第八話
『位置について、よーい……』
パァン。俺は発砲音と同時に駆け出した。
スターターの横を走り去るとき、火薬の匂いが鼻腔に広がった。どうにか一番乗りで紙を拾って中身を確認したのだが、あまりにも無茶な要求に顔を凍らせてしまう。
──スクール水着(女子用)
誰だよこんなん書いたやつ⁉ 悪ふざけにもほどがあるじゃないか!
俺は引き直しのチャンスを求めてゴール前へ。
マッチョは「変えていいよ」と言ってくれたのだが、隣の黒澤が俺に笑顔を向けたまま微動だにしない。……おい、嫌な予感しかしないんだが。
「阿熊クン。ボクは君がね、やる時はやる男って思ってるんだよ」
「大丈夫。俺はやらない男だ。だから変えさせてくれ」
「ファイトだよ、阿熊クン!」
「俺の話聞いてた⁉ 無理だよなこれ⁉ なぁ、なぁ⁉」
ウインクをして、白い歯を見せてくる黒澤。
「えっと、黒澤君がそこまで言うなら……一回頑張って来てもらおうか」
く、黒澤ぁぁぁぁぁあああ! てめぇこの野郎────っ‼
俺は全力で走った。こんな時に頼れるのは一人しかいない。
「み、未来!」
「クマっ!」
俺に気がつくと、未来から近寄って来てくれた。
「お題はなんだったの? わたしのものでよかったら、なんでも貸すよっ!」
「じゃ、じゃあ未来──」
息を整えながら、未来の肩に手を置いた。
「スクール水着貸してくれ……!」
バシッ。
「あぶっ!」
間髪入れずに叩かれる左頬。
「俺が決めたお題じゃないだろ⁉」
「あ、確かに。ご、ごめんつい癖で。てへっ?」
可愛い! でも、いまはそんな場合じゃい!
「黒澤! チェンジだチェンジ!」
「え、そ、それはお題がチェンジってことだよね⁉ わたしがチェンジってことじゃないよね⁉ で、でも、他の人のスク水なんてダメなんだから……っ!」
「体育祭にスク水持って来るアホがいるかぁ──────っ!」
どうにか引き直しを許され、新しい紙の中身を確認する。
既に二人ゴールしているため、狙いは三位だ。
「……これは!」
俺はお題を見るなり、もう一度未来の元へと駆けた。
呑気に「次はなに?」と聞いてくる未来の手を取り、
「……お前を貸して欲しい」
「いいよ。全然貸してあげ──」
未来の手を強く握り走り出す。
「返す気はないけどな」
「…………ふぇぇっ⁉」
一驚する未来の傍ら、走行者の面々から黄色い歓声が上がる。
恥ずかしさで顔が熱くてたまらない。
「行くぞ未来、走れ!」
「え、ちょ、うぇぇ⁉ 心の準備が……!」
ゴール前に辿り着き、お題の書かれた紙をマッチョに渡す。
マッチョは紙と未来を交互に見やり、首を縦に振った。
「よしっ!」
『おっけ〜で〜す! ゴ〜ル! とうとう人を連れてくるお題でした。お題はずばり……』
にやけ面で、溜めを作る黒澤。
『異性を連れてくる(ただし、返す気はないけどな、とカッコつけて言う)でした〜!』
「期待させやがって!」「最低悪魔」「百瀬さんの気持ちを踏みにじりやがって」と、周囲からはブーイングの嵐。なんでだよ。言わば俺も被害者だからな?
「よかったな未来。どうにか三位で──」
「……く」
「く?」
「クマに弄ばれたぁ────っ‼」
「み、未来⁉」
誤解されそうな言葉を叫びながら、未来は自分の走行レーンへと戻っていった。
周りからのどよめき。あぁ、俺の株が急落していくのが目に見える……。
三位と書かれたフラッグの列に並び、行く末を見守る。次の走行レーンには未来の姿。
ピストル音が轟き、未来が走りだす。
ストールを押さえながら走っているので、やはり今日は要らなかったんじゃないかと思う。二番手に紙を拾えた未来は中身を確認し、ゴールに向かって走った。しかし、そのままゴール横を通り過ぎて俺の元へ向かってくる。揺れる豊かな胸が眩しい。
「はぁ、はぁ……クマ、一緒に来てもらっていい?」
「お、おう」
これって、まさか……いやいや、そんなことあるわけ。
でも、まだ好きな人のお題は引かれていないようだし、確率的にも……。
「ほら早くっ!」
考える時間を与えては貰えず、手を引っ張られ連れて行かれる。
未来に手渡された紙を見たマッチョは、「吉田、阿熊か」と満足気に頷いた。
こ、これはマジで、俺にも青春が訪れるのか?
『おっけ〜で〜す! 今回のお題は……』
溜めがもどかしく感じる。俺は生唾を飲み込み、耳を傾けた。
『イニシャルA・Yの人を連れてくる、でした! 一位おめでとうございま〜す!』
「やった! 一位だよ一位っ!」
俺の手を取って、飛び跳ねる未来。
「……だな」
「あれ、なんかテンション低くなってない?」
「走りまくって疲れただけだよ」
期待した分余計にな。
最後にゴールしたのは、照れた様子で恋人つなぎをしている知らない男女。
『お題はなんと、好きな人で〜す』
黒澤のアナウンスで今日最大級の歓声が湧く。二人は幸せそうに笑いあっている。
複雑な気持ちを胸に秘め、指示に従って退場門へと小走りで移動した。
『午前の部は以上で〜す。十五分ほど時間押しちゃったんで、昼休みを短縮してプログラム通りに午後の種目を始めま〜す』
生徒たちはぞろぞろと教室へ帰っていく。体育祭だからといって外でお弁当を食べたりはせず、体操着のまま普段通り教室で昼食を食べる。
現在点差は開いて、紅組が160点。白組が200点となっていた。
午後は学年別リレーや色対抗リレーなど、配点の高い競技が勢ぞろいしている。
スポーツが得意な人がいるチームほど、高得点を狙えるプログラムだ。
教室では楽しそうに、生徒たちが舌鼓を打っている。
「はいクマ。カツサンドおーたべっ!」
教室で机をくっつけてアキバと昼食を食べていると、未来がカツサンドを手渡してきた。
「おー、さんきゅ。なんだ『カツ』と『勝つ』をかけたのか?」
「そーそー。えへへ、ゲンも『担』いでみました! アキバくんもどーぞ!」
「感謝するでござる」
カツサンドは一口サイズで食べやすく、しっかりと味のついたカツが美味かった。
「そんでさ、クマ。午後なんだけど──」
「あー、悪い。ちょっと午後は用事あるから」
カツサンドに水分を持っていかれ、喉の渇きを覚えた状態で答える。
「用事って?」
カツサンドを口にくわえながら、意外そうな顔で返す未来。
「うーん。ミステリー小説でいうと、伏線回収ってとこかな」
「ごめん。さっぱりわかんない」
怪訝そうな顔をする未来に薄い笑みを浮かべ、
「また後で」
そう言葉を残して、俺は一人教室を出た。
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