第12話 指輪と鍵

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 ウィンスマリア教会にその夜、戸を叩く音が響いた。

 ユリアは戸についた小窓を開くと、そこには若い男が立つ。

 どこかで見覚えがあったが、どこだったか・・・・・・と眉間にシワを寄せながら無遠慮にマジマジと眺めていると、相手の青年の方がユリアに気付いた。

「あの時のシスター」

 そう言われて気付いた。昨日、大学で悪魔に追われていた男女の一人だ。

「あぁ、あなたでしたか。無事だったんですね」

 すぐさま扉の鍵を開け、笑顔で出迎える。

 そこにいたのはレイ・カーターだった。

「あれから、どうされていたんですか? 心配していたんですよ。警察の方には会えましたか?」

 ルーヴィックがレイを探していたことを知るユリアは尋ねると、レイは少し考えてから首肯した。

「あぁ、あの人はロンドン市警だったな。会ったよ。彼にここに来るように言われたんだ」

 そうですか、そうですか。とコクコク頭を動かしてユリアは、ルーヴィックの姿もレイの背後にいるか探してみるがいなかったので、レイを招いてから扉を閉めた。

「女性の方は大丈夫でしたか?」

 レイと逃げていたステファニーのことだ。レイは、狙われているのは自分で、彼女は安全な場所にいると話す。大学で悪魔に襲われた後、実家へ向かったがすでに崩壊していたため、父親の手帳に書いてあった、魔除けを施した隠れ家に身を隠したのだと話した。

「ただ、本気で悪魔が進入しようと思えばできるみたいで、このままだと危険だからこの教会に来たんだ」

 レイはユリアの後に続きながら話す。

 ユリアは聖堂にいるアントニー神父の元へ案内した。

 薄暗い印象を受ける聖堂。信者が腰を掛けミサなどに参加するためイスが並べられるが、もちろん誰一人座っていない。というよりも、埃のたまり具合から、あまり人は訪れることもないようだ。

