第11話走るのは男の宿命


 目覚ましが鳴り響く。ぼんやりと視界にみえたのは6:40の文字。


 慌てて飛び起きる。慣れない早起きにはやはり無理があった。6:30の電車に乗って余裕を保とうとしたが、計画はいきなり暗礁へ乗り上げた。

  羽入さんは武人の生活ペースに合わせるために無理をしていた。無駄な時間やお金を使わせてしまっていた。

 そのことがとても申し訳なく思った。だからこそ、今日からは武人が彼女を迎えようと思ったのだった。

 

 6:30の電車に乗り、6:45の英華付属行きのバスへ乗り、余裕をもって7:00前には羽入さんをマンションの前で待ち受ける計画はいきなりとん挫した。

が、諦めるわけには行かない。着替えを手早く済ませ、鞄をひったくるように手に取り、武人は家を飛び出して猛然とダッシュを始める。

 

 

 次の電車は3分後の6時50分。


 湯鷹駅へ着くのは、7時少し前。


(やるっきゃない!)


 予定通り6:50分の電車へ飛び乗った武人は、その中で密かに気合を入れる。

 そして扉が開くなり、駆け出した。


 改札を出てもやはり羽入さんは待っていない。想定の範囲内。

 現在時刻――7:00丁度。次のバスは7時15分。それでは羽入さんとすれ違ってしまう。

 寝坊したのは自分の責任。文明の力を使う資格は無い。

 

(やってやる!)


 運動部経験ゼロ。体育の成績も中の下。だけど走るっきゃない!

 武人は快調なスタートダッシュを切り、駅を駆け出してゆく。幸い、早い時間なので人は少なく、走っても人とはぶつからない。

 スムーズに階段を降り、学校へ続く一本道をひた走る。やはり早い時間なので、人通りは多くなく、走るには丁度良かった。


(良いぞ、この調子で!)


 ずっと羽入さんとの関係で、自分は受け身だったと思った。

 この関係は彼女から言い出したことなので、ここまでする必要ないと思う自分がいるのもたしか。しかしそんな考えはすぐに霧散する。

 ただ武人は何かをしたかった。毎日のお弁当を、楽しい時間をくれる羽入さんのためにに何かをしたい。

 

 “特別な関係”ならば、自分も何か“特別なこと”をしたい。

内からから湧き起こる衝動に駆られて、走り続ける。


が、


「はぁ、はぁ、はぁ……! きっつ!」


 一つ目の交差点で、既にに息が上がっていた。運動なんて、体育以外ではまともにしていないので当然か。

 そもそも走ることさえ、久方ぶりだった。それでも武人は走る。走って、走って、走り続ける。


 良くゲームとかアニメとか小説では主人公がヒロインのために走るシチュエーションは枚挙にいとまがない。

 どの主人公も疲れた様子を見せず平然と走り、そしてヒロインと巡り合う。

 だけどそれは物語の話。モブがリアルで、全力で走り続けるのは無理がある。


 すでに足が痛い。息も苦しい。もうやめたい。バカげている。やめだやめ!

そんな弱気が自然と沸き起こる。

だけどそんな弱気の数々を払しょくし、悲鳴を上げる体に鞭を打って、武人は走ることを続けた。


 7時7分、道程は三分の一。良いペース。最悪20分に着ければ、鉢合わせに持ち込めるはず。

 まだ大丈夫。まだ間に合う筈。


 しかし、目前で信号が赤に変わった。7:00を超えたあたりから急激に車の交通量が多くなっていた。

 立ち止まることしかできなくなった。

 そして走るのをやめると、どっと疲れが押し寄せて来た。

 肺は今にでも破裂しそうなくらいに躍動し、脚は痛みを通り越してしびれている。

 背中は汗でびっしょりになっていて、身体が風邪を引いたときの様に熱い。



"もう良いじゃないか、寝坊した時点で計画は頓挫した"


"また明日仕切り直せば良いじゃないか"


"そもそも走る必要なんてどこにあるんだ?"




 またまた弱音が押し寄せて来る。もうここで歩いて、素知らぬ顔で学校であえばいいんじゃないか。


 ちょっと早く学校についたと連絡して、今日ぐらいは楽をしてもらえばいいんじゃないか。


 それが最善。運動不足の自分にはどだい無理な計画だったのだ。


 だけども――


 もしも迎えにゆくことができたのなら、唯はどんな顔をしてくれるだろうか?


 驚きは確実にあるだろう。そして喜んでくれるだろうか? もしくは気持ち悪いと言われるか? いや、羽入さんに限って"気持ち悪い"だけはないような気がしてならない。


(きっと羽入さんなら、喜んで受け入れてくれるはず! だったら!)



