第五話

『ちょっと〜、なんでボクまで』


『知り合いで高画質なビデオカメラ持っているのなんて、武殿くらいでござるから』


 ザッザッ、と砂利の上を歩くような音。

 姿は映っていないが、アキバと会話をしているのは黒澤だろう。


『バレても知らないよ〜』

『その時はクマ殿のせいにするから大丈夫でござる』

『なるほど、それなら安心だ〜』


 俺は「ほぉ。俺のせいに、ねぇ?」とアキバを睨みつける。

 アキバは蛇に睨まれた蛙のように、体を萎縮させた。


『じゃあ、武殿。しっかり撮るでござるよ』


 暗かった画面に、ボヤける青色や肌色が映ってきた。

 次第にピントが合ってくると、なにが映っているのか鮮明になってくる。


「おぉ……!」


 俺は画面に近づき、感慨深げに頷いた。

 ディスプレイいっぱいに映しだされたのは──スクール水着と美しい肢体だった。


「な、ななななっ!」


 未来はわなわなと身体を震わせ、俺の肩を掴む手の強さを増していく。

 痛い、痛いって未来、爪が刺さってるって。


『拙者は周りを見張っておくから、ターゲットを頼むでござる』

『おっけ〜で〜す』


 アップだった映像はズームアウトし、全体像を捉えていく。

 撮影場所は先見高校のプール。校舎が映っているということは、校庭側から撮ったのだろう。当たり前だが、許可は下りないし秘密裏に。


 カメラは全体を見渡すように、ゆっくりと大きく移動する。知り合いは誰も見当たらないということは二年か三年だろう。教師陣の顔触れは、元ヤンとマッチョの二人。他の授業とは違い、体育だけは全学年同じ教諭らしい。


 プールは喧騒で溢れかえっていた。


 どの学年にも忘れん坊はいるらしく、プールサイドを掃除する生徒の姿もちらほら。

 校舎側と校庭側二つに建てられた屋根のついたベンチには、授業を休んでいる生徒たちの姿が見られた。ちょうど校庭側ベンチの後ろから撮っているので、映像にちょくちょく欠席者が映り込む。目の前には松葉杖を持ってプールを見つめる制服姿の男子。左のズボンからは白い包帯があらわになっている。体操着でつまんなそうに貧乏ゆすりをしている男子は元気そうだったが、右の人差し指に湿布のようなものが。突き指か何かだろうか。


『勉クン。ターゲットって、あの向こう側のベンチで女子をはべらかしている……』

『ちぃっ! こんなときまで、イケメンリア充はモテるでござるか! 絶対に許さないでござる……!』

『あ! あの人ボク知ってるよ~。この前映研の取材ってことで会ったんだけど、チョー冷たい顔でボクらの撮った映画を批判されてね……ボクあの人苦手だな~。怖いし~』


 黒澤の言葉とともに映像は一人の人物のアップになっていく。

 短髪の端正な顔立ち、体操着に包まれた長身の身体。間違いない、浦見だ。


 浦見を挟むように体操着姿の女子が二人座っている。浦見と女子たちは、肩と肩がぶつかり合うような距離で、授業そっちのけで会話を楽しんでいた。プールをキャバクラか何かと思っているのだろうか。ボッタクられればいいのに。


「映像は以上でござるが、拙者は一つ浦見殿の弱みを握ることに成功したでござる」

「……弱みですか?」


 イトナが不思議そうな顔をアキバに向けた。


「拙者は昨日と今日の二日間、浦見殿を観察していたでござる。初日の映像はないでござるが、どちらも浦見殿はプールを見学していたでござる。他の授業では元気だったのに」

「……二日間連続でか?」

「そうでござる。目立った外傷はないし、考えられるのは一つだけ……」

 アキバはメガネをキラリと輝かせ、野太い大声をあげた。


「浦見殿は──泳げないんでござる!」


「「「……」」」

「え、なんでござるかこの微妙な空気」

「いや、なに当たり前のことを、そんなに胸張って言えるものかと感心していたんですよ。ね、未来さん」

「泳げない以外理由考えられないしねぇ……」

「く、クマ殿ぉ」


 懇願するような顔ですがりついてくるアキバ。俺は微笑みを返し、


「明日でもいいから、映像の焼き増しくれ」


「お安い御用でござる。クマ殿のために、いまの映像ではカットしていた太ももの映像も付けるでござるよ」

「アキバ。やっぱお前最高だぜ」


 熱く拳を交わす俺たち。


「じーっ」


 未来が「男子サイテー」と言わんばかりの冷たい視線を向けて来る。


「ま、待て、誤解だ未来。きっとお前は誤解してる」

「誤解もなにもないでしょ。しっかりといまの言葉聞いたからね。ほんっっっと、サイテー」


 弁解しようにも言葉が詰まって出てこない。イトナも無言ながら、威圧的な態度だ。でも一番怖いのは、無機質な目で見据えてくるクーである。


「変態さんですよ未来さん。あの二人は変態さんです」

「そうだねイトナちゃん。もう変態たちは放っておいて、わたしたちだけで作戦立てよっか」

「じゃあ次は私が仕入れてきた情報ですねー」

「よろしくイトナちゃん」

「……お、おい」


 弁解しようとしたら、未来は「べー!」と舌を出して怒っているアピールをしてきた。


 そんな可愛いことをするから、もう怒ってないと思って懲りずに同じようなことを繰り返すんだぞ? いっそ怒ってるときは「おこだよっ!」とか言ってて欲しい。あれ、想像しただけでめちゃくちゃ可愛いな。


「二年生のことは同じ二年生が一番詳しいと思って、私は浅井さんから二年間浦見さんと同じクラスだという井上さんを紹介していただきました。動画があるんで、詳しくはそちらでどうぞ。アキバさん、よろしくお願いします」

「承知したでござる」


 アキバがパソコンを操作し、先ほど同様動画が始まった。


『君たち、ボクのこと使いすぎじゃないか〜い?』

『使えるもんは使っておけって、クマちゃんさんが言ってましたから』

『も〜、また阿熊クンか。人使い荒いな〜』


 そんなこと言った覚えないんだが?

