第20話 説教と両親

「ただいまー」


 自宅の扉を開けると、そこには、仏頂面をした父さんが居た。


「……この、阿呆!」


 父さんは俺の顔を見るなり、思い切り眉に皺を寄せた。今にも拳骨を食らわせられそうな雰囲気である。


 どうやら父さんは、母さんから俺が今日学校で何をしたかを聞いてしまったらしい。普段はもうちょっと帰りが遅いから油断していたが……まさか、帰宅早々に怒られることになろうとは。


「……すいませんでした」


 しかし、別に父さんが俺に説教をすることは、何もおかしなことではない。やっぱり俺は、馬鹿なことをやらかしてしまったのだ。


「高校生にもなって、感情のコントロールも出来ないのか」


 父さんが半ば呆れたようにため息をつく。


 ……人の気も知らないで、偉そうに言いやがって。そう思いながら、俺は黙り込む。自分のやったことに問題があるのは、分かっているつもりだ。それに、父さんの言ったことは、まさに俺の問題点を言い当てていたと思う。でも、だからこそ、それを指摘されるのは癪だった。


「すぐに手が出る人間が、社会でやっていけると思うか?」


 俺の沈黙をどう解釈したのか、父さんは一方的に続ける。

 社会で、やっていけるか。


 そんな自信、俺にはない。俺が学校で上手くやれていたのは東也のおかげであって、俺が能動的に人間関係を気付いたからではないのだ。


「……どうせ、俺は社会不適合者だよ。息子の出来が悪くて残念だったな」


 俺は気付くと、こんなことを口にしていた。

 何だか自分の顔が、酷く歪んでしまっているような感じがする。


 でも、これは俺の本心だった。俺はきっと、この世界で生きていくのが、どうしようもなく下手な人種なのだ。


「……ふざけたことばかり言ってないで、ちゃんと反省しろ」


「してるって」


「反省してるやつがそんな口の聞き方をするか?」


 父さんは一切、険しい表情を緩めない。

 それから俺は、一時間ほど父さんから嫌味を言われ続けた。ひとしきり話が終わって、父さんは満足したように書斎に引っ込んでいった。


 あぁ、むかつく。

 結局、正論で人をいじめたいだけなのだ。あのクソ親父は。


 長いこと説教を受けたせいで、俺の喉はカラカラだった。麦茶でも飲もうかと思ってリビングへ行くと、母さんがお茶を飲んでいる。


 母さんは俺の顔を見ると「お説教は終わり?」と苦笑いした。俺が頷くと、母さんは湯飲みに入った緑茶をテーブルに置く。俺は黙ったままソファに一旦荷物を置き、椅子に腰掛けて、緑茶で喉を潤した。


「反省、しなさいね。ちゃんと分かってるとは思うけど」


「……はい」


 俺が返事をすると、母さんはそれ以上何も言わずに、お茶を飲み干す。そしてふと何か思い出したように「そういえば」と言った。


「そういえば?」


「彼女が居るなら言ってくれれば良かったのに。ね、今度紹介してよ」


 母さんは突然、彼女との面会を要求してきた。実際に彼女が出来ていたとしても、高校生の身分で親に挨拶とか普通しないだろ。

 というかそもそも、母さんは誤解しているのだ。


「いや、彼女じゃないから」


 俺は手に提げているビニール袋を見せながら、冷静に言い放った。


「え、そうなの? やっぱり?」


 母さんは見るからにテンションが下がったようだった。

 つーか何だよ「やっぱり」って。地味に傷つくじゃねぇか。


「じゃあ何、見知らぬおじさんを助けたって話の方が本当なわけ?」


「だからそう言ってるじゃん……」


 まぁ、確かに荒唐無稽な話だったのは認める。彼女の家に行くのに照れくさくて嘘をついたっていう方が現実的だろう。


「で、そのビニール袋は何?」


「なんか、お土産を渡された。さくらんぼだって」


 母さんへさくらんぼを手渡す。母さんはそれを見るなり


「これ高いやつじゃない! お礼しなきゃだめよこれ。夕飯も頂いたんでしょ? その人の名前何ていうの?」


 と慌てた様子で捲し立てた。

 そのさくらんぼ、そんなに良いやつだったのか。そうとは知らず、何も考えずに受け取ってしまった気がする。


「えっと、色麻さんっていう人で……」


 取り敢えず、母親に名前は教えておくことにした。

 俺だって、ちょっとしたお礼くらいはしなければと考えていたのだ。母さんに財力的な力添えをして貰えるなら、きっと十分なお返しができるだろう。


「色麻?」


 母さんがきょとんとした顔を見せる。


「もしかして、小説家?」


 母さんがピンポイントな質問をしてくるので、俺は頷く。どうして、そんなことを知っているのだろうか。


「じゃあ、しーちゃんに逃げられた駄目亭主をアンタが助けた訳か」


 母さんがそう言ってヘラヘラと笑う。

 しーちゃん?

