第18話 台所と親不孝
「もしもし?」
夕飯を別の場所で食べるとなれば、母さんに連絡しなければならない。ということで、俺は色麻家の廊下で自宅へ電話をかけた。
「もしもし、陸? あんたいつ帰ってくるの?」
母さんは開口一番、呆れたように質問してきた。
確かに考えてみれば、喧嘩で帰らされた息子が不用意に出かけて帰ってこなかったら呆れるのも当然か。
「ごめん、ちょっと夕飯を別の場所で食べることになった」
「へ? なに、どこで? 流石に学校の人に見られたら不味いんじゃないの?」
母さんがもっともな事を言う。
これは、正直に話したほうが良いだろう。
「ちょっと、流れで人の家で食べることになって……」
「はぁ!? 何、一体どういうこと?」
母さんは完全に混乱した様子だった。俺だって正直この急な状況に動揺しているんだから、説明を求められても困る。
取り敢えず、道で助けた人に夕飯へ招待されたと正直に言ってみる。
「へー。で、本当はどこで食べんのよ」
母さんは俺の話を完全に嘘だと捉えたらしかった。
俺も自分で話して、嘘だろうと思った。
「亘理くんって、食べられないものとかある?」
そうやって電話をしていると、色麻がキッチンから現れる。サイズの合っていないエプロンをつけて、おたまを持っているその姿は、一時代前の奥さん像のミニチュアといった感じで、不思議な背徳感があった。
家だから気が緩んでいるのか、色麻は結構大きな声で俺に呼びかけている。
「どうかしたの? 亘理くん?」
「いや、今電話してるから……」
俺が慌てて手に持っている携帯を指差すと、色麻は直ぐに片手で口を塞いだ。
「……そういうこと」
電話口の向こうで、母さんは何かを納得したらしかった。
「何が?」
「まぁ、喧嘩で傷ついた心を彼女に癒やして貰いなさい。そしたら明日からはちゃんとすんのよ」
「え」
電話が切れる。
「ごめんなさい、急に話しかけてしまって」
色麻が頭を下げ、しゅんとする。
どうやら母さんは色麻の声を聞いて、何やら誤解したらしかった。
「いや、まぁ、気にすんな。別に大丈夫だ」
むしろ、誤解されて良かったかもしれない。納得させる手間が省けたとポジティブに考えよう。
「そう? あ、それで、亘理くんは食べられないものってある?」
色麻はちょっぴり不思議そうな顔をした後、まるで客にするような質問をした。いや、実際色麻の目線からすれば客なのか。別にもてなす必要はない客だが。
「えっと、強いて言うなら茄子は苦手だけど、別に食べるぞ」
「それなら安心ね」
色麻が妙に柔らかな笑みを浮かべる。
自惚れかもしれないが、もしかして、彼女は喜んでいるのだろうか。俺と夕飯を食べることを。
「悪いな、ご馳走になっちゃって」
色麻の気持ちを確かめたいと思ったら、何だか意地悪な質問の仕方になってしまった。
何だかいかにも「気にしないで」と言って欲しそうな発言だなぁ、と我ながら思う。
「いえ、父さんは何でも美味しいっていうから、張り合いが無かったのよ。遠慮なく意見を言ってほしいわ」
色麻はふんすと鼻息を荒くする。どうやら、彼女は料理が好きらしい。
あの父親が「美味しい」としか言わない姿が容易に想像できて、俺は小さく笑った。
「まぁ、それじゃあ、遠慮なく」
取り敢えず、そう言ってみる。
正直、ご馳走になる立場で人の料理にとやかく言うほど俺の面の皮は厚くないが
「意見なんて言わんぞ!」というのも返事としてはおかしい気がしたのだ。
色麻は頷いて、台所へ戻っていく。
何だか不思議なことになったなぁ、と他人事のように思う。告白した足で他の女に手料理を振る舞ってもらうって、それだけ聞くと物凄い浮気症な男みたいだ。
実際の俺は流れと勢いで返事の知れた告白をして振られた大馬鹿者なのだが。しかし返事が知れていたからこそ、あの夜ほどのショックは受けずに済んでいた。
色麻の後を追う。
少なくとも啓吾さんよりは、色麻と居るほうが気楽でいられるだろう。彼が娘との未来を語るほど、俺の胸は締め付けられる。