 信号が青に変わった。これが最後のチャンス。

武人はグッと、アスファルトを踏みしめ、最後の力を振り絞って、武人は走り出した。


 足も、呼吸もすでに限界。視界はぐらつき、肺は今にも破裂しそうだった。だけどここまで来たら諦めるわけには行かなかった。

 諦めたく無かった。諦めるなどもっての外だった。

 

 走りつつ、スマホを掲げる。


 時間は7時15分――学校前のバス停は目の前。想定時間はまでは後5分。

このまま駆け抜ければすれ違う可能性もある。


(ま、まだ間に合うっ!!)


 最後のカーブを大きく曲がった。羽入さんの住むオンボロマンションの敷地へ到達。

 そのまま一気に、羽入さんの住む、一番奥の棟の下へと駆けこんでゆく。


 時間は7時18分。ぎりぎりセーフだった。


まだ、羽入さんはどこにもいない。セーフと思いきや、なかなか出てこない。まさかすれ違いか?

それでも待ち続ける。しかし、7時25分を過ぎても出て来る気配さえない。


(もしかしてどこかですれ違った……? もしくは想定が間違ってたのか……?)


そのとき、手の中でスマホが震えた。



YUI


“昨日、伝えようとして寝ちゃってた!”


“今日は朝からお仕事で、学校へは行きません”


“お弁当ごめんね。その分、明日は期待しててね!”




 どうやら武人の頑張りは無駄に終わったようだった。たぶん、羽入さんはいつもとは違う道で、既にでかけてしまったのだろう。

 どっと疲れが押し寄せ、脚は力を失い、その場に座り込んでしまう。

 

「はは、そうだよな……こんなの上手く行くはずないよな……」

「あ、あれ? 小津くん……?」


 顔を上げると目の前には、私服姿で、スマホを持った羽入さんの姿が。

疲れと暗澹たる気持ちが一気に吹き飛び、脚が力を取り戻す。

 武人は立ち上がった。


「お、おはよう! 羽入さん!! よかった、間に合って……」

「凄い汗だね。どうしたの?」

「どうしたって、走ってきたから!」

「走って!?」


「悪い! ずっと俺に合わせてくれていることに気がつかなくて!! 今日からは俺から迎えに行くから! 帰りはバスに乗る代わりに、学校の周りを回ろう! 時間は作るから! 俺、基本暇だから! もう羽入さんが気を使う必要はないから!! だって羽入さんにはもっと自分の時間を大切にしてもらいたいからっ!!」


 魂の叫び。そして訪れた沈黙。言ったあとで随分と気持ち悪いことをいっているような気がする。

しかし羽入さんは唯は口元を緩めた。少し目に涙が浮かんでいるのは、欠伸でもしたのか。


「ありがとう。でも、良いの?」

「も、もちろん! 今日はちょっと寝坊してダッシュしたけど、本当はもっと余裕だから! だから大丈夫だから!」

「そっか……じゃあ、明日からはお願い、しようかな……?」


 羽入さんは顔を少し赤く染め、消えそうな声でそう言った。

 めっちゃ可愛い――ついつい唯に見惚れてしまう。そして彼女が私服だということに、ようやく気づく。


「でもごめんね。今日は学校行かないんだ。お仕事だから……」

「わかってる。さっきメッセージみたから」

「だけどせっかく来てくれたから……」


 羽入さんは鞄から台本を取り出す。タイトルは今乗りの乗っている少年漫画雑誌の人気作品である。


「特別に教えてあげる。今日、これの収録なんだ」

「まじで!? それに出るの!? しかも二期!?」


 その作品が無茶苦茶好きな武人は、疲れなど忘れて元気な声を上げた。


「二期の制作は来週発表だから黙っててね。出られるって言ってもまた名前なしの端役なんだけど……」

「いやいや、すごいよ! 凄すぎるよ! おめでとう羽入さん!」

「ありがとう。でも大きなタイトルだから正直、自信ないの。だから……」


 羽入さんは台本を開いて口元だけを隠す。真っ赤な顔と、求めるような視線が武人へ向けられた。


「勇気出したいから、聞いてくれない? 私の台詞? 小津くんに聞いてもらえたら、頑張れる気がする……」

「い、良いの?」


 羽入さんは頭を振り続けた。ここまで走ってきて、本当に良かったと思う。


「じゃあ、その、よろしく」

「ありがとう! じゃあ……」

「唯、あなたはここで台本を広げて、なにをしているのかしら?」


 突然、鋭い声が聞こえ、武人は背筋を凍らせた。

 背後にはスーツ姿の怖そうな、年上の女の人が武人を睨んでいた。

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