第5話 よろずに依枯の心なし
「本題の前に〜 お知らせして おきますが〜 新たな〜 VR社会が〜 見つかったらしい ですねぇ」
ヒジリ・ユキトシはまだ心臓がバクバクしていた。そんな彼の耳へと、ヘッドセットから上司永田課長の声がとってもクリアに流れてきた。Web会議の画面には何だかよくわからない凄そうな役職の人も並んでいる。
パッと見16人はいるようだ。
コジロウと予定していた1オン1Web会議のはずが、気が付くとなぜか同期のコジロウこと佐々木君が、コーディネーター役を務めていた。
『いったいナンの冗談だこれは?』
会議のアジェンダも開始・終了予定時間も不明のまま、この重要そうな打ち合わせが、これからも数度行われる雰囲気を醸し出していた。
「ヒジリさん、 この件については〜 把握してますか?」
上司の質問は直にユキトシに向けられていた。画面上の彼は固まって、たぶんおそらくキョドっている。
『画面下のほうの人は不審そうな表情をしているんじゃあないか!?』
などと不安がよぎった。
『おいおい!?どういうことなんだこれは! そして冒頭で課長が言った【本題】って……』
>これどうなってるの? !!泣
>僕、おまえと1オン1で話すんだってお願いしといたんだけど!?
こっそりとチャットでさっきコジロウに聞いたところ。
なんということだろう。
本日のWeb会議は当職ことヒジリ・ユキトシが部署全体に呼びかけて緊急に召集したことになっているようだ。
確かにこの会議の形式をみても間違いない。左上の【ホスト・ポジション】にユキトシがいる。
【関連部署】の代表も来ているらしいのだが名前もわからないため、その人たちの所属先すらもわからない。
『うわぁどうしよう! いったいなぜだ!』
>>参加者のボタンをチェック指定と間違って全員に押してしまったとか?ww
>>関連部署呼んだのは永田課長だろうね。ともかく俺がフォローしてやるからやってみろよw
今となっては確かめられない。何も。
冷たい汗と熱い汗が同時に流れ続けている。もう後の祭りだった。
『俺はIRの調査に取り掛かったばかりでVRも本当のところあまり詳しくない。そもそもIRとVRってむすびつくのか? なぜ課長は冒頭でVRの話題を俺に振ったんだ?』
想定外の出来事に、彼は話の前振りも着地点もまったく想像がついていない。まるで鳩が豆鉄砲くらった状態だ。もうこんなときはありったけの知識を総動員するしかない。
『ただし、ぜったいに知ったかぶりはするなよ、俺!』
アセりが通じたのか、有難いことにコジロウがかなり自然に助け舟を出してくれた。関連部署で経過を知らない人がいてもわかるように、極力平易な言葉を用いた説明はとっても明解だった。
「永田課長、ヒジリさんはネオツキジの現場の窓口対応で多忙を極めていたので、さすがにあらたなVR社会の動きまではわからないでしょう。ちなみに私は仮想会場の担当だったのですが、私がわかる範囲であれば、ある程度推測できますが、いかがでしょうか?」
『うぬぬ!? コジロウって味方にすると頼もしいじゃないか!』
「ええ、佐々木さん お願いしますね。 それは〜 どんな動きでしょうか?」
コジロウはよどみなく答えはじめた。
「エインシェント・ワールド・ゲームスの競技じたいは複雑ではなかったのですが、観戦にVRも使用したことで、いま思えば弊害がありました。これは私個人の意見ではなく、SNSで拾ったとある政治評論家の見解ですが」
「弊害? それは どういう意味 ですか?」
「この件はよくご存知かと思いますが、AWG2021の会場の仮想空間には競技ごとの階層が設けられていました。そしてそれは確か全世界で共有されましたよね? ヒジリさん?」
コジロウはそう言って淀み無く純粋な流れを生み出しつつユキトシに水を向けてくれた。
「たしかに競技データの登録は団体ごとに行うように整備され、大会期間中はそれを厳正に管理した上で自由に利用できるようになっていました。そして代表のテレビ局が競技映像の一部分を情報取得し、リアル・ローカル混合編集を行った上で全世界に放映されました」
と補足しつつも、
『実は、アレって【放送事故】なんだけどなwwww』
と冷や汗とともに回想した。