 お前ら二人揃って、都合の悪いとき全部俺のせいにしてやがんな?


 目を細めてイトナを睨むが、クーを掲げガードされる。無表情のクーと視線を交えるだけになってしまった。


『──ということで、井上さんに話を伺っていこうと思います。あのくそリアじゅ……失礼しました。浦見さんってどんな人なんですか?』

『んー、そうだなぁ』


 井上先輩の顔にはモザイクがかけられていて、ボイスチェンジャーも使われていた。どこに力入れてるんだよ。


『友達は男女どちらも多いけど、特定の人と深い仲にはなってないって感じかなぁ。一定の距離を保っているというか……まぁ、あの見た目だし、引く手あまただろうけどね』

『遊び行ったりはするんですか?』

『偶に合コンに付き合って貰ったりするよ。浦見がいると集まりいいからね』

『浦見さんに恋人はいるんですか?』

『そんな話聞いたことないなぁ。なに、君もしかして浦見のこと狙ってるの?』

『は? 何言ってるんですか? 顔面の皮剥ぎ取りますよ?』

『ご、ごめんなさい……』


 イトナの怖さに、すっかり萎縮してしまう井上先輩。見た目だけは人畜無害そうな小さいロリっ娘だからな。余計に恐ろしかったのだろう。


『あ、あの他に聞きたいこととかは……?』

『そうですね、あとは特に』

『ええ、これだけ⁉ なんか話足りないなぁ……浦見が〝引き立て役製造機〟と呼ばれた由縁でも話そうか?』


 なんだそのパワーワード。すげぇ遊ばれてんじゃん。


『あいつの横に並ぶと嫌でも比べられるからなぁ、だから引き立て役製造機。あとは王子とか、初見殺しとか、リア王とか色々あるぞ』


 理由を聞くと納得のあだ名だったな。あのなりなら、王子というあだ名があっても不思議じゃないし、性格悪そうだもんな。寄ってきた女性は後で痛い目を見るし、初見殺しもしっくりくる。リア王はシェイクスピアの戯曲……それとも、もうそのままリア充の王様ということだろうか。


『あ、最後にもう一つ。浦見さんに弱みとかないんですか?』


 この話の本題だ。これで弱みでも見つけられたら楽なんだが……。


『弱みかぁ……うーん、勉強もスポーツも出来るからなぁ。特に苦手なもんとかもなさそうだし……あ、完璧すぎるのが弱み、みたいな?』


『あ。そういうのはいいんで』


『ご、ごめんなさい』


 辛辣なイトナに対し、井上がこうべを垂れる姿で映像は締めくくられた。質問に答えただけなのに散々だなあの人。


「弱みという弱みはわかりませんでした。アキバさんの泳げないという情報の方が一歩上ですかね。手始めに、浦見さんを波の荒い海に連れて行きましょうか」

「承知した。拙者はコンクリートを用意しておくでござる」

「沈める気満々じゃねぇか。さらっと怖いこと言うなよ」


 こいつらを野放しにしたら、みなとみらい辺りから死体が出てきそうだ。


「弱みを握ってどうにかしようと思ったのでござるが、無理そうでござるなぁ」

「だ、ダメだよ。弱みを握るとか……そういうの」

「ったく、だからお人好しすぎるんだよ未来は」

「で、でもぉ」

「大丈夫だ。正々堂々、浦見に勝ってやろう。噂がなんだ、必ず紅組に白星をあげさせるさ」

「……うんっ!」


 未来が満面の笑みで相槌を打つ。


「クマ殿、何かいい方法を思いついたでござるな?」

「教えてくださいクマちゃんさん!」

「……みんな、よく聞いてくれ」


 全員の注目が俺へと集まる。

 静まり返った部室で、親指を立てた手をまっすぐと伸ばし、朗らかな声をあげた。


 

「体育祭、精一杯頑張ろうぜ!」


 

 しばしの沈黙のあと、ゆっくりと未来が口を開く。


「……え、それだけ?」

「ん? それだけだが?」

「いやいやクマ殿! さっきの言い方はなにか思いついた感じでござろう⁉」

「そうですよ! このままじゃ、予言の実現なんて出来ないじゃないですか!」


「予言の実現……? なに言ってんだお前ら?」


「く、クマ殿?」

「実現なんてさせる必要ないじゃないか。未来の予言は100%なんだし。気楽に体育祭楽しもうぜ、俺らの紅組が勝てるよう本気でな。いやー、土曜日が楽しみだなー。ちゃんと出る種目確認しておかないとー。はっはっはっ」


 皆が皆、口をポカンと開けたまま固まっていた。


「く……」と未来は辺りをはばかるような声で沈黙を破り、


 

「クマが壊れたぁ⁉」


 

 虚を衝かれたように狼狽した。


 未来の咆哮はしばらく、耳に残ったままだった。

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