 アントニー神父は正面の十字架の前で跪き祈りをしていたが、ユリアとレイに気付いて立ち上がった。

「こんな時間に来客とは珍しい」

「レイ・カーターと言います。リチャード・カーターの息子です」

 名乗ると、アントニー神父は目を細める。彼が本物なのか見定めているようだ。鋭い視線に思わず後ずさるが、それに気付いた神父は視線を緩めて詫びた。

「失礼。少々、事態が深刻なものでして、つい不躾なことを」

「いえ、事態の重要性は分かってるつもりです」

 そう言うと、レイはポケットからキューブ状の箱を取り出した。アントニー神父が瞬間的に息を飲む姿を見て、重要度をユリアも理解した。

「どこまで分かってらっしゃいますか?」

「おそらく全て」

「どうしてここへ?」

「ロンドン市警のヘンリーさんに、ここに来て保護してもらうよう言われました」

 アントニー神父はヘンリーの名前に納得したように頷く。逆に、ユリアは「ヘンリー?」と、自分の思っていたロンドン市警と、レイが会った人が違うことに気付いた。

「そうですか、彼が・・・・・・」

 アントニー神父はヘンリーの名前に複雑な顔をする。嫌いではないが困った相手、といった所だろう。

「それからこれも」

 レイは分厚い手帳を取り出してアントニー神父に渡した。リチャード・カーター教授の手帳だそうだ。

 神父はそれを受け取り、ページをめくる。シワ深い眉間にさらにシワを寄せる。

 レイに視線を向け、何かを言おうと口を開き、そして止めた。そして少し自分を落ち着かせるように、目を閉じてから「場所を変えましょう」とレイを奥へと招いた。



 アントニー神父の部屋は質素ながらも広さはあり、本などが多く積まれた部屋だった。

 三人は中へ入ると、テーブルを囲むように座る。

「この内容は事実ですか?」

 手帳をめくりながら、アントニー神父はレイに尋ねる。

「はい、ヘンリーさんと父はそう信じてました」

「では、どうして彼はあなたをここへ?」

「状況が変わった、と。指輪を持っていた人が悪魔に襲われたそうです。それで、慌てて俺の所へ来て、あなたに助けを求めろと。鍵だけは守らなければいけませんから」

 それを聞きアントニー神父は唸る。一方のユリアは話について行けてなかった。口を挟もうかと何度も口を開き掛けるが止めた。アントニー神父が席を立ったからだ。

 神父は引き出しから綺麗にたたまれたストラと呼ばれる帯を取り出す。そしてそれをレイ、ユリアに見せるように置いた。

「引き寄せ合うのかもしれませんね」

 ストラを広げると、そこには美しい装飾のある指輪があった。レイは息をのむ。

「これは、もしかして・・・・・・。で、でも、どうしてですか?」

「指輪を持っていた方が、私に託してくださったのです。ヘンリーはそれを知らなかったのでしょう」

「つまり指輪と鍵が揃ってしまった、と言うわけですね」

 事情が分からないユリアは、自分のいますよ、というアピールも込めて、深刻な面持ちで言う。他の二人の反応を見る限り、間違ったことは言ってないようだ。

 三人は重いため息をつく(ユリアは雰囲気に合わせた)。

「あなたがここを訪れることは、おそらくはあの者(悪魔)達も予想しているでしょう。鍵を奪いに現れるのは時間の問題です。指輪と一緒にしておくのは危険か・・・・・・」

 最後の方は独り言のように声は小さかった。すると神父はユリアに視線を向ける。いきなりのことに背筋が伸びる。

「ユリア、この指輪はあなたが持っていなさい」

 そう言って、指輪をストラの上に置き、元通りに畳むと、ユリアに渡す。いきなりのことに目が点になる。

「このストラの力で、ある程度は指輪の所在を惑わすことができるでしょう」

 反論に口を開き書けるが、鋭い眼光を向けられ押し黙る。この目つきで睨まれたら黙るしかない。ユリアは小さく返事をして、ストラを受け取る。

「悪魔は指輪も狙ってくるんだろ? シスターが襲われるかもしれない」

 レイはその様子を見ながら尋ねる。アントニー神父は片方の口元を吊り上げ笑う。

「鍵と指輪でおびき出しますが、その指輪でではありません」

 そう言うと、ポケットの中から別の指輪を取り出す。見た目はミカエルの指輪とそっくりだ。

「ブルー捜査官から指輪を受け取ってから、急いで似た物を用意しました。もちろん細かく見れば違いがあります。ただ、もともと本物を模して作られた指輪です。デザインの違いでばれることもないでしょう。それに先ほどまでこの指輪に祈りを吹き込んでおきました。騙すことはできます」

 鍵と指輪をエサに悪魔を呼び寄せ、一気に叩く考えなのだ。だが、万が一のことが起きた時、指輪を持ったユリアだけでも逃がす考えだった。そして偽物の指輪を持たせておけば、多少なりとも時間稼ぎもできる。

 ユリアはいろんなことを一気に言われて混乱した。指輪とか、鍵とか何の話をしているのか? そして指輪を持っていたのがルーヴィックならば、悪魔に襲われたというのもルーヴィックと言うことにも気付く。死んでしまったのだろうか・・・・・・。ストラを持つ手に思わず力が入る。

 悪魔達が襲ってくる。それも恐らく近いうちに。自然と重たい空気が落ちるが、アントニー神父の存在が不思議と二人を安心させた。

 夜も深まってきたこともあり、神父はユリアに、レイに休む部屋を用意するよう指示をする。

「加護と祝福が通用しない相手・・・・・・ですか」

 アントニー神父は部屋を出て行く二人を見ながら、決して聞こえないほどの声で呟く。それは、以前にルーヴィックが言った言葉だった。思わず首に掛けた十字架を掴んでいた。


 悪魔達が現れたのは、翌日の夜だった。

 普段通りの昼間に多少なりとも拍子抜けだったが、夜の帳が周囲を暗くすると同時に奴らは現れた・・・・・・


   2


 それぞれの場所にいた三人は、同時に感じた。神聖なる場所では似つかわしくない感覚だ。

 灯したロウソクの火が弱くなったり、強くなったりを繰り返し、影が不気味に動く。そして室温が一気に下がった。

 悪魔が来た。

 直感的にそう思った。人間の潜在意識にある悪魔への嫌悪がそう叫んでいる。だが、ユリアは同時にこうも思った。こんなにも簡単に教会(聖域)に現れることのできる悪魔がいるのだろうか、と。

