第11話 狩りの時間

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 ルーヴィックは昨日訪れた大学、リチャード・カーター教授の部屋に来ていた。室内は昨日のように教授の助手はおらず、静まりかえっていた。雨粒が窓に当たる音と、時折学生だろう声が窓の外から聞こえてくる。

 教会を後にしたはいいが、土地勘のない人間が単身で人捜しをすれば自分が迷子になってしまう。まずは、ヘンリーと事前に決めた合流場所に足を運んだわけだ。

 教授の息子・レイ、そしてユリアが昨日悪魔と遭遇した場所を捜査したかった事もあり、ヘンリーの部屋ではなく大学を集合場所にしていた。

 ただヘンリーの姿はなく、大学校内、教授の部屋の捜査(いろいろ見て回った)も一通り終わったので、ルーヴィックは本棚にあった教授の研究がまとめられた本を取る。

 元は教授が座っていたであろうイスに腰をかける。手に持っていたくしゃくしゃの紙切れを見てから、それを腰の道具入れに押し込んだ。そして持ってきた本のページをめくった。

 教授はあるアイテムについて調べていた。それはキューブ状で、まるでパズルのように、分解できそうな切れ目が表面にあり、不思議な文字が彫られている。文字の解読と、キューブの分解を試みるもうまくはいってないようだった。ただ・・・・・・

 途中から記録がない。

 本の文字を目で追いながら、ルーヴィックは教授の研究と今回の事件について考える。

 教授の見つけたキューブが鍵なのだろうか・・・・・・

 もしそのキューブ(鍵)が悪魔達に奪われ、地獄の門が開き、ルシフェルを解放すれば、黙示録の通りに終焉のラッパが鳴らされる日も近い。

 モルエルはそれに気付いて、殺されたのだろう。だが、なぜモルエルが気付いたのか?

 この事件に関わるきっかけになった夜のことを思い出すが、疑問の答えは浮かばない。なのでとりあえず保留にする。そしていくつもの疑問もあったが、同じく答えにたどり着かないので保留に。次に今後の対応について頭を切り替えた。

 扉の場所は分からないが鍵は恐らくレイ・カーターが持ち(まだ奪われていないとすればだが)、鍵を使うための指輪はアントニー神父に渡した。最悪のケースは、悪魔達がすでに鍵を手に入れており、扉の場所も把握。アントニー神父が悪魔とつながっていた場合だが、そうなるとすでに詰んでいる。この事件で我々人間の勝利条件は、地獄の門を開けないこと。扉、鍵、指輪のどれかをどうにかすれば門は開かない。ただ人間にどうにかできるとも思えない。指輪を壊せるか実験しなかったことは、悔やまれた(壊せはしなかったろうが、壊せたらラッキーだ)。

 人間、特に聖職者でもないルーヴィックにできることは限られる。つまり問題を先送りにするだけかもしれないが、門を開けようとする悪魔どもを地獄に送り返せばいい。とりあえずは最低でも、今回こちらに来ている四体を。

