第二話

「日本で一番有名な予言者は?」と聞かれたら、ほとんどの人が未来の名を挙げるだろう。


 未来はその美貌からも人気を博し、テレビや雑誌で取り上げられることも少なくなかったが、高校入学を機に活動休止を発表。  

 そして、未来が有名たる所以は、その的中率にある。


 的中率は驚異の100%。

 今まで予言してきた全てが、見事に的中しているのだ。


 世界三大予言者の一人、エドガー・ケイシーも視ることが出来たとされる、全宇宙の歴史が記録されたアカシックレコード。未来はそれを視ることで数々の予言を的中させてきた。

 ケイシーは催眠状態に陥ることでアカシックレコードを視ていたが、未来はスクライング──占い師が水晶玉などを用いて、幻影や視覚イメージを視る方法を用いている。


 いや、用いていたというべきか……。


『わぁぁぁぁぁ!』


 外から大きな歓声が湧いた。どうやら、決勝戦が終わったみたいだ。

 今日の授業はこれで終わり。球技大会の結果発表及び、授与式は明日の朝会で行われる。


「……授与式はまだしも、結果発表なんて無駄だよな」

「え、どうして? 普通必要でしょ?」


 未来が不思議そうな顔で覗き込んでくる。


「準決勝や決勝に進んだクラスが現段階で判明しているんだ。発表なんかしなくても結果なんてわかりきってる。入賞したクラスだけ朝のHRで賞状を受け取ればいいだろ。わざわざ全校生徒を集める必要なんてない」

「うっわー。冷めてんねー」

「現実的なだけだよ」

「へー。オカルト研究部なのに現実的なんだ?」

「そうそう。オカルトみたいな超常現象より、現実的なミステリー小説の方がよっぽど好みだよ俺は」


 階段前で立ち止まって、未来は首を傾げる。


「ミステリー小説って現実的なの? フィクションなのに?」

「現実的じゃなかったらフェアじゃないからな。リアリティが大事なんだよ。作者と読者の勝負……知恵比べと言ってもいい。トリックなんかは、現実で本当に出来るかどうかを試す小説家だって少なくないんだ。それに──」


 未来は俺の眼前に勢いよく掌を差し出し、話を途中で遮った。

「はぁ」と吐息を漏らし、呆れ顔を向けてくる。


「わかったわかった。クマにミステリーの話をしたわたしが悪かったよ。ほら、早く着替えて部活行こう? せっかく帰りのHR無いんだからさ。じゃ、後でねー」


 そそくさと一階奥の女子更衣室へ去っていく未来を眺めながら、ただ立ち尽くす俺。

 ……しまった。ミステリー好きが仇となって、ひかれるほど熱弁をしてしまうところだった。序盤で止めてくれて助かったよ。

 あのままだったら、ノックスの十戒とヴァン・ダインの二十則というミステリー小説の基本方針を未来に叩き込んだ挙句、叙述トリックはフェアなのかというディベートすら行っていた自信がある。うん、少し自重しよう。


