7.BHC(バットで殴る戦闘-Bat Hit Combat)

 自分の額からとめどなく冷たい汗がしたたり落ちているのが、遠い感覚の様に思える。

 それでも額の汗を手の甲で拭うと、次の攻撃にエリサは備えた。

 使用率50%を超えないようにしないといけない。そうしないと、もう人間に戻れなくなってしまうかもしれない。

 もう人間に戻れない?

 自分自身が人間なのかどうか、それすらわからなくなるような倒錯感。

 身長2メートル以上はあるメドヴェーチの巨体は、死んだようにばったりと寮の廊下に倒れ伏している。

 右手から離れたスペツナズナイフはまだくるくると床で回転していた。

 青い顔に目だけが異様に鋭く光るズミェイが、空になったMP-443の弾倉を交換する。それが無意味とわかっていても行動で気持ちを静めるにはそれしかなかった。

「おい!餅は餅屋やだろ!魔女さんよ!!」

 軽く後ろのカーラに振り返る。

 黒いスーツを着たカーラがゆっくりと前に踏み出した。

「大人しく、私たちの一緒に来てもらえないかしら?」

 カーラがエリサの国の言葉で話しかける。

「逃げ切れるわけがないわ。それに家族のことも、女王のことも心配でしょうに?」

「家族を、母さんをどうしたの?!」

 さっき見た夢が現実に起こっていたのかもしれない。

 そうなると家族は母は?

 エリサの心の動揺につけいるように、カーラが操作した空間に変異が訪れる。

 途端にエリサの体重が体積を変えずに増加した。

 重力変動。レベル40%で使用可能。

 エリサが更に変更された重力を元に戻していく。

 重力変動は五次元レベル。両者の負担は計り知れない。

 体育用のジャージ姿のエリサがよろけるように片膝をついた。

 息をすることもままならない。もともと白い顔が今は完全に青ざめている。

「手間取らせやがって」

 これまでとは打って変わった殺人を行う者の顔をしたズミェイがMP-443グラッチを構えてゆっくりとエリサに近づいていく。

「待て」

「いや待てないね。両手足を撃ち抜いてから犯してやる」

 ズミェイを止めようとカーラが一歩出てよろける。回復にはまだ時間が足りない。

「エリサ!!」

 暗闇からマユミが駆け寄るとエリサを抱きかかえた。

 震える手でなんとかエリサを後に引っ張っていこうと持ち上げる。

「危ないって!マユ!」

 智子が走ってきて駆け寄ると

「あなた達!どこから来たのよ!なんでこんなところにいるの?!」

 錯乱気味の智子がズミェイをにらみ付ける。

「いいねぇ。楽しみだよ君たち」

 ズミェイがおよそ人間の表情とは思えない、口の両端が耳までつり上がった笑いを向けた。

「エリサ!逃げるよ!」

 力なくうなだれかかるエリサを必死にひきずっていくマユミ。

 二人を守るように、智子が震える両足で前へ出る。

 無造作にズミェイが左手を一閃させた。

 智子のパジャマの前がはだけ、白い肌があらわになる。

 声にならない悲鳴を上げて智子がその場にかがみ込んだ。

 ズミェイの目が青白く光り三人を見下ろす。

 長い舌が口の端をペロリとなめた。

 と、その時。

 後に気配を感じたカーラが振り返った。

「悪いんだけど、動かないでくれるかな。女を撃つ趣味はないんでね」

 PP-93サブマシンガンを構えた吉川がカーラに銃口をポイントしたまま回り込んだ。トリガーは既に半分押し込まれている。

 撃たれるとカーラは思った。

「遅い!ヒロ!」

 泣き顔で叫ぶまゆみに、

「悪いね。これでもすっ飛んできたんだけど」

 吉川がカーラに向けた銃口はそのままにウィンクしてみせる。

 するとスタスタと進んでいく人影が一人。

「おっさん。ひとの学校で何してくれてんだ?」

 奪った拳銃も構えず、バット一本の沖田がズミェイの前に無造作に進み出る。

 その沖田にズミェイが振り向きざまにナイフで一閃。

 金属バッドから火花が散る。動作の終わりには、MP-443を沖田の眉間にポイントしている。

 殺人の訓練を重ね完成されたズミェイの動き。しかし、沖田は落ち着いた。

 むしろ緩慢に見える動作でズミェイの銃を持った手に軽く左手を添えると、銃口を裂けるようにズミェイの横に入り身に入った。

 ズミェイが沖田につかみかかろうと体を回転させたところを、沖田がズミェイの拳銃を持った方の手をつかみ、小手を返してそのまま関節を決めて投げを打つ。

 ズミェイの体がふわりと宙に舞った。銃は既に沖田の手に握られている。

 流石に床にたたきつけられることなく、ズミェイが綺麗に受け身を取って立ち上がり、予備動作無しでジャンプ。左側に蟹挟みで飛び十字を決めにくる。

 それを予想していたかのように、沖田が前受け身で転がって避けると、今後は金属バッドを正眼に構えた小坂がスルスルと前に出た。

「ぬんっ!」

 腹の皮を破るような気合い声と共に、ものすごい音がしてズミェイが廊下に叩きつけられた。

 更にこめかみ、みぞおち、金的と、連続して突きが撃ち込まれる。潰された蛇のように痙攣してズミェイが動かなくなった。

「六〇点くらいかな」

 剣道部と居合道部の主将でもある小坂がぼやく。

「三人とも大丈夫か?!」

 沖田がエリサ達の方へ振り返り声をかけた。

「さて、このまま大人しく拘束されてくれるかな」

 吉川はサブマシンガンをポイントしたまま、カーラの腕を取った。

 瞬間。

「うわあああ!なんだぁ!」

 全員の体が宙に浮き天井へと押し上がった。

 カーラが右手に持った何かを口に放り込む。

 顔中に血管が浮かび上がり、細面の美しい顔が歪む。長い髪が天井へと逆立った。

「キャアアアアッ!」

 マユミ達の悲鳴があがり、寮の廊下を突風が吹き荒れた。

 カーラはもとより、ズミェイ、巨体のメドヴェーチまでもその姿が消し飛んだ。

「空間移動…」

 エリサがつぶやく。

 使用率50%以上を使用する危険行為。

 しかし、カーラの存在が周囲から消えたことだけは確認出来る。

 全員が床にゆっくりと降りられるように制御すると、真っ暗な闇がエリサの目の前を覆った。

 ゆっくりと廊下に降りた全員がキョトンとしている。

「なんだ今のは一体」

 吉川と小坂が油断なく周囲を警戒する。

「消えたぞ。あいつら」

 周りを見回しまだ何か出てこないかと辺りをうかがうが、これ以上何か起こる気配はなかった。

「ふう」

 一息ついて、沖田がバッドを床に立てよりかかると、片手でタバコに火を付ける。

「沖!ここ女子寮!」

 睨む智子に、

「ああ、ごめん、ごめん。それより、智ちゃん。これ着てよ」

 沖田が顔を押さえて上を向くと、着ていたブレザーを差し出した。


To be continued.

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