第七話

「も〜、遅いよ二人とも〜」


 黒澤が呆れ声を出す。横ではアキバがカメラを三脚に取り付けていた。部屋の中には入らず、待っていてくれたみたいだ。


「ごめんね。でも、クマのバカのせいだよ。バカクマのせいだよ」


 未来が俺を指差す。


「な〜んだ阿熊クンがバカだったからか〜」

「クマ殿はバカでござるなぁ」

「揃いも揃って俺をバカ呼ばわりするな!」


 俺が一瞥すると、未来は目を瞑って、可愛らしく「べー」と舌を出した。

 黒澤は用意してあったもう一着の白装束を未来に手渡し、


「もうちょいで準備終わるっぽいから、先に着替えちゃって大丈夫よ〜」

「えっと、着替えはどこで?」

「空いている部屋ならどこでも使っていいってさ〜」

「じゃあ、ここでいっか」


 未来はホール隣の部屋を横目で見て、ドアノブに手をかけた。

 客室だろうか。扉の先にはベッドや化粧台やテレビ。窓際には一人がけ用のソファーも置いてあり、ビジネスホテルのような簡素な造りの部屋だった。未来はそのまま部屋の中に入ったかと思うと、ドアの隙間から顔を覗かせ、不審な顔で俺を見る。


