第22話 カフェと打ち明け話
会計を終え、俺達は書店を出て少し歩いた。
「他に用意するものとかは、大丈夫?」
色麻がそう聞いてくるので、俺は反射的に「大丈夫」と答えそうになったが、何とか口に出すのを止める。
そうである。
俺はこれから、色麻に話さなければならないことがあるのだ。もしかしたら長い話になるかもしれないから、出来れば落ち着いて話せるような場所があると良いのだが。
「良かったら、ちょっと休憩しないか? どっかのファミレスとかで……」
「別に良いけど……」
俺の態度が歯切れの悪いものだったせいか、色麻は少し不思議そうな視線をこちらに向けてくる。
「それだったら、書店のカフェに入っても良かったのに」
言いながら色麻は辺りを見回す。何か店を探しているのだろう。すると色麻の目が、どこかで止まった。
「何か店があったか?」
「ええ。実は、ずっと気になってるカフェがあってね。ただ、一人で入るのは敷居が高そうだったから、諦めてたの」
「それじゃあ、そこに行くか」
俺は特に何も考えずにそう答えた。そして、色麻が見ている方向を向き、そのカフェに行こうと……。
「どうかしたの?」
硬直した俺の顔を覗き込み、色麻は怪訝そうな表情を浮かべる。
「いや、何でも無い……」
そのカフェは、俺が東也に教えてもらい、加美ちゃんと一緒に行ったあのお洒落なカフェだった。
絶対に加美ちゃんともう一度来ようと思っていたカフェに、まさか色麻と一緒に行くことになろうとは。
とはいえ、落ち着いて座れる場所の方が、話も切り出しやすいだろう。
ということで、俺はお洒落なカフェに再度入店した。
驚くべきことに、案内された席すら、前に加美ちゃんと来た時と同じだった。ここまで来ると何か作為的なものを感じて、いっそ面白くなってくる。
色麻は落ち着かない様子で、そわそわもじもじとしている。俺もやっぱりこういうカフェには慣れていなかったが、一度来たことあった分、余裕があった。
「何だかメニューに見たこと無い名前が並びすぎて、混乱してきたわ」
色麻がメニューを開いて苦笑する。
「俺は苦いのが苦手だから、何か甘いのを頼むかな」
「へぇ。苦いの、駄目なのね」
「小さい頃父親にブラックコーヒーを飲まされて、それがトラウマになった」
小さい頃においしくないと思ったものっていうのは、克服するのが難しいものだ。海外ではコーヒーをブラックで飲むのは一般的じゃないっていうし、よくあんな苦いものを飲めるもんだといつも思う。
「私も、似たような経験があるわ。お父さんが徹夜で小説を書くために淹れた信じられないくらい濃いコーヒーを飲んで……しばらくはコーヒー味のものすら駄目だったわ。まぁ、私の場合は自分でせがんだんだけどね」
「じゃあ色麻もコーヒーは苦手なのか」
「ううん。今はもう大丈夫。寧ろ、結構好きかもしれないわ」
そんな話をしていると、店員がこちらへやって来た。
「ご注文はお決まりですか?」
「あ、はい……」
結局、俺は相当甘そうなカフェオレを注文した。色麻はというと、シンプルなコーヒーを飲むらしい。もしかしたら、他のメニューの意味が彼女にはよく分からなかったのかもしれない。まぁ、俺もよく分からない商品がちらほらあるが。
「……」
「……」
飲み物を待つ間、俺達の間にはしばらくの沈黙が訪れた。
理由は明白。俺がいつ話を切り出そうかと緊張して、黙り込んでいるせいだ。
いい加減、色麻の母親について話さなければ。
俺はカフェの内装を眺めながら、そのことばかり考えていた。
いざ話すとなると、俺は緊張してしまった。
考えてみれば、色麻が異世界に行きたがっている要因として、異世界に行ったかもしれない母親の存在はかなり大きなものだろう。
もし色麻が、この世界で母親に出会ってしまったら。彼女はそれでも、異世界に行きたいと思うのだろうか。
