第六話

「う〜ん。なんか違うなぁ〜……そうだ阿熊クン、仰向けになってよ」


 あまり地べたに頭をつけたくはないが仕方ない。指示に従って仰向けになる。

 でこぼこした硬い地面……体を痛めそうだ。草と土の匂いが直に鼻腔を刺激してくる。

 上を向いてもほぼ木しか見えない。あぁ、木漏れ日が綺麗だ。どうせなら下手に抵抗せず、全身脱力して自然を存分に感じていよう。刺されるのはやはり怖いが……。


「それと〜、未来チャンは馬乗りになってみようか! 阿熊クン滅多刺しにする感じで〜」

「滅多刺し……滅多刺しっと」


 怖いことを呟く未来を下から見上げる。あぁ……俺、これから滅多刺しにされるんだぁ。

 未来が俺に跨るために脚を開いた時だった。

 白装束から露わになる太もも。さらに、俯瞰だからこそ見えた、可愛らしい──


「……ピンク」

「? 白装束は白だよ?」


 未来は不思議そうに、俺を見つめてきた。

 あぁ、たしかに白装束は白だな。

 俺の視線は一点に集中していて、未来と目線は交わらない。


「……さっきからどこ見て──」


 未来は俺の目線の先を追うと、自分の白装束の内側に向いていることに気付く。


「─────っ⁉」


 未来はすぐさま内股になり、白装束を手で押さえた。

 体はプルプルと小刻みに揺れていて、耳まで真っ赤になっている。


「は〜い、じゃあそろそろいくよ〜」


 こんな出来事があったなんてわかるはずもなく、黒澤は撮影体勢に入った。


「テイク3。よ〜い、アクション!」


 カチンコの音が鳴ると同時に、背筋に冷や汗が流れる。


 ──殺気⁉


 引きつった顔で未来を見ると、赤面したまま思い切り俺を睨んでいた。

 紫水晶のような瞳は、黒く歪んでいるようにも見える。


「……殺す」

「や、やめろ、やめてくれ!」


 演技ではない。これは素だ。俺も未来も。

 未来は俺に跨ると、勢いよく体重をかけてきた。


「──ぐっ!」


 柔らかい太ももに挟まれて嬉しいはずだが、命の危機を感じて堪能する暇すらない。

 高々とナイフが掲げられ、刃先が太陽に照らされ銀色に輝く。


「ま、待て、待て!」

「死ねぇ──────っ!」


 怒号とともに突き刺されるナイフ。

 内臓に響く瀕死急のダメージ。本当に刺されたように血糊が溢れ出す。


「うがぁぁ──っ!」


 やばいやばいやばい。マジで痛い。あれ、ホントに刺さってないこれ? 大丈夫だよな? 少しは俺の血が混じってるとか……くぅ〜、マジで痛い……痛っ……あででででっ!


 腹にめり込んでるナイフを、抜かずにグリグリとしてくる未来。

 現実でやったら非道すぎるぞ。拷問となんら変わらない。


「ぐっ、あがっ……あぁ!」


 自然と嗚咽が漏れる。怖い逃げたい帰りたい。

 そして、十数回グリグリを喰らわせたあと、未来は俺からナイフを引き抜いた。

 や、やっと終わった……と思ったのは束の間。


「うぐっ!」「あがっ!」「いぎぃ!」「おぅふ!」「んがぁっ!」間抜けな嗚咽が喉から絞り出される。未来のやつ、マジで滅多刺しにしてきてやがる。は、早く止めて……。


「カ────ット!」


 今度こそ終わった……止めるの遅ぇよ……。

 腹部への痛みのせいで、立ち上がることができない。目だけキョロキョロとさせると、辺りは真っ赤に染まっていた。返り血で、未来の白装束もアキバの時とは比にならないくらい血飛沫で濡れている。


「いやぁ〜、よかったよ二人とも! 阿熊クンも怖がってる演技リアルだったし、未来チャンも殺気出てたよ〜。本当に殺そうとしてるのかと思っちゃった〜」


 黒澤が拍手しながら、俺らの元に寄ってきた。


「えへへ、よかったぁ。でも、殺そうとなんかしてないよ。もぉー」


 少なくとも半分以上はマジで殺ろうとしてたと思うが。


「とりまお疲れちゃん! 阿熊クンはこれでクランクアップだよ〜。そだ、クランクアップの時って役者さんに花束とかあげるんだけど、ここ森だし勝手に花摘んどいて〜」


 まさかのセルフサービス? てか、森の中すぎて花なんて見当たらないし……なんだ、雑草でも摘めばいいのか?


