔流となって排水口の奥へと消えて行く。

「なあエマ、未だ怒ってるのかい?」

 褐色の肌に長い黒髪のバーバラはそう言うと、シャワーを浴びるエマの色素の薄い身体を背後から抱き締め、互いの唇をそっと重ねた。浴室の窓から差し込んで来る朝陽の中で一糸纏わぬ全裸となった二人の肌と髪とは対照的な色彩を放ち、そのコントラストの美しさは筆致に尽くし難く、古代ギリシャ神話に謳われた女神ヘラとアフロディーテとのそれにも引けを取らない。

「バーバラ、言っておくけど、あたし、未だアデーレの件を許してあげた訳じゃないからね?」

 重ねていた唇を離したエマはそう言いながら、バーバラの頬を軽くつねる。

「それじゃあ、どうしたら許してくれる?」

「これからケンピンスキーの朝食ビュッフェに連れて行ってくれたら、許してあげなくもないかな」

 エマはバーバラの問いに答えながら、悪戯っぽく笑った。

「よっしゃ、それじゃあ今日は朝飯を食いに、チュラーン宮殿まで足を延ばす事にしようか。そうと決まったらさっさとシャワーを浴びて、出発するぞ」

 そう言ったバーバラはステンレス製のシャワーヘッドを掴み上げ、滝の様な熱湯をざぶざぶと頭から浴びながら、ソファでの睡眠によって硬くなった関節の筋肉と腱とを丁寧に揉みほぐす。そしてシャワーを浴び終えた二人は外出着に着替えると、ガレージに停めてあったZ900RSに揃って跨り、旧市街のエミニョニュ地区のアパートメントを後にした。ボスポラス海峡沿いを走る二人が目指すべき目的地は、同じイスタンブール市内のベシクタシュ地区のチュラーン宮殿の跡地に建てられた、チュラーン・パレス・ケンピンスキー・ホテルである。

 チュラーン宮殿は西暦1872年、オスマン帝国の皇帝スルタンであったアブデュルアズィズが建立した壮麗かつ荘厳な宮殿であったが、帝国滅亡直前の西暦1910年に発生した火災事故以降は、永らく廃墟として放置されていた。しかし西暦1987年に日本の建設会社である株式会社熊谷組が買い取り、ホテルとしての機能を備える総合施設として修復され、三年後の西暦1990年からはドイツ連邦共和国のケンピンスキー株式会社がイスタンブール有数の高級ホテルとして運営を続けている。

 その高級ホテル、つまりチュラーン・パレス・ケンピンスキー・ホテルのラルダン・レストランの朝食ビュッフェは宿泊客でなくとも利用出来るため、これを目当てにこのホテルを訪れる地元民も少なくない。そして今まさに、そのラルダン・レストランのボスポラス海峡を臨むテラス席で、バーバラとエマの二人は少し遅めの朝食を満喫していた。トルコ語で『メゼ』と呼ばれる各種の小皿料理に新鮮なチーズとオリーブの実、焼き立てのパン、それにシェフがその場で調理してくれる熱々のオムレツなどが、白磁の皿の上に所狭しと並ぶ。

「そろそろ機嫌は直ったかい、エマ?」

 真っ赤な血も滴るローストビーフに白チーズを乗せ、ブラックオリーブの実のピクルスと共に頬張りながら、バーバラがエマに尋ねた。

「そうね、そろそろ許してあげてもいいかな?」

 上機嫌なエマもまたそう言うと、塩漬けのケッパーとサーモンのマリネを新鮮な生野菜と共に口一杯に頬張り、厳選された食材本来の持ち味を満喫する。どうやら高級ホテルのレストランでの朝食ビュッフェを楽しむと言う我侭な要求が満たされた事によって彼女の怒りも収まったらしく、未だあどけない少女の面影を残すエマはすっかりご満悦な様子でもって、ナイフとフォークを持つ手を休ませようとはしない。