「あの小物、可愛いわね」
色麻が独り言か話しかけているのか判別がつかないくらいの大きさの声で呟く。その声で、俺の思考は中断された。
そういえば、加美ちゃんもそんなこと言ってたっけ。
このカフェに居ると、否が応でも加美ちゃんのことを思い出してしまう。彼女の笑う顔、抹茶ラテを飲む姿……。
「言ってなかったけど、俺、加美ちゃんに告白したんだ」
気付くと、俺はそんなことを口走っていた。
色麻は目を丸くして、何度か瞬きをする。
「……そう」
その時俺は、どんな表情をしていたのだろうか。色麻は俺の顔を見て、目を伏せてしまった。
「勿論断られた。でも、俺は告白したことを後悔はしてないんだ。きっと、異世界に行くって決めてなかったら、言えなかったと思う。全部を捨てるって思わなきゃ、俺はこの気持ちに区切りをつけられなかった」
俺は正面から色麻の目を見た。
「だから、色麻には感謝してる。本当に、ありがとう」
俺は心からの感謝を色麻に述べた。しかし当の色麻は、きょとんとした顔をしている。
「感謝されるようなことは、何もしてないと思うけど……」
「いや。色々と話を聞いてくれて、俺は本当に助かったんだ。正直、最初はなんだコイツって思ったけど、異世界行きを誘ってくれたのも今は感謝してるよ」
数日しか経っていないのに、図書室で色麻と会った時のことが随分昔のことのように思われる。
「なら、良かった」
色麻は口元に手を当てて、柔らかく笑った。
「コーヒーのお客様」
すると、タイミングを見計らっていたかのように、店員が飲み物を届けに来る。
「は、はい」
色麻が小さく手を上げると、店員さんはテーブルにコーヒーを置く。それから、何も言わずに俺の方にカフェオレを置いてくれた。
色麻は早速コーヒーを一口、「おいしい」と漏らす。
「異世界に行く前に、この店に来れて良かった。気になってたけど、ずっと勇気が出なかったから……」
本当に嬉しそうな様子で、色麻はコーヒーカップを見つめる。
「確かに、ハードル高いよな」
「そうね。何だか緊張しちゃって……良い店だけど、通うのはちょっと無理かも」
色麻は窓から外を眺める。日が沈みつつある街は、薄紫色に染め上げられているようだった。
「ちょっとした未練だったけど、解消できて、すっきりしたわ。これで、より心置きなく異世界に行けるわね」
色麻がそう言って笑うので、俺も口角が上がってしまった。
母親のことを知ってしまったら異世界行きを止めるんじゃないか、なんて、余計な心配だったのかもしれない。
「なぁ、色麻。突然で悪いんだが、ちょっと質問していいか?」
俺は意を決して、カフェオレをテーブルに置く。
「どうかしたの?」
「その……もし、母親に会う方法があるなら、どうする?」
すると、色麻は返事をせず、黙ってしまった。
突然こんなことを聞かれても、困らせてしまうだけだろう。そう思ったのだが、色麻は真っ直ぐな瞳でこちらを見てきた。
「会う」
それは、力強い声だった。
色麻が小さな手を握りしめて、はっきりと答える。
「絶対に、会う」
繰り返して、強調して。
色麻は母親への思いを、改めて口に出した。
そうだ、単純な話だった。会いたければ、会う。別に、それで良いじゃないか。たった一人の母親なんだ。仮に両親の間に何かがあったんだとしても、それは色麻が会えない理由にはならない。
「色麻」
「……どうしたの? 急にそんな質問して」
「明日、学校をサボろう。駅で午前八時半に待ち合わせな」
「へ?」
「お前の母親に、会いに行くんだ」
話しながら、自分の身体に力が入っているのが分かる。
俺はまるで知らない世界へ一歩踏み出すように、緊張していて、頭が熱くなっていた。
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