「ふんふふふーん♪」
台所へ近づくと、微かに鼻歌が聞こえる。
綺麗な声だな、と思った。
何だかその鼻歌を途切れさせるのが悪い事のように感じて、俺は音も立てずにそっと台所を覗いた。
蛇口が西日を受けて、よく磨かれた貴金属のように輝く。何の料理かは分からないが、とにかく美味しい匂いがした。そして、エプロンの結び目が、鼻歌のリズムに乗って、揺れる、揺れる。
家庭的だな、と思った。
図書室で異世界の話をしていた色麻と、目の前の彼女は本当に同一人物なのか疑わしくなるほどだった。
「……何時から居たの?」
十数秒の観察の後、色麻は俺の気配に気が付いたらしく、振り返りもせずに話しかけてきた。よく見ると、耳が赤い。
「色麻ってもしかして、歌上手い?」
「からかわないでくれるかしら」
色麻はわざわざ料理する手を止め、振り返って俺を睨んできた。鼻歌を聞かれたのが余程恥ずかしかったらしい。
「何か手伝うこととかあるか?」
これ以上この話題を広げるのは色麻が嫌がりそうなので、話を逸らす。
ただ後ろで突っ立ってるのに罪悪感を覚え始めた頃だったので、丁度良い。雑用でも何でも、やらせてもらおう。
「大丈夫よ」
即答だった。
確かに、色麻はテキパキと幾つもの作業を同時進行で行っている。俺が入り込んだら寧ろ邪魔になりそうだ。
しかし、手持ち無沙汰だな……。
「大丈夫なら、仕方がない」
俺は一瞬携帯電話に触れて、それから、やっぱり止めた。スマートフォンは最強の暇つぶし道具だが、今はそういう気分になれない。
なんだか、別にもっと良い過ごし方がある気がした。
包丁とまな板が軽妙なリズムを奏でる。ガスコンロが空気の抜けるような音を出す。換気扇が騒がしく暴れる。
「もしかして、亘理くんって結構食いしん坊なの?」
色麻が不思議そうな横顔を見せる。
「食いしん坊?」
質問の意図が分からず、俺は首を傾げた。
「料理しているの、ずっと見ていたから」
何だか微笑ましいものでも見るかのように、色麻は目を細めた。
「何つーか、料理している人をちゃんと見たことが無かったから、見たくなった」
「家では誰が料理しているの?」
「母さん」
「お母さんには感謝しなさいよ」
まるで子供に言い聞かせるような口調。色麻にとって母親はかなり大切なものらしいし、何となくそう言われる気はしていた。
「確かに、感謝してもしきれねぇよ、親には」
でも。
「でも、俺達は、明日親を置いて旅立つ。俺達の新しい世界での未来には、父親も母親も居ない。これって、最低レベルの親不孝じゃないか?」
どうしても、色麻のお父さんと話して、俺は考えてしまったのだ。自分と色麻が消えて、悲しむ存在を。
他がどうであれ、間違いなく俺の両親は悲しむと思う。様子を見るに、色麻のお父さんも、悲しむだろう。
「じゃあ、行くのは止めにする?」
「それは……」
幾ら親が俺達を大切に思っても、この世界まで同じように思ってくれる訳ではない。そんなこと、今までの経験から分かりきっていることだった。
やっぱり、異世界へは、行きたい。
「全部手に入るなんて都合の良いことは無いのよ。未練ノートだって、全部全部解消できる訳ではないでしょう? 何かを手にするには、何かを捨てなければならないわ」
それは全くの正論だ。そしてこれは、色麻もきっと考え続けてきた話題だったのだろう。意見を言う時の堂々とした立ち振舞が、俺にそんなことを推察させた。
「私はこんな世界とおさらばして、異世界で母さんと会うのよ。それが私の一番の幸いだって、私が決めたの」
言い切って、色麻は料理に戻った。
ここまできっぱりと宣言されてしまうと、これ以上掛ける言葉が見つからない。
喉まで出かかった何かを誤魔化すように、俺は鍋から出る煙を眺めた。
異世界に行くのって、なんか。
なんか、難しい。
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