第2話 身にたのしみをたくまず
若手官僚でサイバー・エインシェント・ワールド・ゲームス(CAWG)イン・トウキョウの発案者として注目をあつめているヒジリ・ユキトシには、学生時代からの妙なクセがあった。
危機を前にすると、真正面から挑むことはせずまわりから堀を埋めていくようなところだ。
入省してすぐに全世界をあの悪魔のようなウイルスが襲い、日常が一気に混沌の世界へと引きずりこまれた。ただボーっとしていると社会と経済の変化から取り残されそうなほどの激動だった。
そんな彼にとって直属の上司からの指示はまるで神の信託のようであり、同僚は生き残りをかけるロールプレイングゲームのギルドメンバーかの如く生き生きと動いていた。
ユキトシは、初めてスマホを手に入れた大学生時代に、当時話題だったゲームアプリを遊んでみたことがある。スマホでプレイできるゲームの面白さと難しさにめまいがするほど圧倒された。
大学に入るまでは親と同居だったため、進学のためにコンピュータゲームをさせてもらえなかった彼は、免疫がないぶんその情報量に衝撃を受けた。みんなの話からどんなゲームなのか何となく類推することはできていたものの、やはり百聞は一見に如かずで、しばらく寝ずのゲーム漬けにはまってしまったものだ。
入省してからは業務で忙しく、SNSもゲームもほとんどやる時間はなくなった。終業時間に一人自宅で酒を一杯やりながら、今話題のVR世界を題材としたアニメを鑑賞するのが関の山だ。
そんな日々の生活に影響されてか、とっさに出た「調査への提案」がいきなり採用となってしまったのだ。
この大事業こそ、開催の危機に瀕していた【AWG2021のVR化】であった。
誰しもおもいきった突飛なアイデアを正面切って出してこない。なぜなら事業化の責任が取れそうにないからだ。
しかしこの場合、どう考えても条件を代入して行き着く答えは【ウイルス禍における運用においていかに感染者コロニーを出さずにAWGトウキョウを安心・安全に実現するか】というミラクルを現実化するものだった。
『だってなくなってしまうなんて寂しすぎるだろ?』
コアのところの「どうやって?」についてはボヤかしたままだった。なのに周囲が応募を見送るなか、これだけは出すべきとの直感が働き、その「声」に従ってしまったというわけである。
そうしてユキトシは、まるでレビューより本編を再構成するかのごとく、ファンからの矢継ぎ早の質問に答えるクリエイターのような反応を、一つ一つ淡々とつづけただけなのだ。
この場合は、いかに周囲が優秀だったかが評価されるべきだろう。
「ヒジリさーん。なんでも天才的なゲームデザイナーが匿名でかかわっていたような痕跡があるんですよ~」
大会終了後になって、ユキトシにマスコミ関係者がそう言っていた。詳細も不明、全体像がわかってから動いているのでは遅い、それくらいの緊急事態のさなかにドンドンものごとが進んでいったのだからそんなウワサが流れるのも無理はない。
『いや……でもあながち、ナイ話でもないかなぁ』
この間に合わせの座組みに、もちろん直属の上司【永田代理(当時)】は当初から気がついていた。ヒジリ・ユキトシは、困難をただしくいちいち受け止め、一生けんめいに悩んだ先に、突然アイデアが爆発するところがある。
永田は以下のように人事評価を付けている。
「彼はねぇ 考えることと〜 行動の間に〜 エネルギーの〜 不・伝達が〜 あるねぇ。いわばね キリスト教圏でいうところの〜 豊穣なる混沌…… というやつ なんだろうねぇ」
いうなれば【無垢な幼児が悪気なくとつぜん拳銃をぶっぱなすようなところがある】と言いたいらしい。
さて、第一のイベントをクリアしたヒジリ・ユキトシは、AWGトウキョウ2021が終わったあと、てっきりとっちらかった事後処理をするものだと勝手に思いこみ、閉会式の前の週からはやくもスケジュール管理表を作ってしまっていた。少しでも先の余裕がほしかったのだ。
