第28話 友達と友達

「色麻!」


 俺は、彼女の名前を呼んだ。その声で、東也と加美ちゃんも色麻の方を向く。

 三人と、一人が向い合う。


 俺は、色麻と自分の間にあまりにも重大な亀裂が走ったように感じられた。

 母親に拒絶された色麻と、親友に受け入れられた俺。

 三人で抱きしめ合う姿を見た時の色麻の心中は、一体どのようなものだったろうか。考えただけで、胸が益々強く締め付けられる。


「……さよなら」


 色麻は俺から目を逸らし、駅の方へ走り出した。

 東也と加美ちゃんがこちらに視線を向ける。彼らは俺達の事情を全く知らないから、色麻の行動も、俺の動揺も、理解できないだろう。俺はなんと言ったら良いのか分からず、とにかく叫んだ。


「色麻! 待ってくれ! 色麻!」


 やや遅れて追いかけたが、色麻の姿は既にない。切符を買ってホームへ向かうと、丁度電車は出発しているところだった。


「あれって、色麻さんだよな……?」


 俺を追いかけてきた東也が、後ろから声をかけてくる。俺は遠ざかっていく電車を見ながら頷いた。

 それからやや遅れて、加美ちゃんも駅のホームへやってくる。


「もう、今日だけで一生分走ったよ……」


 すっかり疲弊した加美ちゃんは、ベンチ座り、自分の手で顔を扇いでいる。


「ごめん」


 こんなことになったのも、俺が心配をかけたからだ。そう思って謝ると、加美ちゃんは首を横にふる。


「いーの。私たちがやりたくてやったことなんだから」


 加美ちゃんの言葉に同意するように、東也が繰り返し頷く。


「それで、どうして色麻さんがここに?」


 東也は加美ちゃんの隣に座り、俺にも座るよう仕草で促してきた。しかし、俺はどうにも気が休まらず、足が酷く疲れているのに、座る気になれない。

 それに、俺と色麻の事情を何から説明すれば良いのか分からなかった。


「アイツの個人情報に関わるから、あんまり深くは言えないんだけど。とにかく、俺が誘ったんだ。でも、色麻を酷く傷つけた。だから、追いかけないと。何をすれば許してもらえるのか分からないけど、というか、許されることなのかも分からないけど。でも、とにかく謝りたいんだ」


 とにかく、頭の中の思考を口にする。あの光景を見て、色麻はきっと、俺に裏切られたと感じただろう。一緒に異世界に行こうと言った癖に、一人だけこの世界で幸せになろうとしていると、そう感じたんじゃないだろうか。


