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 恐怖とは何か答えられるか?幽霊、妖怪、死、裏社会。恐怖は、得体のしれないもの、自分の知らないものに対して感じる。では、その究極は?


自分が誰かわからないことだ。


 俺はV社から逃げ切ることができた。ラッキーだったことの一つに、この町が廃れていたことが考えられる。数年前、V社のせいで世界中にはいたるところに膨大な量の監視カメラが設置された。セキュリティを建前とした情報収集だ。そのため、いつどこで罪を犯してもすぐに見つかってしまう。でも逃走地域は廃れた街。偶然、すぐに見つかるということがなく、逃げ延びたのだ。でも、追っ手は必ずやってくる。


 俺は少しでも遠くに逃げるためにFORMに乗ろうと決めた。あの空飛ぶ車だ。データに記録されてしまうことはわかっていたが、やつらは俺のナンバーを知らない。知っているのは顔だけ。だから俺を探す方法は、俺の顔を見たあいつらが目に装着していたハイパーコンタクトに録画された映像から俺の顔を保存し、それをV社のデータベースに移して検索。でもここで壁が。あいつらの記録には俺の顔は映ってないんだ。 

 

 どういうことか説明しよう。

これはショウのアイデアなのだが。彼はこの過剰なまでの情報社会に反感を持っていた。だから、捨てられて個人情報があいまいだった俺を匿ってくれたときに、俺にマスクをくれたんだ。マスクというのは・・・わかるだろ?プライバシーを守るために身に着ける欺顔マスク。それも、素顔だと勘違いするような高性能なものだ。闇市場(隣町にあるアナログショップのことだろう)で手に入れたものを、ショウ自ら手を加えてより人の顔に近づけたもの。ショウがその欺顔マスクを着けていたおかげで、俺の顔はあいつらにはばれてないというわけだ。


 これらの理由で俺の捜索には時間がかかるだろうとみた俺は、FORMに乗った。まだコネクテッド社会が浸透しきれてない地方に移動するために。でも、そこで恐ろしいことに気付いてしまったんだ。先に言ったろう、本当の恐怖とは自分がわからないことだと。FORMに乗るには現金は使えなかった。それを知った俺は落胆した。でもその際に、備え付けの認証機械が俺の腕を自動的にスキャンしてパーソナルナンバーを読み取ろうとした。そこでブザーが鳴ったのだ。


なんと俺にはパーソナルナンバーがなかった。


 覚えていないわけでも、家に来たV社が認証に失敗したわけでもなかったんだ。ナンバーを持たないとはつまり、俺は社会に人間として認められていないということ。


ショックだった。


 その時はブザーが鳴ったパニックで、FORMから降りてその場から猛ダッシュで逃げた。路地裏に身を潜めてから、どっと恐怖が押し寄せてきた。


俺は誰だ。

いつどこで生まれた。


それからこの世界ではパーソナルナンバーなしでは生きてはいけないと悟った。買い物も移動もナンバーに紐づけられた情報から決済するからだ。もはや何もできない。


 それからしばらくは逃亡の日々が続いた。人の目と町中に設置されたカメラが怖かった。監視カメラだけでなく、町の人が見た景色からも情報収集ができてしまうなんて怖すぎる。

  

ある時、とあるビルに設置された投影モニターでニュースを見た。


 「歴史に残る最悪のIDミッシング事件、V社の対応は・・・」


 焦っている幹部らが映っていた。真ん中に映る若い短髪の男はV社の社長だ。アナウンサーが事の経緯を説明する。機械のミスであれば信用を失います。しかしもっと最悪なケースは、ナンバーの登録されていない人間が見つかったということです。パーソナルナンバーが配布されて40年、私たちの情報は本当に適切に管理・運用されていたのでしょうか・・・


 すぐに捕まってしまうことは容易に想像できた。だから俺は覚悟を決めた。捕まる前に最後、行きたい場所がある。


 俺は店へと足を運んだ。記憶を整理できる店だ。大抵の人間はハイパーコンタクト内の情報を整理し、バックアップを取ったり、余分なものは消去したり、もしくは提供して対価を得たりする。ところが俺の目的は違う。記憶を見返すのだ。見返すくらいならわざわざ店に行く必要などないと思うだろうが、そもそも俺はハイパーコンタクトなるものは着けていない。メモリウォッチも持っていない。だから記憶を遡るには、店で俺の大脳皮質から呼び戻してもらうしかないのだ。もちろん足はつくだろう。


