第19話 夕食とお土産

 それからしばらく、俺は色麻が料理を完成するまで、何となく台所でその様子を見ていた。


 メニューは鶏肉と大根の煮物に、玉葱とカボチャの味噌汁。それと、作り置きしていたらしいホウレン草のおひたしだった。


「凄いな……」


 改めて食卓に並べられたそれを見て、俺は感嘆の声を漏らす。そんな俺の表情を見て、色麻は照れ臭そうにはにかんだ。


「簡単なものばっかりよ」


「簡単かどうかすら俺には分からないけど、とにかく滅茶苦茶美味そうだな」


 決してご馳走になるからお世辞を言ったわけではなく、本当に美味しそうな料理だった。


「悪い悪い。食前にちょこっと書こうとしたら、思った以上に筆が進んでしまって」


 バタバタと廊下から色麻のお父さんがやって来る。

 食器を出すくらいは手伝おうと思ったが、自分の家ではないので勝手がわからず、考えている間に色麻がテキパキと全部やってしまった。

 俺と啓吾さんは、テーブルに座ってそれを眺めるのみである。


「今日の当番は真結だから、真結に任せていれば良いのさ」


 啓吾さんは腕組みして頷く。

 色麻家の食事は当番制らしい。啓吾さんが何の罪悪感もなく娘に料理をさせているのは、そういう事情があったのか。


「いただきます」


「いただきます」


「ご馳走になります……いただきます」


 色麻父娘に合わせて、丁寧に手を合わせる。こんなにしっかりといただきますを言ったのは何時ぶりだろうか。


「うん、美味しい」


 大根を一口、啓吾さんが言う。

 俺は思わず色麻の方を見る。色麻も、俺の方を見ていた。

 互いに、くすくすと笑う。啓吾さんは、訳が分からないといった様子で首を傾げていた。


 俺もお父さんに習って、煮物に箸をつける。芯まで出汁の染みた大根は、口に入れた瞬間に野菜の甘みと鶏肉の旨味が広がる一品だった。うん。まるでグルメ漫画のようなことを考えてしまうほど、美味しい。


「あー、美味い」


 ここが人の家だということも忘れて、普通に食事をしてしまう。


「やっぱり高校生男子の食べっぷりというのは気持ち良いものだね」


 啓吾さんが心から愉快そうに麦茶を飲む。

 別に皮肉のつもりは無いんだろうけど、そういう言われ方をすると、何だか恥ずかしくなってしまう。


「口に合ったのなら、良かったわ」


 しかし、食べるのを止めたら色麻の嬉しそうな表情を曇らせることになりそうなので、俺が箸を止めることは無かった。


「ごちそうさま」


「ごちそうさま」


「ごちそうさまでした……本当に、ありがとうございます」


 改めてお礼を言うと、色麻のお父さんは手を横に振って


「気にしないでくれ。それより、娘をよろしく頼むよ」


 と言いながら、俺に何かビニール袋を渡してきた。


「えっと、これは?」


「まぁ、賄賂みたいなものだよ」


 秘密を打ち明けるように、啓吾さんがニヤリと笑う。


「頂き物のさくらんぼ。山形の方に親戚が居るのよ」 


 しかし、色麻が直ぐにネタバラシをしてくれた。


「二人暮らしだと、余って腐らせてしまうからね。ご近所に配っているところだったんだよ」


 覗いてみると、ビニール袋の中には、でかでかとさくらんぼのイラストが描かれた箱が入っている。


「何から何までありがとうございます」


 本当に、どうしてこうなったのか分からないが、凄く丁重に饗されている。


 きっと、娘に友達が居たことが、本当に嬉しかったのだろう。夕飯を食べさせて、お土産まで用意して……。

 良いお父さんだな、と思った。


 過去のことは分からない。もしかしたら、その反省によって良い父親であろうとしているのかもしれないけれど。


 それでも、色麻を大切に思っているのが、伝わってきた。


「それじゃあ、そろそろ帰ります」


 とはいえ、あまり長居するのも良くないだろう。俺は流石に家へ帰ることにした。

 俺が立ち上がると、色麻も同様に立ち上がる。


「コンビニに行くついでに、見送ってくるわね」


「あぁ。そうしなさい」


 啓吾さんが頷いて、俺は色麻と共に帰路につくこととなった。

 色麻家を出た風景は、あの日の深夜とそう変わらないものとなっていた。単に、日が落ちたのだ。


「お父さんが強引に誘ってしまって、申し訳ないわ」


「いや、気にしないでくれ。むしろ、美味しい夕飯を食べられてラッキーだった」


 本心を話したのだが、色麻は俺の言葉をどう受け取ったのか、曖昧な笑みを浮かべる。


「なら、良いけど」


 その返事の後、俺達の間にはしばしの沈黙が訪れた。

 遠くで車が走る音。何処かの民家から漏れる笑い声。暗い街は、何だか懐かしい匂いがする。


「……なぁ」


「どうかしたの?」


「色麻は、何か未練とか、無いのか?」


 色麻の方は向かず、欠けた月を見つめて、俺は質問した。


「前に言わなかった? もう無いって」


「本当に?」


「仮にあっても、叶わないものが殆どだから。目からビームを出したいとか、恐竜の背に乗って宇宙人と肩を組みたいとか、そういうファンタジーな話よ」


「そうか、なら、叶いようがないな」


「異世界に行ったら、幾つかは叶うかも知れないけどね」


 色麻は遠い目をして、それから少し目を閉じて、瞳の奥の濁りを隠した。

 何か誤魔化されたな、と、そんな感じがする。


「それじゃ、さようなら」


「さようなら」


 コンビニへ向かう道と、俺の家へ向かう道は、ここで分かれる。

 カーブミラーの前で、俺達は別れの挨拶を交わした。


 人と言うのは不思議な生き物で、振られて悲しんでいる時でも、誰かと話して美味いものを食うと、本人の意思に関係なく冷静さを取り戻すものだ。


 加美ちゃんは、俺に友達で居て欲しいと願った。

 色麻のお父さんは、娘との未来を語った。

 それは何だか、世界が今更俺を引き留めようとしているようで。


「……ふっ」


 自分の思考を、鼻で笑う。

 東也とあれだけ喧嘩して、加美ちゃんへ自棄になって告白して。この世界にこのまま居てどうなるというのだ。


 俺はそれ以上考えるのを止めて、早足で家へ帰った。

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