 俺は、二人と仲直りすることで、自分が捨てようとしているものの重みが、ようやく分かり始めた。


 そうすると、どうしても思ってしまうのだ。

 色麻はこのまま異世界に旅立って、本当に良いのだろうか、と。


「じゃあ、ちゃんと、お話しなきゃね」


 加美ちゃんはベンチから立ち上がり、駅にある時刻表を見る。


「あと三十分くらいで次の電車が来るみたい」


「……焦っても仕方ないか」


 俺は無理にでも気を落ち着けようと、ベンチに座る。


「陸は、色麻さんの家とかは分からないのか? どうしても会いたいなら、絶対に居る場所を訪ねるのもありだと思うけど」


 東也は口元に手を当てて考え込む。何だかその姿が頼もしくて、自分の肩の力が抜けるのが分かった。


「色麻の家は一応知ってるけど、ただな……」


 色麻は絶対に、家に帰るようなことはしないだろう。きっと当初の予定通り、どこかで夜を過ごして、それから、夜明けと共に異世界へ旅立つつもりでいるはずだ。


「というか、よく考えれば明日学校に行けば会えるのか」


 東也がポンと手を打つ。


「そうだね。今日は遅いし、きっと親も心配してるから、帰ったほうが良いよ」


 加美ちゃんもそれに同意して、手に持った切符をじっと眺めている。確かに、常識から考えれば、二人の意見は最も現実的だ。


 ただ、色麻は現実と非現実の境界に居る。

 明日には、色麻は別の世界へ行ってしまっている。間違いなく、このままでは色麻は明日学校には来ないのだ。


「いや、俺はすぐ色麻の家に行くよ。もしかしたら学校を休むかもしれないし」


「なぁ、陸。お前はどうして色麻にそこまでするんだ?」


 東也が不安げな視線を俺に向けてくる。

 必死に追いかけて、遅い時間になっても色麻を探す俺の姿は、きっと二人には妙に映っていることだろう。


「……俺が、色麻に救われたから。辛いとき、共感してくれて、一緒に馬鹿なことをしたから。その恩を、返すんだ」


 俺は居ても立っても居られず、再び立ち上がる。


「アイツは、その……友達だから。もしかしたら迷惑かもしれないけど、出来る限り、助けたい」


 口に出してみて、すっと納得できた。


 俺は、色麻と友達だった。あっちがどう思っているかは分からないけど。恩とか傷つけたとか、それだけじゃないんだ。

 色麻が大切な友達だから。そして、その友達が、傷ついたまま遠くまで行こうとしているから。


「……そうか」


 東也は一言それだけ言うと、柔らかく微笑む。


「なんかあったら言えよ。手伝うから」


「うん、私も!」


 二人が、俺に笑いかける。


「ありがとう」


 仲直りできて、良かった。

 俺は心からそう思い、ホームから見える夜空を見上げた。






 それからしばらくして、電車はようやく駅に着いた。


 俺達三人は言葉少なに、それでも、寄り添うようにして電車に乗った。俺も、二人も、今日はかなり歩き回ったせいで疲れていたのだ。


 途中、何度か浅い眠りについたりしながら、俺達は狭間市に帰ってきた。深夜の街は、酒に酔った仕事帰りのサラリーマンの一団以外、人が見当たらない。多くの店が既にシャッターを閉めており、いつもよりずっと暗かった。


「お父さんになんて言おう……」


 加美ちゃんが腕時計を見て、困ったように薄く笑う。


「学校サボった馬鹿を連れ戻してたら遅くなった……じゃ、駄目?」


 こういう時は、なるべく正直に話した方が良いだろう。そう思って俺は提案したのだが、加美ちゃんは首を横に振る。


「大切な友達のために頑張ってました、って言おうかな」


「じゃあ、俺もそれで」


 加美ちゃんと東也が、いたずらっぽく笑う。

 ……なんつーか、お似合いのカップル過ぎて複雑だ。


「俺はまぁ、もう少し頑張るよ」


 俺は手を組み、思い切り背伸びをした。電車に長く座ったせいで、身体が固まっているような感覚があったのだ。それとは別に、緊張によっても身体が固まっていたから、それを解そうという意図もあった。


 とにかく、あそび山の周辺に行けば、間違いないはずだ。色麻が夜明けまでにあそこに来ることは確定している。


「それじゃあ」


 手を軽く振って、俺は色麻家の方へ歩き出す。


「あのさ」


 俺の足を、東也の声が止める。

 振り返ると、東也は何やら口をもごもごさせている。


「?」


 俺はちらと加美ちゃんの方を見る。加美ちゃんは特に何も知らないようで、東也へ不思議そうな視線を向けていた。


「……学校で、また」


 東也は俺に目を合わせず、やや力の入った声色でそう言った。

 俺がきょとんとしていると、東也は言葉を続ける。


「もし良かったら……良かったらで良いんだぞ? また、サッカーやりに来いよ」


 言ってる途中から、尻すぼみに段々声が小さくなっていく。

 仲直りの時にあれだけ恥ずかしい台詞を言っておきながら、何を緊張しているのだろうか、東也は。


 ……いや、それだけ、東也にとってはショックだったのだ。俺がサッカー部を突然辞めたことは。


「ああ。今度行くよ。絶対行く。それで……サッカー部の皆にも、謝らないと」


「……なら、良かった」


 東也はぎゅっときつく目を閉じ、深呼吸をして、それから言葉を吐いた。


「頑張れ!」


「頑張ってね!」


 俺は二人の言葉に、深く頷き、それから走り出す。

 夜空の下、街頭に照らされる道。


 東也と加美ちゃんの二人と一緒に歩いた帰り道が、脳内にフラッシュバックする。それに連なるようにして、色麻と一緒にあそび山へ行った夜も、鮮明に浮かび上がった。


 よく分からない衝動に突き動かされて、俺は走り続ける。

 俺を探して、一日中駆け回ってくれた、東也と加美ちゃん。すっかり見慣れている、懐かしい街並み。いつ見ても変わらない夜空。


 これらは全て、俺が捨てて逃げようとしたものだ。

 そのことを、思い知らされたような気がした。


 俺はこれらを捨てた先にある幸せな世界で、何も気にせず楽しく生きていけるのだろうか。全てを忘れてやっていけるだろうか。


 異世界に行くっていうのは、そういうことなんだ。

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