第四章「体育祭で勝つでしょう!」

第一話

 雲ひとつない青空。


 海をそのまま空に映したような、見事に澄んだ青が頭上に広がっている。


「……最高だなアキバ」


 俺の目の前に広がるのは、数え切れないほどの太もも……もとい、スクール水着をまとった女子高生たちの瑞々しい肢体。


「こっちもいいなぁ……でも、あっちも捨てがたい。70点……いや72点ってところか」

「スク水の曲線美は認めるでござるが、拙者はいかんせん三次元には興味ないでござるからなぁ」


 アキバはプールでメガネを取っているにも関わらず、メガネの位置を正す仕草をする。

 感触がないことがわかると、「あ」と恥ずかしそうに小さく声をあげた。

 やめろ照れるな。お前が照れても可愛くないぞ。おい、頬を染めるな。


「クマ殿のお眼鏡に叶う太ももはあるでござるかねぇ」

「うーん、85点が合格ラインだな」

「司法試験より厳しいでござるね」


 強い陽光が降りそそぐ六限目のプールサイド。

 体育の授業は今日から水泳で、誰もが高揚する気分を抑え切れてはいない。

 先生たちも「今日は自由に泳いでいい」と粋な計らいをしてくれた。


 俺とアキバはすでに泳ぎ疲れ、プールサイドに肩を並べて腰を下ろしている。動かないでいると、うなじが焼かれそうなほど熱い。


 プールはごく普通の25メートル幅だが、人が多いせいで狭く見える。

 体育は2クラス合同だから、人数でいうと80人前後か。レーンは4つに分かれていて、校舎側の1・2レーンは女子。校庭側の3・4レーンは男子が使用している。

 男子は2レーンと3レーンのコースロープから手や足がはみ出るだけで、女子からの集中砲火をくらって(肉体的にも精神的にも社会的にも)死ぬことになる。女子って怖い。


「ほらほら、喋ってないでちゃんとやれ」


 後方から筋肉美が目立つ男性教師、通称マッチョのしゃがれた声が聞こえてきた。

 俺らが注意されたかと思い、一瞬心臓が掴まれたような感覚に襲われたが、水着を忘れて掃除をさせられている、体操着姿の生徒に向けてだった。


 体操着ということは水着を忘れたか、軽い体調不良のどちらかだろう。怪我人は傷口に擦れる場合もあるため、着替えなくてもいいとされている。ぶつくさ文句垂れながら掃除しているし、十中八九水着忘れだと思うが。プール掃除はたしか、水着忘れの罰だったし。


 なにはともあれ、こんな暑い日にプールに入れないとはとんだ災難だな。

 水面に煌めく太陽の反射が眩しく、思わず目を細めていると、急に視界が真っ暗になった。


「えへへ、だーれだ?」


 どうやら、俺の目を手で塞いでいるみたいだが、姿を見なくても声でわかる。

 てか、こんなことするのは一人しかいない。


「未来だろ」

「ぶー。ハズレー」

「はぁ? そんなわけ──」


 解放された視界で見据えたのは、屈んだイトナの姿だった。

 その後ろで未来が笑いをこらえながら立っている。


「ふふっ、だーまされた! 正解は、声がわたしで手がイトナちゃんでしたっ」

「でしたー」


 イトナが顔の横で手をひらひらとさせる。


 スレンダーなイトナはスクール水着がよく似合うな。いや、ロリっ娘とか言ってるわけじゃないぞ。プールで髪を下ろしているからか、いつもより子供っぽく見えるけど。


「……そんなんわかるかよ」

「ふふん。策士未来ちゃんって呼んでもいーよ?」


 ドヤ顔の未来は、前屈みになって俺を見つめてくる。

 おおぅ……眼前でそんな胸を強調するようなポーズをされると、目のやり場に困る。

 イトナと並ぶと、余計に女の子っぽい体つきが強調されるような……。


 水に濡れた長髪は妙に艶やかで、制服とは比べ物にならないくらい肌の露出も多い。胸元には谷間も見え……プール最高かよ。でも、周りからの視線が痛い。特に男子からの羨ましそうな視線。本当に羨ましがられる関係だったら、どれだけよかったか……。


「クソが────っ!」

「え、えぇ⁉ そんなに悔しがるっ⁉」


 未来が俺の横に立ち、おどおどした様子を見せる。


「別に悔しいわけじゃ……」


 ふと、目線を未来の方に向けると、俺はそのまま固まって動けなくなってしまった。

 座っているので、目線はまっすぐ未来の太ももへと注がれる。


 いまのいままで胸に気を取られていたが、たまらない太ももが超至近距離に。

 プールに入った直後で、太ももから滴り落ちる水。日焼けとは縁遠い白い肌……ムチっとして柔らかそうな眼前のそれに釘付けになってしまう。


「……85点」

「? なぁに、85点って?」

「合格だよ未来! おめでとう!」


 俺は思わず立ち上がり、未来の肩に手を置いて激励した。


「うぇぇっ⁉ あ、ありがとぉ?」


 困惑しながら、意味もわからず答える未来。……ん、待てよ?


「映画の時はたしか82点……合格ラインまでは僅かに届かなかったはず。あれから一ヶ月ちょいで一体なにが……そうか!」

「どうしたの。急にぶつぶつ喋りだして」

「未来、よくやった」


 真剣な表情で未来を見つめる。そうだ、これしか考えられない。


「く、クマ……?」


 どんどん赤くなっていく未来の顔から、太ももを一度見やり、紅潮した顔へと視線を戻す。


「未来……足太くなったな!」


 バシィィン!


「あぶぅっ」


 プールサイドに響く、手のひらと頬がぶつかる甲高い音。そして間の抜けた悲鳴。

 未来にビンタされた勢いで、そのままプールの中へと俺の身体は落ちていく。水しぶきをあげ、頭からプールへと沈んだ。全身に水の冷たさが伝わっていく。


 水面の上から、「悪魔が水没した」「悪魔が死んだ」「堕天だ堕天」などの囁き声が、ごぼごぼと空気の音が鳴っていても聞こえてくる。案外水の中って音聞こえるんだな。

 俺はプールの底に足をつけ、勢いよく水面から顔を出した。


「ぷはぁ! はぁ……はぁ」


 一気に空気を肺に送り込む。

 鼻に水が入ったせいで、ツーンとする。塩素の独特な匂いが鼻腔を突き抜けた。


「なにすんだ未来! 危ないだろ!」

「い、いまのはクマが悪いでしよぉ⁉」

「俺は褒めただけだ! 怒る箇所なんてなかったろ⁉」

「もぉーっ! だからクマは女心がわからないって言われるんだよぉ! 変態! 太ももばーかっ!」


 やめろ。頼むからクラス中に俺の太もも好きを露見させないでくれ。


「バカはお前もだ百瀬! そっちは男子のコースだろ、早く帰ってこい!」


 校舎側から怒号を飛ばす姉御肌の女教師、元ヤンこと元谷先生。

 元ヤンの荒々しい口調に身体をビクッと揺らし、未来は「ご、ごめんなさぃ!」とイトナを連れて、女子たちのコースへ早々と帰っていった。


「でゅ、でゅふっ、ふふ」と、アキバは太い身体を震わせている。笑ってやがんなアイツ。


「……痛ぇ」


 ヒリヒリと痛む左頬を押さえながら、浮遊感に身を任せた。

 背泳ぎのような体勢で浮かび、真上で照りつけてくる太陽に目が眩む。


 瞳を閉じても、まぶたの裏には太陽の輪郭がしっかりと映ったままだった。


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