 レイとユリアは慌ててそれぞれの部屋を飛び出し、嫌な感じが一層強く感じられる聖堂に入る。

 そこにはすでにアントニー神父が立っており、、睨むような目つきを聖堂の椅子に座る者たちに向けていた。聖堂のロウソクの炎はまるで火柱のように燃え上がり、堂内は不気味なほど明るく照らす。しかし、これほどまでに炎が上がっているのに、凍えるほど寒かった。

「ここはお前達のような存在が気安く来ていい場所ではない!」

 アントニー神父の一括で、周囲が震え、ステンドグラスがビリビリと震える。

 聖堂のそれぞれ離れたイスに腰を掛ける四人の男達は、その様子をうっすら笑いながら見る。そのうちの二体は、ユリアとレイには見覚えがある。大学に現れた悪魔だ。そしてユリアにとっては、残る二体に関しても、ルーヴィックとの情報共有で得た特徴と一致する。

 そのことをユリアは耳打ちすると、アントニー神父は小さく頷いた。

「鍵をもらったら、すぐにでもこんな所は出ていく」

 スキンヘッドの男・メーメンが代表して口を開いた。

「指輪もあるんだろ?」

「どうして?」

「ルーヴィック・ブルーは持ってなかった。となると、次に指輪の気配が濃いのはここだ」

 そう言い終わらないうちに四人は音のなく立ち上がる。身構えるレイとユリアだが、アントニー神父はかかとを鳴らしただけ。静かだが、その場を支配する音だった。

「ここは神の家。聖なる場。お前達のような穢れし存在が闊歩するなど・・・・・・不快だ」

 最後の言葉には力があった。悪魔達は勢いよく椅子に戻される。あまりの勢いに、椅子が軋み砕け、石の床に押しつけられる。見えない力が上から降りかかっていた。その圧力を逃れた髭を蓄えた悪魔・ジャックが獣のような動きで神父へ飛びかかる。

 アントニー神父は歳を感じさせない動きで身を躱してジャックの攻撃を避けると同時に、相手を掴み投げ飛ばす。床に転がるジャックにダメージはなかったが、人間に軽々と投げられたことを驚き、目を白黒させている。

 ここまでは一瞬の出来事だった。レイは全く反応できなかった。ユリアに関しては瞬きしていたら終わっていた。

 ジャックの攻撃のおかげで圧力が消え、他の悪魔達も自由になる。彼らの人間の体が次第に崩れていく。ある者は溶け、ある者は炎を纏い・・・・・・。今の攻撃で、アントニー神父の実力を知ったのだ。

 それぞれの姿を現し、周囲の気温が下がり、まとわりつく空気の重さも増した。

「ユリア。レイさんを連れ、地下から避難を。少々、騒がしくなりそうなので」

 非常事態の中、いつもの穏やかな声はユリア達に安心と落ち着きを与えた。ユリアは頷き、レイを連れ脇の扉へと向かう。そうなった場合にどうするかは事前に話し合いをしていたし、今の戦いを見る限り自分がいても足手まといになると理解できた。

 逃げようとする二人に意識を向けた悪魔達だが、すぐに神父へと戻した。それは彼が、両手に鍵と指輪を持って見せたからだ。

「悪魔どもよ。欲しければ、取りに来なさい」

 悪魔が一斉にアントニー神父へ襲いかかる。が、火球を身軽に躱し、迫る相手をいなし、逆に頭を掴み、地面に叩き付ける。教会という特殊な場所で、悪魔達が多少弱っているとはいえ、人間とは思えない力だ。ただし、さすがに四対一と数で劣るため、悠長に相手もしていられない。

 いかに押しつけられ、祈りに身を焼かれようと、悪魔達はすぐに回復してしまう。巨大な白い悪魔・メーメンが炎の鞭を振り回し、神父に振り下ろす。それを身につけていたストアで受けて弾くと、素早く背後に回り込み、ストアで悪魔の首を締め上げる。聖なるストアに焼かれ、激痛に悲鳴を上げるメーメン。

