第4話 妄想と現実

「きんぞくばっと?」


 きらりと琥珀色の瞳を一段と輝かせ、テコナはぐっと顔を寄せてきた。


「この金棒は『きんぞくばっと』と言うのか! なかなか珍しい形状をしていると思ったが……まさか、あの……伝説の!?」 

「なんの伝説もないっす!」

「そういえば」とテコナは思い出したように視線を落として、俺の身体をまじまじと眺め始めた。「その格好も見慣れぬな。これは何の装束だ?」

「これは、ただの……学ラン」

 

 言ってすぐ、しまった、と思った。

 金属バットも知らないこの子が、学ランを知っているはずもない。


「ガクラン……」と繰り返すテコナの口ぶりは、やはり初めてそれを聞いたような感じだった。「なかなか上等な織物のようだな。今、鬼ヶ島では、そのような格好が好まれているのか? 雅だな! よく似合っているぞ、キジマコータロー」


 ふふ、とまるで我が事みたいに誇り高げに微笑むテコナに――がつんと胸に豪速球を打ち込まれたような衝撃を覚えた。

 なんだ、これ。こんな衝撃、いつかのファウルボール以来だ。

 似合ってるぞ、なんて、母親以外に……いや、母親にもこんなに嬉しそうに言われたことはない。初めて学ランに袖を通した十三の春、この厳つい顔に学ランが似合いすぎて、『すっかり立派な不良やわ』と両親にも引かれる有様だったんだから。

 そういえば……いつだって、制服姿で街を歩けば、自然と道が拓けていた。それを見た野球部のチームメイトには『おお、モーゼ』と揶揄され、道端でクレープを齧るカップルを微笑ましく見つめただけで悲鳴のようなものをあげられた。

 そんな俺の制服姿が、まさかこんなところで……こんな可愛い子に褒められる日がくるなんて。


「さて、まだまだ話し足りないが、あとは寝間でゆっくりと聞こう」


 ん……ネマ?


「皆も外で心配していることだろう。早く、見せてやらんとな。私の鬼を」

 

 すっと立ち上がると、テコナはぐいっと俺の手を引っ張った。


「さあさあ、金棒を持って早う立て!」

「ええ!? ちょ……ちょっと、待って」


 早く早く〜、と言わんばかりにうずうずしながら、俺の手を引っ張るテコナが、無邪気で強引で……もうどストライクすぎて。いつの日からか、諦めていたデートのシチュエーションがそこにあった。洞窟の中だけど。くノ一みたいな格好しているけども。金棒を持て、とか言ってるけども。そんなの諸手を挙げて無視してしまえるほどの、俺にとっては至福の瞬間だった。

 そりゃあ、言われるままに『伝説の金棒』を持って、テコナに手を引かれるまま、「待てよ〜」なんて気分で付いていくさ。スキップでもする勢いでテコナと洞窟の中を駆け抜け、見えてきた眩い光の先に何があるかなんて、考えようともしなかった。

 まだ薄暗い早朝、真夏の射るような真夏日の下、夕日の中、いつだって、汗にまみれて、砂埃をかぶり、野太い声が響き渡るグラウンドで肺が焼けるほど走ってきた。まめだらけの手に残るのは、冷たく硬い金属バットの感触と、ジメジメと蒸したグローブの臭いだけ。

 そんな俺が、女の子と手を繋いで走っているなんて夢みたいで――その夢に浸っていたかった。

 そう、まだ夢見心地だったんだ。

 洞窟から足を一歩踏み出す、そのときまでは。


「皆の者、待たせた!」


 いきなり光に包まれ、思わず目をつぶった俺の耳に、そんな高々と誇りに満ちたテコナの声が飛び込んできた。

 そういえば、『皆』って……誰?


「我が願いに応え、酒呑童子様は立派な鬼をこのテコナに授けてくださった。見よ、我が鬼、キジマコータローだ!」


 おお、ともはや耳にしっくりくる野太い声がして、ぞくりとして目を開ければ――。


「よかったのう、テコナ様! これで我が一族も安泰じゃ。御門守みかどもりの任を解かれることもあるまい」

「なかなか出てこんから心配しましたぞ!」

「しかし、見たことのない格好をしておるの。金棒も珍しいものを持っておる」


 見渡す限り、眩いほどの緑が広がっていた。燦々と注ぐ光の中、足元には背の低い草が絨毯のように敷かれ、頭上には青々とした葉が風に揺れている。

 ここは、森……だろうか。

 その中で、額に二本と鼻の先に一本、ツノを生やしたトリケラトプスとサイの中間のような生き物を従えて佇む男が五人。おっさんから爺ちゃんまで、やはりテコナのように忍び装束によく似た服を纏い、それぞれ、槍やら斧やら物騒なものを手に待ち構えていた。

 思わず、ゴクリと生唾を飲み込む。

 いやいや。皆、俺以上にずっと鬼みたいな屈強な体つきなんだけど!?

 付き合いたての彼女とデートに出かけたら、ご先祖様から父親まで一度にばったり出くわしてしまったみたいな……しかも、皆、マッチョで。そんな味わったことのない恐怖を覚えて、俺は固まってしまった。


「キジマコータローというのだ。テコナの鬼だ。じいたち、もっと近う寄って見てもいいんだぞ?」


 そんな俺をよそに、俺と手を繋いだまま、おっさんたちにニヤニヤと自慢するテコナ。さながら、カブトムシを自慢する小学生のよう……。

 じわりじわりと嫌な予感が体に巻きついて、動きを封じられていくようだった。

 まずい、と全細胞が訴えかけてくる。女の子と話せたから、て浮かれすぎだ。調子に乗りすぎた。

 このままじゃ、後戻りできなくなる。とんでもないことに巻き込まれてしまいそうな――。


「あの、俺は鬼じゃ――!」


 咄嗟に、そう言いかけたときだった。


「そいつ、本当に鬼か?」


 横から、おっさんたちとは全く別の……若々しくも凛々しい声がした。

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