ZERO

ボーン

 俺は今、上空900メートルにいる。

視界を遮るものは何もない。自由な空間だ。足元には、俺の足の何倍もあるような太さの丈夫な鉄骨。叩いてもびくともしない。ゴンという鈍い音が響くだけだ。


「いよいよだな」


 ふと、そう呟く。なぜこうなったか。それを説明するには時間がかかる。それに面倒くさい。でも時間はまだあるから軽く話そうじゃないか。

そこで、ビューと風が吹く。シャツの袖がなびいた。もう既に日は落ちているが、気温が一桁になるような寒い季節ではない。


「全てがゼロになる」


 眼下には〈世界一の夜景〉が広がっている。白く点灯しながら規則に従って動く車、グラデーションを見せながら刻々とライトアップを変化させていくタワー、点滅して居場所を伝える高層ビル。それを見て、僕は思わず笑ってしまう。これに一体いくらかけたのか。これを見に、毎年500万人以上の人間がここにやってくる。ポスターと同じように写真を撮り、広告と同じようにSNSに投稿して自慢する。まったく、みんなあいつらの言う通りに動きやがる。まあ、今さら言ったところで意味はないのだが。


 少しここについてパンフレットの説明を引用する。

この施設は世界中で最も空を堪能できるスポットだ。某国の首都のど真ん中に建てられており、地上から最も離れた商業施設とも言われる。この施設の魅力はそれだけではない。

 

 まず第一に、この建物のデザイン。全体の9割が透明だということである。これは設立当初画期的で、床や壁がクリアで反対側が見通せるということなので、来客はまるで空を上ったり歩いているかのような感覚になるのだ。ありえないと思われる方もいるかと思うが、要はコンクリートや鉄筋に代わる丈夫で透明な物質が開発されたということ。詳しくは企業秘密ということだが、この前代未聞の設計に世界中が沸いた。


 そして魅力の二つ目は、最上階の屋上面積の広大さ。よくある、東京ドーム〇個分という例えを用いるのであれば5個分。屋上だけ階下フロアよりも抜群に広く、外から見たら頭でっかちの構造なのだ。さらに前述したように床や壁は透明なために開放感が半端ない。ここに来た人間は文字通り空中散歩ができるのだ。他にも内部は商業施設になっていて・・・など魅力はたくさんある、がこの辺で止めておこう。


 俺はまだ夜景を眺めていた。まったく、あいつらはこれに一体いくらかけたんだって。いくらかけたか、というのはもちろんこの施設だけを言っているのではない。この景色をつくるのにどれだけ投資したのかということだ。

俺は昔を思い出した。


 俺はあてもなく町をふらふらとしていた。


 幼いころの記憶は、小さな部屋で母親とご飯を食べていたことくらいしかない。俺は捨てられたんだ。そこは廃れた街だった。俺は町中を彷徨って一人の男性に拾われた。その人の名前はショウ。白い髪に白い髭が特徴の老人だ。彼は孤独に過ごしていた。孤独と言ってもあなたの考えるようなものじゃない。体の弱かった彼は自宅にいながら定期的に診察を受けることができたし、買い物も家で済ませることができた(購入すれば30分でリビングに届くのは説明不要かな)。国の決まりで地域のコミュニティにも毎週末参加して、ラジオ体操や玉入れ、編み物などもやっていた。もちろん、自宅から仮想共有ルームに入室してだから身体的負担は少ない。しかし、その生活は彼には合わなかった。というか彼を精神的に苦しめていたんだ。例えば買い物。欲しいものでもコンピュータが年齢と身体を考えて、危険だというものは買うことができなかった。もちろん食べることもできなかった。また、コミュニティでの活動もストレスが蓄積していった。馬が合わない人と近所だからという理由で交流しなければならず、気分じゃなくても課された編み物や絵描きをさせられる。俺はショウの気持ちを聞いていた。彼はいつも「長生きすることだけがすべてじゃない」と言っていた。コンピュータによって制御された生活は彼から選択を奪っていたのだった。


 彼は昔は化粧技師をやっていた。あの、次世代の化粧と謳われた人工スキンが広まった時代の先駆者だったのだ。町の女性が化粧をしなくなって、代わりに薄膜の人工スキンを利用するようになった当時、ショウの会社は全盛期だった。しかしある時から、仕事に自分の意志が通らなくなってしまった。仕事に対するモチベーションを喪失したショウは化粧業界から身を引き、孤独で退屈な毎日を送るようになってしまったのだった。その原因は、そうV社である。


 俺はその話を聞く少し前に、このコンピュータに支配された世界をつくったのはV社だと知った。元々は世界中の情報を集めるIT企業だった。それが企業に情報を売り渡すビジネスで収益を上げて大きくなり、人々が気付かぬうちに世界中の人間の9割もの情報を掌握するようになった。しばらくするとV社は、人々の個人情報を管理する情報銀行をつくった。もうこの時点で世界に激震が走ったのだが、あいつらはそれには止まらなかった。人々は、一人ひとりにパーソナルナンバーというものを割り振られ、それに沿って管理されることになった。それからV社は、医療、交通、飲食と、ありとあらゆる巨大企業を次々と傘下に入れて、あらゆる業界やジャンルを縦横無尽に飛び回った。そして翌年、ついにV社は某国の首都に町をつくったのだった。トレードマークはあの超巨大複合施設、ザ・スカイ。前述した巨大で透明な施設であり、今俺がいるところだ。


話はまだ続く。


 俺がショウに拾われて2年。ショウが死んだ。持病が悪化したのだった。彼は最後にこう言った。


「コンピュータにすべてを任せてはいけないよ」


 彼は俺にわずかなお金を残してくれた。現金だ。この世界で現金は珍しい。それは仮想通貨が一般的だからだ。


 それからしばらく経ち、V社の人間が家にやってきた。家の主が倒れたことが伝わり、家を掃除に来たのだ。この頃にはどこにもV社が関わっている社会になっていたからな。俺はそいつらと話をするつもりだったが、あいつらはパーソナルナンバーを教えろの一点張り。俺は番号なんか知らない。だってそうだろ、捨てられて拾われた身だ。そいつらは俺の腕に特殊な機械を当てて、パーソナルナンバーを調べようとした。でも、何度やっても認証ができなかった。パーソナルナンバーを偽造したり、他人のものを使うのは重罪。そいつらはなんと、俺にその疑いがあるとして警察に届けようとしたんだ。怖くなった俺は逃走。そいつらは遅く、馬鹿だったからか一瞬で逃れることができた。しかし、安心したのもつかの間。俺を待っていた恐怖はこれからだったのだ。



    

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