第三章「傑作映画が撮れるでしょう!」
第一話
緑生い茂る深い森の中。
木々が覆いかぶさる坂道を、全力で駆ける巨体の影が一つ。
「はあっ……はあっ」
体力は限界に近いのだろう。
呼吸は荒く、よろめきながら走っている。すると、足がもつれたのか、巨体──アキバは音を立てて地面に叩きつけられた。
呻き声をあげ、転んだままの状態から上半身だけ起こした姿勢で後ろを見やる。
そこには、ナイフを持って佇む一人の少女の姿があった。
少女──未来は薄い笑みを浮かべながら、アキバにナイフを向ける。
「く、来るな! や、やめ、死にたくな……ぐぁぁぁ!」
アキバの胸に、深々とナイフが突き刺された。
全身を痙攣させながら、アキバは何かを訴えるように口をパクパクと動かすが、声になってはいない。ナイフを引き抜くと、傷口からはおびただしい量の血が溢れ出し、あっという間にアキバのシャツを赤く染めていく。
次第に痙攣は止んでいき、血溜まりの中でアキバは動かなくなった。
「あは……あはは!」
歪な笑い声をあげて、未来は血で濡れたナイフの切っ先を見つめている。
未来が纏っている白装束は返り血を浴び、赤い着物のようにも見えた。
「許さない……わたしをこんな目にあわせた奴ら、わたしのことを信じなかった奴らを」
乱れた前髪の隙間から見える黒い双眸は、狂気を帯びているかのようだった。
「殺してやる……殺してやる……殺してやる」
未来は小言を繰り返しながら、アキバの横を通り過ぎてナイフを構える。ぴちゃっ、ぴちゃっと、素足で血溜まりを踏む音が聞こえてきた。
血で形成された足跡は、真っ直ぐこちらへと向かっている。
次の標的は俺だった。
「殺してやる……殺してやる」
ゆっくりと距離を縮めて来る未来。目前には鈍く光るナイフが見え、思わず体が竦んでしまった。
──殺られる。
「死ねぇぇぇぇぇ!」
振り立てる声とともに、高々と掲げられるナイフ。
俺は目を瞑り、喉が張り裂けんばかりに叫んだ。
「う、うーわー! やーめーろー! やめてくれー! 死にたくないよぉー! たすけてくれぇぇぇ! わー、やーらーれーたー!」
「カ────────ットォ!」
けたたましい大音声と、カチンコの澄んだ高音が響いた。
「ちょっと、阿熊ク〜ン! ちゃんとやってくれなきゃ困るよぉ〜!」
制服姿で肩にカーディガンを巻き、ハンチングを被った一昔前の映画監督のような格好の男──
黒澤はカチンコとメガホンを持ち、パイプ椅子の上で器用にあぐらをかいている。
ハンチングにメガホン、さらにカーディガンまで黄色というセンスはどうにかならなかったのだろうか。黄色い物に囲まれすぎて、ご自慢の金髪が目立たなくなっている。
「う〜ん」と唸りながら、黒澤はハンチング越しに後頭部を掻き、
「このままだとズイマ〜だね。勉クンよりズイマ〜だよ阿熊クン」
有名な映画監督たちの名前を連想させるというのに、このパチモン感……なんだろう、黒澤にツッコんだら負けな気がする。
「もぉー、クマ! なんなのさ、いまの棒読み! アキバくんより酷かったよっ!」
頬を膨らまして、早歩きで向かって来る白装束姿の未来。ずんずん、という擬音が似合いそうだ。どうやらお冠らしい。
白装束といっても、丈は短く制服のスカートより少し長いくらいで、未来の生足を目視することができる。胸元も少しはだけていて、個人的には大満足だ。
「二人して遠まわしに、拙者の演技も否定しないで欲しいでござる」
平然と起き上がり、たぷんと頬を揺らしながら文句を垂れるアキバ。
「それにしても、血の量多すぎでござらんか? シャツが一枚ダメになったでござるが」
「あ~大丈夫よ勉クン。阿熊クンのシーンから取り直せばいいから~。勉クンは許容範囲内だったから出番はおしまい。ご苦労さんで~す」
いかにもチャラい業界人の口ぶりで、黒澤は軽い拍手を送る。
「えー、取り直しー? 勘弁してよぉ。裸足だから結構痛いんだよ?」
ジト目で未来に睨まれる。
「巻きでいくよ~。とりま、阿熊クンが襲われるシーンから撮り直しで~」
「クマ、イトナちゃんも待たせてるし、次で成功させるよっ! 頑張ってねモブB役!」
「俺はいつだって全力なんだがな……」
「じゃあ、全力マシマシでいこう!」
「そんなラーメン屋みたいなテンションで言われても……」
とりあえずやるしかないか。最低限見た人が不快にならないような演技をしよう。大根役者の意地を見せてやる。
「準備はいいか~い二人共?」
「「はい!」」
「りょうか~い。じゃあテイク2、よ~い、アクション!」
掛け声に合わせて鳴るカチンコ。その音が俺を現実から、映画の世界へと誘っていく。
俺の役は、未来にナイフで刺されるだけのモブB。セリフもアドリブしかない端役の中の端役だ。
「殺してやる……殺してやる」
それにしても、未来は普通に演技が上手いんだよなぁ。性格上あまり殺気は出ていないが、かなり怖い。玩具のナイフだとわかっていても、刺されるのには躊躇してしまう。
因みにあのナイフは、刺さると刃の部分が引っ込み、中から血のりが出てくるという仕組みだ。子供だましだが、案外リアリティのある映像が撮れる。
「死ねぇぇぇぇぇ!」
未来がナイフを高々と掲げる。俺のセリフ入りの合図だ。
「う、うわー! や、やめてくれー!」
ナイフから身を守るように屈み、俺は叫んだ。
黒澤からはカットの合図がかからない。おっ、案外上手く演じれたのかも。やったぜ。
「──うぐっ⁉」
って、痛っ! 思ったより痛い! ナイフが背中に突き立てられ、結構な衝撃を感じる。
俺はすかさず死んだフリをして、痛みに耐えながらカットを待ったのだが──
「……あれ?」
しばらくして未来が、困惑の声をあげた。
「一回止めるね~! どったの未来チャ~ン。セリフ飛んじゃった~?」
「え、えっと、血のりが出なくて」
未来は自分の手のひらにナイフを刺して、血のりがでないことを実践する。
「あ~、さっきので使い果たしちゃったのかも。いま予備の入れるから、少し待っててね~」
未来からナイフを受け取ると、黒澤はパイプ椅子の横に置いてあるバッグを漁り始めた。
「……クマー。もうちょい演技どうにかなんないのー? ギリギリ及第点ってとこだよ?」
「なら許してくれよ……」
「ダメだよー。予言を的中させるには、少しでもいい映画にしないとさー」
……そう。俺らがこんなことをしているのには、もちろん理由がある。
時は一週間前の放課後に遡る──
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