「ふう、ごっそさん」

「ごちそうさま」

 やがて二人は、腹一杯になるのに充分な量の朝食を食べ終えた。そして晴れ渡る秋空の下で紺碧に光り輝くボスポラス海峡を眺めながら、バーバラは濃く煮出した砂糖たっぷりの甘いトルココーヒーを、エマは収穫し立てのザクロを絞ったフレッシュジュースをゆっくりと時間を掛けて飲み干し、食後の一服とする。

「さあ、そろそろ帰るとするか。それとも、未だ他にも行きたい所があるか?」

「ううん、もう帰ろっか」

 バーバラの問いに、エマが満足げに答えた。ポケットから取り出したスマートフォンで確認してみれば、現在の時刻は午前十時五十分。ラルダン・レストランが午前の営業を終了させる、ちょうど十分前である。

「美味かったよ。また来る」

 見送りのために出入り口まで足を運んでくれたドアマンにそう言ってチップを手渡しながら、バーバラとエマの二人はラルダン・レストランを後にした。しかしホテルの外に出ようとしたまさにその瞬間、何者かが背後から呼び掛ける。

「エマ!」

 唐突に名前を呼ばれたエマが振り返ると、そこには地味なスーツを着た垢抜けない顔立ちの一人の男が立っていた。ダークブロンドの髪を短く刈って黒いセルフレームの度の強い眼鏡を掛けた、痩せた白人の中年男性である。そしてエマは、その地味なスーツの中年男性の素性を、誰よりも良く知っていた。

「パパ!」

 その中年男性、つまりエマの実の父親は眉間に皺を寄せながらこちらに駆け寄って来るなり、驚いた様子の娘に激しく詰め寄る。

「エマ! お前、二ヶ月も家に帰って来ないと思ったら、こんな所をほっつき歩いて何をやっているんだ!」

「パパこそ、こんな所で何してるの? 囲っている愛人との密会?」

 実の父親から詰め寄られたエマが、不快感を滲ませた口調でもって問い返した。

「私は仕事のコンベンションで、このホテルの中の施設を利用していただけだ! ふしだらなお前じゃあるまいし、愛人なんて囲っていない! まったく、碌に家にも帰らず親に心配ばかり掛けさせて、一体どこの誰に似たんだ、お前は! さあエマ! 帰るぞ!」

 エマの父親はそう言うと、娘の腕を掴み上げて力任せに引き寄せ、彼女を連れ帰ろうとする。

「ちょっと待ちな、エンゾ」

 険悪なムードの父と娘の間に、長身で筋肉質のバーバラが強引に割って入った。ちなみにエンゾと言うのがエマの父親の名前であり、エマのフルネームはエマ・ジリベール。二人ともフランス共和国から移住して来た、フランス系トルコ人である。

「ああ糞、バーバラ、またお前か! いい加減に、エマを連れ回すのを止めろ! お前と一緒に街中をほっつき歩くようになってから、この子はもう一年以上も学校に通ってないんだぞ! このままだと大学に進学も出来ないし、就職も結婚も出来ない! 我が子の将来を心配する親の気持ちが、お前みたいなどこの馬の骨とも知れないゴロツキに理解出来るものか!」

「へえ、エンゾ、お前、エマの将来を心配しているのか。しかしそう言う割には、姿を消した娘の捜索願を一向に警察に届け出ようとしないのは、どんな了見だ? 彼女の身の上なんかよりも、よっぽどジリベール家の世間体が大事なんだろうな。違うか? ん?」