「……俺も着替えるか」


 階段を登り、教室のある四階へと向かう。

 我が学び舎である先見さきみ高校はいわゆる進学校。

 四階建ての校舎は学年別に分かれていて、四階から順に若い学年の教室となっている。

 少し息を切らしながら四階へと辿り着き、教室の表札を見やる。


 一年四組──俺達のクラスだ。

 教室前の廊下では、制服に着替え終わった数人の女子の姿。男子が全員着替え終わっていないため、中に入るに入れないのであろう。

 なぜ教室で着替えるかというと、男子更衣室が存在しないからだ。だから自然と、男子は教室で着替える事になる。女子が一階なら、二階あたりに作ってくれればよかったのに。


 中に入ると、つんとした匂いが鼻についた。

 制汗剤や制汗スプレーが充満した匂いだ。体育の授業後はいつもこうだが、今日は一層強烈である。何処となく息のしづらさを感じさせるほどだ。

 自分の席で着替えていると後ろから、むわっとした熱気が襲ってきた。


「クマ殿ぉ」


 それと同時に、耳につく語尾で俺を呼ぶ野太い声。

 後ろを振り向くと、全身に汗を掻いたメタボ気味の男が立っている。


「おぉ、アキバか」

「はぁ……デブオタにとって、運動は天敵でござるぞ」


 俺がアキバと呼ぶこの男は葉原はばらつとむ


 葉原から秋葉原を連想して、アキバというあだ名をつけられたオカルト研究部の部員だ。

 自分から発せられる熱気で曇った黒縁の大きなメガネ。スチールウールのような短い天パが特徴的。

 身長は俺より少し高いだけなのに、ひと回りもふた回りも横にデカい図体をしている。実家が焼肉屋だからか、腹の脂肪は増すばかり。


「アキバはサッカーだっけか。どうだった? バスケは二回戦負けだったけど」

「サッカーも二回戦負けでござった。女子バレーも二回戦負けで、女子バスケだけが三回戦敗退でござる」


 これで本格的に結果発表は出番がないらしい。明日は拍手に専念することにしよう。

 アキバはロッカーから体操袋を持ってきて、中に入っているTシャツを取り出した。

 Tシャツの表面をまじまじと見つめた後、思い切り頬ずりをしはじめる。実に汚い絵面だ。


「会いたかったでござるよ〜」


 アキバのTシャツには、金髪ツインテール女子のミニキャラが水着姿でプリントされている。横には大きな吹き出しがあって「お兄たん大好き♡」と書かれている。俗に言う「痛T」だ。アキバはその上から学校指定のワイシャツを着たが、シャツ越しにキャラが透けて見えている。いつか先生に注意されそうだな。


「拙者もう少しかかりそうでござるから、先に行っていいでござるよ」

「ん、わかった」


 視線を向けると、アキバは必死にベルトを引っ張っていた。

 お腹が太すぎてベルトの穴に金具が入らないみたいだ。

 新しい穴開けたほうが早いだろ、という野暮なことは言わなかった。頑張れアキバ。応援してるぞアキバ。痩せろよアキバ。


 奮闘するアキバを横目に教室を出る。

 部室に向かうためホールを通ると、スクールバッグを肩にかけた未来が、ホールの真ん中にある大きな円柱に寄りかかって前髪を直していた。


 艶のある黒髪、ブラウス越しでもわかる豊かな胸、赤いチェック柄のスカートから伸びる白い足。うん……自然と目が向いてしまうのは仕方ないよな。

 しばらく見惚れていると、向こうも俺に気づいたようで、気恥ずかしそうに小さく手を振ってきた。なんだこの可愛い生き物は。


「待っててくれたのか?」

「え? あっ、うん……ほら、ついでだったし」


 未来は少し慌てるように視線を逸らす。ほんのり顔が赤く見えたのは気のせいだろうか。


「ついでって、何か用でもあったのか?」

「う、うん、ちょっと教室にね。だから……ついでに、クマのこと待っててあげようかなーってさ」

「……おいおい、それはおかしくないか?」

「え?」


 そう。未来が言っていることは破綻している。


「教室は男子が占領しているんだ。女子は見てわかる通り、ホールや廊下で着替え終わるのを待っているしかない。六限の体育だと、帰りのHRのために教室に帰って来なければならないが、球技大会の日は各自解散だ。ということは、女子が今日教室に帰ってくる理由で一番考えられるのは、更衣室に持って行き忘れたバッグを取りに来ること」


 帰りのHRがないことは今朝に知らされていた。ほとんどの女子は、着替え終えたらそのまま帰れるように、更衣室にバッグを持って行っている。


「忘れたバッグを取りに来たという可能性もあるが、それは無い。既に未来はバッグを持っているからだ。そもそも、未来が教室に入って来ることはなかった。……おかしいよな。未来が教室に来る理由は全くないんだ。そうまるで、俺を待つためだけに──」


「うにぁ──────っ!」


 顔を真っ赤にしながらバットをフルスイングするかのように、スクールバッグを思い切り俺の横腹に当ててきた。


「うぐっ!」


 遠心力がかかって結構な衝撃をくらう。球技大会で教材が入っていなかったことが唯一の救いか。しかし、鼓膜に響いた大声の余韻が、なかなか耳元を去らない。


「うっさいミステリーオタク! ばーか! クマなんて待ってないよ! じっ、自意識過剰なんじゃないの⁉」


 いや、待ってるとは言ってたよな? そこは別に自意識過剰じゃないよな?


