第6話 遭遇①
1
黒焦げになった父親だった者の姿は一生忘れないだろう。だいぶ吐き出して少し落ち着いたが、まだ気持ちが悪い。
レイ・カーターのもとに絶縁状態だった父から手紙が届いたのは一週間前のこと、どうしても会ってほしいとあり、ロンドンへ数日前に着いた。久しぶりに会う父親は相変わらずで、最初の晩は最悪だった。結局、些細なことで言い争いになり、呼び寄せた目的も聞けなかった。
だが、その翌日に父から宿泊先へ尋ねてきた。そして父に箱を渡された。大事な物で手元に置くことができないため、信頼できる人間に預けたいという。勝手なことを、とも思ったが、父親は必死だった。結局、押しつけられる形でレイは箱を受け取った。そして、父が死んだ。
事故と警察は話す。そんなはずはない。ならば、あの気位の高い父が自分を呼び寄せ、あんな必死でお願いするなんてあり得ないことだ。父は知っていたのだ。自分が危険なことを。
そう思ったレイは、父親、カーター教授の大学の部屋にいた。
父の助手をするステファニーとは古い付き合いのため、部屋へ行くと歓迎してくれた。
彼女が父のことで気に掛けてくれたのが、思った以上に心に沁みた。だが、悲しんでいるには時間が惜しい。レイは、父親が何について研究していたのかステファニーに尋ねると、あるキューブ状の物について調べていたと教えてくれた。
レイが、ポケットから箱を取り出し見せると「それだ」と答える。それは父親から渡された物だった。箱だと思っていたが、それ自体に意味があるらしい。あまりにも興味が無かったので、大して触りもしなかった。いくつも切れ目があり、パズルのように外れる物とばかり思っていたが、ビクともしない。
ステファニーはそれが何なのかまでは知らなかった。
彼はイスに座り、大きくため息を吐く。冷静になれば、一体自分は何をしているのか。警察の真似事をしている自分がおかしくなり、思わず笑ってしまう。そして何気なく、机に目をやるといくつかの本に挟まれ、使い込まれた手帳があった。見覚えがある。父親の手帳だ。
小さい頃から使っている物で、まだ使用していたのかと驚きながら開いた。懐かしい父親の字が並ぶ。が、パラパラとめくるがそのほとんどが、難しすぎて分からなかった。こんなことならもっと勉強しておくべきだったと後悔するが、手遅れだ。
そんな時に、手帳から綺麗に折りたたまれた手紙が落ちる。拾い上げ、広げるとそこには綺麗な字が並ぶ。女性の字と思い、最初は怪しい物かとも疑ったが、読んでいく内に彼の表情は真面目なものへと変わる。
「どうしたの?」
ステファニーが様子の変わったレイを見て心配そうに聞くが、彼は手紙を手帳に戻し、その手帳をポケットにしまった。
「なぁ、ステファニー。この部屋に指輪って無かったか?」
いきなりの質問に首を傾げるが、彼女は首を横に振る。
「一応、警察の人も来て調べていったし、私も片付けとかをしてたけどなかったわ。大事な物?」
「え? あぁ、母親の形見なんだ。親父が持ってたはずなんだけど」
口ごもりながらも答えるレイに、ステファニーはしばらく考えて、やはり首を横に振った。
「そうか、分かった。ありがとう」
そう言って立ち去ろうとするレイを、ステファニーは後を追う。
「どこ行くの?」
「親父の家に行こうと思って」
「家で指輪を探すなら手伝うわよ」
廊下を二人で歩きながら提案するのを、レイは断るが彼女は引き下がらない。
「でも、大事な物なんでしょ?」
「いや、一人で大丈夫だって」
「何、私がいたら困るの?」
グイっと詰め寄り、意志の強そうな目つきで睨らむ彼女の目は昔から苦手だった。そしてこうなると、言うことを聞かないことも分かっていた。
レイは渋々、提案を受け入れようとした時、寒気がした。それは錯覚ではなく、本当に気温が一気に下がったのだろう。肺まで凍りそうなほどに。それは目前のステファニーも感じたようだ。そして、微かに臭う硫黄のような刺激臭。
「何この臭い?」
眉をひそめながらステファニーは言うと、一点を訝しげに見つめる。レイもそちらに視線を移せば、廊下の奥に男が二人立っていた。
髭を生やした獣のような男と、黒いコートを羽織る細身の男だ。
「こんにちは、人間諸君」
黒いコートの男が口を開く、普通の男の声だ。だが、それを聞いた瞬間に鳥肌が立ち、胃の中の物が逆流するかと思った。ただ立っているだけなのに、激しい嫌悪感が沸いてくる。
男らはレイ達を見ながらニヤリと笑って、ゆっくりと歩き出した。
「立ち去れ!」
男達とは反対側から急に大きな声がした。
2
大学に来たのは初めてだった。
ユリアはキョロキョロ周囲を見渡しながら歩く。さっきから止まらない胸のワクワクを、教授の死の真相を突き止める重要な任務で来た、と自分に言い聞かせるのに必死だった。何度か深く深呼吸をして落ち着かせる。
コートを羽織っているとはいえ、校内でシスター服は目立つらしい。チラチラと不思議そうな視線を送られてくる。ユリアは物怖じせずに、見てくる学生(見た感じで判断)に近づいてカーター教授の部屋を訪ねる。事故のことはすでに広まっているらしく、一層不思議そうな顔をするが、彼女の幼い外見で警戒心が薄れたのか、教えてもらうことができた。子供扱いされたのは納得がいかないが、結果を見れば目的を果たせたのだから我慢した。