「……くっ!」

 問い質すバーバラに気圧されたエンゾは言葉を失い、忌々しそうに歯噛みした。

「……とにかく、エマは連れ帰る! これは家族の問題だ! お前みたいな、まともに働いてもいない同性愛者レズビアンの部外者は黙っていろ!」

 吐き捨てるようにそう言ったエンゾは再びエマの腕を掴み上げると、彼女を連れたままホテルの駐車場の方角へと足を向ける。

「バーバラ、ごめん。今日のところはあたし、家に帰るね」

 エマもまたそう言って、実の父親であるエンゾと共に駐車場へと姿を消した。

「家族か……」

 後に残されたバーバラはその場に立ち尽くし、そんな彼女の背中を、一部始終を静観していたホテルのドアマンが物言いたげに見つめている。


   ●


 昼なお暗いイスタンブールの裏通りの片隅で、古びたエアコンの室外機の上で寝ていた野良猫が眼を覚まし、接近して来る何者かに牙を剥いて威嚇した。そして野良猫に威嚇されながら、ふらふらと覚束無い足取りでもって室外機の前を素通りして行ったのは褐色の肌のバーバラであり、彼女の手には空になったエフェスビールの瓶が握られている。

「糞!」

 バーバラは罵声と共に、彼女を威嚇し続ける野良猫に向かって、エフェスビールの空き瓶を投げつけた。投げつけられた空き瓶はエアコンの室外機に当たって割れ、驚いた野良猫はその場から飛び退くと、裏通りの奥へと姿を消す。

「……畜生……何が家族だ……」

 虚空に向かってそう呟きながら、バーバラは裏通りに建つ雑居ビルの薄汚れた外壁にもたれ掛かると、地面にぺっと唾を吐いた。その吐かれた唾からも、吐いたバーバラの口からも、ぷんとアルコールの匂いが漂う。エンゾに連れ去られたエマと別れてから今までの数時間に渡り、彼女はこの裏通りから程近い酒場で、常人ならばとっくの昔に酔い潰れているだけの量のエフェスビールを飲み干していたのだ。

「おい、そこのでかい姉ちゃん!」

 裏通りで立ち話をしていた三人の男達がバーバラの様子に気付き、彼女に声を掛けながら、こちらへと近付いて来る。三人とも腕に威圧的な意匠の刺青を彫っている若く体格の良い男達で、その風貌や素行などから判断するに、この辺りで幅を利かせているマフィアか何かの下っ端連中と思われた。少なくとも、覚束無い足取りの女性に救護の手を差し伸べるような善良な市民ではない。

「昼間っから随分とご機嫌そうじゃないか。良かったら、これから俺達と一緒に遊ばないかい?」

 男達の内の一人が、一面に髭を生やした顔にへらへらと薄笑いを浮かべながらそう言って、裏通りの一角に建つ安ホテルの看板を指差した。それはつまり、わざわざ説明するまでもない事だが、その安ホテルで男三人対女一人の乱交パーティーを楽しもうと言う下卑た誘いである。

「なんだお前ら? 喧嘩売ってんのか?」

 ぞろぞろと歩み寄って来た三人の男達を、バーバラはキッと睨み据えた。幾ら酔っ払っているとは言え、その眼光の鋭さは少しも衰えてはいない。

「おいおい、そんなに怖い顔するなよ、でかい姉ちゃん。俺達はただ、あんたと一緒に遊びたいだけさ」

 やはりへらへらと薄笑いを浮かべながらそう言うと、男はバーバラの長く艶やかな黒髪に触れようと手を伸ばす。すると次の瞬間、バーバラは酔っ払いとは思えない素早さと正確さでもって伸ばされた手を捻り上げ、そのまま男の肩関節を脱臼させた。

「痛え! 痛え!」

「糞! 何しやがんだこのあま!」

 肩関節を脱臼させられた男は激痛に悶え苦しみ、残り二人の男達もまたにわかにいきり立つ。

「うるせえ! 薄汚い包茎の早漏チンポ野郎が、このあたしに触るんじゃねえよ!」

 逆上したバーバラは男達に殴り掛かり、二人目の男の右の眼窩に利き手の人差し指と中指と親指の三本の指を突っ込むと、そのまま視神経ごと眼球を抉り取った。

「ぎゃあ! 眼が! 眼が!」

 眼球を抉り取られた男は悲痛な声を上げ、真っ赤な鮮血が噴き出す眼窩を手で押さえながら、その場に蹲って身悶える。そしてそんな男のまさに眼前で、バーバラは抉り取った眼球を力任せに握り潰した。ずたずたに爆ぜた脈絡膜の裂け目から半透明の硝子体が溢れ出て、指の隙間からどろりと滴り落ちる。