「黒澤くん。森での撮影ってもう終わりなんだよね?」

「そだね。次は室内に移動だから、片付けして向かおうか〜」

「イトナ殿も待ってるでござるからなぁ」


 カメラの三脚をたたみながら、アキバが呟く。


「だな。あっちも準備終わってる頃だろ」

「どんなものが出来上がっているのか、楽しみでござるね」

「あんなノリノリのイトナ初めてだからなぁ。想像以上にすごいことになってそうだ」


 撮影の流れとしては、日が上がっているうちに後半シーンの森を撮り、終わり次第前半の室内シーンを撮るという予定だ。こうすることで、急に天気が悪くなったり外が暗くなっても自然な映像を繋げることができるらしい。


 それに、数時間しか許可の取れなかった撮影場所を、イトナが別行動して先に準備しておくことで、時間を無駄にすることなく撮影できるという利点もあった。

 この方法だと、返り血の都合で未来の白装束が二枚必要になってしまうのだが、二枚セットで買うとお得だったらしい。


「じゃあ、移動するよ〜」


 各自荷物を持って、黒澤の先導で森の中を突き進んだ。

 次の撮影場所は森のもっと奥深くにあって移動が面倒なのだが、俺は目的地に近づくほど、高揚感が溢れてくる。


「いやー。テンション上がるな未来」

「……なんでさエロクマ」


 未来から蔑視と軽い罵倒を浴びる。


「いつまで怒ってんだ。あれは不可抗力だろ」

「不可抗力だったらまじまじと見つめないでしょ?」


 ぐぅの音も出ない。

 ネチネチと文句を垂れ流されながら道中を進むと、目的地が見えてきた。

「おぉ……!」と、思わず声に出る。


「すごーい、現実で初めて見たぁー!」


 未来も感嘆し、目線を上げる。俺たちがやってきたのは、古今東西のミステリーに欠かせない聖地とも呼べる場所──洋館だった。


 鬱蒼と茂る木々を両手に、二階建ての大きな洋館が堂々と建っている。

 柱や筋交いなど、構造材が外側にむき出しになっており、その間を赤いレンガで埋められている。レンガ部分には、あちこち蔦が這っていた。


 半分は木材で、半分はレンガといったところだ。ハーフティンバー洋式というものだろう。

 急勾配の屋根には、天然スレートが使われている。日本の住宅に使われる化粧スレートとは違い、高級感が溢れている。流石は洋館だ。


「う〜ん! これはいい画が撮れそうだぁ」


 黒澤は指で作ったフレームを覗き込む。

 正面入り口には、大きな白い二枚扉。先人たちが幾度となくミステリー小説に織り込んできた館。俺たちはいま、そこに足を踏み入れようとしている。


「クマー、早く来なよ。なんで止まってんのさ」


 なにも気にせず、扉を開けて中へと入っていった黒澤とアキバ。未来は開いた扉の前で、俺のことを待ってくれている。


「館を感じてるんだよ……あぁ、今回はどんな方法でクローズドサークルになるのかな。電話線が切られるのは当たり前として、無難に台風かな? いや、土砂崩れで帰り道が塞がれて、復旧までの数日間閉じ込められるのもいいよなぁ」

「そんないい笑顔で不吉なこと言わないでよ……」


 自分でも知らないうちに自然と笑顔になっていたらしい。そりゃ笑顔にもなるさ。

 未来が顔を引きつらせながら近づいてくる。そして俺のシャツの裾を引っ張り、


「ほら、イトナちゃんも待ってるんだからさ。二人も先に行っちゃったし、急ごうよ」

「隠し扉……隠し通路……なぁ、未来はどっちが好みだ? 館の住人や建築家しか知らなくて、探偵たちが翻弄されるのも、館ものならではの見ものだよなぁ」

「うっさいよミステリーバカ! 急ぐって言ってるでしょっ!」


 怒られてしまった。すごい勢いでグイグイと引っ張られて、なんの感動も味わうことなく、館の中へと入らされた。まったく、未来は情緒を味わうってことを知らないのか? こんなことなら「館シリーズ」を既刊まで読ませておくんだった。


 足を踏み入れて、最初に目に飛び込んで来たのは、天井から吊りさがった大きなシャンデリアだった。小市民な俺には到底値段なんて想像できないが、多分めっちゃ高いと思う。百万とかするんじゃないだろうか。


「きれーい。シャンデリアだよクマっ! 螺旋階段もある! この洋館めっちゃ高そうだよ、作った人すごいお金持ちだよっ!」


 小市民がここにも一人。

 未来は過去に何度かテレビや雑誌の取材を受けたことがあるが、そこまで儲からなかったらしい。小・中学生のギャラって思ったより高くないのな。


 床にはえんじ色の絨毯が敷き詰められていて、白いクロス張りの壁との対比がとても美しい。洋館というと、かなりの年代物を想像していたのだが、最近建てられたと言われても信じてしまうくらいの綺麗さだ。洋館よりホテルのロビーの方が近いかもしれない。


「館ものだったら、この辺で館の平面図でも出てるんだけどなぁ。いや、最近だと扉より前にカラー刷りで平面図が載ってる場合も多いか」


 ……トリック以外にも館の構造まで考えるとは、今日日のミステリー作家も大変そうだ。平面図という館ものの醍醐味をさっと見るだけで読み飛ばす人も多いが、もちろん俺はしっかりと見る派だ。


「早くしてよー」


 気が付くと、未来は一人で螺旋階段を中程まで登っていた。


「待ってくれよ。折角の館なんだ、少しくらい浸らせてくれてもいいじゃないか」

「クマのこと待ってたら日が暮れちゃうよぉ」

「そしたら泊まれるかな?」


 わくわく。


「喜ぶなっ!」


 未来は目を釣り上げて声を張った。

 そして、小さくため息を吐いてから踵を返し二階へと登っていく。俺は渋々後を追う。

 二階の長い廊下をまっすぐ進んでいくと、ホールの扉の前に辿り着いた。通ってきた他の部屋とは違い、正面入口ほどではないものの、大きな黒い二枚扉に閉ざされている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る