第八話

洋館での後片づけを終え、俺たちは最後のロケ地である、この山の頂上へと向かっていた。

 夕闇がさし迫り、数時間前とはまた違う景色の森の中。一日に及ぶ撮影も終わりに差し掛かろうとしている。


「お、頂上が見えてきたでござる」


 アキバの言葉で、足元に下げていた目線を上げた。

 数十メートル先に、ひらけた場所が見える。あそこが頂上か。


「ん〜。完璧な舞台だ〜」

「すごーい! 綺麗だねっ!」


 頂上はかなりの絶景だった。欠けた太陽は空を茜色に染め、街を輝かしている。


「でゅふふ。まるで街が燃えているみたいござる」

「クーちゃん、真っ赤です。まるで血みたいですよ。クーちゃんの中にもこんな真っ赤な血が流れてるんですよー」


 二人の言葉で、このいい景色が台無しになった気がするのは俺だけだろうか。もうちょい他にいい例えあったろ。


「夕陽もいい感じだし、すぐ撮影に取り掛かろうか〜」


 ラストシーンはこの夕陽と街をバックに、未来が一人で行う独壇場とも呼べる場面。

 未来は洋館の撮影を行う前に着ていた、血飛沫の飛んでいる白装束へと既に着替えている。森のシーンからラストに繋げるためだ。


 血糊のこびりついたナイフを黒澤から受け取り、夕陽をバックに佇む未来。

 赤い陽だまりに浮かぶ黒いシルエット姿は、妖しくも美しい。


「準備いいか〜い?」


 メガホン越しで尋ねる黒澤に対し、未来は「はい!」と頷く。

 カメラの準備が出来ていることも確認し、黒澤はカチンコを構える。

 いよいよラストシーンが始まる。


「じゃあラストシーン。よ〜い、アクション!」


 カチンコの余韻もなくなり、辺りからは木々のざわめく音しか聞こえない。閑静のなか、小さく言葉を零す未来。


「……人を恨む気持ちはある。殺したいほど憎んでる。でも、殺したからって……その恨みが晴れるわけじゃなかった」


 未来は夕陽に照らされたナイフの切っ先を見つめる。


「わたしは……わたしは……っ!」


 口をつぐみ、呆然と街を見下ろす。


「……両親に言われるがまま予言者のフリをして、みんなを騙してお金を稼いできた。いつからか、わたしが適当に言ったことで翻弄される人を見るのに高揚感が湧き上がってきた。わたしは特別なんだって、普通の人とは違うんだって……でも、嘘がバレたらわたしからは何もなくなった。積み重ねてきたことが一瞬で砂のように散っていった」


 ナイフを持った両手を前に突き出す。そのままナイフをひっくり返し、刃の先を自分へと向けた。そして、ふと自虐的な笑みを浮かべ、


「予言って、なんのためにあるんだろう」


 脚本上のセリフだが、未来自身が吐露しているように見えた。

 心なしか、寂し気な表情をしているようにも。

 そのせいか、セリフが脳裏に焼きついて離れない。黒澤にそんな気はないだろうが、まるで俺たち……未来に対して問われているような気がしてならなかった。


「……なんてね」


 未来はそのまま、流れに身を預けるように脱力する。


「どうでもいいか、そんなこと」


「ふぅ」と一息ついて、唇を軽く噛む。

 覚悟を決めたように生唾を飲み、勢いよくナイフを自分の胸元目掛けて突き刺した。

 胸からは真っ赤な血が溢れていく。


「うぅ……」


 呻き声をあげながらよろけて、未来は膝から崩れ落ちた。


「真っ赤……」


 血に濡れた指先を見て、柔らかい笑みを浮かべる。


「……最後の予言は当たったなぁ」


 夕陽を浴びた黒い影は、ゆっくりと倒れていく。

 影はやがて動かなくなり、カメラは夕陽へと標準を合わせていく。

 黒澤は感慨深く頷いて、大きく息を吸い、


「カ────ット! 撮影は以上で~す!」


 自然と拍手が巻き起こっていた。

 静かな幕引きではあったが、達成感が半端ない。未来の演技も圧巻だった。


「うぅぅぅうう終わったぁ────っ!」


 地べたから這い上がって、解放されたと言わんばかりに、とびきりの笑顔で叫ぶ未来。


「お疲れ、ほれ」


 俺は未来の側に寄り、用意していたタオルを渡した。


「ありがと、クマ」


「ふんふーん♪」と鼻歌交じりで、汗を拭き始める。


「これで今回、俺と未来の出番はお終いだ。あとはアキバとイトナに任せよう」

「そうだね。編集でクマの演技が多少マシに見えたら完璧なんだけどなぁ」

「一言余計なんだよお前は」

「えへへっ。……あ、汗かいてるよ?」

「ん? あー、少しな。べつにこれくらいいいだろ」

「ダメだよ、風邪引いちゃうかもしれないんじゃん。もー、ちょっとジッとしてて?」


 未来は有無を言わせない態度で、そのまま俺の顔の汗を拭き始めた。


 自分で拭くのとは違って少しこそばゆいが、全然悪い気はしない。自分事のように懸命に拭いてくれている未来を見ていると、ずっとこうしていて欲しいくらいだ。お嫁さんにネクタイを結んでもらう夫ってこんな気持ちなのだろうか。