「なんだよ?」

「……覗いたら怒るからね」

「覗かねぇよ!」


 衣服の擦れる音。パサッと床に触れる音が聞こえてくる。

 ……なんだか変に緊張するな。

 扉一枚隔てた向こうで未来が着替えているかと思うと、嫌が応にも気になってしまう。


「お待たせしました。もう入って大丈夫ですよ」


 ホールの扉を開けて、イトナが廊下へと出てきた。

 イトナは黒いローブに身を包まれ、さながらその姿は黒魔術士と呼ぶにピッタリだった。

 いつも黒い服だから、あまりいつもと違う印象はないが。


「じゃ、入ろっか〜」


 黒澤はイトナに促されながらホールの中へと入っていく。

 カメラを落とさないよう大事そうに持って、ゆっくりとカニ歩きをするアキバ。廊下で三脚に設置しなきゃよかったんじゃないだろうか。

 俺は未来が着替えている部屋の扉をノックし、


「おーい、もうみんな先に入ってるぞー」

「ちょ、ちょっと! 急かさないでよぉ!」


 布の擦れる音が激しくなる。かなり急いでるみたいだ。


「もとはといえばクマが遅いせいで……うぅ、帯がうまく…………よ、よし、終わったぁ!」


 勢いよくドアを開けて、部屋から出てくる未来。


「はぁ、はぁ……早く行こう」


 息を切らして、前髪を整えながらホールへと向かう。

 身体は汗ばんでいて、艶やかな雰囲気を醸し出している。

 白装束は急いで着たせいで乱れ、谷間や太ももにしたたる汗はなんというか、その……。


「未来、エロい」

「────っ⁉」


 未来は顔を火照らせながら、ひどく動揺して両胸を隠す。


「間違えた。一回止まれ、だ」

「ど、どどどうしたらその二つを間違えるのさぁ⁉」


 そんなこと言ったってしょうがないじゃないか。


「とりあえず、きちんと服を着てくれ。それで撮られると困るから」

「……ふーん。わたしが困るんじゃなくて、クマが困ってくれるんだぁ?」


 口元に手をやり、ニヤニヤとする未来。


「……言葉の綾だよ。お前が際どい衣装で映画を撮らせたい痴女なら止めないが」

「な、ななななに変なこと言ってんのさっ! そんなわけないでしょ⁉」


 怒りながらも衣装を整えていく。

 整え終えると「どーお?」とその場で一回転し、俺に見せてくる。


「いいんじゃないか? 似合ってる似合ってる」

「えへへ、ありがとぉ」


 空返事に対して、あどけない笑顔を向けてくる未来。なにこの可愛い子、持ち帰りたい。


 軋むホールの扉を開けると、思わず息を飲んでしまうような光景が広がっていた。

 暗い部屋は、隅々に立てられた燭台上のロウソクによって照らされている。真鍮製の燭台は火を帯びて、暗闇の中で怪しく金色に輝いていた。


 部屋の中央には、大きな魔法陣が描かれている。


 数人なら余裕で入れそうな陣の中には、クーがポツンと置かれていた。少し前に流行っていた「一人かくれんぼ」を連想させる。

 魔法陣は細部もしっかりと描かれており、完成度は見事なものだ。


「どうですか? 結構自信作です」

「すごいな。想像以上だよ」

「クーちゃんと朝から頑張りましたからね!」


 イトナが笑顔で胸を張る。未来だったら胸が強調されるポーズも、控えめなイトナだと温かな目で見ることが……あれ? 部屋が暗いからかな……なんだか寒気が。


「いや〜、こんなセットが出来るなんて、オカルト研究部に頼んでよかったよ。ボクが大物になったらザギンのシースーでも奢るから」

「おぉ、太っ腹でござるな黒澤殿」

「も〜、ホントの太っ腹は勉クンでしょ〜?」

「でゅふふ。拙者だって傷つくことはあるでござるよ?」


 お腹をつまみ「寝てるだけで体脂肪減らないでござるかなぁ」とボヤくアキバ。どうやら心にまで体脂肪がついているようだ。


「じゃ、撮影始めよっか〜」


 黒澤の言葉で、各々が持ち場へとつく。

 カチンコを持ち、静かに現場を見据える黒澤。魔法陣上で祈るような姿勢で合図を待つイトナ。次の出番まで控える未来。カメラを撮るアキバ。そんな四人を見ているだけの俺。


 ホールが静寂に包まれ、緊張感が走る。


「じゃあ、冒頭シーンからいくよ〜。よ〜い、アクション!」


 黒澤の声とカチンコの音が響く。


「あぁ、伊麻里様……何故こんな酷いことに。私は……私は……」


 嘆くようなイトナの声。

 普通に演技上手いな……いや、男子陣が下手すぎるだけか?

 それにしても、伊麻琉を一文字変えているだけだとバレバレだが、そこは大丈夫なんだろうか? 著作権とか肖像権とか、結構グレーゾーンだと思うんだが。


「強い恨みを残したまま、奇しくも亡くなってしまった伊麻里様……その恨み、私が晴らせて差し上げましょう」


 目を瞑り、小さく呪文を唱え始めるイトナ。

 因みにこのシーンは、イトナの儀式が盛り上がってくるとともに、魔法陣が光るという演出らしい。もちろん、アキバがCG担当である。


「おいでください! 伊麻里様!」

「カ────ット! オッケ~よ」


 イトナの大音声で、儀式のシーンは締めくくられた。


 次は魔法陣から未来が登場するシーン。それが終わればラストシーンの撮影だ。

 短編ということもあって、シーン数が少なくて助かった。後日アキバには編集作業、イトナにはオカルト部分監修という地獄が待っているが、俺と未来の範疇ではない。応援してるぞ二人とも。


「じゃ、カメラの準備ができ次第、伊麻里の登場シーンいくよ~」


 未来が魔法陣の中にうずくまり、カメラ準備を待つ。

 映画の演出的には、徐々に姿が見えていく様子を撮りたいそうだが、普通に丸見えだ。

 そもそも暗い中では白装束が目立つというのに……本当に編集でどうにかなるのか一抹の不安はあるが、そこはアキバの編集技術を信じるしかないな。


 呆然と魔法陣の方を眺めていると、ちょうどこちらに目を向けた未来と視線が交わる。未来は黒澤たちには見えないよう、はにかみながら小さく手を振ってきた。合間合間に可愛いことするのはズルいって。