「さあどうした! 掛かって来いよ、この腰抜けインポ野郎どもが!」

「この腐れ売女オロスプめが! 舐めやがって! 死ねやコラ!」

 ほくそ笑みながら挑発するバーバラに、三人目の刺青の男はポケットからスパイダルコ社製の折り畳みナイフを取り出すと、素早く刃を抜いて切り掛かった。しかしバーバラは切り掛かって来るナイフの切っ先をいとも容易く回避したかと思えば、男の頭髪を左手で鷲掴みにした上で、彼の顔面を右の拳でしたたかに殴打する。しかも殴打は、一度だけではない。続け様に二度三度と煉瓦の様に硬いバーバラの右の拳が叩き込まれた結果、ぐちゃぐちゃに鼻骨が潰れた男の鼻の穴からは大量の鮮血が噴き出し、石畳に覆われた裏通りの地面を真っ赤に濡らした。

「もう降参か? さっきまでの威勢はどうした! あたしを殺すんじゃなかったのか?」

 バーバラは尚も挑発するが、顔面を潰された男は既に意識が無く、彼が手にしていたスパイダルコ社製の折り畳みナイフも今は地面に転がっている。

「それじゃあ、そろそろ全員、おっんでみるか?」

 地面に転がるナイフを拾い上げたバーバラが、猟奇的にほくそ笑みながら言い放った。彼女の言葉に、肩を脱臼させられた男と眼球を抉り取られた男との二人は、がたがたと膝を震わせて恐れおののく。このままでは顔面を潰された男も含めて、三人全員がナイフで喉を掻っ切られて命を落とす事は、火を見るよりも明らかだ。

 しかしバーバラがナイフを構えた次の瞬間、裏通りに姿を現した何者かが警告する。

「止めろバーバラ、そこまでだ! それ以上暴れるなら、こっちも黙って見ている訳には行かなくなるぞ!」

「あ?」

 警告を受けたバーバラが振り向いてみれば、大通りから裏通りへと至る通りの入り口に、背の高い一人の男が立っていた。広い背中にオレンジ色の夕陽を浴び、逆光の中に大柄なシルエットを浮かび上がらせた彼は、中折れ帽とトレンチコートに身を包んだ初老の黒人男性である。

「おい、そこのチンピラども! お前らも、とっとと失せろ! その女は、お前らなんかが手に負える相手じゃない!」

 初老の黒人男性に促され、脱臼させられた男と眼球を抉り取られた男とは苦悶の表情のまま立ち上がると、顔面を潰されて気を失っている三人目の男を抱きかかえながら逃走を開始した。そして文字通り這う這うの体でもって彼らが裏通りから姿を消した後には、ナイフを手にしたバーバラと黒人男性の二人だけが残される。

「ようアメリカ人、久し振りだな」

「いい加減にその呼び方はよせ、バーバラ。俺がアメリカ国籍だったのは、三十年ばかりも昔の話だ。今はもうトルコ共和国に帰化して、こうして国家のために働いている。それに俺には、ケネス・パーキンスと言う立派な名前があるんだからな」

 ケネスと名乗った初老の黒人男性はそう言いながら、未だ興奮冷めやらぬバーバラに歩み寄ると、手を差し出した。

「さあ、そのナイフをこっちに寄こせ。俺が捨てておいてやるから」

 差し出された手の上に、バーバラが刃を折り畳んだナイフを置くと、ケネスはそれをトレンチコートのポケットに納めながら苦笑する。

「素直に俺の言う事を聞くだなんて、お前も少しは大人になったじゃないか。育ての親としては、嬉しい限りだ」

「お前なんかに育てられた覚えは無えぞ、ケネス。あたしはあたし一人の力だけで、ここまで育ったんだ」

「そう言うなよバーバラ、相変わらずつれない奴だな、お前は。大体、孤児だったお前の才能を見出して育ててやったのは俺なんだから、少しくらいは育ての親を気取らせてくれたっていいじゃないか。……それで、今日はどうした? 何をそんなに荒れている? また女に振られたか?」

