第十話

「僕と……僕と……!」


 思い切り目を瞑り、それに続く言葉を絞り出そうとする浅井先輩。

 あと一歩だけ勇気が足りないのか、なかなか声にならない。

 すると、向井先輩が強張っている浅井先輩の手を優しく包み込み、


「諦めないで」


 柔らかな口調だが、その瞳は真剣そのもので。

 ゆっくりと佇まいを直し、浅井先輩は意を決した表情で口を開く。


 もう迷いはないようだった。


「向井先輩。よかったら、僕と付き合って下さいっ‼」


 直角を超える角度で勢いよく頭を下げる浅井先輩。

 その右手だけはしっかりと、向井先輩に真っすぐ向けられている。


「……もし、ダメだって言ったら?」

「そ、それは」


 言葉が詰まるが、迷いを振り払うように首を振り、


「何度もアタックします。どんなに格好悪くても、情けなくても、向井先輩に嫌われない限り……諦めません」


 弱弱しい浅井先輩からは考えられないような言葉だった。

 全て言い終わった浅井先輩の顔はやけに清々しく、満足気にも見えた。

 向井先輩は静かに微笑むと、先ほどのように優しく手を包み込む。


「──私でよかったら」


 顔を上げ、信じられないという表情を浮かべる浅井先輩。


「やっ──」


「やった──────────っ!」


 喜びをあらわにしようとした矢先、突然の未来登場により、同時に固まるお二方。


 鳩が豆鉄砲を食らった顔というのは、いまの二人のことを言うんだろう。

 カップル成立の余韻に浸ることなく、未来の感極まる声に包まれる教室。

 静寂は一瞬にして弾き飛ばされた。


「おめでとうございます……うぅ、本当によかったよぉ。おめでとぉ」


 嬉し涙を流しながら、いつの間にか二人の近くに立っている未来。


「……いつの間に」


 俺は頭を抱え、未来の回収へと向かう。


「何してんだお前はっ!」

「痛っ! 叩いた。また叩いたっ! ひどいよクマっ馬鹿になったらどうすんのさっ!」

「安心しろ、お前はもう十分馬鹿だ。すいませんお邪魔しちゃって。どうかお気になさらず」


 自分で言っといてなんだが、気にするに決まってるよな。

 素早く頭を下げ、未来の襟首を掴んでベランダへと引きずり帰る。


「あっ、あっ待ってよクマ! 引きずらないでぇ! ちょっ、スカートがぁ──っ!」


 スカートを必死に抑えながら、懸命に振りほどこうとする未来。俯瞰からだが、かなりの面積太ももが露出しているので、まじまじと見たい衝動に駆られるも我慢。

 呆気にとられている二人は、俺たちが出ていくのを静かに見守っていた。


「……おい、何してんお前は」

「だってぇ……つい感極まっちゃってぇ」

「だからって出ていくのはマズいでござるよ」

「二人とも完全に固まっていましたからね」

「悪いことしちゃったかなぁ。でも、うぅ、よかった……よかったね、浅井先輩」


 ……本当に、お人好しが過ぎるな。

 呆れもするが、やはり未来のいいところでもあると再認識する。


「ん? どうしたのクマ。じっとわたしを見てさ」


 涙を指ですくいながら、視線を俺へと向けてくる。


「な、なんでもねえよ」

「えー? なにさ、気になるじゃん」


 距離を詰めて、目を細めてくる未来。

 上目遣いに潤んだ瞳のコンボは、何度喰らっても反則級に可愛いなと思ってしまう。


「何はともあれ、これで無事に予言は的中したことになるな」

「予言……?」


 きょとんとする未来。が、すぐに「あ!」と声をあげ、


「う、うん、予言ね予言! い、いや~的中してよかったよかった。あははは」

「お前。一瞬マジで忘れてたろ?」

「わ、忘れるわけないじゃん、もー、クマったら冗談キツイってー」

「じゃあ、どうして俺を見ない?」

「……ぴゅ~、ぴゅ~」

「そんなんで誤魔化せるか!」


 ストールで耳を塞ぐ未来だったが、俺は無理やり引きはがしつつ、


「俺らが未来のため、大変ながら頑張っていたというのに、当の本人は忘れてたのか。へぇ、いいご身分だなぁ」

「ち、違うの! 本当に忘れてたわけじゃなくてね? えっと、その、何と言うか……二人のやり取りにキュンキュンしちゃったせいで頭から抜け落ちちゃったというか……えへへ」


 頭をさすり、未来は笑顔を取り繕う。うん、可愛い。可愛いが──


「未来」

「な、なに?」

「世間一般ではな、それを忘れたって言うんだよ!」

「ご、ごめんなさぃぃぃぃ!」


 可愛いだけじゃ許されないことも、世の中にはあるってことを知らしめてやらないと。なんか割に合わない気もするし。

 一目散に逃げだそうとする未来の腕を掴み、決して逃がしはしなかった。


「離してぇ! 離してよクマー! そ、そんな怒んないでさ。ほら、きっとカルシウムが足りてないからカリカリしちゃうんだよ。小魚食べよ、ね? 買ってきてあげるからさっ!」