 シンプルでルーヴィックとしても都合がいい。いつもやってることを繰り返すだけだ。とはいえ、地獄の門がある限り、戦いは終わらないだろう・・・・・・。

 ルーヴィックは頭に浮かんだ叙事詩の一説を無意識に呟いていた。

「この門をくぐる者は、一切の希望を捨てよ・・・・・・か」

 ふぅー、と天井を見上げ、深いため息を吐いた。

 流れる時間が一瞬、ゆっくりになったように感じた。

 いきなり窓に何か大きな者がぶつかる音で目が覚める。

 眠っていたのか、いや意識はしっかりしていたはずだ。気付けば、日が沈んで暗くなっている。

 感覚を狂わされていたのだろう。もともと寒かった室温がさらに下がり、暗闇がタールのように体にまとわりつく。

 ルーヴィックはゆっくりと立ち上がりホルスターから銃を抜くと、体の前で手を組むようにして立つ。大きく白い息を吐くと周囲を見渡す。

 音のした窓に目を向けると、鋭い爪で引っかかれた痕があった。そしてゆっくりと姿が見える。骸骨だ。体内が燃えているように赤く鈍い光が漏れる。よく見れば左腕がない。

 悪魔の本性だ。とはいえ個体によって姿形は違う。目の前の骸骨は四体の悪魔のどれかなのだろう。

 骸骨は熱気を吐きながら窓枠を調べる。おそらく先ほどの音は窓を破って入ってこようとして弾かれた音だ。窓には魔除けの印を書き込んである。

 窓だけではない、扉にも魔除けをしてある。襲撃されることは分かっていた。だから、すでに迎え撃つ準備は整えてある。

「待ってたぜ。この骸骨野郎」

 悪態をつきながら銃を向け引き金を引こうとした瞬間、天井が崩れた。

 咄嗟に身を翻して落ちる天井を回避。瓦礫と共に赤く輝く炎のロープのような物が襲いかかってく来たので、コートを纏い受け止めた。

 炎はコートに弾かれたが、ロープの衝撃でルーヴィックも後方の本棚へ衝突。すぐさま起き上がると、三メートルほどある白い化け物が部屋に降り立っていた。頭部には山羊の角が生え、鋭い牙が生えそろう大きな口、シロヒトリ(白い蛾)のような毛が首元を覆い、その下から羽が見える。そしてその両手には先ほど襲いかかってきた炎の鞭がそれぞれ握られている。白い全身を黒い蜘蛛の模様が素早く動く。

 ルーヴィックは素早く銃を構えて引き金を引く。悪魔はその巨体からは想像できないような俊敏な動きで避ける。そして隙を見て、鞭が襲ってくる。ルーヴィックは鞭をうまく掻い潜りながら、銃を撃つ。すると視界の端で窓枠が真っ赤になって溶けるのが映る。彼は白い悪魔から視線を外さず、右手でセミオートの拳銃を撃ちながら、左手で腰のリボルバーを引き抜いて窓の方へ撃つ。

 鈍いうめき声が聞こえたが、仕留めてはいないだろう。部屋の空気が焼けるように熱くなる。反射的に転がるようにして移動すれば、そばにあった棚に粘度のある炎がかかり、崩れ落ちる。滴がルーヴィックにもかかったが、祝福の言葉が刻まれたコートを通すことはない。

 悪魔が二体。他に入ってくる気配がないのを見計らい、ルーヴィックは腰の道具入れから小瓶を取り出し、瓶の口に詰めた布に素早く火を付け地面に叩きつける。

 その途端、周囲にお香のような匂いが広がり、悪魔達による炎が消え、代わりに割れた瓶から強烈な光が放たれ悪魔達の身を焼いた。聖油の光が悪魔達の体を清めたのだ。

 悪魔は日中、人の皮を被る。そのため日光などの聖なる光にも耐えられる。だが、本性を現せば、本来の力を出せる代わりに、光への耐性がなくなるのだ。

 悶える悪魔達に銃口を向ける。ルーヴィックが用意した程度の聖油では、悪魔を消滅させることはできない。せいぜい表面を焼くだけ、すぐに回復してしまう。

 そうなる前に、退魔の弾丸で悪魔の肉体を砕き、地獄へ叩き落とす。

「まずは二体」

 引き金に力を入れるのと、乱入者がすぐ横の壁を突き破って現れたのはほぼ同時。乱入者が鋭い爪を彼の銃を持つ腕に振り落とされる。バールで殴られたようなし衝撃が腕に伝わり、照準の狂った弾丸が床にめり込む。激しい痛みに顔を歪めるが銃を落とさなかったのは、自分を褒めてやりたいくらいの快挙だろう。体を回転させ、無傷の左手で握るリボルバーを乱入者の腹部に連射。耳を覆いたくなる不快な悲鳴を上げるが、乱入者はルーヴィックを横に薙いだ。フットボールのボールのように室外まで放り出されるルーヴィックは地面を転がりながら、息が詰まる。痛みに身もだえ、呼吸を整えようとする。音が遠ざかり、視界がチカチカする。

 だが悠長な事をしてられなかった。見上げた視界には校舎の壁面にしがみつく新手の悪魔が卑しく笑う(ように見えた)。巨大な犬のようなシルエットで、皮膚を剥ぎ取られた感じのテカリのある表面。醜い顔面に、背中一面にはドクロがぎっしり敷き詰められていた。そのドクロ達が一斉に炎を吐き出す。