校内を歩いて間もない頃、彼女は違和感に気付く。言葉では表現しにくいが、妙な寒さがあるのだ。気分も悪くなってきた。
ユリアは無意識のうちに首にかけたロザリオを掴むと、幾分か楽になった。立ち止まり、息を整えながら周囲を見渡すが、周りを歩く人に変化はない。妙な寒気はさらに増している。
悪魔だ。
自分が向かう方角の建物から嫌な、邪悪な感じがする。そう直感的に思った時には、恐怖よりも先に走っていた。どんどん空気が重くなる。地上にいながら溺れてしまいそうなほど、空気が重かった。
建屋に入り、進むとその正体を把握できた。
悪魔が二体、廊下の突き当たりに立っている。心臓を鷲掴みされたような感覚が襲い、倒れそうになるのを堪える。
人間の姿をしているが悪魔だ。廊下の立つ若い男女(と言っても、ユリアよりは年上だろう)に向かって歩こうとしていた。理由は分からないが、二人を狙っているらしい。
「立ち去れ!」
可能な限り出せる大きな声で叫んだ。裏返らなかったのは、自分で褒めてあげたい。
「この聖なる場から、今すぐ、立ち去れ」
ユリアがロザリオを掲げて叫ぶと、周囲の空気が震える。感じた寒さも納まってきたようだ。ユリアは祈りの言葉を唱え悪魔達からの圧を押し返しながら、前へ進み男女の元まで歩く。
悪魔達はまるで何者かに押しつけられているかのように動けない。その光景に、少し気が抜けた。そして、うれしさが爆発した。
「効いた! 見ました? 効いてますよ」
男女のそばまで歩み寄ったユリアは、自身の退魔の技が効いたことに驚き、そして喜んで二人を見る。が、それがダメだった。
一瞬の緩みを見逃さなかった二体の悪魔はユリアの放つ聖なる圧力を力尽くで押し返した。それに耐えきれず、ユリアは情けない悲鳴を上げながら後方へ吹き飛び、廊下の端まで滑った。
「シスター、大丈夫か?」
ユリアのおかげで動けるようになったのだろう。二人は走ってユリアの元へと駆けつけると、起き上がるのを手伝ってくれる。
「何でこんなとこに、聖職者がいるんだ?」
「どちらにしても、することは変わらんがな」
コートの悪魔は炎を纏う銃を両手に持ち、ぼやく。聖職者、の単語の時には酷く顔をしかめた。もう一方の髭を蓄えた悪魔は唸るように喉を鳴らすと、鋭い爪で壁を削る。黒板を引っ掻いたような不快な音がした。
「逃げてください!」
ユリアの叫びと共に、三人は逃げ出す。追いかけてくる悪魔達。
人の往来がある場所まで逃げることができ、少しホッとする三人。このまま人混みに紛れて逃げれる。そう思った時、背後で銃声がなった。
振り返ればコートの悪魔が銃を発砲していた。騒然となる学生達は、次の瞬間にはパニックになり散り散りに逃げ惑う。悪魔が適当に銃を向けて発砲しようとする瞬間。
重くのしかかるような圧力に膝をつく。ユリアがロザリオを手に祈る。
「これは効くな」
無理に立ち上がる悪魔の体からは白い煙が出るが、そこまで効いているようには見えない。
「あなた方が狙われているのですから、ここは任せて逃げてください!」
ユリアは背後の二人に叫ぶ、一瞬躊躇するが、再び同じことを言うと逃げていった。少々、寂しく感じるところはあったが、自分はプロなのだと気をしっかり持つ。それに二人を気に掛けながらでは、気が散って仕方が無い。祈りの言葉を唱えながら、神父ならばどうする、学んできたことは何か、を思い出す。ここで気付いた。
もう一体の悪魔はどこだ?
影に気付き、咄嗟に視線を向けるともう一体は校舎の壁面に爪をたて、重力を感じさせない動きで壁を走り、逃げた二人を追おうとしていた。
壁を走る悪魔に意識を向けると、不意を突かれたようで、悲鳴と共に地面に落ちた。だが、そちらに意識を向けたことでコートの悪魔が自由になる。銃を構え発砲。無様に転がりながら何とか避けることができた。
起き上がり、ロザリオを両手で掲げて祈りを捧げる。悪魔二体は聖なる圧力に耐えて彷徨。不快で耳障り、体の芯から震えがくる声だった。悪魔達とユリアの力が拮抗し、彼女が持つロザリオが熱を持つ。熱く手が焼ける感覚に、思わず手を離しそうになるが歯を食いしばり力を込める。
彼女の口からは祈りから祝福の聖句へと変わっていた。
「主よ、この者達の罪をお許しください。汚れた魂をお清めください」
悪魔から悲鳴、そして抱えきれないほどの憎悪をぶつけられる。真っ向から受け止める。胃の中をひっくり返されたかのような感覚だった。ユリアは、喉が潰れんばかりに叫ぶ。
「今すぐ、立ち去れ!」
ロザリオの数珠がはじけ飛び、彼女は地面へと倒れる。
そして顔を上げた時には悪魔の姿はなかった。騒然となる周囲を見渡し、危機が去ったことを感じ取れたが、悪魔を退治したとは思えなかった。一時的に追い返しただけだろう。
手を見れば、ロザリオの形に酷い火傷を負っていた。気付けば鼻血も出ていた。酷い倦怠感で体を動かしにくい。鉛を詰められたようだ。
逃げた二人を探さなければ、そう頭では思っても体が動かない。
少し途方に暮れながら、一度教会へ戻り、まずは神父に助けを求めることにした。
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