第四話

「へぇー、そうかぁ。しっかりと聞いたからね百瀬さん? 横断幕は新聞部が話をつけておくから安心して。明日にでも持ってくるから。ふっ、体育祭当日が楽しみだね」


 踵を返し、ドアへと向かう浦見だったが、なにか思い出したように立ち止まり、


「そうだ百瀬さん、この勝負に負けたら予言者なんてやめた方がいいよ。どうせ、君の自己満足でしかないんでしょ? 仲間に迷惑をかけるくらいなら潔くやめれば?」


 未来は何も言い返さず、ただ黙って立ち尽くしている。


「……それじゃ」


 浦見は勝ち気な表情そのままで去っていった。ドアの閉まる音が静かな部室に響く。

 重苦しい静寂に包まれ、居心地の悪さを感じる。外を見ると、夜が顔を出し始めていた。


「申し訳ないが、今日は早めに上がらせてもらうでござる」

「すいませんが、私も」


 二人は重い足取りで帰り支度を始めた。

 未来は呆然とした様子で、椅子に座ったまま動こうとはしない。浦見に言われたことを気にしているんだろう。沈痛な表情を前髪の隙間から覗かせていた。


「じゃあ、拙者はこれで」

「また明日です」

「あぁ。じゃあな二人とも」


 去っていく二人の背中を見送り、未来の方に体を戻した。


「帰らないのか?」

「……もう少ししたら、かな」

「そうか」


 俺は占いスペースに椅子を持ってきて、未来の近くに腰を下ろした。


 ……どれくらい時間が経っただろう。

 会話もなく、未来はずっと窓の方を見やったまま。

 カーテンを透かし、暗い部室に月明かりが差し込んでくる。


「ねぇ、クマ」


 囁くような声。


 月の光で青白く見える身体は、微かに震えていた。

 雲に覆われ月は姿を隠し、あたりは深淵に呑み込まれていく。

 本当は泣きたいんだろう。無理に笑顔で塗り固めた不器用な作り笑いで、弱々しく言葉を漏らす。


「予言って……なんのためにあるんだろうね」


 未来の言葉が頭の中で反芻される。

 何か言おうと口を開くも、未来の顔を見ると、後に続く言葉が出てこなかった。


 ※ ※ ※


 それから二日後。


 放課を告げるチャイムが鳴り、教室にいる生徒の姿がまばらになる。

 窓際の自分の席を立ち、教卓近くに座る未来の元へと向かった。


「……あ、クマ」


 俺が机の横に立つと、未来は浮かない顔で小さく口を開く。


「ほら、部室行くぞ」

「……いや、今日はちょっと」


 目を伏せて俺から視線を逸らす。


「昨日も用事があるって帰ったろ? 今日は連れて行くからな」

「この二日間、アキバくん授業に出てないよね。学校には来てるのに……」

「あー、そういえば」


 アキバの席には、スクールバッグがしっかりと置いてある。

 ……まぁ、大体予想はつくがな。


「きっと、この前のことだよね」


 未来はスカートの裾を握り、泣きそうな声を出す。


「アキバがあんなん気にするわけないだろ。存在自体冗談みたいなヤツだぞ」

「……怖いよクマ。もしもさ、部室に行って誰もいなかったらって考えるとさ……やっぱり、みんな嫌々付き合って──ちょ、クマっ⁉」


 俺は未来の手を引き、教室の外へと連れ出した。

 そのまま階段を降り、ホールからまっすぐ廊下を突き進む。


「く、クマ! や、やだ、離してよっ!」

「いいや離さない。アキバやイトナが恩返しだとか居場所のためだとか、そんなくだらないことでずっと未来と一緒にいたと本当に思ってるのか?」

「それは……」


 部室のドアの前で足を止める。

 ドアを少しスライドさせると抵抗はない。カギは掛かっていないようだ。


「……だったら自分の目で確認しろ」

「ま、待って──」


 俺は間髪入れず、部室のドアを開いた。

 中を見まいと、空いた方の手で自分の目を覆う未来だったが、恐る恐る指の隙間から覗きはじめる。


「……え?」


 未来は困惑の声をあげ、目を見開いた。


「遅かったでござるな二人とも」

「もうこっちは準備万端ですよ」


 占い机の横に、イスを二つ並べて座っているアキバとイトナの姿。

 俺の分だろうか、未来がいつも座っているイスの隣にもう一つ用意してある。


「二人とも、どうして?」

「どうしてって言われましても。ね、アキバさん?」

「拙者たちは、いるべき場所にいるだけでござるよねぇ?」


 ニヤニヤと笑いながら、未来の反応を楽しむ二人。


「だから言ったろ。コイツらは浦見が言ったようなくだらない理由で、いままで未来と一緒にいたわけじゃないって」


「だ、だって、二人ともあの日すぐ帰っちゃったしぃ」

「あれは浦見殿に怒り心頭だったからでござるよ。一刻も早く、あの甘いマスクが歪むところを見てやろうと行動してたでござる」

「私はイラつきすぎて、帰ってすぐに藁人形を作っていました。浦見さんの髪の毛さえ手に入れば、今夜にでも呪うことが出来ますが」


 闇イトナに変貌しかけたので、どうにか一旦落ち着かせる。この作業が一番、骨が折れるかもしれない。そして、アキバは気恥ずかしそうに鼻の下を擦って、


「昔のことはもちろん感謝してるでござる。でも、未来殿じゃなかったらいままでも一緒にいなかったと思うし、これからもいたいとは思わないでござるよ」


 メガネを煌めかせ、脂肪をまとった口角を上げる。


「私もです。ここが大切な場所であることは確かですが、そのためだけに手伝っているわけではありません。私もアキバさんも未来さんのことが好きだからです。だから助けたいんですよ」


