第21話 書店と小説家

 次の日。


 俺が教室に入ると、それまで雑談をしていたクラスメイト達が、すっと静かになる。まるで腫れ物に触るような雰囲気だ。


 クラスでよく話す奴らさえも、ただ俺の様子を観察するばかりで、声を掛けてこようとはしなかった。


「……はっ」


 俺はその光景を、鼻で笑ってしまった。


 やっぱり俺は、所詮、その程度の存在だったのだ。

 クラスメイトを責めることは出来ない。人気者の東也とあれだけ派手に喧嘩したやつに、どんな対応をすれば良いかなんて、俺も分からなかった。


 俺は自分の席に座り、ふと窓際を見る。


 そこには、友達と一緒に居る加美ちゃんが居た。普段なら絶対に俺へ挨拶をしてくる加美ちゃんも、今回ばかりは俺に話しかけてこない。まぁ、昨日あんな告白をされてもなお話しかけてくるようだったら、そっちの方が驚きだが。


 何だか全部どうでもいいような気がして、俺は授業の殆どを寝て過ごした。






 それから、放課後。


 俺が色麻との待ち合わせ場所である図書室へ向かう途中に、廊下の窓からサッカー部の練習が見えた。


 一瞬目を逸らしたが、どうしても気になってしまって、俺はその練習風景を少しの間観察する。何だか皆の動きが悪い。特に東也は、全く練習に身が入っていない様子だった。


 いや、多分、これは俺がそうあってほしいから、部員のアラ探しをしているだけなのだろう。自分が居ないことで、何かが変わっていると思い込みたいから……。


 すると、ドリブルの練習をしていた東也が、思い切りすっ転んだのが見えた。手をつくことすらなく、グラウンドの硬い土に顔面から突っ込んだ形だ。

 立ち上がった東也は、鼻血が出てしまったようで、手で顔を押さえている。あまりにも東也らしくないミスに、俺は自分の心臓が跳ねるのを感じた。


「亘理くん?」


 背後から声を掛けられ、俺はビクリとする。

 振り返ると、そこには色麻が居た。


「お、おぉ、色麻。ごめんな。ちょっと遅れちゃって……」


「それは良いけど、どうかしたの?」


 色麻は黄金色の瞳で俺を真っ直ぐ見る。


 未練がましくサッカー部の様子を見ていたことに、俺は小さな罪の意識を感じた。


「まぁ、ちょっとぼんやりしてて……」


 俺は、ちゃんとした言い訳にすらなっていない言葉を口にする。色麻はそんな俺の様子を不思議そうに見ながらも「そう?」とだけ言った。


「それで、今日の放課後に何をするかは決まってる?」


「あぁ……」


 色麻の言葉で、俺は昨日のことを改めて思い出した。


 色麻の母親が、この世界にいるかもしれないという話。今日、俺は、色麻にその話をしなければならないのだ。


 ただ、すぐにこんな重大な話をするのも、違うような気がした。それに、それとは別に、俺は今日やりたいことを考えていたのだ。


「その前に一つ良いか?」


「何?」


「かなり重大なことなのに聞くのを忘れていたんだが……異世界には、この世界の

物を持っていくことは出来るのか?」


「ええ。そんなに大きなものでなければ、大丈夫なはずよ」


 言いながら、色麻は背負っているリュックにちらと視線を向ける。


「その点、私は常に異世界に持っていきたい物をいつでも携帯してて、万全なんだから」


「へぇ、何を持ってるんだ?」


「料理のレシピと、未練ノートと、サバイバル用品と……」


「それを常に背負って学校に来てんのか……」


 俺が呆れ半分尊敬半分で言うと、色麻はふふんと口角を上げる。


「異世界転移って、あるでしょう? いつ異世界に飛ばされるとも分からないから、備えは大切よ」


「まぁ、備えが大事なのは同意する。……ってことで、俺が今日やりたいのは、異世界に持っていくものを用意するってことなんだ」


「確かに、異世界に行ってから『あれを持ってくればよかった』と思うのも、未練になりかねないわよね」


 色麻は口元に手を当てて、うんうんと頷く。


「それで、持ってくものを色々考えたんだけどさ。食べ物とかの消費するものは持っていってもしょうがないだろうし、高価なものが異世界でも高価だとは限らない。学術書とかも、魔法がある世界なら物理法則とかも違うかもしれないから、役立つかは怪しい」