「減らない口だなぁ」


 俺は両手で未来の頬をつまみ、柔らかい肌をこねくりまわす。


「うにゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ! や、やめ、やめへえぇぇぇえ!」


 未来はジタバタと手を動かして助けを求めるも、いつものことなので、アキバとイトナは我関せずという顔で傍観を貫いている。


「ははは……残念だったな未来」

「ううぅ~、悪魔ぁ~っ!」

「えっと、百瀬さん」

「……ふえ?」


 教室から顔を出したのは浅井先輩だった。

 告白の余韻が残っているのか、頬は赤らんだままだ。

 顔を合わせる未来の頬も、つねられたせいで赤らんでいる。


「あっ。ご、ごめんなさい……告白台無しにしちゃってぇ……」


 浅井先輩の顔を見るなり、未来は頭を下げて真摯に謝った。


「何言ってるの。百瀬さんのおかげで僕は勇気を出せたんだよ」

「えっ?」


 すん、と鼻を鳴らして上目で伺う未来。


「前も言ったけど、僕なんかが告白してもうまくいくわけがないってずっと思ってたんだ。だから、いままで怖くて告白する勇気なんて出なかった。でも、百瀬さんに予言して貰ったからだよ。うまくいくって言われたから、少しだけど自信がついたんだ。……ありがとう、僕に勇気をくれて」


 今回は正直、楽な予言とはいえなかった。

 実現させる俺たちからしたら厄介な案件に違いなかったが、未来のお人好しのおかげで救われた人もいたわけで。

 ま、今回は結果オーライということでいいか。校長からのハンコも得られるだろうし。


「……それで僕、百瀬さんたちに一つだけ言ってなかったことがあるんだ。実は僕──」

「浅井君ー?」


 何かを言おうとした浅井先輩の声を遮る、廊下からの嬌声。


「あっ、すぐ行きます! ごめん、待って貰っててね」

「気にしないで下さい。それより、これからデートですか?」


 途端に瞳を輝かせる未来。


「う、うん。でも、デートなんて初めてでどうしたらいいのか……」


 視線を漂わせる浅井先輩からは、かなり緊張しているのが見て取れる。

 未来は浅井先輩の顔をジッと見つめ、


「大丈夫です。上手くいきますよっ。心配しないで下さいっ」


 残っていた涙を思い切り拭き、意気揚々に宣言する。


「だって、わたしの予言は100%なんでっ!」


 浅井先輩は「そうだね」と、小さく笑って踵を返した。

 廊下へと駆けていく浅井先輩を見送り、俺たちは安堵の息を漏らす。


「よかったぁ……うまくいって」


 ホッとして力が抜けたのか、未来は手すりにもたれかかって体を丸めた。


「予言が的中したのはいいんですが、証明はどうやってするんですか?」


 夕陽で輝くクーの金髪を撫でながら、訝しげな瞳のイトナ。

 横に立つアキバも太い首を傾げている。


「いつも校長が確認したうえで、的中のハンコを押してくれるでござるからなぁ。生徒間の恋愛事情を確認するようなことは、しないと思うでござるが」

「その点は大丈夫だろ。浅井先輩のことだ、すぐにでも校長に今日のことを話すんじゃないか? そうすれば、明日や明後日にはハンコが押されるさ」


 それが終われば、無事に今回の予言は的中という形で幕を下ろす。

 なにより、未来の高校残留も決定するということだ。


「でもさでもさ、どうして向井先輩も浅井先輩のことが好きだなんてわかったの?」


 思い出したように尋ねてくる未来。

 風に煽られ、ストールが軽やかに舞う。


「……未来。そのストール気に入ってるか?」

「? どうしたのさ急に。うん、気に入ってるけど」


 両手でストールを持ち、見せつけるようにパタパタと動かす。

 そのまま、ペしっぺしっと軽い音を立て、ストールが俺の顔に当てられる。

 気に入っていると言った直後に人に当てて遊ぶなよ。一応トレードマークだろうが。

 当たるとかなりこそばゆいが、ほのかに香る甘い香りで悪い気はしない。


「だったら、知らないヤツに貸してくれと言われたらどうする?」

「えぇ知らない人に? うーん、でも困ってるなら貸しちゃうかなぁ」


 ぺしぺしぺし。叩いてくるストールは速さを増し、若干ウザさも増していく。

 その反面、未来はどんどん笑顔になっている。おい、絶対楽しくなってるだろ?

 流石にストールを手で制し、


「ほら、お人好しの未来でさえ少しは躊躇するんだ。アキバやイトナだったらどうする?」

「二次元美少女にしか貸さないでござる」

「末代まで呪いますね」

「お前らは極端すぎるんだよ!」


 この二人に聞いた俺が間違いだった。

 イトナに至っては、たったそれだけで呪われる子孫が不憫すぎるぞ。


「でも、こういう意見の方が多いだろうな。大切にしているものなら余計に。だから、大切なモノを渡している時点で、多少は脈ありなんだと思ったんだ」


「ほうほう」と頷く未来。アキバとイトナも同じような様子で、首を縦に振っている。お前らの場合は、本当にわかってるか甚だ疑問だがな。呪うとか言ってたし。


「二人が結ばれた理由はわかりました。それで、どうしてクマちゃんさんはハンカチの持ち主が向井さんだってわかったんですか?」

「髪飾りだよ」


 意外そうな顔でイトナが聞き直してくる。


「髪飾りって、あの緑色の?」

「そうだ。正確に言うと『梨』の髪飾りだがな」


 緑色の丸い形に、黒いへた。青リンゴにも見えるが、きっと梨だ。

 向井先輩のつぶやきには『ピッタリと言われたから』と書いてあった。友人に真梨奈だけに梨などという、くだらないことでも言われたんだろう。


「いやいや、待ってよクマ。梨ってリンゴに似てるけど、間違えるはずないじゃん」

「未来が言ったんだろ。リンゴに見えたんだって」

「そ、それは言ったけどさぁ……」


 納得いかないのか、唇をすぼめて怪訝そうな目を向けてくる。


「だから、その通りだったんだよ。梨の髪飾りがリンゴの髪飾りに見えたんだ」

「なに言って……」


 困惑する未来に向かって、俺は低く呟く。


 


「色覚異常なんだよ。浅井先輩は」

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