 クーを優しそうに撫で、ふと柔らかい笑みを浮かべるイトナ。


「うぅ……」


 嗚咽を漏らした未来の顔は、大量の涙でぐちゃぐちゃになっていた。


「うわぁぁぁぁぁああっ! 二人とも大好きぃぃぃいいっ‼」


 未来はイトナの胸元へと勢いよく抱きつく。

「よしよし」とイトナに頭を撫でられ、未来は次第に泣き止んでいった。


「……ねぇクマ、一つ聞いてもいい?」


 未来は平らな胸から顔をあげ、ちらりと俺を見る。


「どうした?」

「クマはさ、なんで私に協力してくれるの?」

「ん、気になるのか? どうしてもって言うなら教えてやらないことも──」

「……べ、別にいいよ! ちょ、ちょっと聞いてみよっかなって思っただけだし! ど、どうせ太もも目当てかなにかでしょ!」

「俺の印象悪すぎねぇか⁉」


「ふん!」とそっぽを向く未来。いつもの調子に戻ったみたいだが、俺に対しての理不尽さは戻らないで欲しかった。


「……えへへ、なんだぁ。わたしの考えすぎだったんだぁ」


 頬を染め、髪の毛をくるくると指で巻く未来。

 顔にはむず痒そうな、照れ笑いが浮かんでいる。


「よ、よーし! じゃあ改めてみんな、わたしに協力してくれる?」

「最初からそのつもりでござるよ」

「クーちゃんもやる気満々です!」

「ひざまくらしてくれたら考え──痛っ!」


 未来に右足の脛を蹴られた。また同じところを……ワザとなのか? なぁ、ワザとなんだろ?


「たく、冗談だろ。冗談」と、俺は蹴られた箇所をさすりながら、未来を見据える。

 しかしなぜか、蹴った張本人は顔を赤らめ、恥ずかしそうに指をもじもじとさせている。

 そして蚊の鳴くような声で、


「……して欲しいの?」


「え?」


「だ、だから……その、そんなに……して欲しいのかって聞いてんのぉ!」


 どうにでもなれと言わんばかりに、真っ赤な顔で声を張る未来。


「はぁ⁉ え、して欲しいって……ひざまくらを?」

「そうだよっ! それ以外ないでしょ⁉ は、恥ずかしいから言わせないでよぉ!」


 一瞬だけ、もっとエロいことが出来るかと舞い上がった俺を許して欲しい。


「その、なんだ……してくれるのか?」

「…………う、うん」

「じゃあお言葉に甘えて──」


 俺は膝立ちになり、未来の柔らかそうな太ももに手を回す。

 すべすべな肌が指に張り付いてきた。


「んにゃぁぁぁぁああっ!」


「あがっ!」


 脳天への強い衝撃。


 未来が手を押さえながら、息荒く視線を激しく泳がせていた。チョップを食らったらしい。


「な、なななななにしてんのさ急に!」

「いや、未来がひざまくらしてくれるって……」

「い、いまとは言ってないでしょ、いまとは! 体育祭の予言が的中したらだよぉ!」


 して貰えると思ったのに、このモヤモヤ感。不完全燃焼すぎてつらい。


「なんだよ紛らわしい。それならそうと最初から言ってくれよ」

「誰もこの場でやらされると思わないでしょ⁉」


 アキバとイトナに視線を向けると、静かに首を縦に振られた。

 俺の印象がどんどん太ももフェチの変態へと成り下がっていきそうだ。


「じゃあ、今日のところは自重しておくよ」

「……出来れば一生涯自重して欲しいけどね」


 未来が太ももを押さえながら、ジト目で睨んでくる。

 俺はイスに腰を下ろし、真剣な眼差しで、


「さて、ひざまくらのためだ。体育祭の予言について話し合おう」


「動機が不純すぎるでござるな」「逆に清々しく感じられてきましたけどね」と呆れ顔を二つ向けられた。俺は咳払いし、アキバに視線を飛ばす。


「アキバ。二日間授業に出ていなかったが、お前のことだ。何か収穫はあったんだろう?」

「流石クマ殿、お見通しでござったか。でゅふふ。もちろんでござるよ。最初はいつも通りネットから情報を得ようとしたでござるが、浦見殿SNSすらやっていなくて、情報がまったく無かったでござる。だから──」


 アキバは机に置いてあったパソコンを開き、動画ファイルを映し出した。


「……動画?」


 俺の肩に手を置き、ひょこっとディスプレイを覗き込む未来。


 アキバがタッチパッドで再生ボタンを押すと、真っ暗な画面から動画は始まった。

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