第8話 長田彩華
「……下で待ってろ、か」
賢治がいなくなり一人になった屋上で、私はぼそりと呟いた。
このあとPK戦に向けての特訓をするとかなんとか私が言ったのだから、賢治がそう言うことに何もおかしいことなど無い。
でもそんな当たり前なことで、少しだけ嬉しくなってしまっている自分がいて、そんなことで喜ぶなんてバカみたいだと恥ずかしくなっている自分もいる。
何故嬉しいのか、その理由は自分でも理解出来ていた。
それは単純に中学の頃から一度だって賢治の方から一緒に帰ろう、などと言われたことが無いからだ。
どれだけ私がそう言ってもらえそうな場面を作り出しても、賢治は当たり前のように一人で帰ろうとする。
それでいてあまりにも鈍感で、何故私がタイミングよく放課後残っているのか、何故わざわざ賢治が帰りそうな時間を狙って戻ってきたのか、理解すら出来ない。
今回だって言わば一緒に帰る理由を無理矢理私が作りだしたようなもので、何なら私が賢治にそう言わせたようなところもある。
賢治が私と帰りたがっているわけでは無いことも重々承知だ。
でも嬉しかった。
『それじゃあ下で待ってるから早くしてね?』
こんなことを言うつもり満々だったのに、賢治の方から『帰ろうぜ』『下で待ってろ』と言ってくれたことが嬉しかったのだ。
他人から見れば小さいことかもしれない、それでも私にとっては大きいことで、何よりあの鈍感卑屈男にそう言わせたのはとんでもなく貴重なこと。
どんだけ一緒に帰りたいんだと言われてしまうと返す言葉もない。
でも私にとってはそれが日常で、当たり前なことだった。
だから、あの頃みたいにまた。
どうしてもそんなことを思ってしまうのだ。
たまに、私以外の女の子だったら賢治はどうするのか考えることがある。
その子が私と同じ行動を取ったら賢治は『一緒に帰るか』なんてことを言ってしまうのだろうか。
そんなことを思う度に自分が自分じゃ無ければ賢治はもっと好意的に接してくれるのではないかと、思ったところで意味のないことが頭の中でぐるぐるまわる。
そして昔のことを思い出す。
中学生になって少し経った辺りから、賢治は急に私に対して冷たい態度を取るようになった。
最初は意味が分からなくて腹が立った。
でも少し時間が経ったらまたいつも通りの日常に戻るだろうと、私は変わらず賢治に接していた。だけど数日が経っても元通りにはならなかった。
さすがに意味が分からないし純粋に腹が立っていた私は、ある日賢治に言った。
「何なのその態度? 私何かした? 言いたいことあるなら言ってよ」
それに対して返ってきた言葉はこうだった。
「鬱陶しいんだよ、俺にもう関わるな」
その時の賢治の顔は今でも覚えてる。ムカつく顔で、何をかっこつけてんのかと、とにかく腹が立った。
ただそれと同時に切ない気持ちにもなった。
でもそれは、言われたことに対してではない。
だって賢治はこんなことを言うような人間じゃないから。
私が一番悲しかったのは、賢治が本心を言ってくれなかったこと。
賢治とは幼稚園の頃からの付き合いで、私は誰よりも賢治と仲が良かった自信がある。だから何でも話してくれものだと勝手に思っていた。
でもそうじゃ無かった。
まだその位置に立てて無いんだと思うと、そんな自分が惨めでしょうがない。
だから私はそのまま賢治から本心を聞き出すことが出来ず、そしてその日を境に私と賢治はほとんど話さなくなってしまった。
私は賢治以外の友達と学校生活を送るようになり、賢治はほとんど周りの人間と関わらず、一人で学校生活を送るようになる。
私には新しく友達もたくさん出来て、理解して、頼ってくれる人もたくさん出来た。こんな私を好きになってくれる人もいた。
みんなに認めてもらう、それは私が望んでたものだった。だからたくさん頑張ってきた。
でも元を辿れば、それは褒めてもらいたかったから。
