第8話特別な関係



 いつもの時間に、いつもの混雑。たとえ一駅隣へ行く5分少々の道程であろとも、窮屈なのは苦痛だった。

 ならば一駅くらい歩いたり、自転車にすればいいかと思えばそうでもない。

 駅から英華大付属まで、バスではこれまた5分少々だが、歩きだと30分以上もかかってしまう。

 家から学校までの道程を1時間以上かけて移動する――ならば人の生み出した大変便利な移動手段を、多少の混雑に耐えたほうが色々と楽である。

 

 もはやそんな真理さえ、日常に溶け込み、すっかり意識しなくなった小津武人は、大勢の人の流れに沿って改札を出てゆく。

 いつもの時間に、いつも混雑。何もかもが変わらない、筈だった。

 

「おはよ、小津くん!」


 いつもの時間に、いつもの混雑の中、いつもじゃない声が武人へ向けられた。

 道行く人がたびたび振り返ってしまう少し変わった声の、亜麻色の髪が綺麗で、そして可愛らしい同級生。


「は、羽入さん!? なんでいるの!?」


 すぐさま駆け寄り、そう声をかけると、

 

「小津君、そういうのダメ!」

「えっ?」

「おはようにはおはようで返さないと! 挨拶はきちんとね? これ社会の常識!」


 注意ではあるが、かなりやんわり。怒られているはずなのに悪い気がしなかった。

 さすがは同級生でありながら社会の荒波にもまれている羽入さんである。


「あ、うん、ごめん……お、おはよう」

「うんうん、それでよし! 今度から気をつけようね?」

「おう……で、なんでここに?」

「そんなの小津君を待ってたに決まってんじゃん! この時間って貴重だと思ったんだ。クラスも違うし、行き帰りとお昼しか、小津くんに演技を見せられないからね」


 羽入さんはさらりと嬉しい言葉をかけてくれた。つい先日までは遠くから眺めたり、画面越しにしか声を聞けなかかった彼女が今目の前にいて、少し変わった声で親し気に話しかけてくれている。

 それがどれだけ嬉しく、そして貴重なことか。できることならこの距離感で、ずっと一緒に居られればどれだけ良いことか。

 しかしうかうかしていると遅刻してしまう。


「バス……」

「バス?」

「そ、そろそろ、バスの時間だから歩きながら話そうか?」

「うん! そだね!」


 武人と羽入さんは並んで歩きだした。距離感は、昨日の夕方から比べると随分遠いが、今の関係性を考えると致し方ない。

なんでたって、昨日の夕方は“特別”なシチュエーションだったのだから。緋色を演じてない羽入さんは、最近話すようになった同級生でしかない。

だけど学校では有名な美人で、更に武人が愛してやまないキャラクターの中の人である彼女と、こうして一緒に登校できるのは、それだけで正直嬉しかった。


「ねぇ、小津君」

「ん?」

「昨日の私の緋色……ど、どうだったかなぁって」


 正直、わからない。真近で聞いた緋色の声は、最高に良かったと思う。


(でも羽入さんは、演技に問題があるって言われて頼ってきてるんだよな……)


ならおいそれと最高だった、などとはいえない。でもどう言ったら良いのかもわからない。


「小津くん?」

「あーいや……なんていうか……」


 バス停に並びながらそんなやり取りをしていると、バスがやってきた。

 昨日の夕方如く、人の波がバスへ押し寄せる。昨日と同じく武人と羽入さんは成すがまま、成されるがままにバスの中へと押し込まれてゆく。

 

 しかしもう同じ轍は踏むまい。反省し、改善しなければ進歩は無い。

 

 武人は羽入さんと終始向かい合いながら、背中を壁にしつつ、流されてゆく。

 

「だ、大丈夫……?」

「昨日、気分を悪くしたんだ。こ、これぐらい!」


 武人は窓ガラスに突いた手を必死に踏ん張り、羽入さんの壁になりつつ、それでも驚かせない距離をキープし続けた。

 息苦しい。窓ガラスに突いた手がとっても痛い。だけど――羽入さんがこうしてまじかに居ることの方が、むしろドキドキだった。


すると羽入さんは笑顔を浮かべつつ


「ひ、緋色! そういう隊長、い、いいと思う!」


 緋色の演技というよりも、そういった羽入さんの気遣いにドキドキしてしまっているなど、恥ずかしすぎて言えようもない。

 

……

……

……



 怒涛のこごとくの登校が終了し、筒がなく授業は進行。

 そして四時間目の終了間際、スマホへ羽入さんから"屋上で待っているとのメッセージ"が入ってきた。

 人目を気にしつつ屋上へ向かうと、昨日と同じ、暖かい日向の下に彼女は居て、笑顔を浮かべながら手招きしていた。


「今日はからあげだよ? お口に合えばいいんだけど……」

「さ、サンキュー。すごく美味しそうだね」

「ありがと! 昨日の晩からお醤油と香辛料に漬け込んでるから美味しいよ!」

「おいしいって自分でいうこと?」

「だって自信あるもん! じゃあ緋色、始めるね……わぁ!かあらあげだぁ! これ緋色の?」


 と、作った本人は役をはじめ、さっきとは正反対のセリフを言って見せた。

 マイパンの翼 緋色は自分で料理をしない。隊長が作って食べさせている、という設定である。


「あ、ああ、まぁ……」

「うれしぃ! ふへ!」


 自分は作ってないのに、と複雑な心境の武人だったが、演技だから仕方がない。


(妙な感じはあるけど。だけど……)