閉会式の日、東京首長の挨拶がモニタに表示されたあと、サテライト業務はいったんすべて散会となった。あのウイルス騒動以前には、大仕事のあとの打ち上げと称する大宴会を一日になんども、なんなら夜明けまでやっていたそうだが、このご時世となってはもはや想像することも難しくなっていた。
無観客パブリックビューイング会場の受付に、ならんで立っていた上司永田と部下ユキトシは、腰に手を当てながら【缶コーヒーの押忍】を飲んだ。
そのとき永田はさらっとおそろしい命題を指示したのだ。
「事後処理は〜 同期の〜 佐々木君に〜 やってもらいますよ。君の〜 次の仕事は〜 AWGトウキョウの〜 経済効果を〜 日本全体に広げること です」
『出た〜w ま、またしても前例のないやつぅ〜』
ユキトシはボウゼンとなった。
『それって個人がフラッグ振ってやるものなの!? やれるものなの? たしかに政府も省庁も非日常業務で忙しいとは思うけど……』
思わずそうボヤいたが、じつは本心では満更でもないようだ。しかしあまりにも責任の重そうな案件に、とっさにたじろいでしまう。
段取りの先取りがお家芸となりつつあった彼は、海外のメディアからの問い合わせをいくつか受けていたことを即座に思い出し、そしてこう答えた。
「それなんですけど、まだまだメディア対応が残ってるんですよね……こればっかしは別の人に任せるわけにもいきませんし。そんなわけで残務は責任持ってやらせていただきますよ?」
するとこの訴えに、永田はさわやかに親指を立て白い歯を見せながら即許可をした。
取材を受けると経験上、不思議なことにうまい振り返りができるため、ユキトシは進んでていねいに応じていた。そろそろこのプロジェクトもまとめに入らなければならないだろう。
『大会準備に追われた数ヶ月。マジで過労死するかと思ったけど……でも感動巨編の映画やゲームの中にいるみたいで、ちょっとばかし楽しかったよな。そのまとめの仕事がまだ途中だってのに、もう新しい仕事を任されようとしているのか……モテる男はツライっw』
前の仕事のやりかたはもう通用しない。難しい仕事はできたら敬遠したい。たのしい残務処理にもうしばらく浸りたい……そんな感傷を秘めつつも、このあとの展開にワクワクしてしまうユキトシであった。
期待と不安のまざるこの複雑な心理のすえ、午後になっても上司のメールを開けられずにいた。まずは紀尾井カスミの電話からの推理だ。さっさとメール読めばよいものを、わざわざ焦らしてたのしんでいるらしい。
【リモートワークは引き続き、とのことです】
『今後の仕事でも引き続き、同じ拠点での勤務ができるというわけか。よし! 本庁への復帰は内心嫌だったので、環境の変化がないのは正直助かるな』
【日報はきちんと読んでいる】
『取材の後に上長へクレームが行かないように、言った内容をまえもって証明しようと送っておいたあのメールが【日報】? う〜んいまさらあんなのただの走り書き程度のものだったなんて言えないw 絶っ対言えないw』
【問題があったら返信する】
『問題!? 問題ねぇ。あるとしたらなんだろ……』
ほおづえをつきながら目をとじて考え込む。
いままであった問題といえば、2020sの資材調達管理業務が元でのいざこざがあるにはあったが、いつの間にか誰かが収めていたようだ。
【先ほどメールしてます。以上です】
『あれ? たしか今までは【今メールしました】だったよな。
【さっきメールしてます】に続く文章としては……【読みましたか?】なのかな』
そうして彼はますます混乱し、とうとう髪の毛をワシャワシャしはじめた。
メールを開けたら、次の大騒動がはじまるのはわかっている。案の定スマホに電話が着信した。噂をすればコジロウだ。
「どーもー。サッちゃんでーす。やってますかー?