「阿熊クン、阿熊ク~ン」


 声のする方を見ると、黒澤が俺に向かって手招きしていた。


「さんきゅー未来。ちょっと行ってくる」

「はいはーい。行ってらしゃーい」


 手を振って見送ってくれる未来。

 通勤の時にお嫁さんに見送られる夫ってこんな気持ちなのだろうか。さっきからいちいち嫁力が高い。未来はいいお嫁さんになれそうだ。他の男と結婚している姿を想像したら泣きたくなるけど。


「お疲れ黒澤。なんか用か?」

「いや~、未来チャン主役で頑張ってくれたし、ちょっとしたプレゼントがあるんだけどさ、ボクは勉クンと映像確認しなきゃいけないし、阿熊クンに渡してきて貰いたいんだよね~」

「なんだそんなことか。全然構わないけど」

「ありがと~。じゃあ、このクランプアップの花束渡してきて欲しいんだ」


 黒澤が用意してきたのは、ピンク色の花が縦に大きく咲く、綺麗な花束だった。

 詳しくないので何の花かはサッパリだが、あまり見かけないような種類に思える。てか、俺にはその辺の花を摘めと言ったのに未来にはあるのか。これが主演とモブの差か。


「ちなみに、なんの花なんだこれは?」

「ファレノプシス・アフロディーテだよ~」


 聞いてもサッパリだった。どこ産だよ。明らかに日本産じゃないだろ。

 そして、黒澤はニヤッと口角を上げ、


「じゃ、頼んだよ阿熊クン。……あ、そうだ。この花束、阿熊クンからのプレゼントってことにしてくれないかな? ボクのキャラ的に恥ずかしくてね~。阿熊クンからの方が未来チャンも喜ぶだろうし」

「まぁ、それは構わないが」


 クランクアップの花なんか、誰から貰っても同じだと思うけどな。

 俺は花束を背中に隠し、未来の元へと戻る。


「あ、お帰りー」


 花が咲いたような笑顔の未来。疲れて帰った時には、こんな笑顔で迎えられたいものだ。


「未来、いいもんやるよ」

「……えぇー」

「なんだよ。露骨に嫌な顔して」

「だってクマのいいものって、いいものだった思い出ないんだもん」

「今回はいいもんだよ」

「本当? 館ものの推理小説十冊とかじゃないよね?」

「お前は俺を一体なんだと思っているんだ……」


「ミステリーばか」


「よーし、館ものの推理小説は後日貸してやる。十冊とは言わず、三十冊くらい」

「えーっ! やだやだっ! 三十冊も読むのすごい大変なんだからーっ!」


 嫌と言いつつ、貸したものはキチンと見てくれるあたり優しさを感じる。貸し続ければ、いつかミステリーの虜になってくれるんじゃないだろうか。今度実験してみよう。


「とりあえず……ほれ、プレゼント」


 隠していた花束を、未来の前へと差し出す。


「え……うえぇ⁉」


 未来は目を丸くして、そのままの姿勢で固まってしまった。そんなに俺が普通のものを渡したことに驚いているのか? それはそれで失礼な気がするんだが。


「こ、これ、本当にクマから……?」

 夕焼けに照らされているせいだろうか、未来の顔は紅潮しているように見える。


 本当は黒澤からなのだが、頼まれてしまったし、俺からだと明言しておいた方がいいか。


「あぁ、俺からのプレゼントだ」

「これが……クマの気持ちなの?」


 気持ち? クランプアップって、お疲れ様とか感謝の気持ちで役者に渡すんだよな。だったら俺も同じ気持ちであることに間違いはない。未来は今回よく頑張った。


「もちろん俺の気持ちだけど?」

「え、え⁉ ちょ、きゅ、急にそんなの。困るっていうか……いや! 困るってのは、その、嫌ってことじゃなくてね? え、えっと……その、うぅぅ──っ!」


 激しい身振り手振りで、慌てふためいていることがわかる。

 顔を真っ赤にして悶えているが、変なことは別に言ってないよな……そうか、素直に俺が褒めたからか。なんか複雑だな……これからは未来のこと、ちょくちょく褒めていこうかな。生きてて偉いぞ。学校行って偉いぞ。確定申告ちゃんとして偉いぞ。


「……とりあえず、受け取って貰えないか?」

「う、うん」


 うつむいたまま、まっすぐと手を伸ばして花束を受け取ってくれた。

 花束を胸にギュッと抱き、上目で俺を見つめてくる。


「あ、ありがとね」

「どういたしまして」

「で、で、あの、その……」


 未来の顔は、湯気が出そうなくらい火照っていた。


「私も……クマと同じ気持ちだから」


 同じ気持ちって……あぁ、お疲れ様の気持ちを伝えたいってことか。確かに一日にわたる撮影は中々のものだったな。


「おう、さんきゅ」

「か、軽っ! 軽────っ⁉」


 未来は驚愕の表情で大声を上げた。


「な、なんだよビックリするなぁ」

「び、ビックリしたのはわたしの方だよっ! なんでそんなにあっさりとしてるのさ! あ、ありえない……ありえないよ! クマのバ────────カッ‼」

「うぐぅっ!」


 がなりたてると、未来は俺の腹部に一発パンチを食らわし、走り去っていった。

 若干気まずそうにこちらを見ていた黒澤たち。俺はそれを尻目に、美しすぎるくらいの茜空を仰ぎ、


「マジで訳わからん……」


 俺の苦言は、五月の夕暮れへと消えていった。

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