「うるせえ! あたしは断じて、エマに振られた訳じゃねえぞ!」

 核心を突かれたバーバラが、ケネスを怒鳴りつけた。

「だったら、何をそんなにかりかりしている? まったく、同性愛者レズビアンのロリコンだなんて、お前も面倒臭い性癖の星の下に生まれて来たもんだな、おい?」

 持って生まれた性癖に関して問い質されたバーバラはサングラスの奥の瞳を怒りによって滾らせ、顔面を真っ赤に紅潮させながら激昂する。

「だからうるせえって言ってんだろ、ケネス! あたしはただ、エマのまんこが舐めてえだけだ!」

「おお、おお、天下の往来でそんな卑猥な単語を口にするとは、なんて下品で躾のなってない、恥知らずな女だ! こんな女が俺の本当の娘じゃない事を、アッラーに感謝するぜ!」

 わざとらしい手振りと口振りでもって驚いて見せつつ、ケネスはげらげらと腹を抱えて笑った。そしてひとしきり笑い終えると、一転して真面目の表情をその顔に浮かべながら、彼とよく似た褐色の肌のバーバラに尋ねる。

「なあバーバラ、改めて聞くが、実際のところ何があった? どうせ、俺の助けが必要なんだろう? 違うか? ん?」

 そう言ったケネスのうっすらと白髪髭が生えた顔は、この世の全てを知り尽くしているとでも言いたげな自信に満ちていた。するとバーバラもまた真面目な表情でもって、デニムジーンズのポケットから取り出したスマートフォンのフォトアルバムを開き、一枚の写真を彼に提示する。その写真にはバーバラやエマと並んで、こちらを向きながら無邪気に微笑むアデーレの姿が写っていた。

「この子供が、無事にトルコから出国出来たかどうかを知りたい。出国出来ていたとしたらそれで構わないが、仮にそうでないなら今どこに居るか、安否も含めて教えてくれ」

 バーバラが要求すると、ケネスはアデーレが写ったスマートフォンの液晶画面をまじまじと凝視しながら尋ねる。

「お前好みの、なかなか可愛らしい女の子じゃないか。それで、この子の名前は? 出身地は? トルコを訪れた目的は?」

「名前はアデーレ・エルメンライヒ。それ以外には、何も分からない。名前も偽名である可能性が高い。それと、おそらくクンツと言う名の男と一緒に行動している筈だ」

「よし、分かった。写真が複数枚あるのなら、それらを纏めて、俺のプライベート用のアドレスに送信しておいてくれ。急いで調べよう」

「頼む」

 ケネスに借りを作りたくないとでも言いたげに、素っ気無く懇願したバーバラは、電源を落としたスマートフォンをデニムジーンズのポケットに仕舞い直した。そして、親と子ほども歳の差が開いたケネスにタメ口で問う。

「ところでケネス、お前、あたしが困ってると何故分かった? どこからの情報だ?」

「なあに、ただの勘だ。お前の事は、何でも知っているからな」

「何だそりゃ? あたしの監視人ウォッチメンでも気取ってんのかよ」

「それだけ、かつての部下であり教え子でもあったお前の事を気に掛けてやってるのさ」

 そう言ったケネスは中折れ帽を被り直すと、その場を立ち去ろうと踵を返した。しかしふと振り返り、バーバラに改めて確認する。

「なあバーバラ、もう一度、古巣に帰って来る気は無いか? お前のために、常に一人分のポストは確保しておいてやってるんだ。フリーの殺し屋なんて言う危険で不安定な仕事じゃあ、老後が不安だろう?」

