第31話 未練と心配
転ぶほど疲れていたはずの足が、どうしてか、よく動く。さっき会った公園に戻ったが、色麻の姿は見えなかった。
勢いで飛び出したが、よく考えてみれば、今色麻が何処に居るのかを探すのは、とても難しい。何処に居るのか、検討もつかないのだ。
取り敢えず分かるのは、色麻が今財布を持っておらず、どこかに泊まっているという訳ではないということくらいだ。外のどこかで異世界へ行けるようになる日の出までやり過ごすつもりなのだろう。
「やっぱり、あそび山に行くしか無いか」
なら、色麻に会う最も確実な方法は、あそび山で待ち伏せをすることだ。もしかしたら既に彼女は、いつかの夜のようにあそび山に無断で侵入して、日の出を待ち受けているかもしれない。
早速あそび山に向かおうと、歩き出す。その足を、スマートフォンのバイブレーションが止めた。画面を見ると、家から電話がかかってきている。画面には履歴が表示されており、見たところ、何度も何度も電話がかかってきているようだった。マナーモードで鞄に入れていたし、そもそも今日は携帯を意識的に見ないようにしていたから、全然気が付かなかった。
しかし、妙な話だ。学校には休みの連絡を入れたし、友達の家に泊まるという嘘をついてある。それなら、こんなに何度も焦って俺に連絡することは無いんじゃないだろうか。
もしかしたら、何かあったのだろうか。
しばらく考えて、俺は歩きながら電話を繋ぐことにした。受信ボタンをタップして、スマートフォンを耳に当てる。
『陸か?』
電話をかけてきたのは、父さんだった。
「あー、うん……」
父さんの声色が明らかに怒っている時のそれだったので、俺は電話を繋げたことを酷く後悔した。
『お前の友達から家の方に、昼頃に連絡があった。学校に来ていないが、何かあったのかってな。それで母さんが学校の方に連絡したら、体調不良で休みだと言うじゃないか』
父さんは俺に電話を掛けるに至った経緯を説明する。恐らく、俺と色麻が電車に乗ったという噂の真偽を確かめるために、東也が俺の家に連絡をしたのだろう。そのせいで、俺の嘘が露呈してしまったのだ。
『陸! 聞いてるのか! 何やってんだお前!』
頭を抱えて黙っていると、突然怒号が飛んできて、俺は思わずスマートフォンを耳から離す。
「うるっさぁ……」
思わず声を漏らすと、それが聞こえていたようで、父さんは更に声を荒らげる。
『うるさいとは何だ! 学校をサボって深夜まで遊び歩くなんて、何考えてる!』
怒鳴り声を聞くだけで、父さんが怒った時の、あの何とも言えない張り詰めた空気が伝わってくる。
ただ、俺はその父さんの話に、酷く苛立った。
「遊んでなんかねーよ! 何も知らないくせに、決めつけてんじゃねぇよ!」
『じゃあちゃんと説明してから行けば良いだろう! 後ろめたいことがあったから誰にも相談せずサボったんじゃないのか?』
「違う!」
違うと言いながら、俺は父さんの指摘に、いまいち反論出来ずにいた。父さんや母さんの居るこの世界を捨てて、異世界へ行こうとしていたことを、俺が後ろめたく思っていたのは事実だ。
俺が言葉に詰まっていることを感じ取るやいなや、父さんは声のトーンを変えた。
『良いから、とにかく帰ってこい。言い訳があるなら、その後で聞いてやる』
「言い訳って何だよ。まるで初めから俺が悪いみたいな言い方しやがって」
俺が唇を噛むと、父さんは長めに息を吐いて、それから少し黙った。
息を吸う音。
『どれだけ色んな人に心配かけたと思ってんだ! この馬鹿息子!』
「あ……」
『まず、母さんが心配してた! 聞いた話じゃ、電話をかけてくれた友達も、担任の先生も不安がってたらしいぞ! そりゃ、急に居なくなったら心配の一つや二つするに決まってるだろうが! 仕事中に息子が学校サボってどこか行きましたって教えられる身にもなってみろ!』
その瞬間、俺の脳裏には、東也と加美ちゃんの姿が浮かんだ。それから、自分と関わった、色々な人の顔が浮かんだ。そして一瞬、自分が仮に異世界に行き、行方不明になったら、彼らはどうなるだろうという想像をした。
それは実際に異世界に行こうとワクワクしている時よりか、ずっとリアルな想像だった。俺の居ない教室。俺の居ない家。俺の居ない街。俺が異世界で元気だろうと、楽しくやっていようと、誰も分からない。誰も知らない……。
「ごめん」
その言葉は、本当に自然に、胸の奥からするりと出たものだった。
俺は今になって、ようやく、自分が何をしようとしていたのかを、本当の意味で理解したのだ。
『……謝るんなら、早く帰ってこい』
俺が素直に謝ったせいか、父さんは少しだけ落ち着いた声音で帰宅を促す。
「本当に反省してる。でも、だからこそ、今帰るわけにはいかない」
『何言ってんだお前は』
また父さんの声が、段々と低くなっていく。でも、俺は、今、行かなくちゃ。
「俺と同じくらい、人に心配をかけてる奴が居るんだ。だから、今からそいつを、追いかけに行かなきゃいけない。朝には絶対帰るから、心配しなくても大丈夫」
『おい、陸っ』
俺は言うだけ言って、父さんの返答を聞かずに電話を切った。
きっと帰ったら、また怒られるだろう。
でも、怒られて当然のことを、俺と色麻はやっていたのだ。
色麻を、連れ戻す。
俺はあそび山に向かいながら、そのことだけを考え続けていた。何もかも諦めて、逃げた先にある世界で、本当に幸せになれる訳がない。異世界がどんなに楽しくても、きっと心の何処かで、この世界での未練が痛みとなって、常に襲いかかってくるはずだ。
これは、都合の良い考え方なのかもしれなかった。
未練ノートなんてもう本人はどうでも良くて、さっき公園で話したことだけが事実という場合だってありえる。異世界があまりにも幸福で、この世界のことなんて直ぐ忘れちまうなんてこともあるだろう。
だから、俺が今歩くのは、俺のためなのだ。
色麻が消えたら、俺は心配するだろう。寂しくなるだろう。辛くなるだろう。後悔するだろう。未練が残るだろう。
そうならないために、俺は行くのだ。
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