ユキトシの発言の後にタイミング良くコジロウが続けた。
「ヒジリさん、ありがとうございます。ではなぜ競技を階層ごとに分ける必要があったかと言いますと、まず競技空間は現実の映像をもとにポリゴンを用いた仮想立体映像によって表現されました。そしてその仮想世界の中で競技が行われる仕組みでした。これを競技別VRデータと呼んでいます。勿論CAWGの観戦権利者や大会運営関係者は、VR設備を用意できれば許可区画別に専用ネットワークにログイン後、自由に閲覧する事はできました。しかし、そういった設備をお持ちでないかた向けに、競技別VRデータ全てをメディア化して全世界配信するには、とてつもない膨大な情報量になってしまうため、あきらめざるを得ませんでした。そこで、選手と審判の当事者が競技別VRデータで競技を行い、そしてその情報を再度、通常の動画情報として良いアングルの情報のみを取得するという、これがヒジリさん考案の『箱庭平面化方式』だったわけですよね。そして内と外からさまざまなIT企業がバックアップをした。それがいわゆる【トウキョウ・2020s】でした」
そうなのだ。
VRは2021年の今も全世界で普及しているわけではない。また、全てのVRデータを保存するには莫大な保存容量を準備する必要があった。
競技用のフィールドとして建設されていた国立の大会場は残念ながら、なぜかVRの撮影は困難ということになり、急きょ代替地を探すことになった。
そこで真っ先に浮かんだのが選手のモータープールとして駐車場の整備が済んでいたオープンスペース、ここネオ・ツキジだ。
【緑色の連結型超巨大テント】を借り、例えばスピード競技に関しては、競技データの元とするために前回のメダリストからゼロデータを収録、同様のゼロデータ収録テントは五大陸のそれぞれにおいて設置された。撮影は3か月にも及んだ。
開催予定の日程を前倒しして、出場各選手は前回のメダリストの2021年における競技成果を元にVRで再現された【アスリート・ゼロ】選手を相手に、個別に時間差で予選と本戦を行い、相対データの成績でメダル順位を決めたのだ。なぜこのような方式を採用したかというと、まだまだ多人数型オンラインサービスでは、データがお互いに届くまでのズレがあったり、情報送信障害(ノイズ)があって部分断線したりしてしまうためだ。これに関してもギリギリまでモメたが、なんとか妥協してもらった。
全行程は予定よりはやく終了したため、閉会式までのあいだにはさまざまなeスポーツ大会が緊急のエキシビションとして登場した。これが功を奏してか、VRデバイスの売れゆきの増加とともに、毎晩のように閉会式前夜祭がたいへんな盛り上がりとなったのである。
これを指してのちに世間では【レイワ・ミラクル】と名付けた。
そしてこれぞ新世紀のエインシェント・ワールド・ゲームス、そしてスポーツの進化形だと世界中にもいつの間にか報じられた。特にフェアネスにこだわるアメリカ合衆国のスポーツファンからは絶大なる支持を得たため、本人はつゆ知らず、今や【ヒジリ・ユキトシ】といえばアメリカ合衆国ではここ最近の旬な話題の一部となっていた。
「大会にはボランティアも関与していました。彼らは別途、連結仮想空間において独自のフィールド、つまりデータ領域を設営し、選手の応援を盛り上げました。現在、大会後もそのネットワークは継続しているらしい、との噂があります。懸念というのはまさにそこです」
そのあとを誰かが引き取って発言できるような、絶妙なコーディネーターぶりだ。さすが、AWGトウキョウの残務を担当するだけある。
『コジロウよ。さては、お主、デキるな?』
「いやはやそこからまさかですね。新たな社会問題出現ですか? 全く困ったもんですよ」
画面下の見覚えのない偉そうな人がとつぜん発言した。どこかで見たことがあるけど、誰だったかな……。
会議を招集した形になっているわけなので、そろそろ発言しなくてはならない。
コジロウが説明口調の時間稼ぎをしている間になりゆきを見計らいつつも、ふとこのタイミングでさっき動画を見なおししていた政治家ヒラガ・クザブロウの真意に思い至った。曰く、
一、着地点を自ずと示せ!
二、話は俯瞰を意識せよ!