「古巣に帰る? MIT《トルコ国家情報機構》にか? 冗談抜かせ。公務員なんて堅っ苦しい仕事は、もう二度とご免だね」

「そうか。まあ、気が向いたら考え直しておいてくれ。じゃあな。後で連絡する」

 少しだけ寂しそうにそう言ったケネスはトレンチコートの裾を秋風になびかせながら、黄昏に沈むイスタンブールの裏通りから姿を消した。

「まったく、相変わらず気持ち悪い爺だ。とっととおっんじまえ、糞爺め」

 嫌味ったらしく悪態を吐いたバーバラもまた裏通りを後にすると、愛車であるカワサキ社製のZ900RSに跨り、帰宅するためにイスタンブールの街を駆け抜ける。そして秋風に吹かれた事によってすっかり酔いも覚め、ガラタ橋をオレンジ色に染める夕陽が西の地平線に完全に沈み切った頃になってようやく、バーバラは旧市街のエミニョニュ地区に建つアパートメントへと帰還した。陽光を浴びながらのほろ酔い加減でのドライブがよほど楽しかったのか、マフィアの下っ端相手に裏通りであれだけ暴れまくった彼女も、今では鼻歌を口ずさむほど上機嫌である。だがしかし、アパートメントの玄関前で膝を抱えてうずくまる小さな人影に気付いた瞬間、彼女の表情は一変した。

「エマ? おいエマ! エマ!」

 血相を変えたバーバラは、文字通り一目散に玄関に駆け寄ると、人影の前でひざまずく。果たして真っ暗な玄関前で膝を抱えながらうずくまっていた小さな人影は、今日の昼前にチュラーン・パレス・ケンピンスキー・ホテルの前で別れた筈のエマであった。しかも彼女の左の頬は何者かに殴られたように腫れており、唇の端には赤黒く滲んだ血痕が見て取れる。

「バーバラ……」

 顔を上げたエマはバーバラに抱き付くと、彼女の胸の中で、幼い子供の様にわあわあと声を上げながら号泣し始めた。そしてそんな彼女を、バーバラは問い詰める。

「エマ、どうしたその傷は? 一体誰にやられた? エンゾか? エンゾにやられたんだな?」

 バーバラは繰り返し問い続けるが、涙と鼻水でもって顔面をぐしゃぐしゃに濡らしたエマは嗚咽交じりに泣きじゃくるばかりで、どうにも要領を得ない。

「畜生! エンゾの野郎! 今度こそぶっ殺してやる!」

 怒髪天を突く勢いでもって激昂したバーバラは、血管がぶち切れんばかりに眉間に皺を寄せると、只でさえ煉瓦の様に硬い拳を更に固く固く握り締めた。そしてその場でくるりと踵を返し、まさにこれからエマの実の父親であるエンゾを完膚無きまでに殴り殺すべく、怒りに任せて歩き始める。

「待って! お願いバーバラ、待って!」

 しかしそんなバーバラを、背後から彼女を抱き締めたエマが泣きながら押し留めた。

「お願いバーバラ……行かないで……あたしを一人にしないで……」

「エマ……」

 足を止めたバーバラは身を翻し、泣きじゃくるエマを固く抱き締め返すと、短く切り揃えられた彼女のプラチナブロンドの髪を優しく撫でる。

「大丈夫だエマ、お前を一人にはしない。エンゾの野郎は、後で必ずぶっ殺しておいてやるから、安心しろ」

「いいのバーバラ、パパは殺さないでおいてあげて。ママと離婚してからは、きっとパパも仕事の事とか家庭の事とかで色々と苦しんでいるんだから、さすがに殺しちゃ可哀想だよ」

