第8話 第一王子の悔恨
隣国フォース国には、ルーン侯爵家という代々フォース国の外交を担う一族が存在する。
元々は、西から海を渡って来た大商人がその地の貴族の土地を買ってそこに大きな貿易港を造った事で、国の経済に多いに貢献したという功績で爵位を授与されたのが始まりらしい。
だが現在ではフォースの懐刀とまで言われ、宰相を務めるまでの家になっていた。
初代ルーン侯爵は、とにかく人心を掴む天才だったらしい。
最初は新設の貿易港を利用するような人間は、居なかったのだがルーン侯爵は様々な工夫と政策の末、その港を数年の間に国随一の他国との貿易の要にまでにしたのだ。
その手腕は神業とも言われたが、実際は違う。
彼はとにかく周囲の人々を味方につけたのだ。そして元々彼は商人として世界を廻った人間だ、その商才は天賦と言えた。彼のその人柄と商才に人々は彼を中心に集まり、大きな領地を形成していったと史実には書かれている。
そんな彼の一族が侯爵家にまで上り詰める事になったのは、その瞳によると言われていた。
ルーン家の藍の瞳は、未来を見通す力がある。
隣国フォースの王家はルーン家をそう称えた。
そしてルーン侯爵はとある事件を機に国の外交を担う重臣となるがここでは省略しよう、そのルーン家の娘をバーミリオン伯爵が娶る事になったのは今から20年以上前の事だった。
次の年にこの世界に生まれたのは、ルーン家の血を色濃く残す藍色の瞳の赤子であった。
嫁いだ母君によく似た彼女は、母親よりも淡い金色の髪をもっていた。
僕が彼女に出逢ったのは、僕が9歳で弟が4歳になった頃だった。
その頃僕は、彼女がとても羨ましかったんだと思う。
彼女には、ルーン家が持つ人心を掴む才能が色濃く受け継がれていた。
かく言う僕自身がその才能の前に惹かれていた。
そのまっすぐな気質を現す金色の髪、多岐に亘る知識を持ちながら日々新しい事を求める知識欲は天上知らずで、思慮深く観察し、物事の本質を捉える深い藍色の瞳は、まるで魔法みたいに周囲を惹き付けた。
僕よりもずっとずっと可哀想な弟の婚約者。
僕がずっと憧れた人。
「久しぶりだな、バーミリオン伯爵・・・」
そんな彼女が今、目の前に居る。
王家より謂れのない罪によって1ヶ月も投獄され、果てには毒を盛られ生死を彷徨いボロボロになって、それでもなんとかこちらに礼を尽くそうと体をベットから持ち上げようとし倒れ込む儚い背中。
彼女のそんな姿を僕は、今初めて見たのだ。
思わずその背を支えようと手を広げれば、周囲の人間の目があると気づき咄嗟に手が止まった。
彼女は、まだ弟のハークライトの婚約者であるのだ。
いくら幼き頃は、共に育ったとはいえ許されない一線。
持ちあがった手はそのまま所在なく空を切る。
「・・・っすまない。そのままでいい・・・バーミリオン女伯爵」
言葉が詰まった。
僕の言葉に否と首を振ってそのまま今度は侍女の手を借りてその身を何とか起こした彼女は、以前見たそれとは比べ物にならない儚げな姿で微笑、臣下の礼を尽くそうと震える背を伸ばし、そして簡略といえ、礼をする。
「ルクス王子・・・バーミリオン様は」
「聞いている、声が出せないなら無理に話さなくてもいい。筆談でも」
「いえ、まだお手にも痺れが残っていらっしゃいます。喉の炎症も酷く・・医師からもあまり無理をさせてはいけないと」
侍女がそう説明しながら、彼女に吸い口を含ませた。こくりと細い首が水と飲む音がした。
「今は、とにかく休ませるようにと言われております。」
「すまない・・・無理をさせた。・・」
侍女の一人が涙を浮かべながら、そう僕に教えてくれた。
聞いていたよりももっとひどい状況なのだとわかった時、僕は、今日なぜここに僕の魔法具を持って来なかったのかと後悔した。
魔法具のない自分には、治癒魔法は使えないのだ。
「・・・やはり後日にした方が」
「・っ・・・いえ・・」
首をゆるゆると振って否を伝えて来た彼女の瞳。
小さく聞こえた声はこちらが聞いていても辛いぐらいに酷く擦れていた。
そんな状態の人間の元へ無理を言って見舞いに訪れてしまったのだと自覚する。
僕はなんでこうなのだろうか、なにもかも・・・この子の為に何かをしようとする度それが裏目に出てしまう。
それなのに、僕が本当に助けを必要とした時必ず君は、僕の元へ訪れてくれる。
そして今、国を守ろうと奔走した彼女が死の淵に立たされたと聞いて、気づけば城へと戻ってきてしまっていた。
『筆談は無理ですが・・コレで』
僅かに聞こえた声が以前聞いたものとは似ても似つかず掠れてしまっていて、あの耳心地のいい声を思い出して僕は、落ち込みそうになる自身を律することに必死だった。そして僕の前に差し出される優しい掌。
それでも彼女が差したそれは、少し大きめの紙にこの国の文字が1文字ずつ書かれていた。
『昔・・思いだしますね・・っごほ』
咳き込んだ彼女に今度こそ手を伸ばし、今度こそと細い背に触れた。とんとんと背中を叩いてあげると申し訳なさそうにそれでもちゃんと笑ってくれた。
「これで話しをするのか?」
声はなく頷いて肯定された。遠い昔まだ文字を習いたての弟のためにこんな風に文字を一文字ずつ表にして指を差しながらいろんなことを話した。その記憶がよみがえる。
後宮の小さな庭、ないしょ話をしましょうとそう言って、彼女はコレを作った。
小さな弟に字を覚えさせたいそれだけのために。
「懐かしいな」
口でいいながら、指で単語をなぞれば彼女が嬉しそうにまた笑ってくれる。
『ルクスおうじ・・・おかえりなさい』
そう指でなぞる彼女。
僕を映す藍色の瞳に恋をしたのはもう10年以上前の事。
それでも、彼女は弟の婚約者だ。
君が幸せであればとそう思っていた。
だから、国を出たあの日・・僕は王位を弟に譲ろうと決意したのに。
なんでこんな事になったのだろう。
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