 俺はにやけないように顔を引き締めながら、手を振り返す。


「ばっちりでござる」


 アキバがカメラから顔を上げ、黒澤に目配せする。準備が出来たみたいだ。


「ならよかった。よし、いってみよっか~」


 黒澤はカチンコを構え、


「伊麻里の登場シーン、よ~い、アクション!」


 甲高い澄んだ音が、部屋の暗闇へと吸収されていく。


「……わたしを呼んだのはあなた?」


 鈴を転がしたような声で、未来は低く呟く。


「はい。私が呼びました」


「ふぅん……」と辺りを見渡してから、値踏みするような目で、膝まづくイトナを見下ろす。


「わたしを呼んだ理由はなに?」

「伊麻里様は人間に恨みを抱えているでしょう。だから、私が伊麻里様の復讐に協力します。あなたの予言は本物です。間違っているのは他の人間たちなんですよ。私はあなたのそばにいられるだけでいいんです。ふふっ」


 うおぅ……見事に狂信者を演じてるな。というよりも、闇イトナが垣間見えただけか?


「伊麻里様、さぁこれを」


 イトナが取り出したのは銀色に輝くナイフだった。

 未来はそれを受け取ると、歪な笑みを浮かべて、


「見える……見えるわ」

「なにがですか伊麻里様⁉」

「真っ赤……真っ赤に染まる人間の姿よ。胸をこのナイフで貫かれている」

「そ、それは予言ですか?」

「お礼を言うわ。あなたのお陰で復讐が出来そうよ。わたしをこんな目に合わせた連中に」

「伊麻里様のお役に立てたのなら本望です」


 未来は魔法陣から足を踏み出し、そのまま大きな二枚扉へと向かっていく。

 アキバが懸命に未来の動きを追い、カメラを動かす。


「さぁ、復讐の始まりよ」


 扉を開けて逆光を受ける未来の姿は、とてもいい画になっていた。


「カ────ット! うん、いいね! とってもよかったよ~」


 ご満悦の黒澤。未来も演技をやめて素に戻り、


「本当? えへへ、やったぁーっ!」


 喜びをあらわにし、俺のもとに小走りで向かってきた。


「ふふん、どうよっ! とってもよかったってよわたし。クマも褒めてくれていいんだよ?」


 他人から褒められたことを自慢する子供のように、無邪気な笑顔の未来。


「まぁ演技といい、役の雰囲気といい……結構よかったと思うぞ」


「うぇ?」と、きょとんとした表情を浮かべる。


「どうした? そんなに驚いて」

「いや、まさか普通に褒めてくるなんて……大丈夫? 長い撮影で疲れちゃったの? ちょっと休憩貰う?」

「……ほぉ、未来が普段俺にどんな印象持っているのか、よーくわかった」

「じょ、冗談だよ。ほらほら~、もっと褒めて褒めて~」


「うりうり~」と俺の胸に頭をぐりぐりと擦り付けてくる未来。これは頭を撫でていいというサインなのか? ……え、撫でていいの?


「未来さん、カッコ可愛かったです!」


 イトナが小さい体で飛びつくように、俺にじゃれている未来に抱きついた。


「ありがとー。イトナちゃんも可愛かったよー」

「どうもです。嬉しいです。ぎゅうー」

「もー。ふふっ、じゃあ私もーっ!」


 俺から手を離し、イトナに抱きつく未来。


「わー、イトナちゃんあったかーい」

「未来さんとってもいい匂いしますねー」


 女子二人による微笑ましいやり取り。近くで見ていると、不思議と見てはいけないものを見ているような気分になる。女の園ってこんなやり取りが日常茶飯事なんかな。


 後ろの方を見ると、黒澤とアキバが周りには聞こえないくらいの小声で会話をしていた。ラストシーンの打ち合わせだろうか、黒澤の表情はやけに気合が入っているように見える。

 脚本が完成した時に、一番時間を割いた箇所だと黒澤本人が言っていたし、ラストシーンにかける思いがそれだけ強いのだろう。


 外を見ると、少しづつ太陽が低くなってきていた。


「そろそろ頃合いかな~。みんな、移動の準備頼みま~す」

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