いやぁ……キタね。今度の大仕事もまたまた数年来の懸案だったよね日本政府の。道なき道を行けって感じ?」
「んー、まぁ予想はしてたね(サッちゃんっておぃw)
けど永田さん、内心は僕にあんまり動いてほしくなさげなんだ(っていうのはウソだけどねw)」
「え、なんでそう思うの? ま仕事やりすぎだよねヒジリンは。あはは」
「いつから俺はヒジリンになったんだよwwww」
タメ口なのは部屋の外からかけているからで、ちょっと小声なのは省内の渡り廊下とかにいるせいだろう。だが業務時間中に、というのがミソで、こうやってお互いに着手の探りを入れているようだ。本件に関しては同様のタスクが全員に課されたというカラクリがユキトシのブラフにより判明した。
『はは~ん、IRって長年の懸案だったのかぁ』
ところで【コジロウ】というのは実は本名ではなく、苗字が【佐々木】であるばっかりに、【佐々木小次郎】から付けたアダ名だ。【敵役】という「テイ」でユキトシの頭のなかで設定された際、心の中で勝手にそう呼んでいる。ちょっとマウント気味に返答してやると、それにかぶせていろいろと教えてくれる便利キャラクターだ(真実はコジロウの策略なのだが)。前回はそれがアダで仮想が現実となり大失敗となったのだ……。
「正直、なぜ動いてほしくないのかあんまりよくわからないんだけどさ? なーんか仕事を引き延ばすように指示が出ているみたいなんですよねどこからか!」
「いちお全庁マターだから伝達しとくけど? みたいな感じじゃね?」
「僕もここで朝から晩までマジきついっすよ。仮想AWGから仮想の都市、……って。今だから言うけどお約束のポンチ絵の誇大キャプションだからさぁ。どう頑張っても正月の仮装大会レベルでしょ? さすがにアレの再現はリスク高すぎだろw ま、飯がマズけりゃとっくの昔に逃げ出してるわw」
「ヒジリンも苦労してるねぇ。本気にとられて笑ったよなあれ。あ、そういえばこっちにもネオツキジの弁当来てるよ」
「えっ! それってターレで?!」
「ターレってなに? 知らないけど今回こそ保険掛けてあるの? 急ぎではないといいつつIRといえば20年来の懸案で暗礁に乗り上げつつあるからな。本件も国家の重要度は高いぞ? もれなく可能性を追求しないとな! がんばれよ。あっ呼ばれたから行くわ。じゃ」
『「じゃ」じゃねぇわ。「がんばれよ」は余計だろ? コジコジ〜?』
コジロウの返答には感度の高いワードがたくさんちりばめられていていた。
この時点で13時半過ぎだった。
『さあ、おもむろにメールを開こうか。いったいどんな指示が飛び出すのかな〜。
矢でも鉄砲でも飛んでこいだ』
しかし、本文には次の一文があるのみだった……
>IR(統合リゾート)のための調査の着手について
>候補地AOMIの研究をしてください。
一般的にリゾートで思い浮かぶのは、青い海と白い砂浜すなわちハワイとかの南国の島々だ。【IR 候補地】で検索すると、【カジノを含む統合型リゾート】に関する法案や他の自治体の名がいくつか出た。
東京はこのIRに突如立候補したらしいが、AWGトウキョウと丸かぶりしてほとんどニュースにはなっていなかったはずだった。
『カジノ、かぁ』
ユキトシはふとAWGトウキョウ2020の前だったかカジノの誘致がどうのというニュースを見た記憶が浮かんだ。
『ウイルス騒ぎですっかり世界的にも海外からの観光客は激減しちゃったし、こんな時期に日本でカジノなんてぜったい無理ゲーだろ』と。
2020sの仕事とは、いわゆる公的なAWG組織委員会以外の活動群を示す。あの感動の閉会式の記憶もさめやらず、というかまだあの余韻に浸っていたいくらいの大プロジェクトだった。
『そりゃぁ継続化するのは並大抵のことではないでしょうが、きっと国民みんなの力を合わせれば必ずうまくいきますから! ミラクル・アゲイン!』
みたいなことを海外の要人やメディアに説明しているうちに、ユキトシの内側から『そういう未来がほんとうにやってくるかも!?』という信念みたいなものが生まれてきつつある。
「だけどなぁ。カジノ、カジノって何かこう、ちょっと違うんじゃないかな……いや違うだろ。そんなにやりたきゃ外国のクルーズ船乗れば良いじゃんw」
心の声のつもりがつい声に出してしまった。
そして例のごとく上司永田の指示は、【こうしてもらいたい、という気持ち?】【ヒント、激励?】みたいなものすらもいっさいなく、これでは反応のしようもなかった。まるでないないづくしの般若心経のようだ。座禅でも組めというのだろうか?
