第13話プロへの敬意
羽入さんの住むオンボロマンション群の真ん中には、色々な遊具のある子供向けの小さな公園があった。
煌々と輝きを放つLED電灯の下にあるベンチ――そこに武人と羽入さんは並んで座っている。
ここにやってきて、座り込んでから5分。それまで会話らしい会話はなかった。
「は、話って何かな?」
口火を切ったのは羽入さんの方だった。
また羽入さんに気を遣わせてしまった。申し訳なくて、なにより情けないと思った。
これ以上怖気づいて、黙り込んでいるわけには行かない。
武人は徐に口を開く。
「さっきまで、市神さん、羽入さんのマネージャーさんと会ってたんだ」
「市神さんと? なんで?」
今朝のことがあるためか、羽入さんはやはり不安そうだった。
「ちょっと叱られててね……羽入さんに俺のことを緋色の声で"小津隊長"って呼ばせていることとか、色々……そうさせたところで唯の次の仕事にはならないし、プロへの冒涜だって……」
「冒涜って、そんな……私はそんなこと……」
「俺、ここ最近調子に乗ってた! ごめん!!」
武人は深く頭を下げそう避けんだ。
「羽入さんと出会って、一緒に歩いたり、お昼を一緒に食べたり、緋色の声を直接聞かせてもらったりして、自分が"特別な人間"だと思い込んでいた! だからその証拠が欲しくて、羽入さんに"小津隊長"って呼んでもらえるよう頼んだ。自分自身が本当に特別だってことを確かめるために!」
カッコつけも何もない、正直な武人の言葉。
自分はプロである羽入さんへ散々失礼なことをし続けた。
今さら謝ったところで、浪費させた彼女の技術は取り戻しようがない。
市神さんに言われて目が覚めた武人から、次々と言葉が溢れ出てくる。
「でも、そんなの自己満足でしかないとわかった。羽入さんが努力して獲得したスキルを俺は無駄に使わせていた。市神さんの話を聞いて、そう思った。今まで本当にごめん。プロである羽入さんへの配慮が、俺かけてた! 本当にごめん!!」
武人の謝罪が夜の闇へ溶けて消える。
彼女はどんな顔をしているのだろうか?
もしかすると、いきなりこんな訳の分からないことを言われて困惑しているのか?
もしくはその通りだと思って怒っているのか?
でも今さら、後には引けない。どんな結果が訪れようとも、それを受け入れる覚悟はできている。
羽入さんはそっと手を伸ばしきた。
気配を感じた武人は、ビクンと肩を震わせる。
彼女の指先が髪に触れ、そして何故か武人の頭を撫で始めた。
「は、羽入さん……!?」
「ありがと。小津くんは、まだまだ駆け出しの私をプロって思ってくれてるんだね。今私、すっごく嬉しい」
「……?」
「小津くんは冒涜なんてしてないよ。むしろ感謝してるんだよ?」
唯は撫でるのを止めて立ち上がった。武人を過り、そして夜空を見上げる。
「君と出会って、たくさんお喋りしたり、色々したり……なんだかね、最近それがすっごく楽しいしの。この間なんてね、褒められたんだよ? 声に躍動感が出るようになったって。これはきっと小津くんのおかげ。君と時間を過ごしたことで、成長できたんだと思う」
羽入さんは踵を返す。
眩しくて、明るくて、何よりも愛らしい。
暗がりの中でも笑っているのがわかった。
「だからこれからも、その……遠慮せずに、側にいてくれたら嬉しいかな?」
「それは……」
「だめ?」
「だめじゃないけど……」
「市神さんのいうことは気にしないで。話せば分かってくれる人だし、私からも今回のことはちゃんと謝っておくからさ」
「そうじゃなくてさ……羽入さんには、そのいるだろ。俺以上に頼りになるっていうか、大人の人が……?」
「大人? えっ?」
「だってほら、さっき、車で……」
「あー……見てたんだ?」
武人は恐る恐る首を縦に振る。
羽入さんにはお似合いの大人の男性がいる。
自分は彼のように車も、お金も、力だってない。
羽入さんは少なくとも、自分で稼ぎ、人を喜ばせる技術を持っている。そしてなにより可愛い。
やはりモブな自分とは別次元の存在。
武人がそんなことを考えているなど露知らず、羽入さんはスマホを操作していた。
やがて、画面を見せてくる。
画面にはさっき運転席で羽入さんへ親し気に声をかけていた“大人の男性”が映っていた。
ほら、やっぱり凄そうな人じゃないか。
「株式会社バスターライフル取締役兼cg監督、砂岩 勝さん。夕方、マイパンのお仕事があって、市神さんが用事があるっていってたから送ってくれただけだよ?」
「送って……?」
「そっ。電車が止まっちゃって困ってたら、砂岩さんがね。ちなみに今回が初めて! 砂岩さんも、それを口実にお家へ帰りたかったみたいだし、WinWinってやつ。だから砂岩さんと私はお仕事以上の関係は無いんだよ?」
少しからかわれているような羽入さんの笑顔。
不安が胸から拭い去られ、肩からどっと力が抜けて行く。
「だいたい砂岩さん、既婚者だし、私となんかあったら犯罪だって」
「そっか」
「ホッとした?」
「ホッと、なんて別に……」
「今のお気持ちは?」
羽入さんは拳をマイクの様に突き出してくる。
正直、ホッとしていた。なんでそう思ったのかはよく分からなかったが。
でも正直に告げると、なんとなくからかわれる気がする。
それはなんだか恥ずかしいような、悔しいような気がしてならない。
「じゃあ今夜はこんなところで、小津隊長!」
「それだめだろ?」
武人は注意をするも、羽入さんは"にひひ"といった雰囲気の笑顔を浮かべた。
なんだか子供のみたいで、いつもとは違った魅力があった。
「ダメじゃないよ。むしろこうすることで私にとっても凄くメリットがあるもん」
「そうなの……?」
「……最近ね、なんとなくわかるの。緋色がどんな気持ちで隊長と……」
緋色の気持ちがわかる。しかもそれは隊長へのもの。
今の隊長は自分で、羽入さんは緋色で、その気持ちがわかって――
(これっていったいどういう……?)
「あと、さ……これからは私のこと"唯"って呼んで!」
突然、羽入さんが叫んだ。
「なんか名字だとくすぐったいから! みんなも名前で呼んでくれているから! 私も君のこと名前で呼ぶようにするから!」
「えっ?」
「それじゃまた明日ね――た、″武人くん″!」
羽入さんは、最後だけ舌を噛んでそう叫び、颯爽と走り去る。
最後にちらりと見えた顔が赤かったような、そうでなかったような。
「武人くんって……」
これも夢なんじゃないか。
そう思う武人なのだった。
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