胸を張って横に並べるようになりたかったから。
自慢の幼馴染だと思ってもらいたかったから。
欲しいものがどれだけ手に入っても、一番大切なものを失ってしまうなら何も意味が無い。
私には多日咲賢治という人間がどうしても必要だった。
そう考えたらいても立ってもいられなくなって、気が付いたら私はまた賢治に話しかけていた。
何故賢治が私に冷たくするようになったのか、本当の理由は分からない。
でも最早そんなことはどうでもいい。
私は人一倍わがままになることにした。
今までのようにべたべたするのではなく、人前ではあまり話しかけないことを心掛け、話しかける時は自分が思う一番性格が悪い人間を演じる。
避けられても話しかけ続け、逃げられても追い掛け回す。
時には武力で解決させることもあった。何回も足を踏んだ。逃げ回るのを止めるためにドロップキックしたら肋骨を折ってしまったことさえある。その時はさすがに私もごめんなさいした。
勉強も苦手では無かったが、頭が良くなったら教えてもらえなくなるので一切授業は頑張らないことにした。そして無理矢理賢治に勉強の面倒を見させる。
私が賢治と関わり続けるにはこうするしかなかった。
これはもう嫌われることを前提とした関わり方で、賢治に何のメリットも無い、言ってしまえば最悪の手段だった。
自分でも自己中心的で最低なことをしてる自覚はある。
そんな人間に好意を寄せてくれるわけがないことも十分分かっている。
それでも賢治との関係が消滅してしまうことに比べたら何倍もマシだった。
私は賢治の傍にいられるのならば、嫌われることも怖くない。
……なんてことを言っているが、実際のところその考えはあまりにもぶれぶれで、その結果今日みたいなことが起こっている。
『賢治ってさ、私のこと嫌い?』
こんなの嫌われることを怖がっている人間の言葉だ。
まだ心の中で諦めきれていない人間の言葉だ。
何故こんなことを言ってしまったのか。
「……はぁ」
思い返すと一つため息が出た。
今まで腰かけていたベンチから立ち上がり、スカートをぱんとはたく。
ふと遠くを見ると、グラウンドで運動部が各々活動しているのが見えた。
屋上から見るその一人一人は、皆米粒みたいに小さい。
ちらほら知ってる顔もある気がするが、ここからじゃ余程特徴があるか、仲良かったりでもしない限り、誰が誰だか分からない。
私があの中に混ざっていたら賢治は私のことを見つけてくれるのだろうか?
そもそも探してくれるのかすら怪しい。さらに言うならあの男のことだ、知らない人を私だと言いかねない。
ちなみに私は賢治を誰よりも早く見つけられる自信がある。
例えどれだけ人がいようとも私は絶対に賢治を見つけ出す。
誰よりも一番賢治のことを見てきたのだから。
そこだけは譲れない。
ふいにスカートのポケットに入れていたスマホがぶるっと言った。
見るとLINEが一通。相手は賢治だった。
『お前どこ!? 待ってろっと言っただろ! え? もしかして帰りました……?』
「……ふふっ」
私は思わず吹き出していた。
どんだけ焦ってんのよ。いつも勝手に帰る癖に。
いつもこっちが待ってるんだから、たまには待ちなさいよ。
『幼馴染の可愛い女の子彩華ちゃんが今から向かいます。待っててねくっさい賢治君』
私はLINEの送信ボタンを押す。
すぐ既読がついたが返信は来なかった。
どんな顔をして待っているか、今から楽しみ。
そんなことを考えながら私も屋上を後にする。
私じゃ無かったら。何であんなことを。そんなことを考えるのはまた今度。
今日は今日の嬉しいことを目一杯味わおう。
今はまだ、それでいい。
俺と幼馴染とハチャメチャBusyDays 紫葉 太郎 @zundamotidaisuki
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