第3話 テコナと誓い
いや、聞き違い……だよな?
「どうした?」とテコナと名乗った少女は、訝しげに首を傾げた。「お前の名だ。名は無いのか?」
「名前……は、鬼嶋っす。鬼嶋鋼太郎」
「キジマコータロー? 長い名だな」
「あの……ここ、どこっすか?」と、俺は身を乗り出して訊ねていた。「まさか、あの世――とか?」
「あの世……?」
猫の目みたいにくりっと大きく、黄金をはめ込んだかのような瞳がじっと観察するように俺を見つめてきた。それだけで、ぐっとたじろいでしまう。
違う、と思った。
言葉は明らかに日本語だ。服装も――独特にアレンジはしてあるものの――限りなく着物に近いし、髪や眉も黒々として、日本人っぽい……が、その瞳の色や、そのくっきりとした目鼻立ちは、日本人のそれとは明らかに違う。ハーフだろうか、と思いかけて、いや――と思い直す。そんな単純な話じゃない。彼女が放つ、『異彩』というにふさわしい魅力は、どこか人間離れしているような感じがして……。
死神だ――と言われても、納得できる気がした。
「タカマガハラ……のことか?」
ややあってからテコナがそうつぶやいて、俺はハッと我に返った。
「たかま……なんスか?」
「ふむ」とテコナは、まだ幼さの残る顔立ちを困ったように歪めて、腕を組んだ。「随分と困惑しているようだな。初めてこちらに来たのだ。無理もないか」
「こちら……?」
「ここはタカマガハラではなく、アシハラだ。お前は鬼ヶ島から
鬼門――と言ってテコナが指したのは、さっき目にした、あの石造りの祠のようなそれだった。
つまり……なんだ?
あそこから、俺は出てきた、と? 赤ん坊くらいしか出てこれなさそうな、その小さな祠から? この百九十センチ近いデカイ図体が? 鬼ヶ島から……?
んな馬鹿な。
「って、鬼ヶ島!?」
思わず、洞窟の中に響き渡る大声を上げていた。
「お……鬼ヶ島って……どういう……!?」
「お前の故郷だろう」
「いや、故郷って……俺が生まれたのは瀬戸内の港町で……」
「セトウチ……?」
テコナは表情を曇らせると、再び、俺と目線を合わせるように地面に片膝をついた。
「どうも様子が変だな。まさか酒呑童子様に何も聞かされずに、送られてきたのか?」
「いや……しゅ、しゅてんどうじ……って、誰?」
「恐れ多いことを聞く。お前たち鬼の
「かしら? かしらって……うちの主将は、水原先輩――て、いや……鬼!? 鬼ってなんだよ!? 誰が……!?」
すると、ぼうっと灯るロウソクの光の中、細い人差し指が俺の鼻先を差した。
「お前以外に誰がいる、キジマコータロー? お前は酒呑童子様が私に遣わせてくださった鬼だ」
「ちょ……ちょっと待て! 俺は鬼じゃないし……しゅてんなんとかなんて知らない……!」
「まさか、自分が鬼だということを忘れてしまっているのか?」とテコナは目を見開いた。「こちらに送られてくるときに、何かあったのだろうか」
何かあったといえば、部のマネージャーに階段から突き落とされたくらいなんだが。
「いやいや、そういうんじゃなくて……本当に鬼じゃないんだ! 人違い……てか、鬼違い!? つーか、ここ、鬼、いるの!?」
「案ずるな、キジマコータロー! 記憶はすぐに元に戻ろう。それまで、不便もあるだろうが……」力強くそう言って、テコナはおもむろに俺の手を取った。「記憶が戻るまで、私が必ずお前を護る。だから、私の牙となり爪となり、共に
キラキラと琥珀色に輝く瞳でじっと俺を見つめ、テコナは俺の手を包み込むように両手でぎゅっと握りしめてきた。
その柔らかな感触たるや……。
ああ、いつぶりだろう――女の子の手に触れたのなんて。
そういえば、俺、高校入ってから、桃原先輩以外の女子と話したことあったっけ? いや、もはや、中学時代も女子と話した記憶がない。目つきが悪いせいで、ちらりと見ただけで、女子は皆、「ごめんなさい」と言って逃げて行くし、そうやって、誰とも話すタイミングを作れずに過ごしていたら、勝手に『硬派』のレッテル貼られて、ますます周りとの溝は深まっていった。
思えば、小学生のときから、野球ばかり。握りしめてきたのは、バットだけ。
そんな俺が、今、暗闇の中、ロウソクの頼りない灯火に囲まれて、女の子と見つめ合い、手を握りしめられている。経験したことのない感動が、電流のように脊髄を駆け上っていくのを感じた。
そんな状況で、誓ってくれるか、と問われたら、男として言うべきことはひとつ――。
「誓います……!」
「そうか、そうか!」と感極まったように、とびっきりの笑顔を見せてくれるテコナに、もはやどうにでもなれ、と思い始めていた。
鬼がどうとか、誰を守れと言われたのか、とか――もういろいろとよく分からないが……もしかしたら、野球の神様かなんかがいて、これまでの俺の努力に報いようとしてくれてるのかもしれない、と妄想みたいなことを考えていた。俺がこれまで野球に捧げた年月を、野球のために犠牲にしてきた青春のあれこれを、ここで一気に返してくれようとしているのかも……なんて。
「では、今日から……このテコナの傍で、我が鬼として、存分にその金棒を振るってくれ」
「その……金棒?」
ちらっとテコナが視線で促したほうを見やれば、そこにあったのは――。
「あ……」
これ、使って! ――という桃原先輩の声が脳裏をよぎった。
手に、ずっしりとのしかかるような重みがありありと蘇る。持たずとも、見るだけで、全身の筋肉が反応してしまうような……それほどまでに、その重みは体に染み付いている。テコナの手とはまるで正反対の、冷たくて硬いだけのその感触を、俺は血が滲むほど味わってきた。
確かに、金棒なのかもしれない、とつい、苦笑が漏れていた。俺にとって、それは武器だった――て、大喜利か!?
「なんで、金属バットまで持って来ちゃってんだ!?」
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