……

……

……



「雲泥の差って、こういうこというんだねぇ」


 羽入さんは空いているバスの中を見て、快適そうな様子でそう言った。

帰りのバスの乗る時間を一本ずらして正解だった。


「隊長、緋色、今日作戦がんばったんだよぉ」


 余裕があるのか、羽入さんはいきなり緋色の演技を始めた。でも、あまり動揺しなくなっていた。少し慣れたのかもしれない。


「そうか。どんな戦果を?」

「いーっぱい!」


 中の人と、そのファン。高嶺の花と、モブ。羽入さんと武人は同級生ではあるのだけれど、見ている世界も、感じていることもきっと違う。

だけどそんな二人が、なんの縁か知り合って、今、一緒に時間を過ごしている。

 これはとても不思議な関係なのだけれども――、


「今日もありがと! また明日ね!」


 武人はまだ退勤ラッシュが始まる前の、少し空いた駅で、羽入さんの見送りを受けて改札を潜って行く。

名残惜しいが仕方がない。もう少し一緒に居たいと思うが、それは望みすぎ。

だって彼と彼女は、“そういう関係ではないのだから”

 

(やべ、明日日直だった)


そんなもやもやを家に帰ってからずっと抱えていた武人は、寝る間際になって大事なことを思い出す。

その日は目覚ましをいつもより早い設定に代えて床に就く。


……

……

……



 翌日、一本早い電車で駅へ着くと いつもとは違って少し閑散としていた。

そしてわが目を疑った。向こうから 羽入さんが歩いてくるのが見えたからだった。

 

「あっ! おはよう! 今日は早いんだね?」

「おはよ。日直だから。羽入さんは?」

「ま、まぁ、そんなとこかな? じゃあ、行こうか!」


 武人と羽入さんは並んで歩道橋を降り始める。

 付かず離れず。近くなく、だけど遠くもなく。不思議な距離感を武人は感じる。

 

 羽入さんとは最近出会ったばかり。でも、なんだか昔から知っているように錯覚するのは、彼女が親しみやすい性格をしているためか。

 この関係が長く続けば良いと思った。

 

 でもこの関係ってなんなのか、よくわからない。友達でも、幼馴染でもなんでもない。

それでも楽しいといえた。幸福な時間だった。


「ごめんね、今日ちょっと寝坊しちゃって冷凍食品詰めただけなの」


 まるで”恋人”のように登下校し、お昼を一緒に食べる日常。

 

「隊長、揚げ物ばっかり、緋色いやだぁー」

「あはは……」


 大好きなキャラクターを、彼女は彼のためだけに演じてくれている。もちろん、羽入さん自身の事情がある。でも、彼女は武人を選んでくれた。

 武人を必要としてくれた。

 それは”特別なこと”であり”特別な関係”と言えないか。そんな言葉が頭を掠める。

 

 すると、言葉にあやかって、”特別”が欲しくなってしまうのは嵯峨なのか。

 

 別にもっと距離を縮めたいとか、本当の恋人になりたいとか――それはまだ良くわからないけど、もう少し特別な何かが欲しい。

 彼と彼女との特別な関係をはっきりと感じられる特別な何かが欲しい。

 

 だからこそ――

 

「あのさ、羽入さん」

「ん?」

「緋色をやる時なんだけど、一つお願いしたいことがあるんだけど」

「なに?」

「その……えっと……緋色の時も、小津って……小津隊長って呼んでくれるかな?」


 帰りのバスの中、武人は勇気を出して頼んでみた。

 

 ゲーム内で個人名を呼ぶものなどほとんど存在しない。だからこそ、傍であの声で、せめて苗字でも呼ばれるのはきっと――

武人と唯の特別な関係を表すものになる筈。


「わかった。良いよ。たしかにその方がやりやすそうだもんね! じゃあ……小津隊長?」

「っ!!」


 耳元で聞こえた、自分を表す緋色の言葉。演じる唯からも、女の独特の良い匂いが香って、胸が自然と高鳴る。

 正直嬉し、恥ずかしい。

 

「恥ずかしいの? やっぱ止める?」

「いや……」

「んー?」


 なんとなく唯はからかうのが好きらしい。こういう時は、

 

「お願いします……」

 

素直になるのが一番だった。


 それを聞いて唯は笑顔を浮かべる。少し眩しく感じたのは気のせいか、否か。

  

  

友達でも、幼馴染でも、ましてや恋人でもない彼女。

だけど、この関係はそうしたわかりやすい言葉では表現できない“特別な関係”


 その言葉が最も適当だと武人は思うのだった。

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