 悲鳴を上げたい体を無理にひねり、地面を転げ回りながらドクロが吐き出した炎を回避する。

 四つん這いになり、唾を吐くと真っ赤だった。先ほどから口の中が鉄の味でいっぱいだ。

 起き上がると、校舎の壁面から一体、元は教授の部屋だった所から三体の悪魔が現れる。つまり全員集合って事だ(四体で全員だとすればの話だが)。

 さきほど壁から現れた乱入者は、鍛え抜かれた肉体、腰には幾人もの顔面の皮が掛けられており、自身の顔は口に上から縦に半分割ったような形だった。鋭利な爪を見ると、コートでなければ最初の一撃で腕は落ち、二撃目で胴体が三つに分かれていただろう。

 先ほど光を浴びた二体もすでに回復している。

 ルーヴィクは数瞬何をか考えると、背を向けて走り出す。柱と柱を抜け渡り廊下を走ると、背後から猛スピードで追いかけてくる音が。巨大な犬のような悪魔が柱を砕き、迫ってきていた。背後を振り向かずに、セミオートの拳銃を発砲する。すると、追撃がやむ。だが安堵はできない。真横から鋭い爪が薙がれるのを前転しながら躱す。そのまま転がり込むように、校内へと入り扉を閉める。背後で追いかけてきた悪魔達の激突する音が聞こえる。

 あらゆるところに魔除けの印を書いておいた(学生には変な目で見られていたが)。

 だが所詮は時間稼ぎだ。ルーヴィックは校内の奥へと進む。


   2


 講堂へ逃げ込んだルーヴィックは、体を引きずりながら奥へ進み、そのまま壁を背にずり落ちる。右の薬指が逆を向いていたのを無理矢理戻し、体を確かめる。全身打撲で、痛くない所を探す方が難しい。おそらくは骨も折れてるだろうが、確認している余裕はない。ちなみに、あれだけ悪魔の攻撃を受けたコートは煤が付いている程度だ。なんなら衝撃も受け止めてくれればいいのに、恨めしげにコートを睨むが贅沢すぎる頼みだ。彼は、震える手で道具入れからガラスと真鍮で作られた注射器を取りだし、躊躇なく自分に突き刺す。痛みが収まり、呼吸が楽に。心拍が上がり、脳が活性化される感覚がある。

 手を握ったり開いたりを繰り返してみる。動きは鈍いが何とか動きそうだ(さっき逆を向いていた薬指はダメだった)。弾切れになった拳銃の弾倉を交換、リボルバーも詰め替え、ホルスターへ戻した。

 血と汗でベタつく顔を乱暴に拭うと呼吸を整える。

 暗い室内の温度がグッと下がり、吐き出す白い息が凍り付きそうだ。硫黄の臭いが吐き気を覚えるほど強くなる。講堂に置かれたイスや机が上空に吹き飛んだかと思うと、暗闇のあらゆる場所から悪魔達が現れる。

「来いよ。クソ悪魔ども、かかってこい!」

 じりじりと後退するルーヴィックは、近づいてくる悪魔を睨みながら、道具箱に手を入れ、聖油の小瓶を取り出して口に詰めた布に火を付ける。

「ここは少し暗くないか? 神は言われた。光あれ!」

 火の付いた聖油をかざすと、たちまち輝きが増して悪魔達に光線となって照らされる。

 驚いた悪魔達は咄嗟に身を躱す。ルーヴィックの背後に安置されたマリア像が聖油の炎を増幅させていたのだ。教授の部屋に籠もる前に大学は一通り見て回り、どこに何があるのかは頭に入れていた。そして、もし襲撃を受ければ、どう対応するかもイメージしていた。だからこそ、マリア像の安置場所も知っていたし、もちろんどう活用するかも事前に考えてある。

 ルーヴィックは火をさらに高く掲げる。マリア像で増長した光線も講堂の上部へと移動。外からの光を取り込み、講堂全体を明るく照らすために天井付近に設置された反射板と、白い壁に光線が反射し、一瞬して講堂全体が暖かな光に包まれる。

 逃げ場を失った悪魔達は地面に伏し、光に身を焼かれる苦しみに悶えた。講堂から逃れようにも、扉や窓の内側に聖なる言葉を書き込んでいるので簡単には出られない。ルーヴィックは強烈な光を見ないように目を閉じながら、祈りの言葉を口にする。一層と光は増し、悪魔の悲鳴が耳を付く。硫黄の臭いも強くなり、勝利を確信した時だった。