「べー」と、目を瞑って舌を出す未来。

 俺に背を向け、すたすたと階段の方へ進んでいく。小走りで未来の元へと向かい、横並びで階段を下る。チラッと見ると、未来の顔はまだ赤みを帯びていた。


 三階のホールに着くと、特別教室の一画へと足を向ける。

 その一番奥の教室がオカルト研究部の部室だ。部室の前に立つと、ドアの窓部分に「オカルト研究部」と書かれたポスターが目に入る。

 ポスターの端には細々とガイコツや藁人形のイラストが描かれているが、ガイコツの目はハートの形をしているし、藁人形もファンシーなイラストで描かれている。オカルトってこんな感じじゃないよな。


 ドアを開けると、いかにもオカルト研究部らしい、禍々しくミステリアスな雰囲気の部室──などは決して広がっていない。


 待ち受けているのは、どこからどう見ても「占いの館」なのだから。


「一番乗りー!」


 無邪気に中へと入っていく未来に続くと、見慣れた占いの館が広がっていた。

 赤いカーテンに包まれた部屋に、紫の布に包まれた占い机。机の上には大きな水晶玉が置いてある。どっからどう見てもオカルト研究部には見えない。

 しかし、部室全てが占いの館というわけではない。部室を半分に分けて廊下側が占いの館で、窓側がオカルトスペースとなっている。


 スペースを分けるために緞帳のような大きな赤いカーテンが垂れ下げてあり、占い机はカーテンを背にするように置かれている。余った学習机を並べて、上から紫色の布を掛けてそれっぽく見えるようにしただけだが、案外完成度が高い。紫の布は光沢のあるサテン生地で、確か一メートル四百円ほどだった。だいたい千円前後で作られている。


「はぁ……カーテン開けるのが怖いよ」。

「そうか。未来は昨日先に帰ったから、現状を見てないのか」

「……うん。話を聞く限り、部屋中真っ白だよね?」

「あぁ。引くほど真っ白だぞ。効果はあったみたいだし。奇跡の勲章とでも思ってくれ」

「そうだけど……」


 未来はカーテンの端を掴み、意を決した表情で勢いよく開けた。

 遮られていたオカルトスペースがあらわとなる。


「うわっ!」


 驚きのあまり未来は一瞬目を見開いたが、表情はみるみるうちに青ざめていく。


「あはは……片付け大変だね」


 俺達が目にしたのは、天井や床にも貼り付けられた──大量のてるてる坊主!


 数を口にするのも恐ろしいくらい、尋常じゃない量がある。


「……さて、やるぞ」

「えっと、わたし急に具合が……保健室で休んでくるね」

「おい逃げるな。これから楽しい楽しいお片付けなんだぞ。もっとやる気を出せよ」

「いーやーだーっ! 想像の何倍も多いんだもん! てるてる坊主の片付けで一日を終えるなんてやだよぉ! てるてるハラスメントだぁ!」


 文句を垂れる未来を無視し、俺は一つ一つ丁寧に剥がし始める。

 やっと観念したのか、「クマの意地悪ぅ」と唸りながらも手を動かす未来。

 しかし、お互い大量のてるてる坊主を見ると、溜息しか出てこない。


 一生かけて見るであろう許容範囲を余裕でオーバーしているんじゃないか?

 拒絶反応が半端じゃない。一体ティッシュ何ボックス分使ったんだろ……。

 ──そもそも、何故こんな事態になっているのか。


 理由は唯一つ、今日の予言を的中させるための「まじない」だ。


 今回の予言はいつもとは違って、俺たちの力だけじゃどうにも出来ないという結論に至り、藁にも縋る思いで「まじない」を行った。これのお陰かは不明だが、朝には無事に晴れて気温はみるみるうちに上昇していった。

 まぁ、予言する時点で国内外様々な天気サイトを確認しまくって、一番精度の高い予報通りにしただけだが……。


 ……結局何が言いたいかだって?

 つまり──


 未来の予言はいつも、俺たちが実現させているってことだ!

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