裏を返せばいままでの彼はなりゆきまかせ後手後手でマニュアル頼りではないものの、たしかに展開がまったく読めていなかったのだ。これはどうじに日本人の典型的な【学問病】とでもいうべき現象で、過去に前例のないものに様子見してしまうというものだ。
『このままではいつまで経っても受け身のサンドバックマンだ。ならばどうすればいい? さすれば、仮であっても終わり(先?)を決めておくしかあるまい。それもできるだけ外れぬように、鷹のような眼で話の枠をできるだけ大きくな! ウワッハッハぁ〜』
「えっと、ヒジリさん? ……あの〜どうしました? 具合でも悪いんですか? 佐々木さんの説明は既に終わりましたよ?」
ユキトシがうっかりショートトリップしていたあいだに全員が彼に注目していた。
『いかんいかん。着地点着地点……っと。あっそうだ!』
その時ふと、新たな社会の現実への影響として、『これかな?』という閃きが浮かんだ。
【重低音轟く和風ドラムンベース】にあの【弁当売りの少女】そして【アズキ色】に塗られた【フードトラック a.k.a. 装甲車】
ああいったエッヂの効いた世界が彼らの望む【未来のトウキョウ】なのだ。
ヒジリ・ユキトシは落ち着いて問題提起を出すことに成功した!
「実は今、私はIRの調査を始めたばかりのところなのですが、まぁそういった懸念はあるにしても、ともかくアフターAWGトウキョウの【レガシー】として、CAWGで取り扱ったVR世界運用のノウハウを、おもいきって活用してみてはどうでしょうか? 規制すべき点を洗い出し、適切な措置を講じる手間はありますが、あれらは日本経済をけん引でき得る可能性を、十分に秘めていると私は感じております。それにどのみち規制はすることになりますから」
「おおおぉお〜!!」
と全員が会議の結論に対して声を上げた。
はっきりとその称賛は聴こえたのだ。上司永田はしばらくフリーズしていたのだが、大きくうなづくとニッコリして次のように言った。
「ヒジリ調整官、 素晴らしい提案 ありがとうございます。 では引き続き 調査を お願いしますね? では佐々木さん この方向性で〜 部署割をしてみてください〜 これにて緊急会議 終了〜です」
『ふぁ!? もう終わり?
これから……じゃないのか?』
ユキトシがアッケにとられているあいだにつぎつぎとメンバーはログアウトしてゆき、とうとう紀尾井カスミもコジロウもいなくなった。さっそくなにをどう動かすというのだろうか? ユキトシはボーゼンと暗転していく画面を名残惜し気に見ていた。
すると最後の最後に一人分の枠だけが残った。
ゆいいつ関連部署として発言をしたオブザーバーの男性だ。たしか以前エレベータで見かけたことがあり、下のほうに名前がローマ字で出ているが、いったい何処の誰だったかどうしても思い出せないでいた。その人物がログアウトするでもなく、視線はややカメラよりも下に置いている。どうやらユキトシの表情を見ているようだ。
するとその人物は予想に反して口を開いた。
「ヒジリ・ユキトシくん。え〜っと、初めまして、ですね。『その節はお世話になりました、引き続き期待しております』と大臣からの伝言です」
「あ、はい。すいません以前お世話になったと思うのですが……Web名刺後ほど送らせていただきますので申し訳ありません。がんばります!」
『!! 思い出した。あの人は内閣府の偉い人だった。そんな人が「新たなVR社会に対する懸念」を表明されたというのに、俺ちゃんときたらまったく逆の提案を提起してしまい、しかも上司はそれを了承してしまった……のだ』
真っ暗になってしまった画面にげっそりとした自分の顔が映っていた。もうお先マックラだ。
せっかく短い時間ながらも考えに考えだしたグッド・アイデア、方向性のはずだったのに……。
【不明なことを恐れ、回り道するのではなく、知らないなりに確信をもって作ってさえしまえばもっと専門的な人が教えてくれ、もっとりっぱなものが作り上げられる】そんな経験とヒラガ・クザブロウ先輩のアドバイスを踏まえた仮説だった。
『だけど、別に反対意見があるようでもなさげ? ん?待て待て待て!
こういうのって経験上、アトが怖いんだよ! 死亡フラグとかいうヤツ!?』
こんどこそひとりでじっくりと、外の刺激なしに練り上げてみなければなるまい。
「1オン1のWeb会議はもう、ぜったいに申し込まないからな!」
ユキトシは自分のミスにもかかわらず、陥ってしまった運命の悪戯に、思わず抗議するのであった。
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