 どこからか炎の矢が天井の反射板を射貫いた。

 驚いて見上げると、炎の矢が暖かな光に照らされる白い影を焼き、さらにその一本が光の現況であるマリア像に直撃して砕いた。

 部屋を照らした光はなくなり、ルーヴィックの手にある聖油の火が頼りなげに燃えるのみ。

 あり得ないことだった。マリア像が砕かれるなんて・・・・・・。頭が真っ白になったが、それも数瞬。手に持つビンを未だ苦しむ悪魔達へ投げ捨てる。割れると同時にまばゆい光が漏れる。光が収まらないうちに、ホルスターから拳銃を取り出したが。

 銃を構える前に、マリア像を破壊したあの炎の矢がルーヴィックの足元に突き刺さる。すると炎は勢いを増し、巻き上がり業火となって彼を焼く。炎の熱気から逃れるためにコートを被り、息を止め、目を閉じたまま脇の扉から外へ脱出。講堂内の暑さが嘘であるかのように冷気が彼の顔を包んだ。ヒンヤリとした通路を、足を引きずりながらも懸命に走る。

 あの矢は一体何だったのか? 悪魔達の物か? 疑問が頭に浮かんで消えていく。背後から講堂の壁が崩れる音が反響して伝わってくる。

 振り返って発砲。巨大な犬型の悪魔が思った以上に迫っていた。発砲に若干の怯みを与えたが、弾丸は掠めるように外れ、彼方へ消える。悪魔は速度が弱まったものの、そのままルーヴィックに体当たりを食らわせた。背後に転がり、胃の中の物が逆流して床にぶちまける。すぐには立ち直れない。

 悶えるルーヴィックの左肩を捕まれる感触。そしてそのまま肩に鋭い刃物のような物を突き刺されるような感触があった。

 悪魔が肩を掴み、その爪が肩の肉に突き刺さっていた。痛みに悲鳴を上げながらも、彼の体は持ち上がる。肩口から血が溢れ、手を伝って地面に落ちる。

 悪魔の攻撃がルーヴィックの体を傷つけるなんてあり得ない事だった。持ち上げられる痛みを和らげるため、悪魔の腕を掴むんで視線を自身のコートへ向ける。

 無残に焼け焦げ、祝福の効力がなくなったのだ。

 ルーヴィックはろくな抵抗もできないまま壁に押しつけられる。

「さっさと殺しちまおう」

「殺して指輪を奪え」

「待て、指輪はどこだ?」

 悪魔達が口々に悪魔の言葉でルーヴィックに呪いの言葉を吐く。だが、彼を持ち上げる白い悪魔は、彼が指輪を持っていないことに気付いた。

「指輪はどこだ?」

「あぁ、あれならさっきホワイトチャペルの娼婦に支払いであげちまった」

 力なく笑い、唾を吐くルーヴィックに真っ赤な口を開き威嚇する悪魔。吐いた息で全身焼かれそうなほど熱い。

「また指輪は探せばいい、まずはエクソシストを殺せ」

 犬型の悪魔も、鋭い爪を持つ悪魔も、骸骨悪魔も皆、ルーヴィックへの憎悪が溢れ出ており、指輪は二の次のようだ。

 主力武器の拳銃は床に落としてしまった。白い悪魔が周囲の悪魔どもの野次に苛立たしげに視線を外した瞬間、ルーヴィックは納めてあったナックルナイフを逆手に持ち、悪魔の腕に突き立てる。もちろんこれもいろいろと耐悪魔用の印を刻んだものだ。

 腕から解放され地面に落ちるルーヴィックは、ナイフを離し、腰のリボルバーを引き抜いて、悪魔達にできる限り速く連射して撃ち尽くす。そのままリボルバーを捨て、拳銃に飛びつこうとしたが、その前に白い悪魔の吐き出し、放った火球をまともに胸に受けて壁に打ち付けられる。コート越しでは分からなかった炎の熱が、彼の体を焼く。全身から力が抜け落ちた。

 ジャケットの所々が燃えていたが、もはや体は動かない。

 倒れ、遠のく意識の中、目が潰れるほどの光に包まれたような気がした・・・・・・

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