「良い考察ね。それで、何を用意するの?」


「小説を買おうと思う」


「小説?」


 色麻は俺の出した結論に首を傾げる。


「異世界が、古書の通りに幸せな世界だったら、生活の心配は要らないだろ? だったら俺は、自分が好きな物語を、いつでも読み返せるようにしておきたいんだ」


 小さい頃から読んでいた、大好きな物語。それがもう二度と読めないとなったら、俺にとってそれは、大きな未練になるような気がしたのだ。


「ただ、俺が小さい頃読んだ本って、大抵が図書室で借りたもんだったから。書店に行って買ってしまおうかなって」


「うん。それはすっごく素敵だと思うわ」


 同じ読書好きとして思うところがあったのか、色麻は目をキラキラさせて俺に同意してくれた。


「まぁ、そういうことで、今日は書店に行きたいと思う」


「ええ。早速行きましょう」

 





 そして俺と色麻は、駅前の方にある大きめの書店に行った。色とりどりの背表紙がずらっと並ぶ光景。漂う新書の香り。いつ見てもわくわくする光景だ。


 俺が小説のコーナーに行くと、色麻もそれに続いた。


「……私も、何か買おうかしら」


 目当ての小説を探す俺の隣で、色麻が呟く。

 考えてみれば、書店に行くのに色麻と一緒に行動する必要は無かった。目当ての定まっている買い物なんて、絶対に一人の方が効率的だろう。


 というのに、自然と俺達は、二人で書店に来てしまった。


「あぁ、良いんじゃないか? 色麻も、好きな本を持っていこうぜ」


 俺は言いながら、自分の口角が上がっているのを感じた。


 色麻は俺の言葉に頷いて、自分の小説を探し始める。


 俺は色麻から視線を外して、小さい頃に読んだ小説を手にとった。世界的に有名な、冒険小説。少年が異世界へ行って、知恵と勇気で人々を救う物語だ。

 他にも一生読みたい作品を幾つか見繕って、買い物かごに入れる。絶対に買うと決めていたものが幾つかあったので、決めるのは早かった。


 大体選び終わったので、色麻がどこに居るのか探してみる。

 すると、色麻はいつの間にかライトノベルのコーナーに居た。


「色麻」


「!?」


 俺が声を懸けると、色麻は肩をビクリとさせる。


「……どうした?」


「きゅ、急に声を掛けられたら、びっくりしたのよ」


 色麻は慌てた様子で手にとっていた本を置く。


 もしかして、ライトノベルを見ていたことが恥ずかしいとでも思ったのだろうか。俺は物語なら結構何でも読むし、アニメだって見る。別にライトノベルに偏見なんて無いのだ。


「ライトノベルかぁ。これとか面白いよなぁ。文庫だから持ちやすいし、何冊か買うのもアリか……?」


 俺は大好きなバトルものの一冊を手にとって、俺もこういうものに馴染みがあると遠回しに伝える。


「……私も、その、懐かしくて、つい。ついね」


 しかし色麻はそれでもなお、しどろもどろになっていた。


 そんなに気にすること無いのになぁと思いながら、色麻が売り場に戻した本をちらと見てみる。それは、数年前にアニメ化したライトノベルだった。


 ……俺の記憶が正しければ、なんかエッチなやつだったような。もしかして色麻が動揺してたのって、そういうことか?