 俺が首を傾げると、母さんは話を続けた。


「私、その色麻さんの後輩だったのよ。で、色麻先輩が逃げられた奥さんのしーち

ゃんは、私の親友。いやー、世間って狭いわねぇ」


 そういえば。色麻のお父さんは、妻と知り合ったのは高校生の時と言っていた。母さんは生まれも育ちも羽佐間市だし、色麻家は代々ここらの地主だったらしいから、色麻のお父さんも羽佐間育ちである可能性は高いだろう。


「あのさ」


 自分でも、驚くほどに緊張した声が出た。


「なに?」


「その、しーちゃんさん? の居場所って、分かる?」


 もし、高校の時の同級生だと言うのなら、同窓会か何かで情報が入ることもあるのではないか。


 母さんは「しーちゃん」が色麻家を出ていったことを知っていた。それが色麻家を出ていった後本人に話を聞いたからだとすれば、住所を知っている可能性もある。


 そんな一縷の望みをかけた問い掛けだったのだが、母さんの反応は芳しくなかった。


「アンタが知ってどうすんのよ」


 母さんは、瞳の奥に警戒の色を見せる。考えてみれば、当然か。俺が色麻のお父さんに住所を教えるのではないかと考えるのは、話の流れからごく自然なことだった。


「会わせなきゃいけない奴が居るんだ。アイツは、会う権利があると思う。ずっと、ずっとそれを願ってたから」


 俺は、何が何でも色麻の母親についての情報を聞き出さなければならないという衝動にとらわれた。


「一生母親に会いたかったって思いながら、アイツに生きていて欲しくないんだよ」


 もし、母親がこの世界に住んでいるならば、色麻は異世界へ行くのを止めるだろうか。それとも、やっぱり旅立とうとするだろうか。


 分からないけれど、とにかく、色麻が不幸になるのは、耐えられなかった。あんな、くだらない失恋話に泣いてくれるような奴が、悲しい運命を辿るのだけは、避けたい。


「お願いします。教えて下さい」


 俺は、母さんに必死で頭を下げた。

 色麻のためになることをしたい。その一心で俺は、頭を下げている。いや、或いは、この行為は俺の自己満足だったかもしれなかった。とにかく一つ言えるのは、ここまで真剣に人に願うことは無いというくらい、俺は真剣だったのだ。


「会ったって、どうなるか何て分からないじゃない。上手くいかないかもしれないし、益々悲しい目に遭わせることになるかもしれない」


 母さんは、俺の話から何となくの事情を察したらしかった。しかし、察しても尚、母さんは情報を出し渋っている。


「それでも俺は、アイツのために何か出来るなら、立ち止まりたくない。だから、お願いします」


 俺はもう一度頭を下げて懇願した。目をぎゅっとつぶって、俺は返事を待つ。


「……仕方ないわね」


 母さんが呆れたような調子で言う。


「え、本当に? 何で?」


 絶対に良い返事が返ってくるとは思わなかったのに、どうしてだろうか。顔を上げて、母さんの方を見る。

 母さんは、ひどく優しい瞳で、俺を見ていた。


「ずっと、心配してたのよ。貴方は友達と居るのが、あまり好きじゃないようだったから。でも、いつの間にかそんな風に、人のために頼み事が出来るようになってたのね」


 何だかその口調は、小さな子供と話しているようなもので。俺は照れくさくなって、目を逸らした。


 しかし、直ぐに思い直して、母さんの目を見る。


「……ありがとう」


 お礼を言う時は、目を見る。

 多分、これを教えてくれたのも、母さんだったと思う。


 そして俺は、色麻の母親が住む場所のメモを手に入れた。地名だけではよく分からなかったが、ネットで調べたところ、どうやら隣の県で、電車一本で行くことが可能らしかった。


 あとは、色麻にそのことを伝えるだけなのだが、それが結構難しい。

 色麻は、母親が異世界に居ると信じて疑わないといった様子だった。それが「実は母親は普通に電車で一本の距離に居ます」と突然伝えられて、彼女はどんな反応を示すだろうか。


 もしかしたら、酷くショックを受けてしまうかもしれない。そう思うと、電話やメールで伝えるのは気が引けた。


 明日、直接話そう。


 そんなことを考えながら、俺はベッドで横になった。すっかり見慣れた天井を見つめると「この景色も、もうすぐ見納めなんだなぁ」と、そんなことを考えてしまう。


 未だにあまり実感がないが、思えば、母さんや父さんに怒られるのも今日が最後だったのかもしれない。もっと言うならば、東也とまともに対面するのも、加美ちゃんと話すのも、今日が最後だったんじゃないだろうか。


 ……でも、最後でも、構わないんだ。俺は、その覚悟をしたはずである。今日一日で、俺は、より分かったはずだ。全部父さんの言う通りだ。俺は社会でやっていけないし、この世界に適応出来てない。


 だから、逃げるんだ。もっと幸せになれる世界へ、逃げる。


 それを、悪いことなんて言わせない。どうしようもないことに立ち向かってボロボロになるくらいなら、絶対に逃げたほうが良いじゃないか。


 そこで思考を中断して、俺は目を閉じる。


 とにかく、早く寝て明日に備えよう。俺と色麻がこの世界で過ごす時間は、もう二日ほどしか残されていないのだから。

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