第五話

 部屋には白い煙が立ち上っていく。


 障子で隔たれた向こうからは、喧騒が溢れていた。

 充満する肉の焼ける香りに、自然と食欲がそそられていく。


 学校帰りのこの時間帯は、駅近くに店を構えるこの場所も客は少なめだ。

 小広いスペースに、いくつかの個室。落ち着いて食事の出来る、いい雰囲気のお店。

 俺たちが度々お世話になる「焼肉アキバ」は今日も平常運転だ。


「お肉っお肉っ」


 嬉しそうにトングで肉を焼いていく未来。

 表情は崩れ、口の端からはだらしなくよだれを垂らしている。


「こら、女の子がはしたないでしょ」

「んんぅ~」


 俺は対面に座る未来の口をおしぼりで拭いてやる。

 なんだか小さい子供の相手をしているみたいだ。


「はーいクママぁ」

「まだそれ覚えてたんかい」

「アキバさん、私とクーちゃんにはタンをお願いします」

「承知した。暫し待たれよ、取ってくるでござる」

「あっアキバくん。わたしカルビ欲しいっ」

「俺はカブリ頼むわー」


「あ、あの……ちょっといいかな」


 小さく手を上げて、申し訳なさそうに発言する浅井先輩。


「どうしたんですか? 浅井先輩も食べたいものあったらアキバくんにどんどん言ってくださいね。安いですからここ」

「わ、わかった。それで、その、どうして僕も呼ばれたのかな?」

「もしかして焼肉お嫌いでした?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど……」


 今日は4月30日。予言から一日経った放課後。

 昨日はあのあと、予言を昇降口前のホールに貼って解散となった。


「けっきしゅーかいだよっ! お肉食べよっ!」と未来の我儘で、今日は昨日来なかった焼肉のリベンジ。出来れば肉を食べなくても頑張って欲しいものだが。

 浅井先輩がここにいる理由は至極単純で、帰り道で偶々会ったから、半ば強引に未来に連れてこられたようなもの。


「ならいいじゃないですか。気にしないでじゃんじゃん食べてくださいよっ」

「う、うん」


 俺たちがいるのは六人用テーブルのお座敷。障子で仕切られ、個室となっている。

 席はアキバ、俺、浅井先輩。対面に未来、イトナの順で座っている。

 空いた浅井先輩の前にはクーが座布団に座らされていた。人形を前にしながら飯を食わされるとは、若干気の毒にも思える。


「お待たせでござる」


 アキバは肉の乗った皿を両手に抱え、ゆっくりとした足取りで戻ってきた。


「わーい! 待ってましたぁ~」


 皿を受け取ると、一目散に肉を焼きだす未来。


「一気に焼き過ぎだ。ちゃんと食えるのか?」

「大丈夫だもん。食べれるもんっ」


 ふんす、と息を撒く未来。

 食いきれずにあとあと俺に回って来るに一票賭けてもいい。


「クマ殿、いいカブリ持ってきたでござるよ」

「おぉ美味そうだな」


 俺は一切れ取って網の上へとのせる。焼肉は一枚ずつ、じっくりと焼く派だ。未来みたいにばかすか焼いたりはしない。


「ねぇクマ。そのカブリってやつなんなの? どこの部位?」

「どこだっけか……アキバどこだっけ?」

「カブリっていうのは牛の内もも部分でござる」

「内……もも?」


 怒りを孕んだ声で睨んでくる未来。え、なにもしてないぞ俺?


「クマ……太ももだったら牛のでもいいんだぁ?」

「うおぉい! 誤解にも程があるぞっ⁉」


 理不尽すぎる追及にかなり面食らう。


「いいか未来、この際ハッキリ言っておく。俺は全然太ももフェチなんかじゃ――」

「あっ。浅井先輩それまだ生ですよっ!」


 俺の弁解は未来の驚声で遮られた。偶然か否か。

 たしかに浅井先輩が箸で持っている肉は火が通っておらず、ほぼ生の状態だった。


「えっ……? あっ本当だ。ボーっとしてて」


 苦笑いを浮かべ、浅井先輩は口元まで運んだ生焼けの肉を網へと戻す。

 恥ずかしかったのか、露骨に話題を逸らそうとする。


「……ところでさ、百瀬さんたちはどうして予言をしているの? 噂では学業に専念するために活動休止しているって聞いたけど。それに、校長先生との約束がどうとか」

「あーそれは……」


 口ごもる未来。もちろん本当のことを話すわけにはいかないが、校長が約束を提示してきた理由くらいは話しても大丈夫だろう。


衣笠いがさ伊麻琉いまるって覚えていませんか?」

 