 だが、俺は覚悟を決めた。もういいんだ。こんな社会でV社の目を盗んで生き抜くことは不可能に近い。それよりも真実が知りたい。俺は、どこでいつ生まれたのか。せめて母親の顔だけでも思い出せればよいのだ。


 店は入り口に「現金取扱店」のステッカーが貼ってあるところを選んだ。可能性がある限り証拠が残りにくいところが良い。そうすれば時間は稼げる。店内へと入り、通されるがままに席に着いた。狭い店内で、客は俺以外いなかった。


「昔を思い出したい」


 店員は手際よく進めてくれた。頭に装置を被り、腕に認証機械を当てられる。店員がその場を去ると、俺はそこにあったVグラスを装着した。すると、視界に急に今までの記憶が並べられた。ショウと一緒にいる場面ばかりが浮かぶ。そこで俺は、一番古い記憶まで遡った。


背筋に冷たいものが走った。

遥か昔だと思っていた、小さな部屋で母親と過ごした記憶は2年と数か月前のものだったのだ。それから記憶は飛び、町を彷徨ってショウと出会うシーンに繋がっていた。さすがに部分的すぎる。一瞬、機械の故障かと思ったが違う。母親との記憶の前にたった一つ記憶が存在した。恐る恐るそれを再生する。

 




どこかの施設。壁、床、全部が白い空間。

若い男が実験用のゴーグルを着けて俺を見ていた。


「できたぞ!完成だ」


 隣の助手らしき男性が叫ぶ。


「よさそうです。容態は安定しています。あとは前みたいに精神が錯乱して暴れなければ・・・」


「大丈夫そうだぞ。おい、聞こえるか」


「待ってくださいよ、まだ生まれたばかりです。まだ安静にしてないと」


「生まれたんじゃない、つくったんだ!成功だよ、やったな」


「そうですね、ようやく完成しましたね」


俺は無我夢中で抵抗して男の手を振りほどこうとした。


「なにする、落ち着きなさい!君の体調が心配だから」


もがく、もがく、暴れる。

男から解放された。が、再び捕まる。硬く握った拳で男の顔を思い切り殴る。


「いった。痛いぞ君、ほら落ち着きなさい」


もう一度殴る。

勢いで男のゴーグルが吹き飛んだ。こっちを向いて睨んでくる。


「痛い!やめなさい!拘束するぞ」


ゴーグルを外した男は見覚えのある顔をしていた。

短髪、目つき。

まさか、V社の社長だ。


「落ち着きなさい!」


 暴れる俺を抑えこもうとする。奥にいた助手が注射器をもって駆け寄ってきた。


「念のため打っておきましょう」


「そうだな」


 ダメだ!捕まったら殺される!


「大丈夫だ、安心したまえ。これはちょっと記憶がぼんやりするだけだよ」


 俺は必死に抵抗した。蹴ったり、頭突きしたり。力の限り体を動かす。

 注射針が右腕に刺され、謎の液体が注入された。

 やめろ!

 注射器が離れ、無事に打ち終わって安心したのか、二人の力が抜けた瞬間があった。


逃げろ!


 二人の手が離れたその瞬間を狙って見事に脱出。俺は部屋から出た。走って、走って、もう一つ扉を抜けると、急に大勢の人間がいるところに現れた。猛ダッシュしてきたために急に止まれず、俺は人混みに見事に突っ込んだ。人の雪崩が起きてその場がぐちゃぐちゃになった。慌てて立ちあがる。その群衆に紛れて俺は走った。その場は開放的な広々とした空間で・・・





 けたたましいサイレンとともに俺は現実に引き戻された。

Vグラスと頭の装置を取り外すと、目の前に店員がいた。サイレンは未だ止まらずに泣き叫んでいる。


「お客様、もしかしてIDミッシング事件の・・・」


そりゃばれるよな。でも、思ったより早い。

俺は店員の声を無視して店を出た。


 やはり、V社は個人情報を管理と言いつつも、覗き見ているのだとわかった。コンピュータが俺の逃走劇を記憶から発見したに違いない。俺は記憶を預けてなどいないのに、本人の同意なくデータとして回収している。酷すぎる。記憶から、どの経路で逃げてきたかが判明し、さらにはこれからどうやって逃げようとしているのかもデータ分析から推測されてしまうだろう。覚悟はしている。ただ、記憶を呼び戻したことで、捕まる前に行きたいところがもう一つ見つかった。

店の中からはサイレンの音が漏れて聞こえる。真実がわかっても俺は意外と冷静だった。


さあ、捕まる前に行こう。

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