第23話 出発と電車
次の日の朝。
俺は早めに起きて、普段学校に持っていっているリュックに昨日買った本を全て入れた。他にリュックに入れたのは、母さんが書いてくれたメモと、小さなアルバム。それに、着替え用の本。
全部、異世界に持っていきたい物だ。
俺は一人、自分の部屋を改めて見回してみた。これからこの家を出て、俺はもう、二度と帰ることがない。そう思うと、見慣れた部屋さえも、何か特別な感じがする。
荷物の支度が終わり、俺は階段を降りた。
うちの朝は、いつも慌ただしい。父さんは普通に毎日働いているし、母さんも午前中だけパートをしているからだ。それぞれが適当にトーストを作ったり、ご飯に納豆をかけたりして朝食を済ませるのが決まりになっている。
「母さん」
「んー?」
俺が声を懸けると、母さんは眠そうな顔でこちらを向く。
「今日俺、友達の家に泊まりに行くから、帰らないと思う」
俺が嘘をつくと、母さんは「え」と短く声を上げた。
「昨日の内に言いなさいよ、そういうことは。どこのお家?」
「えっと……高校の友達だから、名前言っても母さんは知らないと思う」
「そうなの? 迷惑かけないようにしなさいよね」
そう言いながら、母さんは自分のトーストにマーマレードを塗る。その隣では、父さんがテレビでニュースを見ながら、コーヒーを飲んでいる。
何だかその光景は、あまりにいつも通りで。
もうこの光景を見ることは無いのだと思うと、胸が痛んだ。
明日、俺が異世界へ旅立った世界で、二人はどうしているのだろうと考えてみる。悲しんでいるだろうか、驚いているだろうか。それとも、実は心のどこかで、安心したりするのだろうか。
色麻の存在はもしかしたら、啓吾さんの創作活動の邪魔になっていたのかもしれない。それと同じように、俺も……。
親になったことが無いから、二人の気持ちは分からないけど。でも、自分だったら、育てた息子が何もかも上手く行かずに、一人ぼっちだったら耐えられない気がする。
そんなことを考えながら、俺は朝の用意を全て終わらせた。
後はもう、家を出るだけだ。
「……行ってきます」
そう行って家の扉を開くと、後ろから「いってらっしゃい」と母さんの声がする。
俺は振り向かずに、駅の方へ歩き出した。
「げほっ、げほっ。すいません。体調不良で……。はい。今日は休みます」
公衆トイレの個室で、俺は学校へ休みの連絡を入れていた。それから、通話を切り、携帯電話をマナーモードにする。これで、親の方に学校をサボっていることがバレることはないはずだ。
俺はトイレから出て、切符売り場の方へと向かう。
「亘理くん」
すると、改札の前で待っていた色麻に声を掛けられる。
「色麻、おはよう」
「おはよう」
にこやかに挨拶を返してくる色麻は、やけに気合の入った白いワンピースを着ていた。髪もきちんと整えられており、普段は付けていない綺麗なカチューシャが女の子らしい印象だ。
遠目から見ると、まるで映画の中から令嬢を連れてきたような感じがした。
多分、母親に会う勇気を出すための、晴れ姿なのだろう。
俺はというと、一旦制服で家を出てから、駅のトイレで普通の服に着替えるという手法をとった。荷物がこれ以上重くなるのを嫌ったせいで、とんでもなくラフな格好である。
「どうかしたの?」
俺の表情に何か不思議なところがあったのだろう。色麻が顔をじっと見てくる。
「いや、俺と色麻の服装がアンバランス過ぎて困惑してた。あんまり目立っちゃ不味いんだけどな……」
無地のシャツと、色褪せたジーンズ。コンビニにでも行くような格好だ。まぁ、今から家に服を取りに行くことなど出来ないから、仕方ないのだが。
「私が勝手に気合を入れてきただけだから」
色麻はワンピースの襟をちょっと摘んで、引っ張った。どうやら、あまり着慣れない服らしい。
「初デートでやり過ぎちゃった女の子ってことで、誤魔化せない?」
色麻が真面目な顔でそんなことを言う。
「……まぁ、そう見えないこともないか」
俺とデートしていると見られることについて、色麻は何も思わないのだろうか。まぁ、母親のことで頭が一杯なのだろう。
そんな風に思って、切符売り場へ歩き出す。
すると、隣の色麻がハッとした表情をする。
「あ、あくまで設定よ。設定だからね」
頬をちょっと赤らめて色麻が慌て出すので、俺はちょっとからかいたくなった。
「とは言っても、普通男女が二人切りで出掛けたらデートって言うよな普通」
「母親に会いに行くデートって何?」
「俺は色麻のご両親に挨拶を済ませたことになってしまうな」
「語弊しかない表現は止めて……お願いだから」
そんな事を言いつつ、俺達はホームへ向かった。田舎の方へ行く路線だから、人は少ない。
暫く待つと、ゆっくりと電車がやって来た。二人がけの席に一人ずつ座って、俺と色麻は向かい合う。他にお婆さんが数人乗って、後はおしまい。電車は直ぐに出発した。
「お母さんは、阿智市に居るのよね」
色麻が、俺の持ってきたメモを見つつ再確認する。
「俺の母親が言ったことが正しければ、そのはず」
阿智市というのは、羽佐間市の隣にある、海に面した地域だ。羽佐間市の人にとっては、海水浴に行く場所、といった印象だろうか。羽佐間市も決して都会ではないが、阿智市はより田舎である。
「阿智市……」
目的地の名前を呟いて、色麻は待ちきれない様子で窓の外を眺めた。何もかもが過ぎ去っていき、俺と色麻は全く知らない場所へ行く。
良い予行練習だ、と思った。
明日の夜明けも、今日みたいに晴れていると良いけど。
俺達は阿智市で色麻の母親と会った後、羽佐間市の方に戻ってそのまま夜明けを待つ予定だ。そのために、リュックに必要なものを全て詰め込んできた。覚悟を決めて、家を出てきた。
色麻も俺と同じく、大きめの手提げ鞄を持っている。そんな彼女の姿を見ると、本当に異世界へ旅立つ時がすぐそこまで来ているのだと、改めて感じる。
とはいえ、今から緊張していても仕方がない。
そんなことを思いながら、俺は目を閉じる。思えば、昨日は遠足の前の子供のようにそわそわして満足に眠れていなかった。
阿智市に着くまでは、かなりある。少しくらい眠ってもいいだろう。
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