 未来の代わりに俺が口を開く。


「えっと、五、六年前に話題になった予言者だよね? たしかインチキとかで」


 衣笠伊麻琉──稀代のインチキ予言者と揶揄された女性だ。


 神社の一人娘として生まれた伊麻琉は、数々の予言を当てて一躍時の人となった。

 しかしその正体は、実家の神社を有名にし、参拝客を増やそうというあさましい考え持った両親が作り出した偽物。


「はい。彼女は起こった出来事をあたかも予言していたように振舞っていただけ、言うなれば後出しじゃんけんのようなことをしていました。それがバレそうになった時、自分の通っている小学校に近々隕石が落ちると予言したんです」

「あっ、それ知ってるよ。予言が怖くて学校を休む子が多くなって、学級閉鎖になったって。それでやむを得ず、特例措置で予言の期日まで自由登校にしたとか」


 もちろん隕石なんて落ちるわけもなく、期日が過ぎると伊麻琉は学校から姿を消していた。父親と母親も行方をくらまし、家族総出の蒸発という形で。

 遠くに引っ越しただとか、名前や顔を変えて生きているだとか、尾びれのついた噂がチェーンメールのように拡散されていったのは印象に残っている。


 結局真実はわからないまま話題に上がることすら無くなっていき、伊麻琉と入れ変わるようにして未来が有名になっていった。


「そんな事態を引き起こした張本人は僕らと同年代ですからね。校長先生は同じことが先見高校で起きないようにするため、未来と約束を交わしたんです」


 偽物とわかったら、騒ぎになる前に学校から追い出せばいいからな。


「そういう理由だったんだ……でも、百瀬さんに不利すぎる条件じゃないかな? わざわざ、そんな条件飲まなくても」

「だ、大丈夫ですよぉ。わたしは正真正銘本物の予言者なんでっ」


 うん、流石に言えねえよな。特別枠で合格しただなんて……学校からの計らいが無ければ、未来は予言の出来ない、ただの高校浪人生になるところだったなんて。


「浅井さん、ちょっといいですか」


 クーを薄い胸に抱き、イトナが言葉を紡ぐ。


「どうかした黒井戸さん?」

「そのお肉すっごい焦げてますよ」

「えっ⁉」


 浅井先輩がトングで持っていた肉は丸焦げで、見るも無残な姿になっていた。

 生だったり焦がしたり、浅井先輩は焼肉奉行にはなれそうにない人材だな。


「流石にそれは食べられないでござるねぇ」

「見てくださいクーちゃん。ふふっ、焼けたお肉ですよ。人が死んだらあんな感じに焼かれるんですよ」

「イトナ。食事中にそんな話はするな」


 ほら。そんなこと言うから、口を開けたまま未来が固まってしまったじゃないか。


「ご、ごめんね。あまり焼肉来ないから慣れなくて」


 眉をひそめ、かしこまる浅井先輩。アキバはきらりとメガネを光らせ、


「だったら拙者に任せるでござる。『焼肉ハバラ』の次期当主として、浅井殿に美味しい肉を献上するでござるよ」


 我らが焼肉奉行が狼煙を上げた。


 アキバはトングを両手に持ち、すごいスピードで肉を焼いていく。

 それぞれの肉に合った的確な焼き加減で、浅井先輩だけでなく俺たちにも提供してくれた。流石は焼肉屋の息子といったところか。この瞬間だけは、アキバのことが宮本武蔵に見えたり見えなかったり。


「……で、お前は一体何してるんだ?」

「ぎ、ぎくっ」


 俺の言葉に肩をビクッと揺らす未来。

 先ほどから、こっそりと肉を俺の取り皿へと載せてきていた。


「その……お腹いっぱいになってきちゃって。えへっ」

「だから一気に焼くなって言っただろうが」


 渡された肉を丁寧に返していくと、未来の取り皿は肉でいっぱいになった。


「あぁっ! クマの意地悪ぅ……もうお腹いっぱいだよ~。わたしが太ってもいいのぉ?」

「その肉が太ももにいってくれるなら、無理にでも食べさせるけどな。未来はもうちょいむちっとしていたら完璧なんだが」

「へ、変態っ! クマの変態っ! デリカシー皆無男! やっぱり太ももフェチじゃんっ」


 顔を真っ赤にして、スカートで太ももを隠そうとする未来。


 そのせいで裾の端が捲り上がって、陶器のような白い太ももが顔を出す。

 おぉ……素晴らしい。ついつい、バレない程度に視線を注いでしまう。


「いまのは思ったことが口から出ただけだ! 本音じゃない!」

「世間一般ではそれを本音って言うんだよぉ⁉ っていうか、こ、こここんな時に太もも見るな────っ!」


 バチンと頬を叩く音が店内に響く。……なんだよ、普通にバレてたんかい。


 そのあとは未来に睨まれながらも、無事に決起集会は終わりを迎えた。

 未来と肩を並べて家路を辿る俺の頬にはしっかりと、手のひらの跡が残ったままだった。

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