AWGトウキョウの時は父母の昔話がかなり役に立ったようだ。前回の東京大会では父も母もまだ生まれていなかったが映像は残されており、「2020sは高度成長期とは違うのだから世界に向けてのメッセージはこうしたらいいよね?」といった方向性も比較することによりすぐに構築できた。
閉会式でホストの首長が引用したのはヒジリ・ユキトシが書いたキャッチであるところの【2020から2029までの2020s(トゥエニーズ)は、未来の世界を作る10年】
であった。万国の祭典、アスリートへの尊敬、ボランティア精神、文化の継承、それらの大それたワードを元に、壮大なるエインシェント・ワールド・ゲームスのエッセンスを抽出し、そしてさらに現代日本風のゲームのフォーマットにのせたイキったポンチ絵(笑)を、見よう見まねのパワーポイントで描き出して一枚絵にした、ときたもんだ。
それが晴れの大舞台で現実となったときには、テレビを見ていた父もさすがに顔を真っ赤にして驚いた。
「おいユキトシ!? こんなことでいいのか!?」
感動よりも先にショックを隠せないようだった。
映画やゲームじゃあるまいし、たまたまできた桃源郷はできすぎた虚構であって仮想現実ですらないと。まるで仮想に現実が引きずられていっているようだと。
そうして父は言った。
「できもしない幻想は罪作りだと思うなあ。ジジイになったからかもしれんけどワシは不安だね。理想的に整備されたオープンワールドやマルチシナリオのコンテンツを心からたのしんでしまうと、時間があっというまに経って焦るんだ。焦りはずうっと続くのだよ。
これまでのことは崩したくないねぇ。従来の社会全体の意思を強く感じてそれに沿っているあいだは人間というのは安心できるってもんよ。予定調和ってヤツだ。それがたとえ世の中を最悪の方向へ導いているとしてもだ」
社会的に成功した父はそう言ったが、内心ユキトシはこう激しく反発していた。
『前例どおりやれば無難に盛り上がるのがわかり切っていることを、ただ言われるがままにやるだけじゃあっけなく終わって虚しいだけじゃね? これから何が起こるのか……何が飛びだすのか完全に予測できない方がたのしいに決まってる。
前例採用主義の同調圧力に屈した社会主義の奴隷になるより、真理に従い本来やるべきことをみつけるほうが大事だろ? 親父もすっかりジジイだなw』
【真の伝統】とは未来への変化に応じて大胆に変更でき得るものだ。という信念があったゆえの反発だった。本当は父が老いたのではなく、無自覚にも彼の知能はとっくに父を超えていた、というわけである。
あたらしい世界への期待から経済や文化の価値が生まれるようだとわかってきた彼だが、実のところ作り方ときたらさっぱりわからない。ユキトシはメールから目を離すと音声アプリを立ち上げ、誰に読ませるわけでもない言葉をつぶやいた。
「リゾート……てw わざわざお金と時間をかけて行く価値ってなんだ?
行っているあいだ不安じゃないのか? 地震が起きたらどうだ?
またウイルスが来るかもしれないよ?
この時代になぜリゾート? まあ南の島は行ってみたいけどねw
でも今時同じ現実逃避するなら仮想世界一択だろ。
リアル・リゾートとかあり得なくね?」
つぶやきはテキストにしてあとで見返してヒントにするつもりだ。
『2020sの時に仕事のデキる民間の会社さんたちは、よく「〇〇というテイで」という突飛な仮定を使っておもしろい企画を構成していたなぁ。
というか? ちょっと進めてリゾート=架空の自分との出会い、みたいな仮説を立てて2020sさんたちの真似でもしてみっか。
ほんじゃ、そうと決まれば初動はフィールドワークだな!』
……と小さく拳を振り上げた。
「下調べなんぞ無用!敵はAOMIに在り!」
ただなんとなく意味もないことを言ってみたかっただけのユキトシであった。
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