「主の名において、汝、メーメンに命ずる。あるべき場所へ今すぐ戻れ!」

 神父が命じ、力を入れると悲鳴が一層大きくなるが、それ以外何も起こらない。訝しげな顔をする神父に、メーメンは苦しみながらも笑う。

「我々の名前を知ったつもりでいたな?」

 ストアから炎が上がり、神父は後方へ吹き飛んだ。

 ルーヴィックからの情報では、悪魔二体の名前はメーメンとレオゼルだった。しかし、効果はない。つまり、それが彼らの本名ではないのだろう。悪魔は偽名を名乗ることはできない。だから、他の者に呼ばせることで偽装したのだ。

 アントニー神父はため息をつき、起き上がって服に付いた汚れを払う。背後の台に置かれたお盆の中の水に、脇に置かれた塩を入れる。ゆっくり手でかき混ぜながら、何かを呟く。

 背後から気配が迫っていた。

 アントニー神父は振り向きざまに、お盆をかき混ぜた手を振り回す。手に付いた塩水が水滴となって飛んだ。それ受けた骸骨姿のレオゼルが激しく煙を吹き出し苦しむ。そんなレオゼルをそのまま強く圧して、吹き飛ばす。続いて、お盆の水をメーメンに浴びせると、レオゼルの比ではないほどに煙りと硫黄の臭気を放ち、苦しみ悶える。清められた塩と水に、身を焼かれているのだ。

 神父の標的になったのは近くに迫っていた顔が縦に割れ、鋭い爪の悪魔、ジャックだった。爪を掻い潜り回り込むと、ジャックの頭に優しく手を乗せて抱きかかえる。もう一方の手には十字架が握られており、犬のような悪魔のジェイスに向けることで、動きを封じた。

 抱きかかえるような仕草に、ジャックは動かない。いや、動けない。痛みに耐えるような苦悶のうめき声を上げている。

「さぁ、答えよ。名を名乗れ!」

 祈りの言葉の切れ間に、神父はジャックに何度も言い放つ。言われるごとに、ジャックは苦悶の表情を浮かべて何かに耐えた。

「さぁ、名を名乗れ、お前は誰だ!」

 一層、厳しい口調になった時、ジャックは悲鳴と狂ったような笑いと共に自らの名前を吐き捨てる。

「父と子と聖霊の御名において、お前を追い払う。あるべき場所へ戻れ」

 最後に、神父が「アーメン」と呟くと同時に、ジャックの体は砕け消滅した。

 ジャックを地獄に送り返したのだ。

「あと三体もいるのか、これは骨が折れるな」

 残る悪魔達に視線を向けながら不敵に笑むアントニー神父。ここで動きが止まる。

 聖水を浴びたメーメンとレオゼルはすでに回復、圧から解放されるジェイスも自由に動けるが、動かない。神父の強さに恐れをなしたからではない。その証拠に、憎しみの炎が勢いを増したことは、ヒシヒシと感じられたから。しかし、悪魔は動かない。もう終わったとでも言うように。

「こんばんは、神父様。私のお願いを聞いてもらえますか?」

 すぐ背後から聞こえた。美しく、心安まる声が耳元で聞こえる。

 驚き振り返った神父はさらに目を見開いた。相手は本当に目前にいた。まったく気付かなかった。悪魔達との戦いに気を取られていたからだろう。

「なんという・・・・・・」

 目前の相手は翼を広げる。

「加護も祝福も効かない相手か・・・・・・」

 神父は無意識に十字を切っていた。


 ユリア達が地下から地上に上がった時、大変な騒ぎになっていた。人々が大きな声で何かを言いながら走って行く。

 何が何だか分からないユリアは、人が向かう方へと目を向けて立ち尽くした。そこから目が離せず、何も考えられなくなった。それは隣のレイも同じだった。

 人々が急いで向かう先。それは離れた場所からでもわかった。

 ウィンスマリア教会が巨大な火柱のように燃え上がっていた・・・・・・。

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