「ストーリーがね。凄く好きなのよ。ストーリーが」


 まぁ、ライトノベルに関してはちょっとエッチな展開がありながらも大真面目に感動させてくる作品というのは往々にしてあるから、一概には言えないが……。

 この色麻の焦りようを見ると、俺の中では色麻むっつり疑惑が出てくる。


「……なに、その視線」


 色麻が半目でこちらを睨んでくる。なんだかこれ以上追求するのは避けたほうが良さそうなので、俺は話を逸らすことにした。


「そういえば、啓吾さんの本も並んでたな。あっちの方に平積みになっててさ」


「最近、新作が出版されたみたいだから、それかしら」


 色麻は大した感慨も無さそうに言い放つ。まぁ、小さい頃から父親が小説家だと、本屋で著作を見かけるのもそう珍しくもないのかもしれない。


「本当にすごいよなぁ。父親が小説家なんて、想像も出来ない」


「……そんなに、良いものじゃないわよ」


 色麻は視線を落とし、ぽしょりと呟く。


「すまん。不用意な発言だった」


 何となしに出た言葉だったが、良くなかった。詳しくは知らないが、色麻のお母さんが居なくなった原因には啓吾さんの仕事のこともあるという話だったはずだ。


「大丈夫」


 口ではそう言いつつも、色麻の表情は明るくない。


「その……やっぱり、お父さんが小説家っていうのは、大変なのか?」


「別に、そういう訳じゃないけど……。お父さんが売れてるのも、嬉しいし」


 色麻は少し歩いて、小説のコーナーへ向かう。

 色麻が立ち止まった場所には啓吾さんの著作が並んでいた。


「お母さんが居なくなってしばらくしたらね。お父さんの小説、今までが嘘みたいに売れ始めて、どんどん仕事が忙しくなって。お父さんは私をちゃんと育てるために、必死になって小説を書いてたわ」


 色麻は小説の背表紙を人差し指で撫でる。


「でも私は……寂しかった」


「色麻……」


 俺は何と言ったら良いのか分からず、ただただ色麻の名前を呼ぶ。


「でもね。私に寂しさを忘れさせてくれたのも、小説だったの。ここじゃない、遠い世界に素敵な場所があるって、そう思うだけで胸が熱くなった。このくだらない世界の退屈さを、忘れさせてくれた」


 そういう体験は、俺にも心当たりがあった。東也と出会う前、一人ぼっちだった俺は、よく本の世界に逃げた。一度剣と魔法の世界に行くと、もう他事はどうでも良くなって。


「きっとお父さんも、小説を書くことで、誰かを救ってるのよ。私みたいな、誰かを……。だから、私が寂しい思いをするのは、仕方がないことだったのかもしれないって、今はちょっと思う」


 色麻は、書店に隣接しているカフェの方へ視線を移す。


 俺もつられて、そちらの方を見てしまった。カフェには、真剣に本を読むおじさんが一人、談笑する男女が四人、パソコンで作業をしている若い男が一人居た。


「私が居なければ、お父さんはもっと自由に、小説が書けたのかもしれない。私に使っていた時間を、書くのに使えば……私よりもっと沢山の人を、救えたかもしれない」


 色麻はそう言って、切なそうに笑った。


 自分の存在が、誰かの迷惑になってやしないか。それはきっと、誰もが一度は考えることだと思う。

 そして、考えれば考える程、人というのは誰かの邪魔になっているものなのだ。例えば、俺が居なければ、東也と加美ちゃんの二人はより一緒の幸せな時間を過ごせるだろう。鈍感な俺が二人の間に割って入ったり、東也が俺に交際を隠す必要が無かったりすれば、二人はもっと自由だったはずである。


 カフェの向こうには、ガラス越しに駅前の風景が見える。

 ちょうど帰宅ラッシュの駅前は、仕事帰りの人が溢れていた。

 この世界には、ぱっと見ただけで、これだけ沢山の人が居る。


 何もない高校生男女が二人消えたくらいで、何があるというのだろうか。きっと世界は、何も問題なく回っていくはずだ。寧ろ、世界は枷が外れたように、自由に動き出すのではないかとさえ思われた。


「ごめんなさい、暗い話をしちゃって。もう、本は選び終わった?」


 俺がぼうっと外を見ていると、色麻が持っていたカゴを覗き込んでくる。


「あ、ああ」


「それじゃあ、お会計しましょう」


 色麻も何冊か本を持って、レジの方へ歩いていってしまった。

 俺は色麻の後ろ姿を見る。


 異世界に行くっていうのは、本当に、この世界からすっかり居なくなることなんだなぁ。何故かぼんやり、そんなことを思った。

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