「分かった、それじゃあお前に免じて、今回は殺さないでおいてやろう。エマは本当に優しいな。とは言え、可愛いお前の顔に傷を付けた事は許せないから、今度エンゾに会ったら一発だけぶん殴ってやる。そのくらいは許してくれよ?」

「うん、いいよ。ただし、一発だけだからね?」

 当のエンゾ本人が聞いたら卒倒しそうな不穏な取り決めを交わし合いながら、これで何度目になるのか、真っ暗なアパートメントの玄関前でバーバラとエマは唇を重ねた。そしてそのまま二人は寝室へと移動し、真っ白なシーツが敷かれたクイーンサイズのベッドの上で、今度は唇だけでなく互いの下半身の粘膜をも重ね合う。

「バーバラ……」

「エマ……」

 夜を通して愛し合う二人に、野暮で無粋な言葉は必要無い。


   ●


 寝室の床に脱ぎ捨てられたデニムジーンズのポケットの中から聞こえて来る電子的な着信音を耳にしたバーバラは、ゆっくりと眼を覚ました。寝惚け眼のままベッドの上で半身を起こした彼女は一糸纏わぬ全裸であり、隣では同じく全裸のエマが、すうすうと可愛らしい寝息を立てながら深い深い眠りに就いている。

「こんな朝っぱらから誰だ、ったく……」

 寝室の床に降り立ったバーバラは悪態を吐きながら、デニムジーンズのポケットからスマートフォンを取り出し、着信ボタンをタップした。

「もしもし? 誰だ、こんな朝っぱらから電話して来る馬鹿野郎は」

「ああ、もしもし、バーバラか? 俺だ、ケネスだ。何が朝っぱらから電話して来る馬鹿野郎だ、寝坊助が。もうとっくの昔に昼休みも終わってる時間だぞ。いい加減に眼を覚ませ、この売女オロスプめ」

 受話器の向こうのケネスにそう言われたバーバラが時計を確認してみれば、確かに現在の時刻は、午後の二時過ぎである。

「糞、悔しいが、確かにお前の言い分が正しいらしい。それで? アデーレの行方について、何か分かったのか?」

「ああ、分かった。お前が探している女の子は、トルコから出国せずに、イスタンブール市内のホテルに軟禁されている。たぶん、お前がクンツと呼んでいた男と一緒だ。俺が手に入れた市内の監視カメラの映像から判断するに、自分達が寝泊まりするためのホテルに帰るために繁華街を歩いていたところを、強引に拉致されたらしい」

「なるほど。それで、アデーレとクンツを拉致したのは何者だ? 数は? 装備は?」

「拉致した連中の正体は分からないが、素人じゃない事だけは確かだ。数はおよそ五人から十人。装備は拳銃以上、機関銃未満」

「よし、上出来だぞケネス。二人が拉致されているホテルの詳細を教えてくれ」

 スマートフォンで通話しながら、バーバラは外出着に着替えた。勿論腰のホルスターには二挺のモーゼル拳銃、その名も『モンティ』と『パイソン』が収められている。

「新市街のホテル・エルサレムの最上階の、一番奥の部屋だ。気を付けろ、バーバラ。ホテルのオーナーはイスラエル出身のユダヤ人で、二人を拉致した連中と協力関係にある可能性が高い」

「おあつらえ向きだ。最近は街のチンピラどもの相手ばかりで、腕が鈍っていたからな。たまにはプロの連中を相手に、大暴れしたいと思っていたところだ」

 そう言ってほくそ笑むバーバラの背後のベッドの上で、エマが眼を覚ました。そして彼女は眠たげに眼を擦りながら、バーバラに問う。

「どうしたのバーバラ、出掛けるの?」

「ああ、ちょっとアデーレを助けに行って来る。エマ、お前はここに残って、あたしが帰るまでベッドを温めてろ」

 エマにそう言い残したバーバラは、二挺のモーゼル拳銃を手にアパートメントを後にした。時刻はちょうど午後二時半、食後の一服を嗜むにも午睡を決め込むにも、最適の頃合である。

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